嘘でもいいから 男の姿でもいい、それが彼のそばにいる理由になるなら姿かたちなんて関係ない。 そう思ってた。だが、今の姿はどうだろう。 「男の子、みたい」 それはそうだ。男の子でいると決めたのは自分なのだから。 自分の姿を見下してこぼれそうになるため息を抑えた。 こうして沖田と二人だけで過ごすようになっても、千鶴はなんとなく脱ぐ機会を逸していた。 今更普通の女の子に戻る、なんて。 なんとなく出来なかった。 だからこうして沖田と一緒に人里に来ても、彼の半歩後ろを歩くしか出来ない。 「どうしたの?」 振り返った沖田にハッと気づいて、慌てて首を振った。 「なんでもないです」 小走りで彼に近づいて、そしてまた半歩後ろを歩く。 「そう?」 沖田は千鶴に優しかった。優しい言葉をたくさんかけてくれる。そして、生きざまも何もかも、素敵な人だ。千鶴にはもったいないくらいに。 「ねえ、手をつなごうか」 「え?」 「ほら」 沖田が差し出した手を、千鶴は握り返そうか迷う。しかし、彼の笑顔を見ていると、彼に触れたい衝動が抗えない。 「あっ!」 手を伸ばし返して、その手はびくっと震えながら止まった。 パタパタと走ってきたのは、甘味屋の女の子だ。 「いつもごひいきにどうもです。今日はおひとりじゃないんですね。良ければお茶飲んで行かれませんか?」 花のように笑うその子を見たら、その手は沖田の元へは向けられなかった。慌てて引っ込めて袴を握る。 この視線の意味を千鶴は知っていた。 「うん、ありがとう。どうしようか?」 沖田が千鶴に尋ね返すと、千鶴は沖田を上目づかいに見てしどろもどろに口ごもる。 「あっ……沖田さんのお好きなように」 「うん、それじゃあ、ちょっと休憩していこうか」 「は、はい」 自分に自信が持てないのが嫌だった。こんな風に声を掛けられても、満足に答えることもできない。つきたくなったため息をこらえて、千鶴は唇をかみしめた。 お茶を待っている間、千鶴はぼうっと空を見上げていた。 「疲れた?」 不意にかけられた声に千鶴が驚いたように隣を見ると、沖田が気遣うように千鶴を覗き込んでいた。 「大丈夫です」 そう言って笑い返すものの、沖田の表情は晴れなかった。 「全然大丈夫、って顔じゃないと思うんだけどな」 「本当に大丈夫ですから」 「そうは見えない」 「大丈夫ですってば!」 思わず荒げてしまった声に千鶴は口元を押さえると、うつむいた。 「……今日は機嫌悪いみたいだね」 苦笑を含んだその声に、図星をさされてカッと赤くなった千鶴は思わず立ち上がる。 「買い物は、私が済ませます。だから、沖田さんはここで待っててください」 「え?」 沖田の返事を聞かずに千鶴はそのまま駈け出した。恥ずかしい気持ちでいっぱいになり、沖田の隣に並び立つことが不相応に思えたのである。走っていてしばらくすると、小石につまずいて千鶴は転んだ。 「大丈夫かい?」 「あ、はい。平気です」 人のよさそうなおばさんが手を貸してくれて、千鶴は笑いながら立ち上がった。 着物が汚れて真っ黒になった。それを自分で払いながら、こらえられなかったため息をつく。もともと整った顔立ちでもない自分、びしっとしたこの袴を着て、なんとか見られていたのに、転んで泥だらけになってみすぼらしくなってしまった。 「何をしているんだろう」 何をしているんだろう。 自問自答を繰り返す。せっかく沖田と一緒に買い物に来たのに、千鶴が感じていたのは自己嫌悪ばかりで楽しさとか沖田の気持ちなんて全然考えていなかった。 このままではだめだという思いばかりが強くなって、気付けば独りよがりの思考にとらわれている。 「やっと見つけた。あんまり走らせないでって、前にいったはずなのに」 千鶴の後ろから、沖田の声がした。千鶴が振り向くと、彼は肩で息をしながら、欄干に背中を預けている。 「待っててくださいって言ったのに」 「あんな泣きそうな顔してたのに、放っておけるわけないよ」 それからしばらく深呼吸を繰り返して息を整えた沖田は、千鶴を見て二コリと笑った。 「今から僕が十数える間に何を悩んでるのか言わないと、おしおきするよ」 その笑顔は、久しぶりに見た沖田のちょっと怒ったときの笑顔だった。 「えっ!?」 「ひとーつ、ふたーつ」 「えっ、えっ!?ちょ、ちょっと待ってください!」 千鶴を無視して沖田は「みーっつ」と数を重ねていく。 混乱した千鶴は、なんとか沖田に言おうと、言いたいことを考える。しかし焦れば焦るほど言葉が出てこない。 どうしよう、どうしたらいい。 どうしようという言葉ばかりが頭に浮かんでは消えていく。 おしおきってなんだろう。どういうことだろう。痛いのかな、痛いことされるとは思わないから、たぶん心が痛いことをされるんだろう。 そう、たとえば、沖田が他の女の子のところに行ってしまったりとか。 「……や、です」 考えて、胸が張り裂けそうになる。 「いや、です」 「ここのつ……」 絞り出した声は声にならなくて、千鶴は一度唇をかみしめると、沖田を見上げた。 「沖田さんがすきなんです、だいすきです。だから、少しでいいから、こっちを向いてください!」 いつの間にか、沖田から数える声は消えて、沖田は呆気に取られたように千鶴を見ていた。 「……悩み事ってそんなこと?」 「そんなこと……?」 何故か、千鶴の中で、その言葉が引っかかった。 「そんなことじゃないです! 大事なことです。だって沖田さんいつも一人で行っちゃうし、周りにはたくさん素敵な女性がいるし、私は男のままだし、いつか沖田さんは私のことなんていらなくなっちゃ……」 自分で言いかけて、それを想像したらものすごく哀しくなった。一気に涙が溢れて、千鶴は子供みたいに嗚咽を漏らす。 「うえっ…こんなことしたら…っひく、沖田さんに嫌われる……すきなのに。うまく言えなくて……、嫌わないでください」 うわーんと、子供が大泣きするように、千鶴はぽろぽろ涙をこぼした。 ああ、もう。と千鶴は心の中で嘆息した。何が何だかわけがわからなくなった。 そう、物事は割と単純なのだ。 沖田がすき。ただそれだけ。 沖田でなければだめなのに、自分に自信が持てなくて、泣いて困らせて、最低だ。 「ねえ千鶴ちゃん」 「……はい」 「往来だったことに感謝した方がいいよ」 「はい?」 「押し倒したくなるほど可愛いことを君が考えてたのはよくわかった」 押し倒す?と千鶴が首をかしげると、沖田は千鶴を突然抱きしめた。 「沖田さん?」 「買い物、行こうか」 そして沖田は千鶴が縛っていた髪の紐を解く。千鶴の肩にさらさらと落ちた髪を一掬いして、それに口づけた。ひゃあっ!と千鶴が動揺したのは言うまでもない。沖田はそれに構わずに、今度こそしっかりと千鶴と手をつないだ。その手を引きながら歩き出す。 「あの、買い物って…沖田さん!」 「まずは君の着物の反物を見に行こう。それから欲しいならかんざしとか、紅とかもいいし」 「え? あの、そんなのいいです。勿体ないです。男装でじゅうぶ……」 「僕はどんな千鶴ちゃんでも好きだけどね。でも君の望んだことを叶えられないほどの甲斐性なしにはなりたくないよ。それでもいやだって言うなら選択肢をあげる」 「選択肢?」 「今すぐ僕にこの場で口づけされるか、大人しく買い物に付き合うか。どっちがいい?」 それ、どちらをとっても沖田さんがうれしいだけなんじゃ……。 顔を赤くしながらそう反論しようと口を開きかけた千鶴。しかし、沖田とつなぐ手の温かさが口を噤ませた。引っ張られるように歩いていたけれど、千鶴は何も言わずに沖田と肩を並べた。 「帰ったらたくさんのことをしよう」 囁くように沖田は告げる。内緒話なのか、沖田は楽しそうに声を潜めた。 「僕も千鶴ちゃんが好きだよ。好きすぎて時々、困るくらいに」 困る? 「君しか見えない。君しかいらない。君が欲しい。君と幸せになりたい。毎日そんなことばかり考えてる」 前を見て歩きながら言う沖田の頬は、少しだけ赤い。 あ、一緒だ。千鶴の頬にも朱がさした。 「ねえ、これって、千鶴ちゃんが大好きってことだよね」 その言葉をあんまりにも愛しそうに言うから、千鶴は先ほどとは別の意味で泣きたくなった。 沖田の口から大好きといわれるだけで、こんなにも嬉しい。そして、信じたくなる。こんな自分でも一緒にいていいんだと、好きになればなるほど大きくなる不安を一気に消してくれる。 「……はい」 俯いて涙をこらえた千鶴は、言葉を続ける代わりに手を強く握り返した。 離したくない、離せない。だって自分は身体のすべてでこの人を知った。この人以外を考えられない。嘘でもいいから、何度もそう思っていた。思おうとしていた。でもそれが嘘だ。嘘じゃ嫌だ。嘘じゃなくて、本当がいい。本当の彼の、大事な存在に。誰かの代わりじゃなくて、千鶴自身がそう在りたい。 「どんなのがいいかな、君に似合う反物が見つかるといいね」 「……はい」 沖田の少し上ずった声に、千鶴は笑顔で返事をした。不安が晴れた千鶴の表情は遠くの山へ落ちていく夕焼けにも負けないほど、美しかった。 了 BGM:「You&I feat.Love Love Love」 20100504 七夜月 |