背中



 夕飯を住ませ千鶴が向かったのは、自室ではなく居間。後片付けが一通り終わって部屋に戻るため通りがかった際に、居間で原田が一人で缶ビールを開けているのを見たからだ。今日はペースが早めなのか、既に缶が4缶は転がっていた。
「原田さん、お一人で飲んでらっしゃるんですか?」
 千鶴が声をかけると、原田は「ああ」と返事をした。赤らみ始めた顔を見れば、酔い始めているのはすぐにわかる。
「何かつまみになりそうなものを作りましょうか?」
「いや、買ってあるから大丈夫だ。代わりにちっとばかし付き合ってくんねえか? お茶でいいからよ」
 原田が飲みの席に千鶴を誘うのは珍しい、というのも、賑やかなのがお好みの彼だがやはり職業柄かそういった席に未成年者を呼ぶことはあまりない。
「解りました、お付き合いします」
 千鶴が快くそう言うと、原田は嬉しそうに「ああ」と頷いた。
「今日は新八の奴いねえからな。一人で飲もうと思ってたんだが、千鶴見たら声かけちまった。ホントわりぃ」
「いえ、大丈夫ですよ」
 ペットボトルで買い込んである冷たいお茶、冷蔵庫から取り出したそれをグラスに注いで千鶴が居間に戻ると、原田は遠くを見つめるように庭の先を見ていた。
「原田さん?」
 何を見ているのかと千鶴もその視線の先を追った。庭に不思議な点や不審な点などは、特には見当たらなかった。
「土方さん、怪我してんだろ」
 だから原田の言葉はとても唐突に聞こえて、一瞬だけ間が空く。
「えっと……」
 これは答えるべきなのかどうかわからずに千鶴が言葉に窮すると、原田は手を振りながら苦笑いをした。
「別に答えなくていいぜ。あの人が言おうとしないなら、相応の理由があるんだろうしな。ただちっとばかしもどかしいだけだ」
 そして原田はまたくいっと缶ビールを煽る。
「あの人はなんでも背負っちまうからな。もちろん、分担できる仕事は俺らにも回してくれる、けど、やっぱり肝心なとこは全部一人で背負っちまうんだよ。俺らが頼りないとか思ってるわけじゃねえんだ。ただ、他の誰かに頼ることを覚える前に、あの人は強くなりすぎちまったんだよな」
 千鶴は声に出さずに心で同意をする。おそらくは土方にはやるべきこととやらなければならないことがあって、それを行うために自らを犠牲にし続けた。そして彼は頼ることを覚える前に頼られることに慣れてしまったのだ。
「やっぱり社会人になったら誰かのために動くってのは難しくなる。だからか、あの人は俺らを前ほど使おうとはしなくなった。仕方ねえって解ってるよ、俺らだって出来ることに限界がある。それは仕事する上での時間拘束からしても無理なことが出てくるのは、当然だからな」
 歯噛みするように原田はゆっくりと言葉を漏らす。
「それでもやっぱり寂しいよなあ……」
 嘘偽りざる本音なのだろう。子供ではいられない大人にはたくさんの義務が発生するから、それを守らなければならないのだ。きっと昔のままではいられない。
「原田さんは、どうして警官になったんですか?」
 千鶴が問いかけると、原田は苦笑した。
「新八に、『弱きを助け、強きを挫く、俺はヒーローになる!』って言われて、最初この馬鹿何言ってやがんだと思ったんだけどよ、結局俺も同じ道についてたな」
「原田さんもヒーローになりたかったんですか?」
 新八らしい、思わず笑った千鶴の問いかけに、原田は再び庭を見つめた。
「俺は、家族って奴がないんだ。平助ほど波乱万丈な人生送ってきたわけじゃねえけど、両親はとっくに他界してるし、ここで住みこみさせてもらうまではわりと荒れてた時期とかもあってよ。そん時に新八に会ったんだ」
 それは千鶴が初めて聞く、原田の過去だった。
 荒れた学校生活を送っていた中学時代、売られたケンカは見境なく受けて、鉄パイプを持ち歩きながら血にまみれる日々。帰っても誰もいない家、日に日に増えていくのは自分の体の傷と、社会への反感。
 大多数相手に一人で大立ち回りを演じて、何も考えず拳を振るう日々に虚しさを感じていた頃、ボコボコになりながら河原で寝そべっていた原田を覗き込む男が居た。
「なんだよてめえ?」
「てめえこそなんだ。もっと鉄パイプの気持ちをいたわりやがれ。こいつはこんなことに使われるために作られたわけじゃねえだろう…がっ」
 腕まくりをする真似をして鉄パイプを高ヲた男は、誰もいない地面に向かって振りおろした。
「はっ」
 血のついた鉄パイプで素振りをし始めた見も知らぬ男に、いきなり鉄パイプの使用方法で説教を食らった。素振りだって正規の使用方法とは言い難い、こいつにだけは言われたくねえと原田は不愉快な気分を鼻で笑って吐きだした。だが、男は傷だらけの原田に濡れたタオルを投げてよこしたのだ。タオルは夜の空気に触れて冷えており、そのまま原田の顔面に落ちた。
「道具にはな、使い道と使い所があんだよ。それを無視して武器にしたところで一生てめえは強くなんかなれねえよ」
 素振りをやめた男は真っ直ぐ原田を見下した。
「何が言いたい?」
「喧嘩も同じだ。やりたいように拳揮ってたところで、どうにかなるもんじゃねえ。己を磨かなきゃ強くなるなんて到底無理な話ってこった」
 素振りに飽きたのか、男は原田の近くの地面にパイプを投げ捨てる。
「てめえ、黙って聞いてりゃ……!」
 ボロボロの身体に喝を入れて立ちあがり、飄々とした様子の男を睨みつける。手には当然、血だらけの鉄パイプ。
「やるか? つっても、もう弱りかけのてめえぶん殴ったところで俺が勝つのは目に見えてっけど」
 ふっと鼻を抜けるように嘲笑した相手に、微かに残っていた原田の闘志が沸き立った。相手の構えなど突きぬけてやる。そんな気持ちで掌を握る。
「ふざけんな!」
 足に力を込めて地面を蹴る。
「おらぁあああ!」
 握った拳に力を込めて飄々と立ち続ける男の顔面めがけて放った。すると男はいとも簡単にそれを避けると、代わりに原田の顔面に一発決める。宙に飛んだ身体は簡単に地面に叩き伏せられて、原田は口の中に入り込んだ土を吐き出した。口の中に鉄の味が広がる。何度も味わった経験だが、やはり血の味が原田は嫌いだった。
「くそっ……!」
 徐々に霞む目、傷を負った代償は貧血という形で現れた。今日は出血の量も多い。それから視界は暗転し原田は意識を飛ばした。誰かが自分を肩に担いでくれたのを、夢の中で感じながら。
「次に目覚めたとき、俺はこの道場に寝かされてた。新八が背負ってここまで運んできたらしい」
 原田がそう言うと、なんだかその情景がすぐにも頭に浮かんで千鶴は微笑んだ。
「永倉さんらしいですね」
「だな。それから俺は近藤さんに会って、この道場でお世話になることになった。どうも新八から俺が鉄パイプ持ち歩いてたって聞いたみてえで、近藤さんが長物が好きなのか?って勘違いしちまって」
 それから原田は長物を扱うことになった。この時代に女の武道の訓練をしたところで、と最初はやる気の欠片もなかったが、長刀を扱うのはただ鉄パイプを揮うよりも断然難しくて、そして楽しかった。男の扱う長刀は反りがあまりなく、ゆえに相手に触れさせるには一層技術を必要とする。だからこそ面白いと思ったし、原田にとっては長刀の方が剣を持つよりも相性が合った。
「他の道場の奴らも得物が違うってのに相手してくれて、おかげで練習相手には困らなかったな」
 新八も元々はここの道場ではなかったらしいのだが、近藤らと意気投合してからこの道場に住み込みで通うようになったらしい。
 それから原田は喧嘩ばかりしていたあの頃がまるで嘘のように、鍛錬に精を出すようになった。もちろん、喧嘩を吹っ掛けられることもあって、それを無視する性格ではない原田は買うこともあった。だが、そのたびに新八が来て、気付けば原田の背中を守って一緒に戦ってくれた。
「いつの間にか新八とは一緒に居るのが当然になってた。それから、この道場の皆と笑い合うのも」
 社会人になる前までは、一緒に飲む時間も合った。毎日が宴会騒ぎで酒をあまり飲まない土方が呆れて、暴れるなら酒宴禁止と言いだすまでになった。結局酒宴禁止は発令される前に原田たちが社会に出たため自然と解散されることになったのだが。
「ここが居心地のいい場所になっていったんだ。自分でも知らないうちにな」
 その気持ちは千鶴もよく解る。だから声に出して同意した。
「私もそう思います。皆さんとても優しくて、楽しくて、離れたくなんかないって、そう思えるような……」
 千鶴の言葉に、原田は微笑み頷いた。
「俺は新八じゃねえから、全国区のヒーローになりたいなんて大層な夢はねえよ。けど、ここを……家族が居る場所を守るヒーローには、なりたかったのかもしんねえな。俺にとって家族は憧れだったんだ」
 鉄パイプを握って振りまわしていた頃には、到底持とうとも思えなかった夢。だけれども、些細な幸せはこうして手に入れることが可能だ。だから尚更、原田は誰もが持っていて憧れを抱くような夢を見る。それは、ちょっとのことで壊れてしまったり、失くしたら手に入りにくい夢を追うのかもしれない。
「原田さんは、きっとヒーローになれます。……ううん、なってます」
 千鶴は原田の目を見て微笑んだ。原田の話を聞いていて、以前に平助が言っていたことを思い出した。
「平助くんにとって、原田さんはヒーローです」
 平助は皆のいるここに居たいと言っていた。平助に家族を与えたのは紛れもなくここの家の人。それには当然、原田も含まれる。平助の兄貴分として共に過ごしてきた時間は、原田が築き上げてきたかけがえのないものだ。
「だから、いつか原田さんが結婚して奥さんと子供が出来ても、きっと原田さんはご自身の家族のヒーローになれますよ」
 千鶴がそう言うと、原田は酔って赤くした顔を俯かせて目をつむった。
「そうだといいけどな」
「絶対そうです。自信持ってください! 私が保証しますよ」
 千鶴がガッツポーズをすると、原田は顔をあげて相好を崩した。
「ありがとな、千鶴。こんな話を笑わないで聞いてくれて」
「今のお話に笑う要素なんて一つもありません。それに、私もいつか結婚したいと思ってますし……今のままだと出来るかわかんないですけど」
 千鶴が苦笑すると、今度は原田が真顔になった。
「お前なら貰い手いくらでもいるだろ。大体まだ若けぇんだし、んな心配するな」
「でも、今のままだと私中途半端ですから、やっぱりちゃんとしたいです」
「そうだな……ま、売れ残ったら貰ってやるよ。お前くらいだったら養える程度の稼ぎはあるからな」
 冗談めかして原田がそう言うので、千鶴もにこっと愛想笑いを返す。
「ふふ、お情けで貰っていただく事態にならないよう、私も頑張りますね。ありがとうございます」
 そこでグラスを飲みほした千鶴のお茶が切れた。それが話の切れ目でもあった。
「ああ。長話に付き合わせて悪かったな。部屋戻るんだろ?」
「はい、そろそろ戻ります。今日はお話聞けて良かったです」
「俺の方こそありがとな。おやすみ」
 原田がビール缶を掲げて挨拶をしたので、千鶴もぺこりと頭を下げた。
 原田の過去を聞くことになるとは思わなかったが、ここの良さをまた一つ知れて、とても気分が良かった。
 それと同時に押し寄せるのは、恐怖。この場が千鶴に取って大事な場所だけでなく、それぞれ皆にとって大事な場所であるということを再確認したのだった。だから、千鶴の決断は重い。皆がそれぞれ良い人だから、この場所をより一層大事にしなければいけないのだ。
「決めなきゃ……」
 千鶴がちゃんと立って歩くことを、誰でもない千鶴が望むのであればいつまでもここで立ち止まっているわけにいかない。


 了





   20100805  七夜月

Other TOP