師範 その夜、近藤も交えて皆で食事を摂った。いつもよりも皆笑顔が多かった、そんな気がする。千鶴はそれだけでも胸が温かくなって、嬉々として皆の食事をよそった。奮発して、というほどでもないがだいぶ頑張って作った料理の数々をいつも以上に激しいおかずの強奪戦が繰り広げられて、すぐにも皿から消えていく様はいっそ壮観だった。 「近藤さん、お酒はどうしますか?」 「ふむ、いや…やめておこう。飲みたいのは山々だが、これからまた少し出かける用事がある」 「そうですか、では代わりにお茶をお持ちしますね」 そうか、また近藤は出て行ってしまうのか、それを残念に思いながらも千鶴は席を立った。近藤が好きだと言ってくれるお茶を淹れて、彼に手渡す。 「やはり雪村君の茶は美味い、お父上のために淹れていたのかね?」 「はい、やはり父も日本茶が好きでしたから」 「そうか、ならばこれが飲める俺は幸運だな。君のお父上への想いを感じられる。だから、こんなにも優しい味なんだな」 「……そんなこと、ないです」 いつもお茶を褒めてくれるが、今日は一段と褒めてくれる。さすがに照れるのだが、近藤は微笑んでおかずを取り合っている門下生たちを見ている。 「では、俺はそろそろ行くとしよう」 「お見送りします」 「君も食べた方がいい。車は呼んであるから、心配しなくていいぞ」 「近藤さんもう行くのか。なら俺も出る」 「いや、お前は資料をまとめて後から来てくれ。またあとでな」 近藤が席を立つと、土方も一緒になって立ち上がろうとする、それを手で制した近藤は食事をしている面々に一声かけた。 「すまんが中座させてもらう、ゆっくり食べていてくれ」 「近藤さん仕事ですか?じゃあ見送りを」 沖田も立ち上がろうとしたのをやはり手で制して、近藤は朗らかに告げる。 「見送りはいい、では行ってくる」 「いってらっしゃい」 口々に背中にかけられる声に、手で返す近藤。千鶴も最初はその一人ではあったのだが、やはり最後まで見送りたい。それに、近藤が少し気にかかった。今日話した内容もそうだが、近藤自身を放っておくことは出来なかったのである。 皆が食事を再開させたのち、千鶴は席を立つと、足音を立てないように玄関に向かった。 「近藤さん!」 ちょうど靴を履いていた近藤は、千鶴が追いかけてきたことに目を丸くしているようだった。 「見送りはいいと言っただろう」 「はい、あの、気をつけていってらっしゃいませって、一言言いたくて……すみません」 やはりいらないといわれたことを無理にでもすべきではなかったと、少し肩を落とすと、その肩に近藤が手を軽く乗せてくれた。 「ありがとう、いってくる」 「あ、はい! いってらっしゃいませ!」 そして千鶴はぺこりと頭を下げる、そんな千鶴の肩を叩いてから、近藤は出て行った。別段、怒っているような様子はなかった。良かった、と胸をなでおろしてから千鶴は皆が食事をしている居間へ戻った。 いってらっしゃいの言葉は、おかえりなさいという言葉に繋がる。帰ってきて欲しいと願う者が告げる言葉だ。 沖田が持っていたカップを落として、その衝撃で割れた音で千鶴は我に帰った。現実に、嫌でも引き戻された。 土方が夕食の片づけをしていた皆に告げた言葉は、千鶴の視界を黒く染めて、最後に聞いた近藤の言葉がフラッシュバックさせた。 『ありがとう、いってくる』 いってくる、というのは帰る意思があるということ、だから一人で帰ってきた土方の言葉は最初信じられなくて、信じたくなくて、耳を塞ぎたかった。 「土方さん、そういう笑えない冗談はやめてくださいよ」 沖田がいつものように土方に突っかかっていくが、その声に覇気はない。 「冗談で言えることか、お前もわかるだろうが」 「あはは、僕は信じませんよ。 近藤さんが事故で重体だなんて」 「信じたくなきゃ勝手にしろ。だが、これは嘘でもなんでもねえ、現実だ。両手足の損傷も激しい、生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ。少なくとも…以前のように剣を扱えるかわからない」 「嘘だ、そんな話僕は信じない!」 「嘘じゃねえっつってんだろ!」 二人ともが互いに叫んで、沖田が土方に掴みかかった。土方はそれを止めようともせずに自らの拳を強く握る。その様子にようやく我を取り戻したのか、斎藤が後ろから沖田を止めに入り、原田と新八が割って入る。 「二人とも落ち着け!」 「左之の言うとおりだぜ、ちょっと頭冷やせ、二人とも」 「落ち着け総司、まだ詳細がわかってない」 千鶴はといえば、平助に手を引かれて廊下へと導かれる。 「危ないからお前は部屋に戻ってな」 平助から冷静に言われて、千鶴は首を振った。こんな二人を放っておけるはずはない。 「お前が居ても、何もなんねーから、とりあえず部屋戻ってろって」 平助にやさしく言われて、千鶴は悟った。ここに千鶴は居てはいけないのだ。何故だか理由はわからない、けれど千鶴が居てはいけない。彼の言うとおり、千鶴に出来ることなんて何もない。肯定の証として、千鶴は一歩後ずさった。そして、ゆっくりと部屋へ歩き出す。その合間も激昂にかられている沖田は土方を睨みつけていたし、土方も沖田の視線を真っ直ぐに受け返している。 「あんたが……いつだってあんたが傍に居たのに、どうして! なんで、近藤さんが怪我するんだ!」 「…………」 「これでもし近藤さんに何かあったら、僕はあんたを許さない」 強い拒絶の言葉だった。千鶴はもうこれ以上、二人の言い争う声を聞くまいと、平助に言われたとおり、部屋に戻った。かといって、眠れるわけでもなんでもなく、ただただ呆然と床に座り込んで一夜を過ごした。 了 20090911 七夜月 |