人形



 千姫、十二歳。
 君菊にも黙って、千姫は薫を外に連れ出した。雪のよく降る冬の日だった。
「なんで俺まで一緒に?」
「いいじゃない、あんたは私のボディーガード代わり」
「都合良く人を使わないでくれる」
 寒いと言いながら完全に防寒をしている薫と違って、千姫は動きやすい恰好で駆け回る。家の庭だけじゃ物足りない、ちょっと冒険したいと思って外に出たのだ。だけどやっぱり一人じゃ心細いから薫を連れてきた。絶対嫌だと言っていた彼を釣るのは大変だった。
 見知らぬ街、というわけでもないが。家からあまり出ない千姫にとってはそれに近しいものがある。公園に入り込んで、積もった雪を手でこねる。千姫はそれを面倒そうにベンチに座ってみている薫に向けて放った。軽く首をずらして避けた薫は、ため息をついた。ムキになった千姫は再び地の雪に手を突っ込むと、雪玉をせっせと作ってそれを薫に投げる。しかしそれもひょいひょいと避ける薫はベンチの端に積もっていた雪を片手でこねると、千姫の顔面めがけて投げた。見事な送球で千姫の顔面を白く染めたその雪玉に、薫はニッと笑った。
「ストライクだ」
「もーーー! なんで私の玉はあたらないの!?」
 カッカッと頭から湯気が上りそうなほど顔を赤く染めた千姫はさっきよりもずっと急いで、玉をこねあげた。
 そして無言の雪合戦(一方的)が始まる。
 何度投げても薫には当たらず、薫の玉ばかりが千姫に当たる。いい加減疲れてきて、千姫はため息をついた。諦めた。もうこれ以上やっても、当たらないものはあたらない。
「薫、疲れたわ」
「適当に休めばいいだろ」
「そうね、そうする」
 千姫は薫が一人で陣取ってるベンチの半分に座ると、顔をしかめた薫を気にすることなく息を吐く。
「ねえ、薫。どうして風間千景と知り合いなの?」
 この話題をすると、いつも薫は押し黙る。今日もそうだった。千姫はいつもここで引き下がる。言わないというのは何度もやり取りした中で学んだことだったからだ。だが、今日は何が何でも聞きたかった。
「言いたくないこと?」
「千姫には関係ないこと」
「なら教えて」
「は?」
「教えてくれたら、関係あることになるわ」
 千姫の定義に、薫は呆れたようだった。これ見よがしにため息をつく。
「馬鹿?」
「あら、そんなの今さらでしょう?」
「ああ、確かに今さらだ。直しようがない、馬鹿」
 こういう風に刺々しい言葉を発するようになって最初のうちは戸惑いもあった。だけど、千姫はそれを受け入れることにした。おそらく薫の本質はこちらなのだろうと薄々感じ取ったからだ。最初の大人しかったころに比べれば目覚ましいほどの変化だ。だが、素の薫に戻ってきているのであれば、それはいいことなのだろう。
 じっと千姫が薫の顔を覗き込むと、薫は視線を外しながら結局は教えてくれた。
「妹の婚約者だった。それだけだ」
「薫って妹さんいたの? 初めて聞いたわ」
「うちは雪村家の黒歴史だからな。表向きは死んだことになってるけど、実際は生きてるのか死んでるのかもわからない」
 それは薫が知りうる嘘偽りない情報だったんだろう。だから、千姫はその話にすごく興味を持った。初めて薫が自分から自分の…家族の話をしてくれた。
「ねえ、妹さんってどんな子?」
「一言でいえば、馬鹿」
「ええ? そんなことないでしょう?」
「そんなことある。騙されやすくて、人懐っこくて、すぐ泣いて、放っておけないんだ」
 千姫は目を見開いた。
 薫が、とても愛しげに妹のことを語っていたからだ。こんな表情、見たことがなかった。それほどに、大事な存在だということだろう。
「可愛いのね、その子のこと」
「別に」
 愛しげな表情はすぐにも消え、ふいっと薫はそっぽを向いてしまった。
 だが、大事に思っているのは千姫にも伝わってきた。
「……少しだけ、似てるな」
「え?」
「お前と似てる。馬鹿みたいにお人よしなところとか」
 千姫はどきりとした。そんな目で今まで薫に見られたことはなかったのだ。
 そんないつくしむような、懐かしむような、優しい目。
「馬鹿は余計でしょ」
 憎まれ口叩いて、誤魔化すしかこの心音から逃れる術はなかった。どうしたのだろう。ドキドキして止まらない。
 何故か顔が赤くなった。


 ベンチに腰をかけて休みながら、もう暗くなってしまった夜空を見上げた。
 あの時、気付いたのだ。
 薫に向けられる自分の気持ちに。
 家族だからと線引きして、その気持ちを育てないようにしてきた。
 曖昧なままうやむやにして、薫のことはなかったことにして、それで風間のところへ嫁ぐつもりだった。
 そう、千鶴に出会うまでは。
 千鶴の存在が千姫と薫を変えた。千姫が直感的に感じた、この子が薫の妹だというのは間違っていなかった。


「五歳の誕生日の日、俺だけ友達の家に行った。千鶴は熱出して行かれなくて」
 話の続きなのだと、千姫は興味深々になりながら聞く体勢をとる。
「それで、家に戻ったら、家は火に包まれていた。父様と母様は焼け跡から死体となって発見された」
「火事だったの?」
 12歳でするには少々ショッキングな話題に、それでも臆することなく千姫は尋ねる。
「火事だ。それも故意に、起こしたものだ。焼け跡からガソリンが家じゅうに撒かれていたことが後から解ったらしい」
 そこで薫は一旦息をつくと、話を再開させた。
「妹の死体は発見されなかった。だけど、死んだと処理された。実際、俺もそう聞かされていたんだ。葬式だってちゃんと千鶴の分もあったし、あの日、確かに千鶴は家にいたから」
 だから、諦めていた。絶望した。
 薫はそう言った。
「もう、何も残っていなかった。俺には何もなかった。親戚に引き取られてからも、俺は気味悪がられた。母様の死体には刺し傷があったとか、そういう噂が流れていたから。あの家は呪われていたんじゃないかって言われて、誰も俺を引き取りたがらなかった」
「もしかして、薫がうちに来たころにいっぱい殴られた跡があったのって、全部暴力?」
「気味が悪い人間は殴っていいって言ってたよ。人間じゃないから、俺が不幸を呼ぶからって。実際理由なんてどうでもよかった。もし殴られて死ねるのなら、それもいいし、殴られたところで誰も悲しまない。だから好きなようにさせた」
 投げやりに答える薫のそれは紛れもない本音なのだろう。誰もかれもがいなくなって、守ってくれるはずの人からは暴力を受け続けた。未来への希望が失われても、仕方ないことだったのかもしれない。
「親戚中たらいまわしにされて、結局俺はここに来た」
 千姫のいるこの家へ。
「本当は少し感謝してるんだ。ここに来たから、風間に会えて、風間から情報を引き出すことが出来たんだから」
「情報?」
「ああ。俺から家族を奪った奴が、誰なのかようやくわかった。絶対そいつを殺してやる」
 薫の握った拳に、千姫はそっと手を乗せた。
「俺はここにきて、強さを手に入れられた。自由に動ける術も身に付けた。だから、感謝してる」
「……ねえ、薫。そうじゃない。私たちは薫に復讐させるために武道を習わせたわけじゃないのよ」
「それでも、これは俺の力だ。誰にも負けない、もっともっと強くなって、必ずあいつを見つけ出す」
 薫の目に残虐な光が差し込んだのを見たのは、これが初めてだった。やはり子供ながらに恐ろしいと感じたものだ。
 千姫は哀しかった。家に来てくれて感謝する理由がそんなことだけだったら、薫を千姫が助けてあげることなど出来ない。一生、あり得ないということだ。千姫が助けたいと願っても、薫がそれを拒否するだろう。
 千姫は哀しさに涙を浮かべた。だがしかし、千姫だけが哀しいのではないのはちゃんと理解してる。この涙は、千姫以上に悲しんでいる薫のもの。
「ねえ薫、私たちは家族なの」
「家族?」
「たとえ薫がそう思ってなくても、私はそう思ってる。薫があの日来た時から。だから、ねえ。忘れないでね」
 千姫は小指を差し出した。
「私たち、ずっと薫のこと見てるから。一人だなんて、思わないで」
 千姫の瞳から大粒の涙が零れた。薫の暗い表情は呆気に取られたように変わり、そして少しだけ困ったように眉を下げた。
「泣くなよ、馬鹿」
「薫が泣かないからよ」
「なんだよそれ」
「薫が泣かないから、私が泣くんだわ」
「……変な奴」
 だって痛いといわないから。薫はいつも痛みを我慢するから。そんなことしてほしいわけじゃないのに。どうしてだろう。つまり、私がどうしてほしい?そう考えが行きついたところで、千姫は根本の原因に思い至って余計に涙が止まらなくなった。
 薫に抱えないでほしい。一人で全部背負わないでほしい。半分でもその半分でも、一緒に背負っていけたらいい。せっかく出会えたのだ。今までの人みたいに、薫を一人にし続けることはもうしたくない。
「うっとうしいから、もう泣きやめよ」
 そんな憎まれ口を叩いた薫。ため息をつきながら、千姫が差し出していた小指に自分の指を絡めた。
「約束してやるから」
 忘れなきゃいいんだろう? 
 そうよ、忘れないで。
 十二歳の冬の、他愛もない約束はそうして交わされた。
 
 約束、薫とした最初で最後にした約束。
 それを守ってくれているのかどうか、正直千姫は解らない。成長するにつれ、ふと気付けば、薫の視線は狂気に彩られることが多くなった。心配した千姫と千姫の父は、薫に無理難題と解っていても、千姫と同じ学校に通わせることにした。片時も目を離せないその様子に、千姫が切望したのである。
 意外なことに、薫は最初こそ嫌がっていたものの、最終的には折れた。女装して過ごすことも、文句は言うが結局はしている。千姫のお目付け役という役割を与えられた薫だが、その実は逆である。薫が間違った道に進まないように、千姫自身がストッパーになるつもりで一緒にいる選択をした。その選択は、薫を縛ることになる。もっと他の同年代の、しかも同性と触れあったら変わっていただろうか。そう後悔することも多々あった。
 なのに、千姫が楽しくて、楽しすぎて薫を手放すことが出来なかった。
 千姫のわがままが、エゴが、想いが、薫の行動を制限させてしまった。
 千鶴と出会ったときに、もっと違うアクションを起こしていたら、いや、それよりも前に、普通の男の子として過ごさせてあげたらよかったんだろうか。後悔は尽きることはない。
 だけど、過去は変えられない。だから、千姫は今自分に出来ることする。
 千姫は立ち上がって、前を見据えると、再び走りだした。
 行先はたった一つ。
 薫を止められる人。千姫には出来なかったけれど、きっと千鶴にだったら出来る。
 だって千鶴は薫の妹なのだ。大事な、本当の家族なのだから。


 了




   20100524  七夜月

Other TOP