ヤサシイウソ



 僕は君が嫌いだ、目障りだからどこかへ行ってくれない?
 僕の戯れに乗せて紡いだ言葉-気持ち-は、彼女を酷く傷つけた。
 
「なんかさあ、最近千鶴元気ないよな? 挨拶もするし、笑ってもいるんだけど、なんかちょっと違うっていうか」
 会議とは名ばかりの幹部の集まりの際に、平助は世間話をするかのようにそう告げた。
「まあ、まだこっちに移ってきたばっかだしな。色々と思うところがあるんだろう」
「つってもさあ、なんか心配じゃん? 誰かなんか知らない?」
 平助が全員の顔を見渡すように聞いても、場は静まるばかり。理由を知るものはいないようだ。それはそうか、と沖田は笑い出したいのを堪えた。自分のせいだというのは簡単だが、その後の糾弾に対して説明するのが色々と面倒だから、沖田もそ知らぬふりをする。
「千鶴に聞いても、なんでもないですの一点張りだし」
「平助がしつこかったりしたんじゃねぇの?」
「新八っつぁんと一緒にすんなよ。オレだって空気読めるんだからな」
「ほっほー、つまりアレか、俺は空気が読めねえと言いたい訳だな、お前は」
「新八、気にするなよ。事実だろ」
「左之、てめえマジであとで覚えとけよ?」
 千鶴の悩みなどそっちのけで、徐々に脱線していく平助たちを放っておいて、珍しく山南が口を挟む。
「確かに彼女はどこか無理をしているような節がありますね。どことなく、笑顔も固いようですし」
「だろ!? やっぱり山南さんわかってるよ!」
 途端に食いついてきた平助はともかく、他の隊長も彼の言葉を聴いた瞬間に、平助が言ったときよりも唸るように口ごもる。
「そういや、最近あんま食べてねえらしいな」
 土方がそういうと、これまた同意を得たとばかりに平助がしゃしゃり出る。
「そう!そうなんだよ。最近よくオレにおかずくれるしさ」
「お前……女の子から貰ってんなよ」
「オレだって一応は遠慮してんだよ。でもお腹いっぱいとか言われたら貰うしかないじゃん」
「平助って本当に、単純だよね」
 ははは、と沖田が笑うと、斎藤の視線が沖田に向けられた。
「……なに?」
「……いや」
 沖田の問いかけにも、斎藤は首を振ってやはり押し黙る。いつも物事をはきはきと告げる彼にしては珍しかった。それに気づいた土方が斎藤に声をかける。
「なんだ斎藤、何か引っかかることでもあるのか」
「……この件について関係があるのかどうかはわかりませんが」
 珍しく言いよどむ様に切り出した斎藤に、視線が集中する。
「先日、彼女が一人で泣いているところを見ました。声をかけられる雰囲気ではなかったので、知らぬふりをしましたが」
「……なんか、思いっきり関係してそうじゃねえ?」
「同感だな」
 沖田は杯を傾けながら、斎藤の言葉を聞いていた。おそらく、泣いたのはきっと沖田が彼女にあの言葉をぶつけたときだろう。そうか、泣いたんだ。だったらさぞ、深い傷になったことだろう。他人事のようにそんな感想を抱いただけだった。
「アイツって確かにすぐ泣きそうにはなってるけど、あんまり泣いてるところは見たことないよな」
「ええ、彼女は我慢もちゃんとするし、耐えることの出来る子ですから、あまり泣くというのは見たことがないですね」
「しょっちゅうおどおどしてるがな……斎藤、理由についての心当たりは?」
 土方に問われて、斎藤は視線を沖田に向ける。沖田はその視線を真っ向から受け止めた。
「……僕?」
「総司は事情を知っているだろう」
「さあ、どうだろう。僕がからかうのはいつものことだしね」
 確かに、と頷いている平助たちを尻目に、沖田は斎藤から視線を外さない。斎藤が逃れることは許さないと言いたげに、ジッと沖田を見るのだ。斎藤の後ろからは更に威圧するような気配を出している人物がいる。なんだかかんだで揃いも揃ってあの子には甘いな、と沖田は肩を竦めた。やれやれ、追及の手はやみそうもない。降参するように沖田は白状した。
「嫌いだ、って言ったんだよ」
「なにをだ?」
「君が嫌いで目障りだから、僕の前から消えてってそう言っただけ」
 しれっとした沖田の反応から、真っ先に飛び出したのは平助だった。沖田の襟元を掴み、激昂した様子で睨んだ。彼らの間に入ろうと、新八が平助を後ろから取り押さえて、原田が沖田と平助を引き離した。その顔もいささか苦渋に満ちてはいるが。
「落ち着け、平助」
 土方に諭されて、怒りを沈着させたのか、いささか声のトーンを抑えて、平助は沖田に尋ねる。
「なんでそんなこといったんだよ」
「なんで? そんなの愚問だよ。僕は思ったことを思ったまま言っただけ」
「そうじゃなくて! なんで急にそんなこと言い出したんだよ! 確かに千鶴のことからかってたけど、でも総司は千鶴のこと気に入ってたじゃんか」
 平助のその言葉は何故だかわからないが沖田の心に傷をつけた。
「何それ、勝手に決め付けないで欲しいな。いつ僕が彼女を気に入ってるなんて言ったの?」
「総司、その辺にしておけ。平助も、いいな?」
 副長からの言葉に、沖田も平助も黙り込む。そして、ゆっくりと溜息をついた。
「総司、何荒れてんだかしらねえけどな。平助やアイツに当たるのは筋違いだろ」
「嫌いなものを嫌いというのは、人として当たり前だと思うけど?」
「総司」
 土方が先ほどよりも強く沖田の名前を呼んだとき、部屋の外で何かが落ちる音がした。それと同時に、近藤の穏やかな声も聞こえてきた。
「おお、雪村くん。こんなところでどうした? 中に入らないのか?」
 その声に全員が入り口を見る。珍しく、土方の表情も驚きが入り混じっている。
「ん? どうした、雪村くん。おい、雪村くん?」
 不思議そうにやってきた近藤は頭をかきながら、ずっと入り口の外を見ていた。
「どうしたんだろうな、急に走っていってしまった。具合が悪かったのか、少し顔が青かったようだが心配だな」
 そして、近藤は中で固まっている人間たちを見て、腕を組み更に不思議そうに首を傾げる。
「なんだお前たちまで固まって」
「近藤さん。今、そこに雪村が居たのか?」
「ああ、そうだ。……なんだトシ、怖い顔だな。何かあったのか」
 そして土方は額に手を当てると、溜息なのか息を吐いたのかわからない深い呼吸をして、平助を見た。
「平助、行ってこい」
「了解」
 短い返事を返してすぐにも部屋を飛び出して行った平助。他の面々も彼を見送ってから、ゆっくりとした様子で息を吐いた。ただし、沖田を除いて。
 成り行きを黙ってみていた斎藤が、ゆっくりと立ち上がり沖田に近づくと、傍にあった酒瓶を沖田の頭の上でひっくり返した。重力に逆らわず、酒は沖田の頭を濡らした。
「斎藤!? ちょ、お前それ酒……!」
「知っている」
 原田の問いかけにも当然とばかりに答えて、斎藤は空になるまでかけ続けた。酒瓶を振って、出てこなくなるまでを確認してから、斎藤は何事もなかったかのようにそれを元あった場所へ戻した。
「目は覚めたか?」
「はは……実はいちばん怒ってたのって君なんじゃないの?」
 沖田は力なく斎藤に弱弱しい笑みを見せた。濡れて水が滴る前髪を振り払って、沖田は今度は目を逸らさずに斎藤を見た。
「目を覚ますのは、僕じゃないよ」
「……」
「だから、目を覚ましてくれるなら幾らでも僕は傷つける」
 土方も斎藤も黙ってそれを聞いていた。沖田の願いのようなその言葉に、誰も何も言わなかった。否、言うことが出来なかった。沖田の真意に触れてしまえば、それは千鶴の抱いていた感情にも触れることになるから。いちばん最初に沈黙を破ったのは、原田だった。
「お前は馬鹿だな。いや、不器用なのか?」
「左之さんだって結構そういう性質じゃないの?」
「確かに」
 沖田のささやかなる反撃に、斎藤は真顔で同意した。
「おいおいおいおい、お前らなあ。一応俺はお前らよりも年長者だろうが」
 呆れたように頭をかいている原田の言葉を引き継ぐように、土方は言った。
「理由も何も聞く気はねえが、お前が蒔いた種ならお前がなんとかしろ」
「いっそ土方さんが娶ればいいんじゃないですか? どうせ土方さん付きの小姓なんだし」
「心にも無いこといってんじゃねえよ。お前俺に取られて嬉しいか?」
「あはは、今ものすごく土方さんを斬り殺したい気分だな」
「だったらさっさと行って来い」
 沖田の物騒な物言いにもまったく関心を寄せずに、眉一つ動かさずに土方は命令する。
「僕じゃ駄目なんですよ」
 それでも沖田は頑なに、土方の命令を拒否した。
「僕じゃ、駄目なんです」
 幸せにしてあげることが出来ないのを承知で、何故彼女の好意を受け入れられるというのだろうか。諦めたわけじゃない、出来れば幸せになりたい。だが、それでは彼女の幸せが消える。過ごしたときが優しくて楽しくて嬉しかったら、その分傷つくのは、千鶴だから。遺していくのを知っていて、孤独になる辛さを与えるとわかっていて、何故、望めるというのか。
 今までの流れで何かを掴んだのか、近藤が沖田に話しかけた。
「……総司、人間の幸せなんて、本当に人それぞれだ。お前の考えている幸せが、彼女にとって正しいのか。考えてみろ」
「そうですね、自分の思考を他人に押し付けてもそれは余計なお世話というものです。君にも覚えがあるでしょう?」
 苦笑した山南もそれに同意している。沖田はなんだか笑いたくなった。
「あーあ、いつから新選組は人斬りからこんなお人よし集団になったんですかね」
 千鶴の影響だろうか、考えるだけ無駄だった。十中八九、間違いなくそうだろう。お人よしはどうやら隊内感染を起こしているらしい。だが、彼らの言っていることはある意味間違ってない。彼らの言うことは一理ある。それでも、幸せになって欲しいと、願ってしまうのは沖田の自己満足なのだろうか。枯れたくない、枯らしたくない。自分に向けられる笑顔が曇るくらいなら、今から突き放した方が優しさだと思うのに。
「沖田、副長命令だ。行ってこい。破ったら隊の規則はわかってるよな?」
「……卑怯だなあ、さすが鬼副長」
「うるせぇよ、さっさと行け」
 まるで虫を払うように追い払われて、沖田は苦笑した。とりあえず、隊の規則を守らなかったら、沖田は切腹しなければならない。沖田は立ち上がると、ツンと鼻の奥を突いた匂いに沖田は顔をしかめた。
「斎藤君のおかげで随分お酒臭くなったよ。あとで覚えておいてね」
「ついでにそれもなんとかしてこい」
 恨ましげに斎藤を睨んでから、土方にも流すように視線を向ける。だが、二人揃ってしれっとしているので、沖田はどうやら今回ばかりは勝ち目を譲らなければならないらしい。悔しいことだが、仕方ない。
 文字通り、酒浸りになって幹部組からは叱咤され、千鶴を嫌いと言った代償はだいぶ大きかったようだ。
 沖田は珍しくも家の中なのに急ぎ足で、千鶴を追いかけ始めた。彼女に会ったら、なんと言おうか。いちばん最初の言葉は、やはりあれしかないだろう。心を鎧のように囲えたのなら、こんな風に追いかけることもなかっただろうに。まだまだ、心の底は沖田も理解できない弱さを秘めているようだ。
 目指すは千鶴の行き先。行き場のない彼女に唯一居場所を与えられるのは自分の隣。平助ばかりに任せるわけにはいかなかった。

 ごめんね。

 嘘をついてごめん。傷つけてごめん。

 君を好きになって、ごめんね。


 了





   20090223  七夜月

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