廻る華 -対翼- 「ほらほら奥さん、また眉間に皺が寄ってるよ」 こめかみにぐりぐりと指を押しつけられて、千鶴は慌てて表情を戻す。どうにも真剣になればなるほど唇を引き結び眉間に皺が寄ってしまう。別に特別なことなんて何もない。繕いものをしているだけだ。 ただし、それは寝転がりながら自分を楽しそうに見ているこの人の着物だ。 しかも、晴れ着ともなれば気合が入るのも当然。 「いくら土方さんの小姓だったからって、そんなところまで似なくていいんだよ」 彼はそう、楽しそうにのたまった。 「懐かしいです、そう言われたの。でも私は小姓なんて呼べるほどの仕事はしていませんでしたよ」 「十分してたと思うよ。あの人が疲れたの見計らってお茶持ってったりしてたよね。もちろん、土方さんだけじゃなくて他の人たちにも気を遣ってたし」 昔話が自然と出る。それもきっと、この春の陽気のせいに違いない。穏やかでぽかぽかしてるから、なんだか気分が楽しくなってくる。昔の話をして、涙を流さなくなるのにかかった時間は一年(ひととせ)。それから、悲しみを少しずつ幸せに変えていって、現在に至る。 もう昔が悲しくなんてない。そんなことは永遠に言えないけれど、少しずつ悲しみを新しい思い出で埋めていくのだ。幸せだった頃の思い出に代わりはないのかもしれない。だけど、新しい幸せの形はたくさんある。 「それが完成したら、すぐにも着なきゃね」 「もちろんです、総司さんに着て頂かないと誰のために繕ったのかわかりませんから」 壁にもうすでに掛けてある、自分用の晴れ着。白無垢というわけにはいかないけれど、沖田が選んでくれた生地で最初から仕立てた、千鶴だけの花嫁衣装。自分で繕いたいと言ったのは千鶴だった。これで思い出がまた一つ増える。繕っている間、幸せが続く。この春に間に合わせるために、去年からずっと繕い続けているこの対となる衣装。もうすぐ蕾となっている桜が咲いたら、最後の仕上げに入ったこの縫製も、その頃には完成しているはずだ。 「物好きだよね、花嫁衣装を自分で縫いたいなんて」 「ふふ、その分総司さんとこうしておしゃべりする時間が出来ますよ」 「でも僕は針を持ってる君に悪戯が出来ないから、ちょっとつまらないな」 「この間みたいなことしたら、怒りますからね、本気で。もう一人の身体ではないんですから」 千鶴のお腹は今ほんの少し膨らみを帯びている。これからこの腹部はもっと大きくなる。新しい命が宿った腹部をさすって、千鶴は頬を膨らました。沖田は子供のような悪戯を起こすことがある。時折度が過ぎるため、千鶴はそのたびに困らされた。けれども、それが彼の 愛情表現だというのは困るほどわかるため、口では言いつつも本気で怒れないのだ。 沖田が不意に身を起こすと、ふっと笑った。 「ねえ千鶴、そっち行ってもいい?」 「針を持っていても危なくないのなら」 「大丈夫、大丈夫」 千鶴の警告めいた言葉を意に介すこともせず、沖田は楽しげに笑って千鶴にすり寄ってくると、腰回りに抱きついてその腹部に頬を寄せた。 「早く出てこないかな。僕が父親なんて実感ないけど、でもすごくこの子のこと好きになると思う」 「……そうですね。私も大好きです」 生まれてすらいないのに、愛おしさが抑えきれない。たぶん、それはまぎれもなく沖田の子供だから、千鶴と沖田の二人の血を受け継いだ子だから。沖田は実感がないと言いつつも愛情を向けている時点で父親の実感が芽生えているのだろうと千鶴は思っていた。 「女の子だったらどうしよう。また風間に狙われるのかな」 「そうですね、それは困りますね」 女鬼は貴重だからと千鶴を追いかけてきた風間。なのにある時を境にもう執拗な追いかけを見ることはなくなった。見逃してくれたのだとわかるからこそ、このお腹にいる子が女の子でもおそらく手は出さないだろう。一度決めたことを簡単に覆すような自尊心の低い男ではない。それは千鶴も沖田もわかっているので、これはただの軽口だ。昔話の延長でしかない。 「でも、僕は父親だからこの子守らなきゃね。大事な娘をおいそれと誰かにやれないし」 「ふふ、そうですよ。お父様が守ってくれないと私たち風間さんに連れて行かれちゃうかもしれません」 「絶対嫌だね。死んだって渡すもんか」 子供のように駄々をこね始めた沖田に千鶴は笑った。こんなにも子供っぽさが残っているのに、彼はいつもふとした拍子に大人に戻る。どちらの沖田が好きかと問われたら、両方としか答えられない。千鶴にとってはすべてが愛したその人だから。 「大丈夫ですよ、総司さん。この先一生、私が愛し続けるのは貴方だけなんです」 穏やかに針を動かしながら千鶴がそういうと、沖田はほんの少し目をつむって千鶴を抱きしめる力を強めた。 夕刻になり山が陰り始め、一方では夕日で燃える木々も見える。暗くなれば針は見えない。燭台に明かりを灯そうと一度布と針を漆喰の箱にしまい、立ち上がろうとしたら、未だ腰に抱きついていた沖田が上目づかいで千鶴を見た。 「どうしました?」 「僕の"一生"も、君のものだよ」 千鶴は胸の前で手を組んで俯いた。千鶴とは一生の重さが、大きさが違い過ぎる気がしてうまく言葉が出なかった。そんな千鶴の反応すらお見通しの沖田の今は、完全に先ほどとは違う大人の声音。 「千鶴、顔をあげて」 言われた通りに顔をあげた千鶴の唇に、優しい口づけが待っていた。 「ご飯、あとでもいい?」 ほんの少し嬉しそうに言われて、千鶴は観念した。この顔を見たら、千鶴は駄目とは言えなくなってしまう。 「作るの遅くなっても良いのなら」 「僕は全然構わないよ。食べなくてもいいくらい」 「駄目ですよ、食事は健康の基本ですから」 「でも、幸せで満たされるからお腹空かなくなると思うんだけど」 「無理にでも食べてもらいます」 沖田の両頬に手を添えて、子供を叱るように睨むも、それは長くは続かない。沖田の手が千鶴に添えられて、彼の瞳から目を逸らすことが出来なくなると、千鶴は身体を動かせなくなる。彼から与えられる口づけに甘美さが宿ると、千鶴は視線を沖田の瞳から天井に変えた。彼の瞳に映る自分が、彼の色に染まる姿を、見続けられなくなるのだ。愛してると言う言葉を容易く言うこともできなくなるほど、全部が沖田でいっぱいになる。 その時もまた、千鶴にとっての幸福の一つ。 熱を持った吐息が沖田の耳にかかる頃、千鶴の視界は完全に閉じた。 了 BGM:「Change Myself」ICONIQ 20100613 七夜月 |