夕日



 時は少し遡って、まだ千鶴が病室で近藤さんと話しているとき。
「親御さんとの話はついたかい?」
「両親……家族との話はもうついてますよ。あとは道場のみんなだけです」
 診察室で楽な体勢を取りながら目の前の医師に沖田はそう告げる。タイムリミットは刻々と近付いてきている。そろそろ土方にも話を通さねばならない頃合いだというのは重々承知していた。というよりも、身体の方が精神より先に限界を迎えようとしていたのだ。
 今日、突如発作が起きた。それは決して楽なものでなく、体内の臓器にも損傷を起こしているのか吐血らしきものまでした。これはさすがにマズいと思い、こうして病院まで来たわけだが。
「先生、あと一日だけ、待ってもらえませんか」
「君の発作を押さえる認可されている薬は、ないんだよ」
「知っています」
「では、次に発作が起きたら君はどうするつもりだ?」
「耐えます」
「耐えられないようなものだったら? もしかしたら命を危うくさせるかもしれない。けれども君はそれを望むと?」
「はい、あと少しだけ……もう少しだけ、みんなと一緒に」
 みんなと、そして一人の少女と一緒に。
 医師は深いため息をつくと、自らのデスクの鍵付きの部分の引き出しを開けた。
「正直言えば、これを渡された時は迷ったんだが」
 医師の様子は少しおかしかった。何か葛藤でもあるようで、引き出しを開けたはいいけれど、じっとその中を見つめている。
「先生?」
「無認可の試験薬を先日配布された」
「……どういうことですか?」
「君のような病状の患者はなかなか……というか前例がない。かといって何も手立てなくそのまま放置するわけにもいかない。そこで、他の先生に相談をしたんだ。そうしたら、現段階ではまだ無認可だが効果を保証するという薬を手渡された」
 赤いタブレットが連なった1ダースずつの1シート。医師はそれを取り出して、デスクの上へと置いた。勘の良い沖田はもうここまでくればわかる。
「試してみるか、ってことですね。僕の身体で」
 治るかどうかもわからない、どんな副作用が出るかもわからない。そんな薬を自分の身体で試す勇気はあるか、と聞かれたのだ。
「それで、僕の身体が動くのなら」
 沖田は手を伸ばす。医師がデスク上に置いたタブレットめがけて。
「もう一度、刀を持てるのなら」
 道場のみんなといられるのなら。
「なんでもしますよ」
 タブレットを受け取って、沖田は微笑んだ。

 夕食が済み縁側で、千鶴は以前、土方から見せてもらった写真をもう一度見ていた。
 あの時は吐き気が起こってそれどころではなかったが、よくよく見れば確かに面影は薫と似ているかもしれないと改めて思った。
「よお、元気か?」
 声を掛けられて声の主を見上げると、それは原田だった。ちょうど風呂上がりだったのか、肩にはタオルがかけられて、微かな水滴を滴らせている。
「その写真見てたのか」
「はい」
 千鶴と、そしてもう一人同じ顔をした男の子。二人で仲良くくっつきながら、カメラに向かって笑っている。この写真を撮ったときのことを、千鶴はまったく覚えてない。だというのに、心の底に生まれた思いはもう吐き気などではなく、純粋に懐古の念だった。
「たぶん、楽しかったんだと思います。私も……薫さんも」
 でなければ、こんな笑顔をするはずがない。
 双子と言われて、実感なんか湧かないのに、もう否定する気も起きないのだ。ずっと一人っこだと思っていたけれど、もしお兄ちゃんがいるのなら、それも素敵だ。そんな風に思えるようになった。
「さっき、少しだけ思い出したことがあるんです」
「へえ、どんなことだ?」
 興味深々というよりも、優しげに問う原田の姿は千鶴の思いを吐き出させようとしていて、千鶴はそれに甘えることにした。
「母と夕日を見ていたんです。赤くて綺麗だねって、そんな会話を私たちはしていて、いつか私にもそんな綺麗なものを見せたい相手が出来るのかなって」
 結局、千鶴にそんな人が現れても、もう母にも父にも会わせてあげられないのだけど。
「変ですよね、あれだけ嫌だと思っていたのに、いざこうして知ってみたら妙に落ち着いてるんです。そして少しずつ少しずつ、記憶が出てくるんです」
「もしかしたら、お前も思いだすことを望んでるのかもしんねえな」
 そうなんだろうか、と千鶴は自問するが、答えは出なかった。思い出したいとも思い出したくないとも言えない。
「思い出したいというよりも、思い出さなければならないって、思ってるのかもしれません」
 千鶴がそうはにかんで言うと、原田はそんな千鶴の頭をポンポン叩いた。
「俺はさ、お巡りさんって奴だから、市民のことを守るためにいるわけだ。もし本当は思い出したくなくて、あいつらとも関わりたくないってんなら、法を盾に全力でぶつかってやれる。けどお前が望んでて、それがお前の進む道のためってんなら、俺らはそれを全力で後押しするだけだ。お前のために大人がしてやれること、多くはないけど少なくもないんだぜ?」
 原田がこんなことを急に言いだした理由が不明で、千鶴は本日二度目の瞬きの繰り返しを行う。千鶴に言いたいことが伝わってないと気付いた原田は苦笑しながら叩いた頭に手を置いた。
「困った時は頼れっていってんだ。俺も、新八も、土方さんや今は眠っちまってる近藤さん。皆お前を助けてやりたいと思ってる。もちろん、お前が黙って見てろってんならそういう選択肢もあるが、ここにはおせっかいが多いからな」
 原田の言わんとするところがようやく掴めて来て、瞬きを繰り返した瞳は驚きで見開かれる。
「気付いたら誰かしら周囲にいることになるのは確実だって話だ」
 千鶴を元気づけるために言ってくれているのだ。気を遣っているだけでなく、そうではなく、千鶴を大切にしてくれているのだ。女の子として、一瞬そんなことを考えたが、それは即座に否定した。きっと原田はそうじゃないのだ、もちろん女の子としての意識はしてくれているんだろうが、それよりもずっと。
 原田と反対側の廊下から足音が聞こえて、千鶴のすぐそばで止まった。
「まあ、俺らは仲間だからな、何かあったらすぐ言えよ? 速効駆け付けて助けてやるからよ」
 自室からやってきたのだろう、風呂道具一式を小脇に抱えた新八がにかっと笑う。
「んだよ左之、一人でかっこつけてんじゃねーぞ」
「誰がだよ、そういう新八こそ、おいしいセリフ持ってってんじゃねーよ」
「はっ、おいしいセリフを吐くのは俺様のがピッタリだろ。目指せ王子様って奴だ!」
「んな筋肉だらけの王子なんかいるか! 似合わねえから心底やめとけ」
「なんだと、おい表出ろ左之!」
「上等だ、負けたら今日の酒買い出し係だからな!」
「あは……!」
 あんまりにも二人の言い合いが面白くて、千鶴は笑い声をそのまま漏らしてしまった。
「あはは……お二人とも、喧嘩は止めてください……あはは!」
 二人は一斉に千鶴に振り返る。気が合うくせにすぐ喧嘩する二人に、千鶴は笑いのつぼを刺激されて止められない。
「なんだよ、にぎやかじゃん。ってか、新八っつぁんたち、そんなところで何してんの」
 庭で今まさに取っ組みあおうとしている二人に半眼を向けた平助に状況を説明しようとするのだが、いかんせん千鶴は笑いを止められない。すると、掴み合っていた原田たちも互いに冷静になったのかその手を離す。最初は千鶴の様子に顔には苦笑みたいなものが浮かんでいたが、それが徐々に穏やかなものへと変わっていった。
 千鶴は思い切り笑った。ここのところ塞ぎ込むことが多くて、こんな風に声を出して笑うことは少なかった。気分がすっきりしていた。どうしたって、楽しいことばかりじゃなかったから、心が上がったり下がったりして、疲れていたのかもしれない。
「おう、平助。ついでだお前も混ざるか?」
「えー、またどうせロクでもないことだろ。酒買いに行けとかそんなん」
 平助が言い終わる前に、とてもいい大人の笑顔で新八は言った。
「大人しくパシられろよ」
「嫌だよっつーか、俺じゃまだ買えねえよ! 年齢的に無理! 自分らでいけばいいだろ?」
「ちっ、そうだった……仕方ねえ。だったらつまみなんか買ってこいよ」
 こちらも負けじと良い笑顔の大人である原田が平助にパシられろ宣言を告げる。
「酒は俺らで買ってくるから」
「結局行くなら俺行く必要ないじゃん! つか、ただ俺をパシらせたいだけじゃねえ!?」
「あははははは!」
「まあまあ、その通りだから気にすんな」
「自白!? やだよ! つか、新八っつぁんこれから風呂入るんじゃないの? さっさと行けよな、後詰まってんだからさ!」
 とても良い笑顔の大人二人に囲まれて、平助は嫌そうに伸ばされる手を叩き落している。その手が自分に絡みついたが最後、プロレス技やら格闘技やらとにかく理不尽な技を受けるハメになるのは目に見えているので必死だ。千鶴はもう何に笑っているのか自分でもわからないくらい爆笑していた。
 あまりに笑い過ぎて、目に涙が浮かぶ。それを懸命に拭いながら、千鶴は笑い続けた。
 記憶の紐が解けたことで、おそらく千鶴は今まで通りにはいかなくなる。予感がするのだ。それがどういう形になるかはまだ分からないけれど、不変で居られるわけがない。何かしらの変化が起こり、そしてそれはきっと千鶴を取り巻く環境も変える。
 けれど、今はこうしてここで笑っていたい。何も考えず、こうして誰かが一緒にいて、面白いと思えることがあって、無邪気に笑っていたかった。

 了





   20100614  七夜月

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