36℃



 今日は暖かいですねと、千鶴は幸せそうに告げた。
 それに対して沖田も同意を示す。今日は暖かいねと言葉に出して千鶴に笑う。
 笑い合える日々が幸せ、嘆きあう日々は不幸せ。そうじゃない。嘆きあう日々があるからこそ、今の千鶴と沖田が存在する。
 二人で過ごしていると、ふとした拍子に千鶴は自分の隣にいる人のことをじっと見つめてしまうときがある。見ているだけで幸せで、その人が何をしていても幸せで、一緒に居られて幸せだ。
「幸せそうな顔をしてるね」
 と、その本人から言われれば、千鶴は自信を持って頷ける。
「幸せですから」
「なら良かった」
 その言葉を聞くたびに、一緒にいる人がホッとしたような、嬉しそうな顔をするから、千鶴は何度だって幸せだと告げるのだ。
「総司さんは幸せですか?」
 尋ね返すと、沖田も柔らかい微笑を浮かべて頷いてくれる。
「幸せだよ」
「なら良かったです」
 幸せなんて、言葉にするのは本当に簡単で、自分たちが歩んでいる道が幸せに繋がっているのかなんて、千鶴にはわからない。だけど、隣にいる人とこうして幸せだと言い合える現在は確かに幸せなのだ。泣いてしまいたくなるほど辛いことがたくさんあって、千鶴にはもう誰も残されていない。沖田しかいない。彼と運命を共にすると決めるまでは、とても苦しくて辛くて泣いてばかりいた。
 それなのに、沖田は離れることを強要せずに最後には千鶴が横を歩くことを許してくれたから、千鶴は一緒に笑っている。
「本当はね、君のことを僕は馬鹿だと思ってたんだ」
 突然沖田がそういうので、千鶴は微笑んだまま首を捻る。
「どうして僕なんだろう、他にもいるのになって。土方さんと一緒に行くことだって出来たのに、何度も思ったよ」
 その選択肢を度々与えてくれたのは沖田だ。けれど、千鶴の中には生まれなかった。いや、そういう選択をすることも可能だったんだと思う。だが、千鶴はそれを選ばなかった。
「どうしてだと思いますか?」
 いつも質問をすると質問で返されるので、千鶴はお返しとばかりに尋ねる。千鶴が聞き返すことなど想定してなかったのだろう、沖田は困ったように笑った。
「それを僕に言わすの? 間違ってたらいやだな」
「簡単ですから、間違えたりなんかしませんよ」
 千鶴から言えばとても簡単なのだ。ずっと一緒に居たから、居るのがいつの間にか当たり前になってしまって、運命を共にすると決めてくれて、そして千鶴は自分の気持ちを自覚した。
「君が僕を想ってくれていたから」
 当たりだと、千鶴は微笑んだ。
 そう、今でもその想いがすべての原動力となっている。
 沖田が好きで、何をしていても涙が出るくらい好きで、だから千鶴は現在も沖田の傍にいる。こんなにたくさん、沖田のことばかり考えられるような日々になったのは、たくさんの人の運命に千鶴が関わってきた、その結果だ。この結果になるために、たくさんの人との出会い、そして別れを繰り返す道だったとしても、千鶴はきっとこの出会いを望んだだろう。
 沖田も千鶴も、失ったものが多い。二度と取り戻すことは出来ない幸せの日々もあった。だから、二人で新しい幸せの形を作るのだ。過去を振り返って嘆くなら、過去を想って微笑いたい。
「ほら、簡単でしょう。私は沖田さんが好きなんです」
「……ふふ、君って本当に変な子だよね。僕みたいなのを好きだと言うなんて」
「だったら沖田さんも変ですよ。私なんか放っておけば良かったのに、私のために戦ったりする必要なんてなかったんです」
 時代の流れは千鶴の存在一つで変わるほど小さいものではなかったかもしれない。でも、少なくとも千鶴がいなければ沖田も他の仲間も鬼との戦闘で傷つくことはなかっただろう。
 自分のために戦ってくれてる人の前で泣くことは出来なかったから、千鶴はいつもこっそりと泣いていた。沖田がそれをいつも見て見ぬ振りしてくれていたのは、千鶴も後から気づいた。
「じゃあ、今度は僕の番だ。どうしてだと思う?」
 沖田は調子を取り戻したように、楽しそうに千鶴に問いかける。千鶴は答えを口に出そうとして躊躇った。
「どうしたの?」
 なかなか口を開かない千鶴に、沖田は不思議そうに首を傾げている。
「たぶん、私とは違う理由なんじゃないかと思いまして」
 千鶴がそういうと、沖田は冷静になったように笑みを消して、それから苦笑した。
「……本当に君は僕をよく見てるよね」
「だてに見てたわけじゃありません」
「うん、僕の負けだね。そうだよ、その通り。僕は君のためというよりも僕のためだった」
 沖田の言葉は千鶴をがっかりさせるようなものではなかった。予想通りというか、自分の沖田限定の観察眼を少し誇らしく思う。だから不服は特にない。
「別にいいんです。それが総司さん自身のためだろうと、なんでも。だって、結果として今のこの時間に結びついているんですから」
 千鶴がそういうと、沖田は何かを言おうとして口を開き、諦めたように頷いた。
「うん、そうだね。それに、今僕が君の事を想っているのは変わりないし」
 千鶴は沖田に言われて薄っすらと頬を赤くした。
「好きだよ、千鶴ちゃん」
「……ありがとうございます」
「照れてるね、可愛いなあ。自分だってさっき言ったのに」
「言われる方が恥ずかしいです」
 益々顔を赤くしてしまった千鶴。だが、沖田はそれ以上からかわなかった。沖田の口元には笑みが残ったままだ。
 日差しを浴びて目を細めながら、座っていた二人は手を横に出した。重ね合わせたその二人の手は互いの温もりを伝えてくれる。そして言葉を重ねてくれる。
「今日も温かいね」
「はい、今日も温かいです」
 季節が過ぎ、温かいねと言葉に出来る日が、徐々に遠のいたとしても、千鶴はこの手の温もりと大きさだけは一生忘れない。この手が守ってきたもの、この手が生み出してきたもの、これから千鶴も背負っていく。未来がどうなっていくか千鶴には想像つかないけれど、重ねる日々だけでなく、手を重ねる時間が、今はとても愛おしい。


 了





   20090119  七夜月

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