知音



「ただいま戻りました!」
 千鶴が元気に声をかけながら家へと戻ると、斎藤が何故か顔を固くしながら待っていた。
「おかえり、総司、雪村。師範代が居間でお待ちだ」
 斎藤の表情はいつも乏しいので無表情が多い。けれども、今日は明らかに声にも狼狽が読み取れた。
「土方さんが? なんか怒ってるの?」
 斎藤の様子から何かを勘付いた沖田が斎藤に尋ねると、斎藤は深くため息をついた。
「お前には叱責を買うような心当たりでもあるのか」
「そんなの有りすぎるけど……でも、土方さんが怒ってるのか」
 沖田は嫌だな、ばれちゃったのかなと呟いた。千鶴はその一言を聞き逃さない、だが問い返す前に沖田が先に居間へと行ってしまったので、千鶴も急いで斎藤と共に後を追った。
「ただいま戻りました」
 居間に先に入った沖田に続いて、千鶴と斎藤は彼の後ろに並んで正座した。土方は珍しくも胴着を着てここに座っていた。
「帰ったか」
「はい」
 沖田にしては珍しい殊勝な返事、何か千鶴にはわからない雰囲気を二人は持っている。戸惑って隣にいる斎藤を見上げるも、斎藤もちらりと千鶴の視線を受け流して二人の様子を窺っていた。
「なら着替えて道場に来い、十分以内だ」
「ちなみに、理由を聞いてもいいですか?」
「言って良いってんなら、今この場で言ってやるが?」
 土方は真っ直ぐと沖田を射抜くように鋭い視線を向けている。沖田はそれに対して何も言わずにただ立ち上がった。
「十分は厳しいですよ、十五分にしてください」
「さっさとしろ、先に行っている」
 土方に促されて、沖田は黙って居間から出て行った。土方の含みを持ったような言い方は珍しく、千鶴は戸惑いながら土方に声をかけた。
「土方さん、あの、道場ってどうして……」
「お前は絶対来るな」
 土方は千鶴の問いに答えずに、そう千鶴に言い置いた。
「え、でも」
「でもじゃねえ、来るなっつったら来るんじゃねえよ」
 睨まれてしまった。土方の睨む攻撃は未だ千鶴には効果てきめんだ。首をすくめながら、千鶴は小さく返事をした。土方はそれから斎藤に向けて頼むと一言告げる。承知しましたとの返事を聞いて、それから土方は居間を出て行った。
「雪村、夕飯の支度があるだろう。俺も手伝う」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
 あんな気になることを言われて、黙ってられるはずがないのだが。けれど、来るなというお達しならば千鶴は守らなくてはならない。土方が斎藤をここに残したのは、おそらくは千鶴の監視だろう。彼が居る限りは千鶴は抜け出すことは不可能だ。
「じゃあ、えっと、今日はカレーにしますね」
 今日は買い物に行く時間はなかった。だから冷蔵庫にある食物の情報を急いで脳内に集めて、それで出来そうなメニューを組み立てる。あとはサラダと他に余った食材があれば何か一品作って、なんとか夕飯になる。
「では、さっそく始めるか」
「あ、はい!」
 何か気を遣われている気がして、千鶴は面映ゆい思いをしたが、夕飯を作るのは千鶴の仕事だ。それを放り投げてまで見に行くなんて許されない。だから言いだすことも出来ずに、ただ斎藤の言うとおりに従った。
 そういえば、と彼が言ったのはルーを入れたカレーを煮込んでいるときだった。米ももう炊きあがる。
「雪村に渡してくれと預かったものがある。少し待っていてくれ」
「私にですか? わかりました」 
 のれんをくぐってちらりと一度千鶴を振り返った斎藤の視線は、なんだか千鶴の心を見透かしているようで、千鶴は首をすくめたくなった。
 チャンスだった。抜けられるのであれば、今しか好機はない。だが、これは土方の言いつけを破ることになる。あんなふうに止めたのだから、おそらく本当に来て欲しくないのだろう。なのに、自分はその約束を破ることになるのだ。
 けれど気になってしょうがないのも事実で、千鶴はぷくぷくと気泡を発しているカレー鍋を見ながら、心の中で葛藤する。ここから斎藤の部屋まで行って戻ってくるのに、おそらく一分とかからない。だから、悩む時間なんてないのだ。行くのであれば、今しかない。
 千鶴は心に決めた。
 心で斎藤に謝罪して、ガスの火を止めエプロンを外す。それから急いで台所を出て、玄関は使わずに縁側からサンダルを履いて外に出る。靴を使えばいないことがばれてしまう。十中八九ばれるだろうが、時間稼ぎだ。足音が立たないゴムサンダルが置いてあったことに心底感謝した。
 出来るだけ小走りで、しかし足音を立てないように道場に近づいて、千鶴は入口に耳をそばだてた。
「どうしたその動きは! まったくついてこれてねえじゃねえか!」
 土方の檄が飛んだ瞬間、一際高い木刀の打ちあう音が聞こえた。外からただ聞いているなんて我慢が出来ない。千鶴は駄目だと思いつつも、こっそりと道場に上がった。二人からは死角になるように、扉の蔭から中の様子を探る。
 どうやら、沖田の完全な劣勢なようだった。
「そんなこと言って、後悔しても知りませんよ」
「口だけはご立派なもんだが、もう肩で息してる奴に説得力なんてねぇ…よ!」
 二人の刀が合わさった。カンと大きな音がした。その迫力と力で、沖田は押されるように畳の上に倒れ込んだ。肩膝をついて土方を見上げている沖田は、土方から視線を逸らさず睨みつけるようにしている。
「お前の負けだ」
 土方は静かにそう言った。
「冗談でしょう。まだ、やれます」
「お前の負けだよ、現にお前は気配を感じ取れてない。注意力が散漫になってる証拠だ」
「気配?」
 土方にそう言われて、沖田は初めて千鶴の存在に気付いたようだった。いくらなんでも死角から中を窺っていたのに気付かれてるとは思わなかったのは千鶴も一緒で、呼吸を止めて壁に背を向ける。
「出てこい、雪村」
 完全にバレている。今日は雷が落ちることは確定した、千鶴は重いため息を飲みこんで土方たちの前に姿を現す。そもそも立ち聞きなんてした自分が悪い。
「すみませんでした」
 道場に入った瞬間頭を下げたら、土方はため息をついた。
「斎藤、お前も出てこい」
「まさか……」
 沖田の目が驚きで見開かれる。
 千鶴もまさかと思って後ろを振り向くと、そこには影の中に染まるように気配をまったく感じさせなかった斎藤が居た。こんな近くにいた千鶴が気付かなかったのに、気付いた土方はさすがとしか言いようがない。
「斎藤、俺は雪村を連れてこいと言った覚えはないが?」
「申し訳ありません」
「ち、違います! 私が勝手に斎藤さんの目を盗んで出てきただけで、きっと斎藤さんは私を連れ戻しに来たんだと思います」
 千鶴のせいで斎藤に非があるようなことはない。慌てて千鶴は弁明をしたが、厳しい表情の土方は相変わらずだった。
「一番気配に聡かったのはお前だったな、総司。なのにこの様はなんだ?」
 沖田は土方を睨みつけたまま言葉を発しない。
「総司、お前はもう、その身体じゃ戦えねえよ」
 言ってる本人が表情を歪めながら、土方は沖田に宣告した。
「戦えますよ」
「戦えねえんだよ」
 にらみ合う二人、一瞬だけ静寂が起こる。そんな中ハラハラしながら見守っている千鶴は助けを求めるかのように斎藤を見上げた。だが、彼の視線は土方と沖田に集中している。
「今日、松本先生に聞いた。なんで黙ってた?」
「そんなの、言う必要がなかったからですよ」
 にらみ合う二人の間には張り詰めた空気以外存在しない。
「言えなかったの間違いじゃねえのか」
「誰にですか?」
 沖田の問いかけに、土方は黙った。
「僕は戦えますよ。薬も貰ったし、まだ大丈夫です」
 沖田は合わせた裾から取り出した赤い錠剤を一つ口の中に放り込んだ。すると、息切れが徐々に収まって、沖田は一度深く深呼吸をすると、もう一度木刀を構えた。
「ほら、大丈夫でしょう」
 沖田がそう言って動いたのは、土方でも千鶴でもなかった。静かに歩き出した斎藤が、沖田と土方の間に入り、沖田の木刀を素手で掴んだ。握った手はほんの少しだけ震えていて、斎藤がいかに力を込めているのか推察できた。
「もうやめろ、総司。薬に頼らねば動かない身体を酷使したところで、いずれ身の破滅を招くだけだ」
「一君、離してくれないかな」
「総司、俺はお前が強いことを知っている。お前の剣がどれほど早く、どれほど他の者を凌駕する力を持っているか、知っている。それがお前の剣だろう。だが、今のお前は本当にお前の剣を揮えるのか」
 斎藤は責めるように言ったわけではない、ただ静かにそう言っただけだ。けれど、斎藤に言われた沖田はまるで悔しそうに顔を歪めると、深い溜息をついて木刀をおろした。沖田からは闘気が完全に消えていた。
「荷物の準備は出来ているのか」
 土方ももう、怒気を放つことはしなかった。斎藤と同じように静かに問いかける。
「出来てますよ。昨日のうちに全部やっておきましたから」
「そうか、部屋はそのままにしておく」
「出来れば近藤さんが帰ってくるまで待ってたかったんですけど。こればかりはしょうがないですね」
 斎藤は黙って二人の話を聞いているが、訳がわからないのは千鶴だ。
「あの、何のお話をされているんですか?」
「……総司」
 土方が沖田を促した。沖田の口から伝えろという意味と捉えたので、千鶴は沖田に向き合ってその瞳を見る。
「沖田さん?」
「明日からしばらく、入院することになったんだ。病状が悪化して、このままだとすぐにも立っていられなくなるから」
 え、と千鶴は言葉に詰まった。
「嘘ですよね、だってさっきお話していただいたとき、そんなこと一言も……」
「ごめん」
 沖田は肯定でも否定でもなく、謝罪した。そしてまだ事態を把握しきれていない千鶴の脇を通り抜ける。道場を後にしようとして、振り返った沖田は千鶴ではなく土方に声をかけた。
「僕がいなくなったあとも、宜しくお願いします」
「……ああ」
「一君も、宜しくね」
「解っている」
 何が宜しくなんだろう、混乱する頭で沖田を追いかけたいのに、足がまるで影を縫い付けられたかのように動かない。
「雪村?」
 斎藤に肩を叩かれて、千鶴は我に返った。頭がぐちゃぐちゃしてうまく整理出来ない。
「あの、その、私……少し頭冷やしてきますね。すぐ戻りますから」
 取り乱さないように精一杯の笑顔を浮かべて、千鶴は道場を出る。履いてきたゴムサンダルに足をつっかけると、無性に走りだしたくなって千鶴は屋敷から外へと飛び出した。門をくぐって走る。
 なんでだろう、不思議に思うほどに千鶴の周囲は変わっていく。
 それも、千鶴が記憶を取り戻していくたびに、嫌なことばかりが起きる。
 どうしてこうなってしまうんだろう。千鶴はただ、父親を探して上京してきただけだ。なのに、お世話になってしまった人たちがどんどんいなくなっていく。
 そういえば、前にもこんなことがあった。
 大事だったものがどんどん消えていってしまった、赤い景色に飲み込まれていった。一緒に遊んでくれた人、いつも挨拶してくれた人、そして千鶴の名前を優しく呼んでくれた人。みんな千鶴が大切に思う人たちだった。
 どうして? と疑問符ばかりが浮かぶ。大切なのに、守っておきたい宝物なのに、指から零れて最後には何もなくなってしまう。
 息切れしてもう全力で走れなくなった千鶴は、電柱に身を寄せてむせ込んだ。
「ごほっ……ごほごほ……!はあ、はあ……」
 目の前に気配を感じて身をこわばらせると、暗がりの中から薫が姿を現した。千鶴は目を丸くして、その来訪を受け入れる。
「こんばんは」
「薫さん……?」
 薫の出で立ちは、交流祭のときに見たのと同じ男性モノの衣装を身にまとっていた。髪も短く、その人は何処から見ても男の人だった。
「本当に、男の人なんですね……」
「千姫から話を聞いたの?」
 こくりと首を縦に振って、千鶴は薫を観察した。
「なら、話は早いや。俺はね、千鶴を迎えに来たんだ。また前みたいに兄妹仲良く一緒に過ごそう? だって、俺たちはたった二人だけの家族なんだから」
 薫は笑っていた、とても優しく笑って手を差し伸べている。だが、千鶴はその手を取ることは出来ない。
「どうしたの?」
「私、行けません」
「どうして?」
 心底不思議だと言わんばかりの薫に、千鶴は勇気を奮い立たせる。
「私は、道場の皆さんが好きです。だから、皆さんと一緒に居たいと」
「だけど、その道場の人たちが不幸になっていくのは、全部千鶴のせいだよ?」
 薫の言葉は、千鶴の胸に突き刺さった。
「え……?」
 自分でも薄々思っていたことだ。けれど、そうじゃないんだとわざと現実をみないようにしていた。全部偶然で、決してこれが必然の出来事ではなかったことだと。
「千鶴は気付いてないのかな、千鶴と関わった人たちがみんな不幸になっていくの。だって、千鶴がここに来なければ、道場の人たちはきっと皆バラバラにならなかったよ」
 違うと否定したいのに、言葉が出てこない。寒くもないのに奥歯がカタカタと揺れた。
「全部千鶴のせいだ。千鶴がいるとみんな不幸になっていく。父様も母様も、全部千鶴と関わったせいで死んだ」
 薫の声はとても優しかった。優しく優しく、千鶴の心の隙間に入ってくる。そして内側から傷を開いていく。
 父と母が死んだのは、自分のせい……? 根拠なんてないはずなのに、そうかもしれないと思わせる強さが薫の言葉にはあった。
「全部自分が悪いのに、今までと同じように笑って過ごせる? 本当は憎まれてるかもしれない相手に。いつか許されずに、捨てられちゃうかもね」
 道場の皆はそんな人たちじゃない。叫びたい言葉は声にならずに、口から息として出て行くだけ。もし耐えられなくなるとしたら、それは千鶴の方だ。頭の中にかけられた記憶の鎖にひびが入る。
 ダッテ、ゼンブワタシノセイナンダモノ。  
「だけど、僕は許すよ。千鶴さえいてくれればいい。僕はもう家族を失くすのは嫌だし、たった二人の兄妹なんだから、最後まで千鶴を見捨てたりしないよ」
 とても優しい薫は笑っていた。微笑だ、千鶴も知っている薫のおしとやかな笑顔。
「一緒に行こう、千鶴」
 千鶴は差し出された手を見つめた。薫は千鶴を見捨てないと言った。それが嬉しかったんじゃない、もうこれ以上、大事な人たちを苦しめたくない。
「もし」
 もしも。
 後悔する未来を迎えることがないのならば。
「私がいなくなることで、以前のように皆さんが幸せになるなら……」
 握っていた右手の拳を開いて手のひらを見つめたら、そこには透明な砂があるように思えた。それはさらさらと零れ落ちて、千鶴が手を握りしても隙間から逃げるように零れてしまう。だけど、握ったところにほんの少しでも砂が残るのであれば、千鶴は差し出された手を取ることは厭わない。
 薫に導かれるように透明な砂が消えた右手を薫へ伸ばした。
「勝手なこと言ってんじゃねえよ」
 伸ばしかけた手は、千鶴の後ろにいた人間に掴まれていた。
「てめえが南雲薫か?」
「……そういうアンタは土方、か。何の用?」
 さすがに防具は外していたが、胴着姿のままの土方はおそらく千鶴を探してくれていたんだと思う。
「こっちの台詞だ。こいつは連れて帰る」
 千鶴の手首を握っている土方の力は強い。ああ、怒っているんだと千鶴は恐縮した。千鶴が居たことで散々かけた迷惑を、彼は怒っているんだ。
「俺は千鶴と話してたんだけど、邪魔しないでくれるかな」
「俺には大層身勝手な御託を並べてたようにしか聞こえなかったがな」
「アンタに何が解る?」
 土方の言葉は地雷だったらしい。薫の目に、怒りの炎が宿る。土方は千鶴を離すと、一歩前に出て千鶴の身体を自分の背中に隠す。
「土方さん?」
「黙って聞いてりゃ、なんだ? 近藤さんが怪我したのも、総司が入院することになったのも、全部こいつのせいだと? はっ、笑わせるな」
 土方の嘲笑は薫の勘障ったらしい、その顔がみるみる間に怒りに染められていく。
「それは全部俺たちの都合で、こいつには非なんかまったくねえんだよ。それなのにこいつを小姑みたく責め立てて、こいつに責任負わすなんざお門違いだ」
 後姿を見るのは初めてではないのに、土方の背中がとても広く見えた。そして、目をつむりたくなるようなまぶしさがあった。千鶴にはこの光に守ってもらう…庇ってもらえる謂れなどないのに。
「気に入らねえな、てめえのやり方は。実の妹相手なら、どんな手を使ってもいいってのか」
 薫はゆっくり土方に近づくと、一気に懐に詰め寄った。反射的に後ろへ飛び退った土方だが、千鶴が居た分の距離が少し浅かった。薫の手から繰り出されたバタフライナイフが土方の腹部を掠め、土方の服を血に染める。土方は無言で薫を睨みつけていた。
「土方さん!」
「騒ぐな、急所は外れてるし、大した怪我じゃねえよ」
「安心しなよ、邪魔しなければ殺したりしない。今日は挨拶に来ただけだからね」
 千鶴は土方に寄り添って急いでポケットからハンカチを取り出して腹部に当てる。薫は最初と同じような微笑を浮かべると、闇に溶け込むように街灯の下から影へと消えていく。
「でも、千鶴…忘れないで。千鶴が幸せに思えば思うほど、周囲の人間は不幸になって行くんだよ。こんな風にね」
 振り返った薫の目は冷たかった。その絶対零度の視線に身震いが起きる。どういう意味だろう。千鶴が行かなければ、薫がこうして誰かを傷つけるということだろうか。
「薫さん!」
 千鶴の呼びかけにこたえることはせずに、薫の姿は完全に二人の目の前から消えてしまった。千鶴は土方に振り返ると、その身体にハンカチを当てる。
「……ごめんなさい、ごめんなさい」
「謝るな、これは避けきれなかった俺の不注意だ」
「でも、私が後ろに居なかったら」
「関係ねえ、あいつが何かしようとしてたのはわかってたのに、様子を探って対処が遅れた俺の過失だ。お前が気にすることじゃねえよ」
 と、言いながらも土方の顔つきは歪む。一歩歩くごとに傷に響くのか無表情の顔が痛みに引きつる。土方に肩を貸しながら歩く千鶴は、一刻も早く病院へ行くつもりだったのだが、
「どこ行くつもりだ」
「どこって、病院に早く行かなきゃ……! 止血だってちゃんと出来てないんですよ?」
「このまま道場に帰る、で、俺が部屋に戻ったら山南さんを呼んでくれ。他の奴らに気付かれねえように内密にな」
「何言ってるんですか? そんな簡単に血が止まるわけ……!」
「いいから、お前は俺の言うとおりにしろ。お前さっき俺の言いつけ破っただろ。その罰だ」
 そんな、こんなのは千鶴の罰にならない。土方が辛い思いをし続けるだけだ。けれど、止血をしなければならないのは本当で、千鶴は結局土方の言うとおりにした。病院よりも断然家に帰る方が近かったからだ。
 これ以上歯を食いしばる土方を見られずに、千鶴は言うとおりにするしかなかった。


 了





   20100708  七夜月

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