一緒に帰ろう



「袖口に松脂がついている、ヴァイオリンに触れたらことだ。そんなことも知らないのなら君に楽器に触れる資格はない」
「君は何も知らないんだな。正直言って、そんな人間と同じ舞台に立つこと自体、俺は納得できない」
「君には関係ないだろう」
 何度となく否定の言葉は告げられてきた。でも、それでも同じ楽器を持つ者同士、自分から距離を置こうとは思わなかった。知りたいと思った、自分が演奏をする楽器を持っている人間がどんな人物で、どんな風にヴァイオリンを弾いているのか。紛い物の力じゃなくて、自分自身の力で弾いている彼が、どんな気持ちでヴァイオリンに接しているのか。単純な興味だった。
「何故俺が君と帰る必要がある?」
 だから、断られても。
「悪いが急いでいるんだ。失礼する」
 何度断られても、一緒に帰ろうと、言葉をかけ続けた。
「お前さ、いい加減懲りろよな。ああいうお高く留まってる奴はこっちから声かけるだけで時間の無駄だぜ?」
 土浦くんからそう言われても、わたしは全然気にしなかったし声をかけ続けることをやめることも無かった。
「でも、いつか一緒に帰れるかもしれないし」
「そんなにアイツと帰りたいのかよ……好きなのか?」
「そういうのとは、ちょっと違うと思う」
 好きとか嫌いとかじゃなくて、どちらかといえば睨まれれば怖いなと思うし、不快な思いをさせたら申し訳ないなあと思う程度だし、苦手な面もたくさんある。
「ただ知りたいの、同じ楽器を扱う彼が、どんな風にヴァイオリンと接しているのか」
 どう接すれば、わたしはこのヴァイオリンに失礼な態度をとらずに、きちんと他の演奏者にも納得してもらえるような演奏が出来るのかどうか。
 誰より一番ヴァイオリンに近い彼は、その答えを知っているようなそんな気がするから。
「俺にはよく解らねーけど、まあ適当に頑張れ」
 土浦君は納得してくれなかったんだろう、返事には不可解とでも言いたげな溜息が込められていた。
 わたしも納得して欲しかったわけではない。というか、自分自身のこの気持ちを言うには、まだきっと早い。わたしはズルをしているから。それをみんなに告げるには時間が早すぎた。
 適当に頑張る、確かにそうかもしれない。でも、適当じゃダメなんだよ。彼はいつも適当じゃなくて、なんにでも真剣に取り組んでいた。
 だから、わたしも真剣に取り組む。真剣に一緒に帰りたいと思う。変だと思うけどそれしか出来ないから。いつかこの気持ちが彼に伝わればいいなと、そう思う。

 何度断っても、彼女は俺に声をかけてきた。俺は彼女を避けていたわけではないし、話しかければ応えはしていたが何故か彼女と帰るのだけは躊躇われた。自分の隣を誰かが歩くことは想像できずに、またそれが彼女であるなら尚更不可解だった。
 音楽のことを何も知らない、普通科の…ましてや素人が出場する。そんなことは常識的にあってはならないことだった。音楽を志すもの万人に対して失礼だと思うし、彼女がどんなに頑張ろうとも、それを結果に残せるとは到底思えなかったからだ。
 用事があるときも無いときも、断り続けてきた。それでもめげずに話しかけてくる彼女を断ることに罪悪感を覚えたのはいつからだったろう。おそらく、時間の問題だったのだ。
「月森くん、一緒に帰らない?」
 逃げることにも疲れたし、たまたま後ろから声をかけられて振り返ったときにすぐさま否定の言葉が出なかった。ただそれだけのタイミングだ。
「…………」
「……あれ? おーい、聞いてる?」
 日野の手が俺の前で前後に振られて、俺は閉じていた口を開いた。一体何を言うつもりなんだと、自分でも不思議に思った。
「ああ、わかった」
 彼女の目がこれでもかとばかりに見開いたのは、よほど俺の返答が意外だったからだろうか。そんな反応を返させてしまうほどの態度を今まで取っていたのかと、やはり心に生まれた罪悪感。なんだか罪滅ぼしをしなければいけないような気がして、俺はその想いを振り切るように歩き出した。
「あ、待って!」
 隣に追いついてきた日野は、ちらちらとこちらを窺っている。しかし、特に話しかけるようなことはしない。
「どういう風の吹き回し、とでも思っているのか」
 つっけんどんな言い方になってしまったのだが、そう彼女に問い掛ける。すると、日野は首を捻ってそれから首を振った。
「何かあったのかな、と思ったんだけど。もしかしてわたしに話が聞けることあれば、聞くよ。でも月森くんがわざわざわたしに話したいことあるのかなって考えちゃって」
 特に何もあるわけではない。だから彼女の言うとおり、日野と話すことなどないのだが、なのにどうして了承したのか、日野も不思議がっている。それは当然だといえた。
「偶然今日は何もなかった。ただそれだけだ」
 そう、これは偶然の気まぐれが起こした奇跡みたいなもの。俺の隣を歩くのは、彼女ではないとそう思っていた。その気持ちに今も変わりはないが、だからといって無下にする気にもなれない。
「そっか、じゃあラッキーだったんだ」
 そうして日野は笑った。
 距離をとろうとしているのに、そんな風に喜ばないで欲しい。ますます罪悪感が増えていく一方だ。
「ありがとう、月森くん。一緒に帰ってくれて」
 ただ帰ってるだけで、お礼を述べられるようなことは何一つだってしていない。
 その真っ直ぐさが、今は少し眩しかった。
 一緒に帰るだけだ。ただそれだけ。同じ舞台で隣に立つのとは全然違う今だってそんなこと認めてやしない。だからそんな風に避ける必要だってないんだ、と己を戒める自分の状況がイレギュラーだということに気付いていないと言えば嘘になる。
「礼を言われるようなことはしていないだろう」
 だから何度話しかけられても、こんな言い方で返してしまう。今までだったらそれで離れていく人間はいくらでもいた。俺も引き留めようとはしなかった。これ以上余計な手間は要らない。
「そうだね、そうかもしれない」
 でも、とそのまま日野は続けた。
「月森くんと帰れて、嬉しかった。嬉しい気持ちをくれたから、そのお礼かな」
 思わず茫然と彼女が歩いていく後姿を見送った。なんてことないように言った言葉がどれだけ俺にとって異質であるか、彼女は理解していないのだろうか。
「あれ?月森くんどうしたの?」
 きょとんとした顔で振り返られて、俺はふぅっと息をついた。
「いや、なんでもない」
 俺と一緒にいて嬉しいなんていう人間は、建前だけだと思っていた。日野もそうだと思いこもうとしていたのに、逆に思い知らされてしまった。日野は決して自然体を崩さない。それは誰の前でも一緒だ。俺の前でも、他のコンクール参加者の前でも。
「日野」
 分かれ道である交差点にたどり着いて、俺は日野と向き合った。
「俺はここだから。では、また明日」
「うん、また明日!」
 バイバイと大きく手を振ってくれた彼女はくるりと進路変更すると走って行った。
 その後姿をなんとなく見送って、そうして俺はさよならという代わりに一瞬だけあげた手を下した。
 また明日。
 自分から発したその言葉の意味は、きっと自分が考えているよりももっと深いものなのだろう。





 デレが一切ない、ツン森ですwでもこういうのも大好きです★超楽しいww

   20100508  七夜月

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