自覚



「斎藤さんと沖田さんって、仲良しなんですね」
 あれから結局部屋には戻らず居間へとやってきた斎藤に、千鶴はお茶を出しながらそう尋ねた。当初の目的は残念ながら土方不在という事実に果たせなかったため、気がそがれて結局土方の部屋に行くのはまた後日改めてすることにする。
「仲良し……世間一般で仲良しという区分がどういうものに分類されるのかがよくわからないが。確かによく一緒にはいるな」
「それってつまり、親友ってことですか?」
 千鶴も自分のお茶をすすりながら、茶菓子のまんじゅうを斎藤に勧める。
「どうだろうな」
 答えあぐねているのか、斎藤はなんだか居心地悪そうにしている。もしかしたら、こういった話題は苦手なのかもしれない。しかし、こんなチャンスはあまりないのも事実だ。
「あの、お二人のこと教えてくれませんか?」
 千鶴がそういうと、斎藤は言葉を詰まらせながらも喋り始めた。それは二人の遠い過去の話。


「へえ、君が近藤さんの言ってた斎藤くん? 僕は沖田総司。よろしくね」
 木の上から話し掛けてきた相手に斎藤が目を丸くしたのもつかの間、沖田と名乗った少年は、よっと声を出しながら木の上から飛び降りた。まるで猫のように身軽な彼の所業に斎藤は目を見張ったのだが、彼はまったく気にしていないようだった。
 胴着姿から察するに、この道場の門下生であることは確かだろう。知人の勧めでこの道場の門戸を叩くことにしたのは自分だが、こうも個性の強い人間と出会うと身の振り方を間違えたかと心配になってしまう。だが。
「君のそれって学ランだよね? 中学生? いくつ?」
 質問攻めの沖田に斎藤はたじろぎながらも一つ一つ答えた。
「これは以前の学校のものだが、中学一年だ。年は十三歳」
「なんだ、僕と一緒か。それじゃ益々楽しみだな、ねえ、せっかくだから手合わせしようよ」
 その時の沖田の目を斎藤は生涯忘れることはないだろう。純粋に相手の力量を測るとは言いがたい威圧感をたたえた眼光に、斎藤自身も自らの闘志を引き出させられたのだから。
「いいだろう。相手になろう」
「じゃあ、こっちにおいでよ。得物は何がいい? 木刀? 真剣?」
「竹刀に決まってんだろうが馬鹿野郎!」
 そしてその竹刀で沖田の頭を叩いた人物を見て、斎藤は呆然とした。それが後に鬼の師範代と呼ばれる土方であるが、このときはただただ雰囲気に圧倒されてしまったのである。
「大体お前な、来たばかりの門下生相手にいきなり勝負しかけるとはどういう了見だ! まずは身の回りの世話なり何なりしてやるのが同門の務めだろうが!」
 沖田は痛みで暫くうめいていたが、ジロリと土方を見上げると、嘲るようにため息をついた。
「土方さんは全然わかってないなあ。斎藤くんだってきっと、真剣勝負したいはずだよ」
「お前みたいな未熟者に、文字通りの真剣使わせられるわけねぇだろうが! それよりさっさと道内を案内しやがれ!」
「はーい」
 渋々といった感じで頷いた沖田はひどくかったるそうに返事をしたものだ。まるで先ほどの殺気にも似た気配はどこにも見えない。
「それじゃ、とりあえず案内するからついてきて」
 今はこの土方という人物に対して逆らうべきではない、というのが直感的に感じ取れた斎藤は大人しく沖田の後についていった。
「あーあ、土方さん絶対本気で殴ったよ。たんこぶ出来てるし……いたた。絶対あとで仕返ししてやろう。何がいいかな、靴の中に蛙でも入れておくとか」
「…………」
 先ほどの雰囲気とは打って変わったように、まるで子供のような発言に斎藤が口出しできないでいると、急にくるりと振り返った沖田が斎藤にも尋ねる。
「ねえ、斎藤くんはどんな復讐がいいと思う?」
「……さあ」
「つまんないな、一緒に考えてよ」
「興味ない」
「あはは、はっきり言うなあ。なんか君ってちょっと土方さんに似てるかもね」
 そして沖田に連れられていったのは、近藤邸である。
「ここが斎藤くんの部屋ね」
 案内されたのは綺麗に片付けられた、布団だけ置いてある殺風景な部屋。今日からここを自由に使っていいのだといわれて、斎藤は不思議な気持ちになったのを覚えている。
「僕の部屋はあっちだから、何か困ったことあったらいつでもきていいよ。面倒くさいけど、寝てなきゃちゃんと答えるし」
「ああ、わかった。わざわざすまない」
 そして沖田はにっこりと笑うとこういったのだ。
「変なの、よくしてもらったら普通、『ありがとう』っていうんだと思うけど?」
 二、三度瞬きをしてから言われた意味に気づいた斎藤は、改めてゆっくりとその言葉を告げたのだった。
「ありがとう」
 沖田との出会いはどちらかといえば強烈に近かった。まだまだお互い子供だったのはあるけど、それでも彼のまとう雰囲気はもうすでにあの時点で完成されたものだったのだ。
 斎藤自身、同世代と馴染めない雰囲気を持つ人物だったので、だからこそ、沖田のその子供とは思えない雰囲気に安堵したのを覚えている。同世代の子といるよりかは気持ちとしては全然楽だったのは今でも変わらない。
 それなのに、高校生の頃に決定的に二人の道は袂を別った。
「総司が病気を持っていたのは知っているな?」
「はい」
「あいつは詳しいことを俺たちには話さない。だから、俺も本人から聞いたのは僅かだ」
 だが、ある日突然沖田は斎藤にこう言った。
「ねえ、一君。時間がどんどん流れていくのに、自分だけ時間が止まっちゃうってどんな気持ちなんだろうね」
「……なんだ急に」
「別に。ただ、どんな気分なんだろうって思っただけだよ。みんな大人になっていくのに、変われないのは…なんか嫌だよね」
 そしてその数日後、沖田は入院した。大仰に見送られるのを嫌った彼は、ひっそりと消えた。もちろん、近藤と土方は沖田の入院に関しては知っていたようだが、他の門下生は誰一人として沖田の病状を知らなかった。
「治療法が確立していない、未知の病だという話を聞いている。それから二年経って、またも急に戻ってきたんだが、そのときは元気そうだった。病も完治した、という話だったが」
 斎藤は苦渋の表情を浮かべた。それから察するに、おそらく完治はされてないのだろう。千鶴も完治したという話を当の本人から聞いてはいたが、先ほどの様子を思い出すとどうしてもその言葉を信じられない。
 近藤が不在になる前から、沖田の病院通いは頻繁になった。それから察することの出来ないほど、千鶴もこの道場の皆もバカではない。
「奴はきっと、俺たちには絶対に弱みを見せようとはしないだろう。あいつが八つ当たりするのだって、師範代やお前くらいだ。だから、こんなことを頼むのもどうかとは思うが、俺たちの目の届かない場所でもしものことがあるやもしれん。総司を見ててやってくれないか」
 斎藤が真面目な顔でそんなことをいうものだから、千鶴も表情を引き締めた。
「もちろん、私に出来る精一杯のことはします。沖田さんのこと、私も心配ですから」
「そうか、すまない」
「そんな、とんでもないです! 頭上げてください、斎藤さんは何も悪いことなんてしてないじゃないですか」
 正座したひざに拳を固めて頭を下げた斎藤に狼狽した千鶴はあわあわとあわてた。
「本当に悪いことしてないんですから! それにもしも謝られるのなら、私は『ありがとう』って言ってもらえるほうが嬉しいです」
 千鶴がそういうと、斎藤は目を見張った。
 同じだと、ふと胸に言葉がよぎる。何が、とか誰と、とかそういうのが明確に見えたわけではないのだが、斎藤はそう感じた。とりあえず動揺した心を落ち着けようとお茶を口に含むべく一杯あおる。
「斎藤さんは沖田さんのこと、大好きなんですね」
「ぶっ!」
 千鶴の何気ないその一言に思わず茶を噴きかけた斎藤はむせながら自分の胸を叩いた。
「だ、大丈夫ですか!?」
 むせた斎藤の背中を千鶴がさすると、ようやく落ち着きを取り戻した斎藤は咳払いを一つして表情を取り繕った。
「大好きという表現が適当であるとは思えないが、仲間として心配するのは当然のことだ」
「だから、仲間として沖田さんのことが大好きってことですよね。心配するのは相手のことを想ってないとできないですよ」
 千鶴がそういうと、斎藤は視線を彷徨わせて言葉を捜している。
「理論的には間違ってはいないと思うが、どうもその言葉はしっくりとこない」
「そうでしょうか? 私はぴったりだと思いますよ。私も皆さんのこと大好きだから、すごく心配しますし」
「そういうものか?」
「そうだと思います」
 珍しく千鶴に言いくるめられた気がするのだが、千鶴の言うことすべてを否定できるものではない。
 言っているものは理屈としてわかるだけに、この話題を続けると不毛な言い争いに発展する気がしたので、斎藤は無理やり話題を戻した。
「総司が八つ当たりする相手は限定されている。さっきも言ったが土方さんとお前だけだ。八つ当たりは奴なりの甘えだが、時に度を越すときがある。そうなったときはちゃんといえ。俺たちも出来る限りのことはする」
 そう斎藤から言われて、千鶴は少し考え込んだ。
「ありがとうございます。だけど、大丈夫ですよ」
 思ったままに告げる千鶴。斎藤はそれを大人しく聞いた。
「沖田さんって、加減を考えてないようで、きっと考えてくれてるんだと思います。本来そういうことが出来る人だから。だから、度を越すときってわざとそうしてるんだと思います。意図的にやってるってことは、本人が何かしらの考えを持っていると思うので、気が済むまで受け止めます」
 近藤さんの分まで。そう続けようと思った言葉はかろうじて口の中でとどめる。
 千鶴の話を聞いていた斎藤は瞬きを数回繰り返して、意外そうな顔をしていた。何故そんな顔をされるのかわからなかった千鶴も瞬きを繰り返す。
「ずいぶんと強くなったな」
 ここにきた当初は謝ってばかりだった千鶴。何をするにもおどおどオロオロ、他人の顔色を窺って、失敗したらへこんで。そんな姿ばかりだったはずなのに、今斎藤と話している千鶴はしっかりと斎藤の目を見て話をしている。沖田の罵倒にもへこたれず、ちゃんと面倒見るという姿は正直想像できなかった。
 驚きのあまりつい本音を口にしてしまった斎藤の言葉に、千鶴はきょとんとなってからにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます、皆さんのおかげです。だいぶ鍛えられましたから。……あ、でも別に、嫌味とかそんな意味で言ったわけじゃないです!」
 斎藤も別にそんなことを思っていたわけではなかったのだが、自分の発言の失態に気づいてあわててフォローをいれるあたりが千鶴らしい。ふっと思わず笑ってしまって、その斎藤を見た千鶴が今度は固まった。
「どうした」
「あ、いえ…その、斎藤さんが笑ってくださるのってなかなかないから、嬉しかったです」
 はにかんだ笑みを見せた千鶴を見て、斎藤は何故か心拍数が上がった。
「お茶、もう一杯いかがですか?」
「あ、ああ……せっかくだ、いただこう」
 とりあえず気分を落ち着けようと斎藤は差し出された急須に湯飲みを近づける。
 不思議な気分になることもあるものだと、自身に自問自答をしながら。

 
「大嫌いな俺の元へこうも頻繁にくるとは、珍しいこともあるものだな」
 開口一番そう皮肉を口にした風間の顔面を殴ってやりたい衝動にかられながらも、苛立ちを押し隠しながら薫は告げた。
「尻尾出したって聞いた」
「それでわざわざ確認しにきたのか。ご苦労なことだな」
 薫が会社のほうに出向くことは珍しいことではないが、風間にわざわざ逢いに来るのは珍しい。いつも何かしらの理由を抱えていたからだ。
「当然だろ、誰より一番復讐したい相手が、のこのこ顔を出してくれたんだ」
 薫の顔が凶悪に歪んだ。
「お待ちかねの相手というわけか」
 そんな薫に対しての風間の態度は冷ややかなものだった。
「それよりさっさと場所教えろよ」
「人にモノを頼む態度とは到底思えんが?」
「じゃあ俺がしおらしく頼み込んだらあんた教えてくれるわけ?」
「考えないでもない程度だな」
 はっと薫は嘲笑して、風間を睨みつけた。
「どの道教えてくれるつもりはないってことだろ」
「まだ確定段階ではないものを教えるわけにはいかない。先日のように、暴走されたら敵わんからな」
 憂さ晴らし宜しく、公園に居たチンピラを全力で伸した薫の実力は認めるが、事件自体をもみ消すのが大変だった。
「あいつらが薬を使っていたって話だから、ちょっと出所を吐いてもらおうと思っただけだ」
 興味などないのがわかるほど、冷徹な瞳。かといえ、それで病院送りを何人も出されたらたまらない。風間の権力をこんなくだらないところでむざむざ使うなどとは言語道断だ。
「とにかく、事は慎重に進める。今度こそ、逃げられないようにするためにな」
 風間の言葉に薫は珍しくも同意した。
「あんたの力なら逃がすことないだろ」
「当然逃すつもりはない。だが、万全を期するのも悪くない。確実性を高めるのは必要だ」
 男たちの密やかな会話は漏れ聞こえることなく流れていく。窓の外の月は雲に隠されて、そのまま月明かりを失くした部屋に、沈黙が落ちた。
 言葉はもう必要なかった。薫は言いたいことはすべて言い終えて踵を返す。
「それじゃ、あとは任せる」
「頼まれなくてもやってやる」
 風間にとっては千鶴をこの手に取り戻すため。それは当然の義務であった。
「そういえばもうすぐ、交流祭だな」
 ふと思い出したように風間がそういうと、薫は「だから?」と言いながら出て行った。
 交流祭。それは薄桜学園と薄桜女学園の両校同時開催の学園祭だ。薫と千鶴がまた再び顔を合わせる機会はやってくるだろう。どんな顔をして千鶴を見ているのかわかっていない薫を風間は笑った。
 言葉には出来ないがもうすぐ自分の願いを叶えるときがくる。千鶴をこの手に取り戻す、ただそれだけのために動いてきたのが今更ながらに滑稽だ。
「我ながら愚かしいことだ」
 まさかこんなにも心を動かされる存在になるとは思いもよらなかった。子供の頃の記憶からだいぶ姿形だけじゃなくて性格まで変化したと思っていたのだが、千鶴の根本は変わらなかった。多少なりとも強情で、風間に対してはたてつくことも多いが、それでも素直さは変わらなかった。
 出来れば思い出してほしいが、思い出さなければそれはそれでいいとも思っている。思い出さなくても自分の手に取り戻すつもりだからだ。
 この感情に名前をつけるつもりはない。ただ、手に入れたいから手に入れる。風間にとってはそれだけのこと。安っぽい名前をつける感情なんかには興味がないのである。
 千鶴を想って動くこと、そこに風間の根源が眠っているのだから。


 了





   20091228  七夜月

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