私と貴方、そしてはじまり 2 夕暮れはとっくに世界を闇を変えていた。松本診療所の前で膝を抱えて座り込んでいた千鶴は、頭を上げた。月はもうだいぶ天頂に届いている。携帯電話なんて便利機器は千鶴は持っていない。時計もないので、時刻を知るにはどこかのお店の時計を見なければならない。 ぐぅっと千鶴の腹が音を立てた。こんな状態でも食事への執着が出るのかと、苦笑したい思いに駆られながらこれからどうしようかと途方にくれる。 父の紹介のこの松本診療所の家主は留守のようだった。しかも、表に掲げられた札に寄れば一月は休診すると書いてある。つまり、あと一ヶ月は帰ってこないのだ。 千鶴の路銀は頑張っても一週間しか持たない。しかも公園で野宿することを前提に考えた場合の話だ。 「……まさかこの歳で野宿を経験することになるなんて……て、歳は関係ないけど」 行き場もない、帰る場所もない。こうなったらすぐにでも住み込みで働けるところに雇ってもらうしかない。職を選んでる暇なんてないから、住み込みといえば新聞配達とかその辺りだろうか。 そうと決まれば善は急げだ。コンビニ辺りで求人雑誌を立ち読みしようと腰を上げて、土を払う。すると、千鶴に近づく気配が複数。女の子は何があるかわからない、父に言われて護身術を学んでいた千鶴は敏感にその気配を察知した。1、2……3。3人の足音だ。意識してみると舐めつくような視線が注がれている。ニヤニヤしながらこちらを見ているのだろう。まともに目を合わせたら厄介だと、無視して通り過ぎようとしたとき、手首を掴まれた。 「……なにか、用ですか?」 そうなってしまえばもう無視は出来ない。千鶴はゆっくりと自分の手を掴んだ相手を見た。だらしなく洋服を着こなして口元にはタバコ。そしていまどきリーゼントにパンチパーマなんて流行らない髪型をしているなんて、わかりやす過ぎる不良だ。 「お嬢ちゃんさぁー、さっきからずっとそこに座ってたよねえ?」 「それが何か?」 「休診中って書いてあんじゃん、字読めんだろぉ?そんなとこでいつまで待ってても何もないんだし、俺らと遊ばない?」 「……結構です、他に用がありますので失礼しま……っ!」 手を振りほどいて歩いていこうとした矢先、千鶴はポニーテールにしていた髪を引っ張られて地面に叩きつけられた。 「ああ、わりぃなあ? 手が滑っちまったよ」 「おいおい、女なんだからちったぁ手加減してやれよなあ」 そしてげらげらと笑い続ける不良たち。 地面から顔を上げて不良たちを睨む千鶴。その言葉が嘘なのは言われなくても解っている。 千鶴は悔しかった。だけど、こんなところで父と約束をしたことを違える結果になることは嫌だ。今はここを逃げようと膝をついて立ち上がる。 「……つっ……!」 今度は足を払われて、また千鶴は地面に倒れた。逃げることに気を取られて油断した結果だった。しかも最悪なことに、足が激痛を訴えている。 「逃げんなよ、俺らだって伊達に武術やってるわけじゃないんだぜ? お前みたいな女丸め込むのくらいわけねーんだよ」 不良の一人が鼻で笑うように千鶴に吐き捨てる。足が痛むのを相手に悟られないように立とうとするものの、抑えられない分が表情に出てしまった。 「あれれ〜?もしかして足、怪我しちゃった? じゃあ、俺らが病院連れてってやるよ、足の痛みなんか忘れるくらいに楽しい病院にさあ」 ニヤリと笑った男の声を掻き消すように、別のところからまた新たな声が聞こえてきた。 「女の子に対してそういう下世話な冗談言うなんて、男としてなってないんじゃない? ねえ、一君?」 「仮にも武術を嗜むものとして、恥ずかしいと思わないのか」 今度は不良たちに気取られている間に、また新たな人間がやってきていたらしい。千鶴は一瞬警戒するも、その人たちからは千鶴に対する何かしらの敵愾心のようなものは感じない。人数としては三人。 全員背中に何かを背負っている。長い棒状の……あれはもしかして。 「うちの大将ってそういうの嫌いなんだよねえ。どーします、土方さん。こいつらやっちゃいます?」 「御託はいい、さっさと済ませろ」 「了解ー」 「はい」 一番後ろに居た土方と呼ばれた長髪の一人が声をかけた瞬間に彼らは背中にあったものを抜き出して、片っ端から殴りかかった。 「……って、木刀!?」 彼らが持っていたのは間違いなく木刀で、竹刀よりもずっと固いそれは当たると痛いはずだ。 現に避けられずに居る不良たちは文字通りぼこぼこにされている。武術を習ったとか言っていたが、確かに千鶴の目から見ても動きは悪くない。なのにそれを凌駕する彼らの剣捌きにとても追いつけないのだ。要するに、格が違いすぎた。ぶつかった場所から赤く染まり、明日になったら酷いあざになるだろう。 「て、なんなんだよ!!」 「おい、行くぞ!!」 何かに急きたてられるかのように一目散に逃げていく不良。そんな彼らを千鶴は呆然と見つめてから、ハッとしたように木刀を抜いていた彼らを見た。彼らはまた背中に背負っているときに使っていた布の中に木刀をしまって何事もなかったかのように談笑している。 「あーあ、真剣でやったらもっと楽だったのに」 「馬鹿かてめぇは、たかが喧嘩の仲裁で真剣持ち出す輩が何処に居る」 「やだなぁ、殺したりしませんよ。もっと早く生意気な口をきけなくしてやれたのにって話です」 「十分物騒なんだよ、てめえの物言いはよ」 三人がシルエットになって動き回っていたせいもあるが、ようやく千鶴にも事態が飲み込めてきた。中心となって話していた長髪の人物が千鶴に視線を向ける。 「おいそこのガキ。いつまで地べたにへばりついてんだ。さっさと立ちやがれ」 「あ、は、はい!」 何故かものすごい条件反射で千鶴は立ち上がろうと膝に力を入れた。だが、足首に何度目かの激痛を感じて、力なく崩れる。 「師範代、彼女は怪我をしているようですね」 「……みたいだな。さっきの奴らにやられたか」 師範代と呼ばれた人物は少しだけ真剣な表情をすると千鶴に近づいてきてその足に触れた。自分でも気づかなかったが、千鶴もよく見るとどうも腫れ方がおかしい。 「……これは折れてるかもな。この足で歩くのは無理か…。おい総司、ちょっと来い」 続いて総司と呼ばれた人がやってくると、彼はニコニコしながら土方と呼ばれた男に口を挟む。 「土方さん、いつまでも女の子の足触ってるなんて、やらしーですよ」 「ほお、それだけ減らず口叩ける元気があるなら、このガキ背負ってやれるな」 「えー、嫌です。面倒くさい」 笑顔なのに素晴らしく拒否反応は早かった。土方は溜息をついて、もう一人の男を見る。 「じゃあ斎藤、お前に頼む。斎藤の荷物は全部総司が持つから、このガキ背負ってやってくれ」 「解りました」 「一君の荷物なら、土方さんが持てばいいじゃないですか」 不平不満を言い募らせる総司の言葉を無視して、土方は斎藤を呼びつける。千鶴は今まで見るがままだったがようやく状況がつかめるようになって、勇気を出して声をかけた。 「あ、あの……!」 そして、全員が一斉に振り向く。少しだけ怖気ついたものの、千鶴はなるようになれといわんばかりに叫んだ。 「助けてくれたんですよね、ありがとうございました」 腕立て伏せの要領で上半身だけ起こして、頭を下げる千鶴。それをぽかんと見つめた三人のうち、総司が一番早く反応した。 「……ぷっ、あははは! 君、変な子だねえ。僕たちが助けるかどうかなんてまだわからないのにさ」 「あの、でも、さっきの人たちより全然まともそうですし」 口ごもるように千鶴が視線を落とすと、呆れたような溜息が少し混じっている。 「総司の言葉を聴いてまともというのも、どうかと思うが」 「あ、一君酷いな、僕は普通だよ」 「てめえが普通なら他の人間皆善人だ」 「土方さんに言われたくないなあ、自分だって鬼の師範代じゃないですか」 静かに怒気を発している二名に千鶴は何と言ったらいいのかわからない。とりあえず自己紹介をしようと口を開いた。 「私、雪村千鶴と言います。さっきの人たちに絡まれて困っていたのは本当で、それを助けていただいたのだから、やっぱり助けていただいたんだと思います。だから、お礼を言わせてください。本当にありがとうございました」 真顔でそう続ける千鶴に、総司は今度は笑わなかった。 「うん、礼儀正しい子は嫌いじゃないよ。ご丁寧にどうも、僕は沖田総司といいます。で、あっちが斎藤一君でこっちのムッツリ顔が土方…」 「総司、のんびり話してる時間はねえ。とにかく行くぞ」 「はいはい、まったく土方さんはせっかちだよね。じゃあ、一君よろしく」 斎藤の持っていた荷物を受け取った沖田に言われて、斎藤は頷き千鶴の手前に座り込んだ。 「え、あの…?」 「早くしろ、怪我の手当てをする必要がある」 「はい、あのでも」 この状態でどうしろと? 千鶴は困ってしまって、目線を彷徨わせる。すると業を煮やしたのか沖田が後ろから千鶴の身体を起こしてそのまま斎藤の背に負ぶわせた。予期せぬその行動に千鶴はなんの対処も出来ず、顔面から斎藤の背中にぶつかる形になった。 「はーい、これで終わり。さっさと行こうね」 涼しげな沖田の表情に何も言うことが出来ず、千鶴は斎藤に負ぶわれてひたすら「えっ? えっ?…ええっ!?」と疑問符だらけの声を上げ続けていた。 了 20090122 七夜月 |