懐古の日 2 それから、千鶴はまた再び出かけるという近藤を玄関先で見送って、土方に連れられて一つ一つ部屋を案内してもらった。 「お前がさっき居たのが居間だ。あそこはこの家の中心だから、ないとは思うが迷ったら居間に行け。他に困ったことや気になることがあったときも居間に行けば誰かしらいるはずだ」 「はい」 居間を中心として、廊下を挟んでその奥に他の住居人たちの各自の部屋がある。大体隣同士で連なっていて片側に四人ずつらしい。壁はだいぶ分厚く、防音とまでは行かずとも、ちょっと大きな音でテレビを見ていても隣には聞こえないようになっているようだ。 平助と原田と新八は部屋が連なっており、反対側では土方、沖田、斎藤の部屋が連なっているようだった。元々は住み込みの門下生用に先代が改築してこの広さになったらしいが、今は住み込みを募集していないので、原田たちもそのまま住み続けているのだそうだ。 現在の住居人は先ほどの通り、全部で八人。千鶴を含めると九人になる。これは随分と大所帯だ。掃除がすべて行き届くか少しだけ不安になる。 「お前に掃除して欲しいのは、個人の部屋じゃなく共有スペースだ。個人の部屋は基本的には立ち入らなくていい。まあ、たまには他人が掃除してやらなきゃ綺麗に出来ねえ奴もいるが……頼まれたらしてやればいい」 土方の目が一瞬だけ泳いだが、千鶴はそれに気づかなかった。基本としては共有スペースの掃除と頭の中に書き込みながら土方の説明を整理してする。 「お前食事は作れるか?」 「はい、大抵の料理でしたら出来ます。専門的なものはちょっと勉強不足ですが」 フランス料理のフルコース出せ、とか、本格的な中華料理を求められたら確実に無理だ。あくまで千鶴が作れるものは、純家庭料理のレベルである。 「レストラン開けって言ってるわけじゃねえんだ。んなことは気にしなくていい」 はい、と返事をして、あとで個人の好き嫌いをリストアップしようと脳内メモに追記する。 「ここは半数以上が社会人でそれぞれ仕事をしてる。食事の時間なんかもバラバラになるから、その都度用意してやってくれ。俺たちも出来る限りは一緒に取るが、こればっかりはな」 「大丈夫です、任せてください」 家に帰ってきたときにご飯が冷たい寂しさは千鶴も知っているので、出来る限りはしてあげたいと思う。食卓に人がいるだけでも、全然気分は違うはずだ。 「左之や新八は夜勤も多い。そういう日は無理に起きてると翌日に響くから、気にせず寝ること」 「はい、わかりました」 千鶴はしっかりと脳内に情報を一つ一つ刻み付ける。土方の説明は端的ではあるがその分整理することが少なくて助かる。一通りの説明を受けて、玄関に戻ってくるとチャイムが鳴った。 「お前はちょっと隠れてろ」 土方の命令に従って、千鶴は手近な部屋に身を隠す。応対に出た土方が丁寧な口調から砕けた口調に変わったので興味本位で、向こうからは見えない程度に顔を出して覗く。 「近藤さんはまた出張なんだって? 身体壊さないか心配だねえ」 「ああ、まあ仕方ねえよ。連盟の会合じゃ無視できねえしな。その間の留守を俺たちが守ればそれでいいさ」 「私にも何か出来るかもしれない、そんなときはちゃんと言うんだよ。一人で無理したりしないようにね」 「ああ、解ってる。悪いな、源さんにまで気を使わせちまって」 「なに、今更じゃないか。これでも君たちの兄弟子だ。気を使わずになんでも言ってくれよ」 土方が話しているのは初老とは行かないまでも近藤よりも少し年上の男性らしかった。威圧するようなオーラは一切無く、代わりに穏やかな表情と同じ落ち着いた雰囲気を彼は持ち合わせている。少し父親の面影を感じて、千鶴は懐かしさに胸が締め付けられた。まだ別れて数日だと言うのに、寂しさで満たされる。 「雪村、出て来い」 土方に呼ばれて、千鶴は思考を中断させて驚いた。本当に出て行ってもいいのだろうかと少しぐずぐずしてしまったが、土方がいいと言ってるんだからいいのだろう。千鶴はおずおずと土方のほうへ歩いていった。 「おや、こちらは……女の子かい? 珍しいね」 「初めまして、雪村千鶴です」 「こちらは井上源三郎さんだ。道場近くでスポーツ用品店を経営している。俺たちの兄弟子に当たる」 千鶴が頭を下げると、土方が説明を加えてくれた。 「源さん、こいつは今うちで預かってる綱道さんの娘で、わけあって松本先生を頼ってきたらしい。あいにく松本先生がいなかったんで、臨時でうちで預かることになった」 「ああ、そうなのか。初めまして、井上です。何かわからないことや困ったことがあったら、すぐそこのスポーツ店までおいで、大抵の場合は私が居るから」 初めてあった千鶴にも優しくしてくれるこの人に、千鶴も思わず笑顔を返してしまう。笑うともっと、父親に似ている気がして、千鶴は一目でこの人物に親愛の情を抱いた。 「はい、ありがとうございます」 もしかしたら父親と同じくらいの年なのかもしれないが、雰囲気が父親に一番近くて、井上を見ていると千鶴は懐かしい気持ちで満たされるのである。 「コイツは一応男として過ごしてもらうことになってるから、悪いけど源さんもそのつもりでいてくれ」 「そうだね、それがいい。お嬢さんに不名誉な悪辣を吐く人間もいるだろうしね」 すべてわかっていると言いたげに頷いている井上は、ここまで道場で使う備品を持ってきたのだという。ダンボール箱に入っているのはサポーターなどのスポーツグッズだ。 それらの内容を確認して仕入れリストとの相違がないことがわかると、土方は井上に頷いた。 「全部あるな、わざわざ持ってきてくれて助かった」 「いいさ、それも仕事だ。それじゃ、私は店に戻るよ。また様子を見に来るから、足りないものが出たら言ってくれ」 「ああ、ありがとな」 井上が帰ると、土方はその荷物を持って道場に行くという。そこで、ようやく千鶴は部屋に戻る許可が与えられた。とりあえずは部屋にいろ、とのお達しだったので、今までの情報を整理しようと千鶴は部屋に戻ってきた。 千鶴が起きていったとき、もう既に家の中には原田と新八はいなかった。どうやら仕事に出かけてしまったらしい。そして、斎藤と沖田の姿も無かった。唯一起こしてくれた平助が居たが、彼は千鶴を案内するとすぐにも道場のほうへと向かってしまったので、皆それぞれ朝が早いのだ。もしかしたら斎藤と沖田も道場のほうに居るのかもしれない。 千鶴の家は剣術道場を営んでいたわけではないので、仕組みなどはさっぱりな千鶴だが、こうして出払ってしまった広い家に居ると、一抹の寂しさを覚えた。しかも現在は足が不自由でろくに動くことも出来ない。少なくとも怪我が治るまでは、大きな動きは出来ないだろう。 それでもタダ飯食らいといわれるのは申し訳ないので、出来ることから始めようと、教えてもらったばかりの掃除用具の置き場に足を運んだ。 廊下を拭くくらいなら、座ってでも出来る。あまり足に負担のかかる大きな仕事が出来なくても、皆が通る廊下は綺麗にしておきたい。 バケツと雑巾を手に取り、水道水で濯いだ。それをいっぱいに絞って長い廊下の先端から横にスライドさせる形で拭いていく。埃が取られて綺麗に光を反射するようになっていく廊下を、思ったよりも汗をかきながら千鶴は拭き終えた。 一人でいることには慣れているが、見知らぬ場所で一人というのは心許ない。父に会えない寂しさを溜息に変えて、千鶴は掃除の続きを始めた。身体を動かしていれば、少なくとも嫌なことは考えなくて済む。 父は現在何をしているのだろうか。身体を壊してはいないだろうか。心配しても父親の様子を知る手段は千鶴にはない。無用な心配をしても仕方がないのだが、思わず千鶴は今ここにはいない父に思いを馳せた。 「ただいまー……千鶴、何してんだよ?」 千鶴がおかえりなさいと声をかけると、不思議そうに平助が千鶴の様子を窺っている。 「掃除をしてたの、動かないのも申し訳ないし、私も動きたかったから。あ、そうだ。藤堂くん今晩何食べたい? 今日は藤堂くんの食べたいもの作るから」 千鶴の言葉を聞いていないように、足音荒く突然平助は怒り始めた。 「なにやってんだよ! んなことより足治すのが先だろ!? ここの掃除を土方さんがやれって言ったのか?」 「ううん、違うけど…部屋でジッとしてるのも落ち着かなくて」 平助の豹変ぶりに圧倒されてたじろぐ千鶴。 「落ち着かなくても落ち着いてろって! 捻挫侮ったらクセになるんだぞ、医者の娘だったんだろ? それくらいわかるだろ」 平助は千鶴の手から雑巾を取り上げて、バケツを掴むと水道まで持っていってしまう。何故そこまで平助が怒るのか、千鶴には突然すぎてわからなかった。だが、よくよく考えれば平助はスポーツ選手で、怪我についてはスポーツしていない人間よりも厳しいということがすぐに思いつく。山南も昨日言っていたではないか。怪我をしないのが一番だけど、怪我する人もいると。もしかしたら平助も捻挫をしたことがあるのかもしれない。 それに平助の言ってることはもっともで、動けない自分が無理をして悪化させたら余計にこの家の人たちに迷惑をかけることになる。 「……ごめん、藤堂くんの言うとおりだね。ちょっと軽々しかったかも」 「じゃあ、大人しく部屋に戻るよな?」 「うん」 壁伝いに立ち上がって、平助のいる手洗い場まで千鶴は歩く。そして手を洗っていると、平助が慣れた手つきで掃除用具を片してくれた。 「藤堂くん、手馴れてるんだね」 「この家で一番掃除やらされてんの俺だから。……あと、その藤堂くんってのやめない? なんかしっくりこないんだよな。みんな平助って呼んでるし、千鶴もそう呼べよ。オレも呼び捨てにしてるし」 「平助…くん?」 「うーん、呼び捨てでいいんだけど……まあいいや。じゃ、大人しく部屋に居ろよ。夕飯になったら呼んでやるからさ」 「うん、わかった」 返事をして千鶴がひょこひょこ歩き出すと、後ろから平助が声をかけてきた。 「もしも寂しくなったら言えよな。平日の昼間だとオレと総司君も学校行ってていないこと多いけど、誰かしらいるからさ。一君も授業ないときは大抵家か道場にいるし、話し相手にはなってくれるだろ」 寂しいという気持ちが平助にバレてしまったのかと、千鶴は顔を赤くした。 「平助くんって優しいね」 「は? いや、別に普通だって」 「ううん、優しいよ。本当にありがとう」 平助にその気が無くても、千鶴が今平助に言われた言葉で少し元気になったのは事実だ。 けれど、そんな千鶴の気持ちを平助は知らない。だから平助は曖昧に笑う。そんな平助を見て千鶴もまた笑う。 一歩ずつ進むしかない。元気にならなきゃ誰にも迷惑かけないように。身体が治ってないうちは心が元気で居るように。 だって千鶴は今日から正式に、ここで暮らすのだから。 了 20090207 七夜月 |