歯車



「あんたって、本当に悪趣味だよね。最低」
 泣いて眠っている千鶴を抱き上げ立ち上がったのは、薫だった。
「こいつのためだ。そう思わないか?」
「別に俺はどうも思わないね。千鶴のことが大嫌いなのは変わらないし。復讐できればそれで十分」
「ふっ、よく言う」
 面白そうに口をゆがませた風間に薫はムッとする事もなく、ただ淡々と冷静に、しかし風間から視線をはずさなかった。
「あんたも大嫌いだよ、俺は」
 それだけ言い残すと、千鶴を抱き上げたまま薫は社長室を出て行った。
 それを見送ってから、風間は暴れた千鶴に噛みつかれた肩を押さえる。
「とんだじゃじゃ馬だなあいつは」
「すぐに手当ていたしましょう」
「構わん、多少歯型がついた程度だろう。しかしジャケットの上から歯型をつけるとは、驚くほどの拒否反応だ」
 気を利かせた天霧が濡れたタオルを持ってきたので、ジャケットを脱いでネクタイを外してシャツのボタンを三つ目まで開くと、風間は痛みを訴える肩にタオルを乗せた。
「これはだいぶ、腫れますね」
「仕方ない。あいつを取り戻すための代償なのだから、甘んじて受けよう」
 まだまだ風間は核心を話していない。これからも疑問はどんどん膨れ上がって、千鶴は風間の元へとやってくるだろう。
「妻を躾けるのも夫の役目だからな」
「……彼女に同情します」
「なんだ?」
「なんでもありません」
 天霧がため息をつくと、風間が笑っていた表情を引き締めた。
「かかった呪いは強い。だが、解ける日は間近だ」
 天霧の頷きに風間は満足し、タオルで冷やしている自分の肩にもう一度触れた。

「ねえ、こんなのはどう?可愛いわよ」
「そういうのは派手すぎて逆に似合わない」
「もー、さっきから派手って言うけど、実際に着てみたら似合うと思うんだけど」
「だから、普通でいいだろ。なんでそう改造したものを着せる必要があるんだよ」
 枕元で繰り広げられる声の応酬に、千鶴は覚醒を促された。もう朝なのかと目を擦りながら起き上がると、なぜかそこには薫と千がいた。
 二人で制服を持ちながら討論していた。
「…………」
「普通なんかつまらないでしょう、どうせ格式なんてあってないような女子高だし」
「仮にも理事長の孫娘が校則否定するつもりか」
「あら、そんなつもりはないわよ? これで通学するって言ってるわけじゃないもの。別にいいじゃない」
「お前の意思は時々突飛過ぎてついていけない」
「あの……ここは、どこでしょうか」
 言い争っていた二人はピタッと口を閉ざして一斉に千鶴を見る。
「ねえ、千鶴ちゃんは私たちが着てるようなものと、今私が手にしているこれ、どっちがいい?」
 起き抜けに質問の答えとはまったく別の質問を投げかけられて、千鶴は反射的に千が持っていた洋服を指差した。
「ほらみなさいよ! やっぱり女の子だもの、フリフリでヒラヒラの方が可愛いんだわ」
「そんな押し付けがましく言ったらそう答えざるを得ないだろ。少しは考えろよ」
 薫は乱暴な口調で千にそういいおくと、急に不機嫌になったのか部屋を出て行ってしまった。
「あの、もしかして私が何かしてしまったんでしょうか?」
「ん? ああ、いいのよ。放っておいて。千鶴ちゃんのせいじゃなくて、あれは単なる薫のわがままだから」
 千はにこっと微笑むと、ウキウキとした様子で千鶴に持っていた服を手渡した。
「良かったら着てみて。これ絶対千鶴ちゃんに似合うと思って作っておいたのよ」
「えっ?」
「ほらほら、いいから早く!それじゃあ、私も部屋を出てるから着替え終わったら呼んでね」
 千は千鶴に否定する隙も与えずにさっさと部屋を出て行ってしまった。薫と違って妙に機嫌は良さそうではあったが、どうしてだろうか。
 手渡された洋服を見て、千鶴は思わず呟いた。
「これ……着るの?」
 千や薫が着ていた制服よりも、女の子らしさを追求したそのミニスカートの制服は千鶴にとって未知の領域だった。
 何故その服を着なければならないのかまで深くは考えずに、千鶴は若干の抵抗も感じながら言われたとおりに着替えた。
「お千ちゃん、着替えました」
 部屋の外で待機しているであろう千を呼ぶと、千が嬉々として入ってきた。
「やっぱり! 似合うじゃない!」
「そんなことないです。普段こういうの着ないから、どこか変なんじゃないかって」
 男の格好をする前からも好んで着たタイプの服ではない。だから千鶴が不安になるのも仕方ないといえば仕方ないのだが、鏡台の前に立たされた千鶴は千の成すがままだ。
「ううん! すっごくよく似合ってる! ここまできたらうーんと可愛くしてあげるんだから」
 椅子を運び、千鶴を座らせて、千は髪ゴムを解いて千鶴の髪を垂らす。くしを手にして丁寧な仕草で梳いていく。
「あの、ここはどこでしょうか?」
「ここは私の部屋よ。ついでに私の部屋があるのは、私たちの学校の女子寮」
 鏡越しに千にたずねると、千は鼻歌交じりに答えてくれた。耳の上で二つに縛ってみたり、千鶴の髪でだいぶ遊んでいる。
「どうして私はここに……さっきまで風間さんと会ってたはずなのに」
「薫がね、貴方のことつれてきたの。あいつの所でなんだかちょっとヤバイ感じみたいだったから」
 千と風間が知り合いだったのも驚いたが、遠慮なくあいつ呼ばわりしたことに千鶴は目を丸くした。
「風間さんと皆さん知り合いですか?」
「まあね。私はあいつの婚約者だから」
 千鶴は思わず勢いよく振り返ろうとして、失敗した。千に掴まれていた髪が引っ張られて、その痛みが千鶴を襲う。
「やだ、ごめんね、大丈夫?」
「ごめんなさい、ビックリしすぎて。風間さんと結婚するってことですよね」
「そうよ、親の命令でね」
 そう言ったとき、千のテンションが明らかに下がったので、千鶴はハッとした。
「政略結婚って奴。私の意志は関係ないわ」
 千はまるで自分のことなのに他人事のように告げた。
「結婚……嫌なの?」
「そりゃあね、まだまだ。でも、嫌とか嫌じゃないとかそういうことを考えること自体が無駄なの。決定事項だから」
 千は割り切ったようにそう言った。彼女にとって、言葉通りそれは当たり前のことなのだろう。今までもこれからも、その考え方は変わらない、否、変えられない。もしかしたらそんな世界に住んでいるのかもしれない。
「いつか、お千ちゃんのそばに居てくれる人が現れると思います」
 千鶴がそういうと、千は目を丸くした。
「千鶴ちゃんにはそういう人がいるの?」
「え?」
「ごめんね、突然。でもそうなのかなって思って」
 千鶴は思わず閉口すると、考えた。そんなこと今まで考えても見なかったのだ。そういうことを考えられる余裕がなかった。
「ねえ、千鶴ちゃん」
 千は千鶴の答えを聞く前に口を開いた。
「私たちのところに来ない? 私や薫のそばで普通の女の子として過ごそうよ。貴方が望むなら、私にはそれが出来るよ。ずっと男の子としてすごすなんて、無理だわ。それに薫もきっと喜ぶから」
 千の申し出は本当に思ってもみなかったことだった。千鶴は鏡越しに千を見つめる。千もジッとしたまま千鶴を見つめていた。けれど、千鶴はすぐにも答えを出した。悩む時間すらなかった。
「ありがとうございます。でも、私は大丈夫です。今はあの家に居たいんです。彼らが許してくれるなら、もう暫く皆と一緒に暮らしたい」
 本当はこんなこと簡単に千鶴一人で決めていいわけないのだろうが、千鶴の口は止まらなかった。
「たくさん傷ついている皆に、私が何をしてあげられるかわからないけれど、それでもそばにいたいと思うんです」
 支えられることがあるのなら、支え続けてあげたいと思う。
「……そっか、残念」
 ぺロっと舌を出して千は冗談めかして笑った。
「もしかして、好きな人でもいるのかな?」
 千鶴は瞬きを数回して、そして破顔した。
「そうですね、皆のことが大好きです」
 最初はどうなることかと思ったけれど、気づけば皆でご飯を食べるのが楽しかった。皆の笑い声が響く家が好きになっていた。もう一度そんな場所に戻れるのなら、千鶴は何でもするだろう。
 千は呆気に取られたように口を開いて、そして苦笑した。
「そういう意味じゃないんだけど……うん、わかったよ」
 千は苦笑から普通の笑顔に徐々に戻って、そして千鶴の髪を再び弄び始めた。
「そういうことなら仕方ないよね。残念だけど、諦める」
 そして独り言のようにつぶやいた。
「本当に千鶴ちゃんには……敵わないな」
 何のことだろうと思って鏡越しに千と目を合わせると、千は微笑みながらなんでもないわと告げた。

 女子高から出るということで、完全に女の子の格好をした千鶴は高級車に乗って女子寮を出た。送ってくれたのは当然千で、お付の人として千の学校の保健医だというお菊という人も一緒だった。
 女装自体久々だった千鶴は普段パンツルックなためかなり久々にスカートをはいたためか、妙に心もとない気分になりながら道場の門をくぐった。
「すみません、ただいま戻りました」
「やっと帰ってきたのかよ、おか」
 千鶴が声をかけながら家に入ると、その声を聞いて飛んできた平助が千鶴を見て絶句した。完全に固まってしまった平助の脇から斎藤も顔を出して珍しく表情を変えた。
「雪村か」
「はい、ただいま戻りました。遅くなってすみません」
「それは構わないが、その格好は……」
 すると千鶴の後ろに控えていた千が挙手をしながら家へと入ってきた。
「はい、それは私が説明します。意識不明で倒れた彼女を見つけてうちの寮で介抱したんですけど、出るときに男の子の格好だとまずいので、ちょっと女装してもらいました。でもかわいいでしょう?」
 千が冗談っぽくウィンクしながら言うと、何故か平助が頬を染めた。そして斎藤の表情も和らいだ。
「なんだなんだ、妙ににぎやかじゃねえか」
「俺らも混ぜろよー……って、千鶴ちゃん!?」
 先に帰っていたらしい原田と新八も顔を出して、千鶴の姿を見て絶句した。
「なんだよかわいくなっちまって、どうしたよそれ」
「ちょちょちょ、ちょっと待て! なんで女の子の格好してんだよ」
 素直に褒める原田と何故かどもり始めた新八に、千鶴は千と顔を見合わせて笑った。
「貴方の女装、相当珍しいみたいね。見世物小屋じゃないのに」
「色々と事情があったんです。すぐに着替えますから」
 そして土方もやってきて、千鶴を見ると顔をしかめた。だが、隣にいる千を見て何かしらを察したのか、一言だけ告げる。
「さっさと着替えて来い」
 少しだけ怒られるかなと思っていた千鶴は、その一言で済んで目を瞬かせてから頷いた。怒りの鉄槌が落ちなかったことも何よりだが、皆が普段どおりに集まってることに嬉しさがこみ上げる。こんなのは久しぶりだ。
 そして空気が和んでわいわいしているときに、冷たく割って入る声があった。
「楽しそうだね、僕も混ぜてよ」
 廊下の奥に居たのは沖田だった。沖田を見るのは久々だ。
「沖田さん」
「へえ、君女の子の格好なんてしてるんだ」
 何故か心を閉ざしたかのように、沖田は冷たい視線を千鶴に向け続ける。
「近藤さんが倒れたって言うのに、ずいぶん楽しそうだね。不謹慎だと思わないの?」
「総司」
 鋭く沖田の名前を呼んだ土方を無視して、沖田は続けた。
「そんな格好して浮かれてはしゃいでちやほやされて、悩み事なんてないみたいに笑って、反吐が出るね」
 いつもの沖田らしくないほどの、悪意の塊のつまった言葉を、千鶴は真正面から受け止めた。確かに物騒な物言いをするタイプの人間ではあったけど、それでもからかい交じりとかそういう程度で、ここまであからさまに嫌われたのは初めてだった。
「本当、最低」
 たぶん、沖田は千鶴を傷つけようとしてそう言ったのだろう。そして、沖田の思惑通りに千鶴は傷ついた。
「いい加減にしろ総司。みっともねえ八つ当たりしてんじゃねえよ」
 土方の声音に一層剣呑さが募る。すると、沖田の背にも殺気が立ち上る。
「ああっと……! ほら、千鶴お前さっさと着替えてこいよ! 早く夕飯にしようぜ!!」
 不穏な空気を感じ取った平助が千鶴の背中を押す。
「うん、そうするね。……沖田さん」
 千鶴はぎこちない笑みを浮かべてから、沖田に頭を下げた。
「すみません、配慮が足りませんでした。以後は気をつけます」
 そして目を合わせずに沖田の横を通り過ぎて、自室へと駆け戻った。
「浮かれてちやほやされて、か…。そんな風に見えるんだな」
 支えになりたいと思ったことが逆効果で現れてしまった。悲しい気持ちが胸に沸き起こる。思わず涙が出そうになって、ぐっとこらえた。
「駄目だな、私……しっかりしないと」
 自分の顔を叩いて、頭を振る。沖田の言うとおり、最低の人間にならないように努力できることはしなければならない。
「頑張らなくちゃ」
 近藤の分まで、皆に笑顔が戻るように。だって千鶴は約束したのだ。近藤と約束したのだ、それは彼が帰ってくるまでは決して反故できないし、するつもりはない。最後まで約束は果たすつもりだ。
「約束は守らないといけないんだから」
 果たされない約束などあってはならない。


 了





   20091117  七夜月

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