不変



「……さすがですね、力仕事をお任せ出来て助かります」
「いえ、私はこのくらいしか出来ませんから。なんでもいいつけてください」
 肉じゃがの臭いのほかに、また別の臭いが混じっている。嗅覚が反応して風間が目を覚ますと、自分の身体には毛布が掛けられていた。当然、風間の寝室にあったものだ。
「あ、起きたみたいですね。おはようございます、風間さん」
「おはようございます」
 エプロンをした千鶴の隣には、同じようにエプロンをした天霧がなぜか立っている。そして千鶴を手伝っている。
「戻ってきたのか」
 千鶴を見て風間がそう言うと、千鶴が当然とばかりに頷いた。
「ちゃんと書き置きしたじゃないですか。見てないですか?」
「いや、見た。だが、もう帰ってこないと思っていた。そのまま逃げたのかと」
「こんな中途半端な肉じゃがじゃ、風間さん食べられませんよ」
 千鶴が苦笑すると、風間はそれから視線を天霧へ向ける。
「何故お前がいる。帰れ」
「マンションの下で、偶然彼女にお会いしたものですから」
 不機嫌な風間の声にも特に気にしていないのか、天霧はわりと飄々としたものだ。
「せっかくのご飯なんだから、皆で食べた方が美味しいですよ。後で不知火さんも来るそうです。あと、風間さんの分まで手伝ってくれたんですから、感謝はあれど帰すなんてひどいと思います」
 風間が少し寝てる間になんだか思った方向とは別の方向に事態は動いているようだ。千鶴は何故か天霧の肩を持ち始めるし。
「あ、せっかくなのでカレーも作っておきました。これ、冷めたら冷凍して保存すれば三日分くらいにはなりますよ。ご飯ももう炊けてますし、食事にしますか? 昼食には遅すぎるので、ちょっと早い夕食になっちゃいましたけど」
 時計を見れば、もう夕方五時に差し掛かろうとしている時間だった。
「……お前には敵を増やすという考えはないのか」
「なんですか?」
「なんでもない」
 状況から見て、不利なのは千鶴なのだが、そのことを千鶴は気付いていないのかわかっていてそのままなのか、気にした様子はなかった。前者であればただの馬鹿だが、後者であれば大物と褒めてやってもいい。
 するとピンポーンと、インターホンが鳴った。どうやら不知火が到着したようだった。
「見てきます」
 部屋を出て行った天霧が居なくなると、風間と千鶴の視線が重なり合った。そして、千鶴は息を吸うと覚悟を決めたように話し始めた。
「風間さん、私ちょっとずつ思い出してるんですよ。昔のこと、本当にちょっとなんですけど。たとえば、仲の良かった男の子に、ちかげくんって呼んでた子が居たとか」
 風間は驚いた。目を見開いて千鶴を見つめる。
「今はそれしか覚えてないんです。ちかげくんという存在が"居た"ことしか。風間さん、貴方の本当の目的は、私を取り戻すことなんですか? もっと別の何かではないんですか?」
 千鶴の問いかけに、風間は口を閉じた。
「だって、きっと昔のちかげくんは優しかったと思うから、誰かを傷つけるために動く人じゃないって小さな私はきっと思ってたと思います」
 ちかげくん!と慣れ親しんだ呼び方はなんだかむずがゆくもあり、嬉しさよりも戸惑いを風間に植え付けた。
「俺は欲しいものを手に入れるだけだ。今も昔も変わっていない」
 千鶴は悲しげに眉根を下げた。おそらく、千鶴の望む回答をこれからも風間は与えることは出来ないだろう。風間の言葉の中には千鶴が望む未来がないのだから。
「なんだあ? ずいぶん辛気臭ぇ顔がそろってんな。せっかくの飯なんだから、もっといい顔しろっつーの」
 声をかけながら不知火が堂々と部屋に入ってきた。
「久しぶりだな、お嬢ちゃん。元気かー?」
「お久しぶりです」
 不知火の態度自体はまだ苦手なのか若干びくつきながら千鶴はぎこちない笑みと挨拶を返す。
「なんだよ、俺嫌われてんの? 天霧とは仲良しらしいって聞いたのに」
「なんだと?」
 残念と大仰に肩を落とした不知火の一言に、風間が反応しないはずがない。
「天霧、貴様何時の間に千鶴に手を出した」
「出されてません! 不知火さん、誤解招くこと言わないでください!」
 必死な形相の千鶴と、困ったらしく汗が浮き上がっている天霧は火に油を注ぐことを恐れてか言葉を挟み損ねている。
「とにかく、ご飯にしますからね!」
 まさに千鶴の一声。配膳の準備を始めた千鶴は、やってきた風間にしゃもじを手渡した。
「風間さんの仕事はご飯をよそうことです。お願いしますね」
 と、千鶴は大して置いてない食器棚からカレー皿になりそうなものを物色し始めた。風間はその千鶴の後ろ姿としゃもじを見比べる。千鶴が適当に見繕った皿に言われた通り、ご飯を盛っていると、隣で千鶴が突然噴いた。
「何がおかしい?」
「だって、風間さんがご飯よそってるから。あまりにもイメージとかけ離れてて、でも似合ってますよ。家庭的でいいと思います」
「褒められている気がせんな」
 口では言いつつも風間はそこまで気分を害してはいなかった。千鶴が笑っていたからだ。困ったような笑顔でもなく、ただ面白いと笑っていた。風間は千鶴に何も言わずに、黙々とご飯をよそう。カレーをよそうのは千鶴の仕事で、流れ作業のまま天霧に次々と渡していく。
 テーブルの上に用意されたカレーと肉じゃが。それと幾つかのおかず。
「すっげー取り合わせ、なんでこのチョイスにしたかな」
「良いではないですか。ご相伴に預からせていただきます」
「風間さんって、家庭料理とか食べたことなさそうだったので、家でご飯食べてもらうのもいいかなって思いまして。肉じゃがとかカレーライスってやっぱり家庭の味がありますし、あと、一人暮らしなら数日分は持ちますから」
  不可解と言わんばかりの不知火に千鶴がなんとなしに言うと、不知火は口笛を吹いて天霧は微笑んだ。
「優しいねぇ、風間が熱上げるのもわかる気がするぜ」
「本当にお優しい方ですね。心の美しさが料理にも表れていますよ」
 少し照れたように首をすくめた千鶴が面白くなくて、風間はすかさず口を挟んだ。
「俺の嫁だ、手を出すなよ」
「色々と違います。優しさとかじゃないです、下心ですよ。これで過去のこと色々お話して下さらないかな、っていう」
「言ったら意味ねーって」
「……そうですね、失敗しました」
 苦笑した千鶴に誰もがそんなものを持っていないのを知る。優しさを優しさと見せないそれこそが優しさ。千鶴の尊い心遣い。肉じゃがの他に食卓に上がっているのはサラダでそれを取り分けながら千鶴から受け取った風間は、じっとカレーと肉じゃがを見つめた。
「これはなんだ? 先ほど準備しているときには見なかった」
 肉じゃがの中に入っている糸状のもの。箸で持ち上げると、千鶴が説明するより早く天霧が頷いた。
「糸こんにゃくですね」
「…………」
 こんにゃく好きなんですか?と尋ねてきた千鶴を思い出す。風間はこんにゃくが好きだったわけではない、ただ思い出の中に残っているものだったから気になっただけだ。きっと千鶴はそれを知らないだろう。なのに、わざわざ買いに行ったのだ。風間が好きだと思って。
「おい、雪村千鶴」
「はい?」
「やはりお前は俺の嫁になるに相応しい女だ。故に、さっさとあんなところは捨てて俺の所へ嫁にこい」
「嫌です」
 間髪いれずに答えた千鶴だが、風間はまったく気にした様子はない。
「瞬殺かよ。っつーか、臆面なく言えちまう風間もすげえな。俺らは空気かっつーの」
「今に始まったことじゃないですから。気持ちの伝え方が不器用なんですよ。さあ、我々は気にせずいただきましょう」
「いただきます!」
 嫁にこい、嫌です、照れるな、照れてません。そんなやり取りを繰り返す風間と千鶴は気にしないことにして、天霧と不知火は勝手に食事を開始することにした。
「うわ、これ普通にうめえな。天霧と張れるんじゃねえの?」
「私などまだまだですから」
 渦中の二人は置いておくとして、肉じゃがとカレー交互に食べつつ天霧と不知火はその味をたっぷり堪能することにした。


 帰りは送ってくれるというのでお言葉に甘えることにした。学校に近いため、歩いて帰れない距離ではないのだが、あれでも心配しているのです、という天霧の言葉を信じたためだ。
 行きと同じように後部座席に腰掛けた千鶴は、車を発進させた風間をミラー越しに見た。
「料理、どうでしたか?」
「悪くない味だった」
「それなら良かったです」
 後片付けと風間のために冷凍してきたカレーは、おそらくしばらくは持つはずである。
「今日冷凍したものは食べるときに電子レンジで温めてくださいね」
「先ほど何度も聞いた。俺は子供か?」
「すみません、さっきの包丁さばきがどうしても忘れられなくて」
 千鶴の中では料理が出来ない人=料理器具音痴な図式が成り立ってしまっている。電子レンジの扱いくらい、出来るだろう。出来なくても天霧なら出来るはずだ。風間の母にあとはすべて任せる。
 お腹がいっぱいになったからか、少し眠くなった千鶴はあくびをかみ殺した。
「……そういえば、今日はお話聞けませんでしたね」
「そうだな。今答えられることは答えてやるぞ」
 と言っても、千鶴は今眠くて、とても質問を考えるどころではないのだが。
「小さい頃の私はどんな子供だったんですか? 今とは別人でしょうか?」
「変わらん、まったく成長の兆しがない」
「それは酷いですね、ちょっとは大人にならなきゃ……」
 ものすごいうとうとしてきた千鶴はゆっくりと目をつむった。眠ってはいけないとわかっているのに、抗うことが出来ない。
「大人になどなる必要はない。お前はお前のままで在れば、それでいい」
 馬鹿にされていると思っていたのに、その言葉だけは妙に優しく聴こえた。だが眠い。眠過ぎて真偽を問い質すことが出来ない。
 土方からも散々言われていたから、眠るまいと意識だけは保とうと必死になっていると、家にはすぐについた。ほんの十数分だった。
「送ってくれて、ありがとうございました」
 時刻はまだ八時前。道場の前で千鶴がお礼を述べると、風間は運転席の窓を開けた。
「お前は過去を知ってどうするつもりだ?」
「具体的にどうするかは、正直わかりません。ですけど、父様がやっていたこと、やろうとしていたことを知りたいです。そして、今父様がしたいこと、しようとしていることを知りたい」
 それだけは決まっていたことだ。千鶴の中の決意は変わらない。すると、風間は少し考える風にして、それから一枚の紙を差し出した。
「お前が信じていたもの、すべてが正しくすべてが間違いだ。覚悟があるのなら、ここに行け」
 風間から手渡されていたのは病院の名前が書かれていた。千鶴には見慣れない病院だ。
「ここは?」
「……行けばわかる。俺に言えるのはここまでだ。ではな」
 それから風間は窓を閉めると、千鶴に視線を再び向けてから車を発進させた。取り残された千鶴は貰った紙を見て裏返しにしてみる。裏は白紙で何も書いていなかった。
 とりあえず手掛かりを一つゲットしたのだから、これで千鶴は先に進める。早速土方に相談しようと、千鶴は家へと駆けだした。
 そんな千鶴を見送った人物が電柱の陰に隠れていたことなど知らずに。


 了




   20101112  七夜月

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