明日がくるなら



 沖田が床に伏せるようになって、千鶴は沖田の傍を離れなくなったのは必然で。山崎と沖田から眠れといわれても、それを頑なに拒んで、沖田の傍に座っていた。
 嬉しいか、嬉しくないか。問われたら沖田はそれは嬉しい。価値もなくなった自分をまだ必要としている人間がいるだけで、生きている自分を思い出す。
 だが、沖田は無理をさせてまで傍に居てほしいとは思わない。千鶴からすべてを奪えるほど、沖田は千鶴にすべてを捧げることは出来ないからだ。
 布団の傍で沖田の顔色を窺って、千鶴は微笑む。寝たきりの沖田は最近はいつもこうして千鶴を見上げている気がした。
「良かった、今日はいつもより調子がよさそうですね」
 そして布団を直そうとした千鶴の細い腕を掴んで、沖田は千鶴の袖についていた土ぼこりを見咎めた。
「汚れてるね。土いじりでもした?」
「あっ…すみません。綺麗にしたんですけど、まだ残ってましたね」
 それとなく沖田の手から逃れようとする千鶴。そして沖田の鼻孔を刺激した特有の匂い。沖田はそれゆえに確信して、無言で千鶴の袖を捲り上げた。
「……僕の世話の前に、山崎さんにちゃんと治療してもらいなよ」
 千鶴の腕…正確には肘は、既に血は止まっているものの擦り剥いた痕が見えた。結構血が流れたのは想像に難くない擦り傷だ。
「昨日は膝だったっけ。それで今日は肘? 飽きずによくもこう毎日怪我するね」
 血の匂いは沖田を狂わせる。身体の底から沸き起こる疼きを出さないようにして、沖田は千鶴を見た。
「千鶴ちゃんさ、疲れてる自覚ないでしょ」
 ずっと沖田を看ているのだ。疲れないはずがない。なのに千鶴は首を横に振った。こういう質問をすると、千鶴は頑なに首を横に振る。だから沖田は質問を変えた。
「今日は何をしたの?」
「お夕飯の買い物に行きました。沖田さんも食べられるような、そんなご飯にしようと思って」
「いいけど、僕あんまり食べないよ」
「ちゃんと食べてもらいますから。もちろん、山崎さんにも」
 その当の本人の山崎は今は居ない。別件での調査があって明日に帰ってくると言い残して消えた。山崎の任務が任務なので、沖田はさして気にはしてなかったが、千鶴はいつも心配をしている。
「今晩は帰ってこられるでしょうか」
「さあ? でもたぶん無理だと思うけど」
「そうですか」
 肩を落とした千鶴。沖田は少し面白くなくて、苛立ちを溜息に変えて漏らした。
「沖田さん?」
 その溜息に反応して、千鶴が沖田を覗き込む。掴んでいた腕を引き寄せて千鶴の上半身を抱きかかえると、器用にも沖田はそのまま反転した。
「えっ!」
 千鶴に覆いかぶさるように組み敷く。千鶴は目を丸くして沖田を見ていた。
「あのっ……」
 頬が薄っすらと赤くなってきた千鶴の頬に手を寄せる。優しく撫でて、くすぐったそうに目を瞑った千鶴に唇を近づけた。けれど一瞬だけ躊躇って、千鶴の顔の横に顔をうずめた。
「えっと……どうか、したんですか?」
 戸惑うような声に、沖田は我に返る。奪うことはこんなに簡単に出来るのに、最後の一線を踏み越えることが出来ない。一線を越えてしまえば、千鶴を後戻りさせることが出来ない。一生をかけて自分に縛り付けることになる。千鶴の気持ちがわかるから、これ以上自分への想いを強くしないためにも、距離をとらなければいけないのに。
 沖田は嫌だ。山崎を心配する千鶴も、皆に愛される千鶴も、千鶴を好きな自分も。
 千鶴のために生きてあげることが出来ないのに、千鶴に自分のために生きてもらうなんて虫のいい話、誰が望めるというのだろう。
 最低な自分だと思う。肝心なことを何も言わないくせに、自分勝手な気持ちで千鶴を振り回す。
「言えたら、楽になるんだ」
 君が好きだと言えたら、どんなにいいだろう。
 君と生きていきたいと言えることが、どんなに贅沢な願いなのか今になって思い知る。
 千鶴の願いをかなえてあげたい。自分と共に生きることを叶えてあげられないからこそ、そのほかのことは全部叶えてあげたい。
 笑っている姿を、少しでもこの目に留めておくために。転んで怪我をしても、沖田が助け起こせる場所に立てなくても、千鶴は自分で立ち上がれる力を持っているのを信じて。
「どこか辛いんですか? 大丈夫ですか?」
 すぐに千鶴が心配そうに声をかけてくる。おそらく沖田が身体の変調をきたしたと思ったんだろう。千鶴を抱きしめる沖田の袖を彼女は強く握り締めた。
 そんな千鶴の頭を撫でながら、沖田は呟いた。
「そうだね、すごく辛い」
 自分を心配する千鶴の顔を見ることが出来ないから、布団に顔をうずめたまま。自分よりもずっと自分を心配する千鶴は、沖田の胸が苦しくなるような顔でいつも心配する。
 心配しなくていいから、そんな簡単な言葉を言っても真実味を持たない自分が腹立たしい。これ以上心配かけないためにも、早く千鶴の前から消えるべきなのかもしれない。
 そうしたら千鶴はどうするだろう。泣くだろうか? 怒るだろうか? それとも必死に探すだろうか?
 全部しそうだな、と沖田は微笑んだ。
 もう少しだけ、時間が欲しい。千鶴が避けられない別れを受け入れられるようになるまで、もう少し生きていたい。
 これから何があろうとも、千鶴を選べない道を行く自分でも、どこまでも傍に居てくれるこの少女に。

 気付けば千鶴を抱きしめて眠っていた。
 そう、これは夢なのだ。必ず目覚める夢。
 明日を迎える奇跡を、君ともう少しだけ起こし続けたい。
 止まらない時間、精一杯君と一緒に過ごせるように。
 君が笑うために僕は何度でも「大丈夫」と告げる。いつかそれが嘘になるのを知っていながら。
 でも大丈夫だよ、僕はまだ生きてるから。
 だから泣かないで。
 笑った顔が一番君らしいと、僕が知ってるその内は。
 夢の中で沖田は、千鶴にそう呟いた。


 了



 BGM:「明日がくるなら」(JUJU)

   20090811  七夜月

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