幕開 ああ、面倒くさい。 また検査だけの日々が始まった。鬱陶しいと思う反面、これが自分の選んだ道だから仕方ないという気持ちも、沖田にはある。ベッドで横になっていても、考えるのは千鶴や近藤、道場の皆の顔だった。外は憎らしいほどの爽快な天気。病院の窓から見える山の上には、あと一時間ほどしたら沈み始める太陽がいる。そんな暇を持て余していた沖田を見越したかのように、病室にノックが聞こえた。 「沖田君、調子はどうだい?」 「松本先生、暇です」 松本が戻ってきてから、沖田の担当医は彼に戻った。元々は松本から診療を受けていたのだから、沖田も不満はない。それに、誰が担当医になったところで、この病が突如劇的に回復に向かうことはないのだから、変わらないという気持ちが強かった。そう、早くも沖田は入院生活そのものに飽き始めているのである。 「ははは、そうか。しかしまだまだ辛抱してもらわなければならないな。君は新薬を飲んだんだろう? 経過観察が必要だ」 「治るかどうかわからない薬なんて、リスクばっかりが高くて良いことなさそうですけどね」 わざわざ皮肉のように肩を竦めながら沖田は言った。すると、松本も表情を引き締めるように崩していた相好を正した。 「その通りだ、臨床実験もまだしていない未知の薬を君は自らの身体に投与した。医者の私がこんなことを言うのは問題かもしれないが、それは書類上君の意志となる。後には引けないんだよ」 「大丈夫です、わかってますよ。覚悟はしてきました」 子供に言い聞かせるような松本の言葉は、ふてくされた沖田を窘めるような正論ぷりで、これ以上足掻くのもみっともないと早々に沖田は白旗を挙げた。 「その言葉、信じていいね?」 確認するように、松本が尋ねると沖田は頷いた。 「そうか。では、二日後に君が今飲んでいるものよりもより強力なものを投与しようと思う」 突然の松本の言葉に、沖田は目を瞠った。 「二日後? 今すぐじゃ駄目なんですか?」 「新たな薬を投与してきて、身体になじませる時間が必要なんだ。最低でも二週間はね。だから、今までは錠剤で軽めのものを飲んでもらっていたんだが、拒絶反応もないようだし、二日後に直接体内に投与してみよう」 「ああ、なるほど。解りました」 沖田は頷き返しながらも、心内では疑問に思っていた。おそらく話を聞いたところはおかしなところは一つもない。それは直感とも呼べる、勘に等しいものだが。 「それじゃ、また夜に来るよ」 「ああ、松本先生。何か本とか持ってないですか? 僕、暇でしょうがないんです。小説じゃなくても、何か読めるものが欲しくて」 「ああ、ではまたあとで何か持ってこよう」 普段通りに会話をして、沖田は松本を見送った。それからすぐにベッドから起き上がる、そして点滴を持ったまま病室を出た。 病院内は至ってごく普通の大きな大学病院だ。近藤の道場よりも都心に近い場所にあるため、皆と離れた遠いところに今は居る。小児科から循環器内科なんでもござれである。車いすの老人を押す看護師や、キッズルームでパジャマの子供が朗読劇を聞いている、なんてどこにでもありそうなシチュエーション。だというのに、沖田はここに初めてきてからというもの、妙な違和感を覚えていた。その正体が掴めなくていつも首をひねっていたが、その正体が今日判明した。 黒いサングラスをかけた場違いのような格好をした人間が、ごくたまに病院内をうろついているのである。アタッシュケースを手にしているが、どうみたって病院関係の営業マンには見えない。別にサングラスをかけた人間だったら、沖田もただ怪しいなんて思わない。中にはお洒落でサングラスをかける人間が居る。それが見舞いだったり患者だったりするけれども、今までの病院で観たことがないわけではなかったからだ。 沖田が怪しんでいるのは所作の問題である。気配がない歩き方をする、武道を嗜んだもの特有のもの。意図的に足音を消すクセが出ており、それから存在を消すように気配も殺している。普通の人間であったら、空気のようにやり過ごすだろう。だが、沖田も武道経験者だからこの上等な気配の消し方に気付いた。 そこに存在しているのに音を感じさせないのは、普通の人間ではない証拠だ。 そんな人間が、何故病院内をうろついているのだろうか。 ガードマンならちゃんと居る。大きな病院だから数人体制で警備しているし、駐車場と病院受付付近にはちゃんとガードマン専用の警備室が設けられているのだ。 現に、今沖田の目の前を歩いているガードマンは気配を消さずに(むしろ威圧感を振りまいている。それが正しいガードマンだ)、病院内を巡回している。 この病院には何か秘密がある。 暇で暇で仕方なかったが、そう思いついた途端に楽しくなった。まずはサングラスの人間がどこに向かったのか探ってみよう。沖田はさり気ない動作でサングラスの男の後をついて、エレベーターに乗った。 了 20110114 七夜月 |