閉眼 土方と千鶴はロビーに戻ってくると、一端休息を取るために座ることにした。千鶴が飲み物を買ってくるというので、土方は大人しくロビーに座って千鶴を待つ。 休日だからかは知らないが、ロビーは人で混み合っており、土方はなるべく邪魔にならない一番端の長椅子に座った。そして先ほどの千鶴の言葉を思い出す。 『土方さんが自分を責めたら、近藤さんが悲しむから』 変わらないな、とその言葉を聞いて土方は息を吐いた。 千鶴も知らない…正確には忘れてしまっているが、土方は千鶴と一度会っていた。自分も相手もだいぶ面変わりしてしまっているので、最初は気付かなかった。けれども、一緒に暮らしているうちに、土方は思い出したのだ。自分が忘れてはいけない、大事なことを教えてくれた少女だということ。 「そりゃ、あれから何年も経ってりゃ、忘れちまってもしょうがねぇよな」 忘れられていても、不快な気持ちはなかった。ただ、土方の中で懐かしいだけだ。そう、忘れてはいけない気持ちをもう一度取り返すことが出来た。それだけ。 あのときの出来事を思い起こすため、土方は病院独特である音も匂いもシャットアウトして、思い出に浸った。 遠征した全国試合でその日初めて、土方は負け戦を知った。それもこれも、全部自分のせいだった。相手にあと一本のところで、招いた油断で土方は負けた。完全に土方に非が有る負け方だった。 相手が強かったのは否定しない、だがそれに負けないほど自分の実力も当然あった。だが、土方は負けてしまった。よりにもよって、自身の体調不良によって引き起こしてしまった油断だった。 後から測って知ったが、あのときの土方は熱が出ていた。とはいえ、体調不良なんて格好悪い理由で欠場なんてことできるはずがない。見栄を張って無理を押し通して、結果負けることになって、誰よりも歯噛みして悔しさを堪えたのを覚えている。 「今回はいい勉強になったな」 負けたというのに、近藤は土方にそう言った。嫌味でもなんでもなく、まさに正論であり正しい言葉だった。それゆえに、土方にはだいぶ堪えるものがあった。自分さえしっかりしていれば、と何度となく自分を責めるのは当然の結果といえよう。 「次は勝つだろう?」 「当たり前だ」 そう答えたけれど、土方の胸の内では後悔ばかりが渦巻いていた。あの時ああしていれば、あの時こうしていれば、考えても取り返せないとはわかっていても、自分の試合を分析してしまう。 「あまり考えすぎるなよ、トシ。ちょっと気分転換でもしてくるといい」 ついには近藤から苦笑とともに告げられて、土方は外を出歩かざるを得なくなった。 初めていった遠征場所。頭の中で考え込みながら知らない場所を土手沿いに歩いていると、綺麗なシロツメクサの生えている場所で小さな女の子が花を摘んでいた。もちろん、最初は考え込んでいた土方の目には入らなかった。けれども、その子供が勢いよく飛び出してきて、土方の足にぶつかったので思考が中断され、ようやく土方はその子供を見つけた。ぶつかった反動で子供は土手をころころと転がっていったため、土方は慌ててその子供に駆け寄り、土手の途中でその子供を抱きとめた。 「おい、無事か?」 子供の手足は少々擦り剥いた箇所があったが、子供はきょとんとしていて土方をおっかなびっくり見上げている。 「痛いところあるか?」 もう一度問いかけると、子供は首を横に振った。 「だいじょうぶです、いきなりとびだしてごめんなさい」 意外にしっかりした喋り方をする子供なのだと土方は思った。ちゃんと自分が悪いのを認めて謝罪が出来る。そしてそれは土方も同様。 「こっちこそちゃんと前見て歩いてなくて悪かったな」 子供についた泥を手で払ってやり、土方がそういうと子供は笑った。しかし、すぐにもハッとして自分の周りをきょろきょろと見渡す。探しものかと土方もあたりを見渡して、子供の近くにシロツメクサで作った冠が、落ちているのを見つけた。土方と同時にその子供もそれを見つけて、その顔が泣きそうに歪む。というのも、シロツメクサの冠は転げ落ちた際に子供に踏まれたために見るも無残な形となって、落ちていたからである。 それを拾いながら、子供は必死に涙を堪えているようだった。そして目元を拭うと再びシロツメクサの中に戻り、花を集め始めた。問わずとも子供がこれからしようとしていることは解る。土方も無言で子供の傍に行くと、シロツメクサを集め始めた。責任の一端…というよりも、半分以上は土方のせいでもあるのだから、せめてものお詫びのつもりだ。 「こういうのを集めればいいのか?」 見よう見まねで花と茎の部分を残して手折りながら、土方が問いかけると、子供はまたおっかなびっくりといった顔をした。 「てつだってくれるの?」 「俺のせいだからな」 「ありがとう、おにいちゃん!」 子供は元気に返事をすると、土方にどういうのを集めたらいいのかを指南する。子供の言うとおりにシロツメクサを集めながら、土方は子供に尋ねた。 「これはどうするんだ?」 「とうさんにあげます。さいきんおしごといそがしいから」 仕事が忙しい父親に花冠をあげるつもりらしい。その発想がまず土方にはよくわからなかったのだが、子供から貰ったものならば親もうれしいだろう。そうか、と返事をして土方はまた黙々とシロツメクサを集め始めた。子供が編んでいるそれを見ながら、土方は最近の子供は器用だなと感心した。 「誰かに作り方を教わったのか?」 土方が尋ねると、きょとんとした表情で少女は見上げてくる。 「それ、作り方を誰かに教わったんじゃないのか?」 わからなかったのかと思い、もう一度聞きなおすと、少女はなぜか硬直した。 「おそわった、だれかに……だれか…か…おる……」 「おい?」 少女は焦点が定まらない瞳で虚ろに何事かをつぶやき始めた。その様子があまりにも変で、土方は思わず少女の両肩に手を置いてその身体を揺する。 「かあさま……かお、る……かおる……」 「おい、しっかりしろ!」 「……はい。あれ? なんのおはなししてたの?」 少女の目にはちゃんと光が戻って土方を見ている。その様子にほっとして、土方は「いや、なんでもねえ」と告げた。 「親父さん喜んでくれるといいな」 「はい!」 子供の笑顔を見ていたら自然とそんな言葉が出てきて、土方は戸惑った。そんな土方の様子に構わずに、子供はシロツメクサ一本を土方に差し出した。 「おにいちゃんもげんきないから、これあげる」 「は? いや、俺はいいから」 見透かされるとは思っていなかった。土方は内心に動揺を押し隠して、子供の渡してきたシロツメクサを受け取らずにいると、子供は首をかしげた。 「これはいらない?」 「俺が花なんて似あわねぇだろうが」 「そんなことないよ。おはなはおにいちゃんをげんきにしてくれるよ」 「……そうじゃなくてな」 似合うか似合わないかの問題であって、といいかけてから子供相手にそんな真面目に語る必要があるのかと冷静になる。子供は土方が要らないと判断したようだ。渡そうとしていたシロツメクサを編みこんでいるシロツメクサと一緒に置くと、土方の背後に回った。 「だったら、ちづるがげんきをあげます」 何をするつもりなのかと思えば、『ちづる』と名乗った少女はそのまま土方に後ろから抱きついた。 「いつもちづるがげんきないと、とうさんがこうしてくれるんです。そうしたら、ちづるはいつもげんきになります」 子供のやることは本当に突拍子もない。多少なりともその行動に面食らってしまった土方は、呆気に取られて何もいえなかった。 「おにいちゃんが、げんきになりますように」 まるで背負っているように後ろに体重がかかってくるが、子供だから全然重くはない。それと同時にこの子供の優しさがなんだかささくれ立った自分の心に触れてきた気がして、土方は言うつもりのなかった言葉を思わず言ってしまった。 「俺がした失敗が許されるなら元気になるさ」 「しっぱい?」 「って、子供相手に何言ってんだ俺は。今のは忘れろ」 自分の頭をくしゃっと撫でて土方が言うと、子供は更に体重をかけてきた。 「おにいちゃんのせいじゃないよ。だっておにいちゃんやさしいひとだから。きっとだれもおにいちゃんをしかったりしないよ」 たったいま出逢った人間に、ましてや子供に言われても何の説得力もないと思ったのだが、子供の心は素直に頷ける何かがあった。 「おにいちゃんがかなしいと、ほかのひともかなしいよ」 あまり考えすぎるなと、気にするなと言ってくれた人が、そうなのだろうか。この子供の言う哀しいと感じてくれる人なのだろうか。自分の失敗を許してくれるというのだろうか。 誰も叱らないから、逆に自分で自分を叱り続けていた。それすら子供に見透かされた気がして、土方はひどく動揺した。しかし、悪い気分ではない。 「ありがとな」 自分の頭でなく今度は子供の頭を撫でてやる。すると子供は嬉しそうに笑った。きっと頭を撫でられるのが好きなのだろう。 「てつだってくれてありがとうございました」 ぺこりとお辞儀をして子供は土方に背を向けた。そして走り出すのを見送っていると、不意に振り返り土方に向かって手を振った。 「またね、おにいちゃん! さようなら」 あくまで土方はここへ遠征としてきているだけ。またがくるとは思えなかったが、それをわざわざあの子供にいう意味はない。 「またな」 手を振り替えしてやりながらそういうと、子供は嬉しそうに笑って走っていってしまった。子供が去ると、思った以上に自分の心が救われているのを知って、土方は驚いた。たった子供の戯言なのにも関わらず、許されるということがこんなにも心を軽くさせるなんて。 それからもうないと思っていた「またね」がすぐにも訪れるとは思わなかった。近藤と一緒に会った医者。その背中で眠っていた少女に土方も目を瞠ったが眠っているのをわざわざ起こそうとも思わなかった。不思議な縁もあるものだと思ったものだ。 こんな形で再会して、土方は再び千鶴に許された。救われた。救ってほしいと、誰かに願っていたのかもしれない。それが千鶴だったのは、ただの偶然。けれども千鶴で良かったと心から思う。幼い頃と変わらずに、土方を救ってくれるのは、千鶴だ。千鶴が覚えていようといまいと関係なく、それが土方の事実。 「土方さん、コーヒー買って来ました。ブラックですよね」 「ああ、悪いな」 土方が顔を上げると、千鶴と目が合って彼女は首をかしげた。 「どうかしましたか?」 土方がこんなにも凝視するように千鶴を見ることはなかなかない。千鶴も落ち着かないのか、困ったように笑う。 「土方さん?」 「お前は今、大丈夫か?」 咄嗟に出てきた言葉は、千鶴を戸惑わせるのには十分だったらしい。 「はい、大丈夫です。私は怪我とか見慣れてますから、土方さんこそ辛くなったら言ってくださいね」 千鶴は恐らく、近藤を見たことで土方が千鶴を心配したと思ったのだろう。更には土方の心配までするのだから、根っからのお人よしだ。 「俺はお前が思ってるほど辛くねえよ、大丈夫だ」 だからこそ、心配になる。土方の目から見ても、時々千鶴は非常に危なっかしく感じる。他人を優先しがちで、自分のことは後回しにする傾向が強いのだ。いつか自分の心を殺し続けて、心が壊れてしまわないか。本当に辛い時は辛いと言えばいいのに、この少女はそれをしない。我慢するのを選んでしまう。 たった数ヶ月一緒に暮らしてるだけでも、そんな千鶴の本質を土方は見抜いていた。だから放っておけない。今もこうして土方のことばかりを心配している千鶴が心配になるのだ。 「だからお前も無理すんなよ」 この言葉に効果を期待できるかどうかはわからないが、千鶴はきょとんとした後に微笑みながら頷いた。 「大丈夫ですよ、私は大丈夫です」 それは土方に言っているのか、それとも自分に言い聞かせているのか、恐らく後者であることは簡単に推測できるが、土方はもう何も言わなかった。千鶴のことは土方以外にも多くの人間がちゃんと見ている。気付けば近藤と同じように輪の中心にいるような人間だ。平助も原田も面倒見のいい人間だ、きっと千鶴が落ち込んでいたら放ってはおかないだろう。 千鶴のことを頼んでいる斎藤も最近では自発的に千鶴を見ているようだし、何より沖田が千鶴に対しては心を許し始めている。本人に何の気がなくても、多くの人間を千鶴は動かしているのだ。 だからこそ、千鶴が本当に苦しむようなことにはならないんじゃないかと土方は思える。それが観測的希望だとしても、土方は信じたい。この心優しい少女の願いが叶えばいいと。 了 20091013 七夜月 |