足音



 パタパタと屯所を走り回る軽快な足音が聞こえ始めたのは、そう昔のことではない。
 もう一年は経っただろうか。普段はこんな風に足音をさせて走り回る姿は見ないが、たまに急ぎの用事であったりすると、この音が聞こえてくるのだ。見つかっては土方に怒られている姿も時々あるが、反省はしても学習はしないのか。それともあえて聞いていないのか。どちらにせよ、平隊士のもとに姿を表さなければ、まあいいと斎藤は許容範囲としてみていた。
 足音はこちらへ向かってきている。あといくばくもしないうちに、持ち主の姿が現れるだろう。
 廊下を静かに進んでいた斎藤の予想通り、突き当りの曲がり角から、途端に千鶴が顔を出した。さほど勢いつけて走っていたわけではないため、斎藤とぶつかる前に停止する。
「あ、斎藤さん! 良かった、探していたんです」
「なんだ」
 千鶴は胸元から信書を取り出すと、それを斎藤に見せた。
「これ、預かってきました。土方さんからだそうです」
 斎藤は信書に書かれた内容を読むと、胸元にしまう。あいにくと、急を要するようなものでなく私用な手紙であったため、読むだけに留める。だが、ふとこの手紙を誰から預かったのか気になった。まさか平隊士の前に不必要に姿を見せたのか、と斎藤がいぶかしむものの、その謎はすぐにも解けた。
「沖田さんが戻ってきたときに持っていたんですけど、表に子供たちが遊びに来てたみたいで。今渡されたんです」
「では総司は外に?」
「はい、私が代わりに受け取りました」
 そして千鶴の顔色が少し不安げになる。
「あの、私が受け取ったら何か不都合がありましたか?」
「いや、ない。だが雪村、俺を走って探す必要もない。副長から常に言われているだろう」
 手紙を受け取ったことをてっきり咎められるものだと思っていたようだが、予想だにしないところを突かれたと言わんばかりに千鶴は目を瞬かせた。
「私、走ってましたか?」
「走っていた」
「ご、ごめんなさい。気をつけます」
「そうしてくれ」
 ぺこりと頭を下げて謝る千鶴を、怒っているつもりがない斎藤は頭を上げさせる。気をつけるとはいえ、また急ぎの用があれば走ってしまうんだろう。諦めに近い悟りを開いている斎藤はそれきり追及はしなかった。
 用事が済めば他の隊士ならばすぐに場を立ち去るが、千鶴はそうではない。好奇心旺盛とでも言うべきか、常に何かしらに視線を向けている。
「斎藤さんは何をしていたんですか?」
 見上げて尋ねられ、斎藤は少し思案した。何をしたかといわれると、
「特に何も」
 としかいえない。現在は差し迫った隊士への命令も特にはないし、千鶴に説明してやれるような仕事はこれといってない。だが、ふと思い出して顔を上げた。
「そうだな、稽古場の方に顔を出そうと思っている」
「稽古ですか?」
「ああ、この時間なら、新八と左之がいるはずだ。他の隊士たちの様子も気になる」
 千鶴は納得したのか、頷くように手を叩いて理解を示した。いちいち所作が大げさといえばそうなのだが、一年も一緒に居れば斎藤も慣れたものだ。
「稽古頑張ってください、私は部屋に戻りますね」
 注意を受けたことを守ろうとするためか、背筋を伸ばして静かに足を踏み出した千鶴の背中を無遠慮に眺めた斎藤は、ほんの少しだけその背中に翳りが見えた気がして、無意識に呼び止めていた。
「雪村」
 千鶴はすぐにも振り向いて、きょとんとしたまま斎藤を見上げる。
「一緒に来るか? お前も剣を扱うんだ、平隊士の手前、一戦を交わすことは出来ないが、勉強にはなるだろう」
 表情だけで喜んだのがわかるくらい、千鶴の表情が晴れやかになる。無意識であったとはいえ、斎藤も喜ばれるのであれば悪い気はしない。声をかけたことを後悔せずに済んだ。
「お邪魔じゃないですか?」
「当然、邪魔しない程度だ。長時間は無理だろうな」
「構いません、連れて行ってください」
 どの道、外出の許可も下りているのだから、斎藤が庇うように立ってやれば千鶴もそう目立たないだろう。
 二人連れ立って歩いていると、千鶴の足音がまたも軽快になる。だが、別に走っているわけではない。拍子がついて先ほどの静かな足音とは比べ物にならないだけだ。そんなに楽しそうなものだろうか、と、斎藤は少し不思議に思って尋ねる。
「そんなに稽古場が見たいのか?」
「はい、皆がどんな風にしているのかも気になりますし…でも、やっぱり一番は斎藤さんが誘ってくれたのが嬉しかったです」
 それは他愛無い言葉だった。恐らく、ずっと閉じ込められていた千鶴の世界が、少しでも広がることに喜びを感じた感想に過ぎないのだろう。
 だけど、何故か斎藤はその言葉に満更でもなく心が軽くなっている自分が居ることに驚いた。
「そうか」
 ここでよかったな、とか何かを言うのも変な気がしたので、斎藤はありふれた返事をして会話を切り上げた。
 切り上げられた会話の後に残るのは無言。基本的に斎藤は無口だ。相手に対して好かれるような話し方など知らないし、特に意識していたわけでもない。だから、退屈をさせるものだと思っていたのだが、流し目で隣の様子を窺う。千鶴は隣を歩きながらも、無言を苦痛に思っている様子なく、先ほどと変わらぬ軽快な足取りを貫き通している。
 自分と居るのに退屈した様子がないというのも変な感触だ。だが、千鶴がどんな思いを斎藤に抱こうとも、土方の命令がある限り、斎藤は千鶴を守るだろう。退屈に思われようが嫌われようが、今までと同じようにするだけだ。
 斎藤の視線に気づいた千鶴が顔を上げて斎藤を見る。
「楽しみです」
 そして、千鶴は満面の笑みを浮かべた。不意にその笑顔が斎藤の頭に焼きつく。
 今までと同じように、守るだけだ。
 たとえこの先、嫌われようとも、この笑顔が失われるようなことになっても、それはきっと変わらない。
 焼きついてしまった笑顔を無理やり引き剥がして、別のことを考えるよう務めながら、斎藤は千鶴から視線を逸らしてそう思った。


 了





   20090119  七夜月

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