編入生 2



 教室に入ろうとすると、ちょうど平助が千鶴の鞄を持って教室から出てくるところだった。
「おっせーよ! あんまりにも遅いから、今こっちから行こうとしてたんだ」
「……うん、ごめんね」
「…………」
 平助は千鶴を見て、それから千鶴を連れてきた沖田を見た。
「なんかあった?」
「ちょっとね。それより平助、今日は土方さんの好きなものが夕食みたいだよ」
「ゲッ! マジかよ! ってことはにんじんとかピーマンとか野菜中心?……勘弁してくれよ」
「好き嫌いは駄目だよ平助くん。買い物付き合ってね」
「へいへーい。総司君も手伝えよ」
「別にいいよ。お徳用チョコ買ってくれるなら」
「総司君はチョコレートホント好きだよな、俺も嫌いじゃないけど……」
 確かに、隙あらばお徳用チョコの袋の口を開いて食べている沖田の姿を台所で見かける千鶴はクスリと笑った。平助から鞄を受け取って、三人で一緒に帰ることにする。
 商店街は学校から帰る道で通る。威勢のいい声を上げる八百屋や魚屋、そして肉屋を物色しながら通っていく。
「おじさん、こんにちは」
「へいらっしゃい、ちづ坊じゃねえか。今日は何買ってくんだ」
 千鶴が八百屋に声をかけると、気のいい店主がにかっと歯を見せながら千鶴に近づいてくる。
「こっちのキャベツと、そっちのにんじん。あとしいたけに、ピーマンはまだ残ってたから、じゃがいもかな。それにさやいんげんと……」
 千鶴と八百屋が楽しげに話をしている間、平助と沖田はその様子を見ていた。
「ちづ坊だってさ、アイツって俗世間に溶け込むの早くねえ? さっきの魚屋でも『ちー坊』って呼ばれたじゃん」
「いいんじゃない、ちづ坊でもちー坊でも、面白いし。今度から僕もそう呼ぼうかな」
「ちづ坊……なんかオレから見るとしっくりこないんだけど」
「それは平助がちづ坊としてみてないからじゃないの?」
「いや、そりゃそうだろ。だって千鶴はおん……っと、あっぶねー」
 言いかけた平助は自ら口を塞いで止める。余計なことを言わないように、土方から直接注意を受けているだけあって、平助もそれなりに気をつけているのである。
 二人がそんな話をしていると、通りの向こうから女の悲鳴のようなものが聞こえた。沖田と平助の視線はすぐにそちらを向く。当然、それに気づいた千鶴も、通りへ振り向く。
「手を離してくださいませんか」
「やめてって言ってるでしょ!」
 清楚なホワイトワンピースの制服に身を包んだ二人組みの女子学生が、なにやら3人の不良に絡まれている。
『あ』
 千鶴と沖田は二人揃って声を上げた。その不良は見間違うことなく、千鶴に絡んできた不良たちだったのだ。
「馬鹿は馬鹿でも頭に塗る薬がない馬鹿は、可哀想を通り越していっそ哀れだね。蔑む価値もない」
 沖田が皮肉めいたことを言うと、千鶴が突然走り出す。身体が反射的に動いていて、二人の女生徒と男たちの間に割って入った。
「やめてください、この人たちは嫌がってるじゃないですか」
「んだとこのガキ……って、待てよ。このガキどこかで……」
 不良の一人の呟きに、千鶴もようやく自分が一度面識あるという事実を思い出した。あの時は確か女の子としてであったけど、今は自分は男装しているのだ。
「……もう一人馬鹿が居た。解ってるのかなあ、自分が面割れてるってこと」
「んなこと言ってる場合じゃないだろ、とにかく助けてやんなきゃ」
 平助に引っ張られる形で仕方なく沖田も彼の後に続く。
「何度も申し上げてますが、私はあなた方を存じ上げません」
 後ろの方で、長い髪を結い上げている女の子が、千鶴に庇われながらもそう答える。
「そうよ、知らないって言ってるのに貴方たちしつこいわ。新手のナンパか知らないけどね、そういうの迷惑だから他でやってよ」
「……ほぉ、いい度胸じゃねえか」
「いい度胸なのはそっちだと思うけど?」
 沖田がそう会話に割り込むと、男たちがまたも現れた邪魔者の存在に、視線を向けてそこに居たのが沖田だというのを見咎めると、一斉に顔を赤くした。
「君たちって本当に懲りないねえ」
「てめぇ!この間はよくも!」
「なに、総司君知り合いなの?」
「知り合い? なんか女の子苛めて遊んでたからさ、斎藤くんと土方さんと一緒にボコボコにしてあげただけだけど」
「ボコ……! あのときのお礼をまだ忘れちゃいねえんだ。そっちから出向いてきてくれるとはありがてえな」
「しかもてめえ、今日は一人か。へへっ、楽勝だな」
「ちょ、オレ無視すんな!」
 平助からの抗議に対して、沖田がどこふく風でのほほんと答える。
「平助小さいから見えてないんじゃない?」
「小さくねえだろ!」
 噛み付くように沖田に言いながらも、平助の目は不良に注がれたままだ。
「こいつら強い?」
「全然」
「じゃあ楽勝だな」
 わざと敵が言った言葉を同じように繰り返した平助に、不良たちはいきり立つ。
「てめえら……勝手に言わせておけば!」
 不良たちが沖田と平助に殴りかかる。あの時は得物を持っていた沖田だったが、今日は丸腰だ。千鶴がハラハラしながら見守っていると、二人は不良が繰り出すこぶしを軽々と避けていく。
「ちょこまかと……!」
 不良たちはこぶし以外にも様々な攻撃を仕掛けるがものの見事にすべて避けられてしまう。
「なあ総司君。私闘は厳禁、でもこういう場合ってしょうがないよな?」
「あの子を守る大義名分があるから、大丈夫じゃない? 第一、剣じゃないし」
 二言三言、交し合った沖田と平助が攻撃を受け流しながら反撃に出たとき、一人の不良が吹っ飛んだ。平助の放った肘鉄での突きが、男の身体を飛ばしたのだ。男はゴミ捨て場に飛ばされたので、生ゴミまみれになっている。
「へへっ、一人いっちょ上がりっと」
「クソが!」
 沖田に絡んでいた不良が激昂して沖田を鷲掴みにしようとした瞬間、その不良は顎下を蹴り上げられて、更に緩んだ腹部を蹴られて同じように吹っ飛ばされた。そして先に生ゴミまみれになっていた男に続くように、頭から麺類を被っている。
「こっちも終わり」
 残った不良は奇声を上げると、突然向きを変えて千鶴めがけて走り出した。確かにこの中では一番弱いのは千鶴である。そして沖田の言う馬鹿でもそれくらいは解るのだろう。千鶴がキッと睨み返して男が繰り出した拳を避けようとすると、男の拳が千鶴に届く前に、千鶴の脇から伸びた手によって止められた。
「え……?」
「女性たちに向かって手を挙げるなんて、男性としてあるまじき行為。恥じてくださいね」
 黒髪の美少女はそう微笑むと、そのまま男の懐に入り込んで、見事な一本背負いで男を地面に叩きつけた。砂埃が舞うのと同時に、男を避けようとしていた千鶴はそのまま転倒する。
 いつの間にか集まっていたギャラリーから拍手喝采が浴びせられて、黒髪美少女は微笑みながら周囲に軽く頭を下げた。
「貴方、大丈夫? 怪我はない? もう、いきなり現れるんだもの、ビックリしたじゃない。危ないからもうしちゃ駄目よ」
 手を差し伸べてくれたのは心配そうな顔をしたもう一人の美少女。千鶴はその手に掴まりながら、立ち上がった。
「あの、ありがとうございました。というか、あなたたちに怪我はありませんか?」
「ええ、私たちは大丈夫よ。ねえ、薫?」
「ええ、大丈夫です」
 黒髪の美少女は改めて千鶴に向き合って、驚いたように目を見開いた。
「? どうかしましたか?」
「……いいえ、別になんでもないんです」
 黒髪の美少女のそんな様子をもう一人の少女が怪訝そうに見つめていると、平助と沖田がやってきた。
「美味しいトコ全部持ってかれちまったな」
「本当だ、君強いんだね」
 それぞれ平助と沖田が褒めると、二人はぺこりと頭を下げた。
「助けていただいてありがとうございました」
「その制服、薄桜女学院じゃない? こんなところまで何しにきたの? 治安が悪いとは言わないけど、お嬢様たちがこんなところに来ると危ないよ」
 沖田が口元に笑みを浮かべながら尋ね返すと、薫と言われた少女がニッコリと微笑んだ。
 薄桜女学院は千鶴たちが通う薄桜学院の姉妹校で、男子校が名門なら女子高もそれなりに敷居が高いことで有名だ。ひざ下まである丈のワンピースを形取られた制服は、清楚を非常に際立たせている。
「ご忠告痛み入ります。私たちは薄桜女学院高等部に通う二年生で、南雲薫と……」
「千です。お千ちゃんって呼んでくれると嬉しいわ」
 千鶴に向かってにっこりと微笑んだ千は、再び千鶴に手を差し出した。今度は握手のつもりらしい。よろしく、と答えながらも千鶴はその手を握り返した。
 そんな中、沖田の視線が薫に注がれる。何かを考えるように口元を手で押さえる。
「へー、薄女か。オレらは」
「存じております、薄桜学院高等部の沖田総司さんですよね」
「よく知ってるね」
「私たちの学校でも有名ですから、とても人気のある方ですし」
「……て、オイ。オレのことはいいのかよ。なんだっていつも総司君ばっかりさあ」
 平助の言葉を遮って、薫が告げる。平助が少しへこんでいると、千が千鶴に視線を向けた。
「お名前は?」
「え、あ、こちらは藤堂平助くんで」
「違うわよ、貴方の名前。彼もうちの学校では有名だから知ってるわ。私たちを庇ってくれたのは貴方でしょう?」
 千鶴は呆気に取られながらも、「雪村千鶴です」と答えた。すると、薫の視線が千鶴に向けられた。
「雪村、千鶴さん?」
「はい、平助くんと同じ学校に今日転校して、同じクラスです」
「……そう」
 沖田が薫と千鶴を交互に見て、噛み締めるように呟く。
「なんだか似てるね、君が女装したらたぶんそっくりだよ」
 それは『たぶん』と言いながらも断定的な言葉だった。だが、平助はその考えに不満なのか、「えー!」と声を上げる。
「そっかな〜? オレは似てないと思うけど」
「平助は頭固いよねえ、もっと柔軟にしないと土方さんみたいに脳みそまで筋肉になるよ」
「……それ師範代聞いたら絶対怒るって」
 げんなりした調子で平助がつけ加えると、薫が千の袖を引いた。
「そろそろいきましょう」
「そうね、それじゃあ私たちはこれで」
「本当にありがとうございました」
「ありがとうございました!」
 お辞儀をして先に歩き出す薫に置いてかれまいと千も走る。沖田は薫のその後姿をずっと見つめていた。
「なんかさあ、あの薫って子。総司君に気がありそうじゃなかった? っていうか、総司君も満更じゃない感じ?」
 平助がニヤニヤしながら沖田に絡むと、沖田はふっと鼻で笑った。
「今のがそう見えたんじゃ、平助もまだまだだね」
「って、なんだよそれ!?」
 先に歩き出した沖田を追いかけるように、平助は怒りながらも後に続く。
「ほら、千鶴! 行くぞ!」
「あ、はい!」
 薫たちの後姿はまだ見えている。何故かその後姿から目を離せなかった千鶴は、平助から呼ばれてようやく我に返り、無理やり身体を反転させた。
 薫を見たときに、千鶴も何かを感じたのだが、記憶の糸を辿る前に頭の中で霧散した思考。まあいいか、と考えることを放棄して、千鶴は今日の夕食のメニューへとすぐさま切り替えた。


 了





   20090225  七夜月

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