忘却 沖田君、と呼ばれて沖田はボーっとしていた所から我に返った。 「なんです、先生」 「いや、具合はどうかと思ってな。薬を打ってから一日経って、どこかおかしなところや具合が悪いところはないか?」 「大丈夫ですよ。副作用か解らないですけど、たまにボーっとするくらいです」 「それは仕方ない。得てして薬とはそういうものだ。催眠作用が起こる薬は多い」 そうだ、確かに言われた通りである。沖田は松本の言葉をすっと受け取り、頷いた。 「そういえば、病状の経過をご家族の方に知らせなくていいのか? 声を聞かせてあげた方が安心するだろう」 「ああ、別に良いんです。便りが無いのは元気な証拠って言うじゃないですか」 特に沖田はそういうキャラではないのだ。もちろん、心配しているかもしれないが、姉を筆頭に家族はみんな沖田を信じてくれている。だから特別連絡を取る気はなかったのだが。 「そうか? 御家族もそうだが、君は近藤さんの所でもお世話になっているから、そちらへも連絡入れてもいいと思うんだが。あそこに住んでいる人たちも君のことを気にしているだろう」 確かに、それはそうだがと沖田は思い悩む。そもそも無事な連絡をするようなキャラではないから、今さらな気もするのである。もう子供ではないのだから、いちいち報告する年齢じゃない。 「まあ、気が向いたら元気な声を聞かせてあげなさい。君がいなくて皆寂しいだろうからね」 「そうですね、そうします」 適当に頷いてその場をやり過ごす。松本はすぐに病室から出て行った。電話か、とベッドに寝転がりながら考える。やっぱり今すぐ電話して新薬投与の成功を言う気にはなれない。 また今度気分が乗った時でいいや、と寝がえりを打っていると、控えめなノックが聞こえ、当直の看護師が入ってきた。 「沖田くん、ごめんなさいね。夜分遅くに……貴方に電話が入っているのよ」 ちょうど電話のことを考えていたから奇遇だなと起き上がり、沖田は電話先の誰何を問う。 「原田さんという方よ」 「左之さん……? 珍しいなあの人が僕に電話なんて」 彼からの連絡と言うことだが用件がまったく思い浮ばない。ただならぬ状況にでもなったのか、と考えながら慎重気味に歩き出す。何かあったのだろうか、道場のみんなに。 「もしもし、電話代わりました。左之さん?」 沖田が問い掛けると、電話の向こうでは一拍置いてから原田が『総司か? 久しぶりだな』と声をかけてきた。 「久しぶりって言っても、まだそんなに経ってないじゃない。急にどうしたの? 何かあった?」 電話口の原田は何かを言うことを躊躇っているのか、再び間が空いた。 「左之さん? もしかして本当に何かあった?」 『そうじゃねえんだ。お前が手術かなんか受けたって風の噂で聞いてさ。どうだったのかと思ってよ』 思ってもみなかった言葉に、沖田は笑いがこみ上げる。 「あはは、どこからの噂なの、それ。手術なんて受けてないよ。新薬投与をしただけ」 『そうは言ってもお前…危険さに関しちゃ、手術も新薬投与も変わんねえんじゃねえのか?』 心配そうに尋ねる原田の声に嘘はない。だから穏やかに沖田は答える。 「そもそも、どちらにしたって失敗してたら僕はこの電話には出られてないよ。それがすべてじゃない?」 『そっか、まあそうだよな』 納得した様に原田は引いた、用件はこれだけなのかと沖田は声をかける。 「用事はそれだけ? 電話切るよ」 『待ってくれ総司、一つ聞きたいんだが、お前何か変わったこととかないか?』 これまた真剣に聞かれた。沖田はピンときて逆に問い返した。 「どうしてそんなこと聞くの?」 『どうしてって……お前のこと気にかけてるからだろうが』 「誤魔化さないでよ。僕に何か変わったことがあるか、なんて体調を尋ねるときに使うセリフじゃないよ。それよりも、僕の周囲で何か変わったことがないか、とかそういうことが聞きたいんじゃないの?」 沖田がそう言えば、原田は図星だったらしく無言になる。ここで無言にならずに何かしら言えば、まだ沖田も確証を持たなかったのだが嘘のつけない原田らしさである。 「何があったの、左之さん」 折り畳むように質問を重ねると、原田は躊躇った後に言った。 『悪い、こっちも完全に状況を把握してるわけじゃねーんだ。だからまだ詳しくは言えない。だけど、お前の周囲で特に何も起こってないのか確認したかったんだ』 どうやら何かあったのは間違いないのに、原田は口を割る気はなさそうだった。自分が入院してるからなのかと、少し爪弾きにされた気分にはなったものの。入院してたらここから出ることも出来ない、だから沖田に何か出来るわけではないのだ。それを見越して彼は余計な心配をかけまいと沖田に何も言わずに済まそうとしているのだろう。沖田はしばらくしたのちに、溜息をついた。 「今言えって言ったって、言う気ないんでしょ。わかったよ、じゃあ状況把握したらちゃんと僕にも教えてね」 『ああ、悪いな。変な心配はしなくていいからな』 「そんなの特にはしてないけど。あ、それと、ここのセキュリティーはちゃんとなってるはずだから、僕は病気以外じゃ特に心配ないよ」 心配するな、と声をかけると原田は少し安心したようだった。 『そっか……何があるかわかんねえから、一応用心しとけよ。こんなこと言うのは余計なお世話かもしんねえが』 「ホントだよ、誰に言ってるのか」 軽口叩いた沖田に、それでも原田は真剣さを失くさなかった。 『お前が病気治して帰ってくるの、俺達待ってんだぜ。きっと千鶴も待ってるだろうし、早く治して安心させてやれよ』 原田の言葉に沖田は少し考えながら言った。 「千鶴? 誰のこと? 近藤さんじゃなくて?」 知り合いの名前をリストアップしてみたが、千鶴なんて名前聞いた覚えはなかった。 沖田がそう言うと、電話越しで息を飲む原田の様子を感じた。 『お、おいおい……何言ってんだ、変な冗談やめろって。人をからかうのも大概にしとけよ、あんま笑えねえから、それ』 沖田は電話で話しながら、首をかしげる。沖田は千鶴と知り合いであるらしい。 「ごめん、左之さん。名前忘れちゃってるだけかも。どんな子だったっけ?」 『だから、お前の冗談に付き合ってる場合じゃねえんだって。何言ってんだよ』 電話越しの原田は素直に話している沖田に、苛立ちを覚えているようだった。だが、沖田はそんなこと言われても状態だ。知らないものは知らないし、千鶴なんて名前、聞いたことない。だが、ここで波風立てるのはよくない。そろそろ病室に戻りたくなってきたし、立ち話をしていたら疲れた。 「あーごめん、今ちょっと疲れてて。それじゃ、またね。おやすみ」 『総司? ちょっと待て、話はまだ……!』 制止の声を無視してそのまま電話を切った。呼びに来てくれた看護師に電話が終わったことを告げ、今日はもう寝るからもしまたきても取り継がないでくれとも伝えた。 それから病室まで戻ってくると、ベッドへ寝転がりながら考えた。 「千鶴……千鶴……」 口に出しながら、その名前を反芻するが覚えはやっぱりなかった。だけど不思議なほどになじみやすい名前だなとも思った。 まるで、何度も呼んでいたみたいだ。 沖田はそのまま目を閉じた。千鶴、と言の葉に乗せていると、なんだか優しい夢が見られそうだった。 「……!! 目が覚めたんですね、師範代」 目を開いた時、心配そうに自分を覗き込む山崎の顔があった。 土方は起き上がろうとして、それから全身に引きつるような痛みを感じて、顔をしかめた。体中が重くて動かなかった。 「まだ起き上がらないでください、傷が癒えてないんです。どうか無理はなさらないでください」 重い息を吐きながら、土方は白い天井を見上げた。頭はすぐにも状況を理解した。 「先ほど、原田さんと連絡が取れました。これから永倉さんが来てくださるそうです」 「そうか……」 状況を理解したくなくても、頭は勝手に今の状況を分析してしまう。新八が来ると言うのであれば、事態はもう土方たち以外の人間にも知れ渡っているということだ。 「師範代、一体何があったんですか? 三人とも傷を負っていて、この病院に運ばれたということしかわかっていないんです」 山崎が情報把握を努めようとするのは当然だった。けれど、土方は口に出すことが出来ない、言葉が見つからなかったのだ。 土方は負けた。負けて、それから、千鶴を奪われた。あんなに泣かせて、傷つけて、千鶴は薫に連れて行かれた。 「山崎……」 「はい」 「悪いが、少し一人にしてくれ」 疲れたように溜息を吐いて、土方は右腕で顔を覆った。だが、山崎は食い下がろうとした、土方を心配している気持ちも解るし、情報を引き出してこれからのことを筋立て用としているのも当然わかる。わかるはずなのに、土方は理性的には行動できなかった。 「しかし」 「頼む」 震えそうになった声をなんとか留めて、息を吐くように懇願する。すると、山崎は土方からの想いを汲みとってくれて、席を立った。部屋から出て行く彼の視線がいつまでも土方に注がれていたのが彼なりの優しさだろうに、土方は最後までその視線を真っ向から受けることが出来なかった。 千鶴の泣き顔が最後の表情だった、それから失われる表情。千鶴は出て行くとき、どんな顔をしていたのだろう。背を向けて歩き出した彼女の顔がどんな顔立ちのしていたのかは土方には解らない。 「くそっ!」 悔しさが蘇り、思わずベッドの脇の手すりを殴りつける。鈍い音がしたが、物はなにも壊れていない。手に痛みだけが残る。 こんなにみすみすと奪われることになったのは、自分の甘さだった。もっと考えて動いていたら、千鶴を奪われるには至らなかったかもしれない。 それから、思い出したのは沖田との約束だった。土方は沖田から千鶴を任されていた。土方もそれを了承し、沖田が戻ってくるまで自分の手で守るつもりだった。 だが、今手の中には守るべき千鶴は居ない。土方が弱いばかりに、意思を縛られた千鶴は彼らのもとに行かざるを得なかった。 千鶴は今、どうしているだろうか。自分たちを想って泣いていなければいい、そうなるくらいなら恨んでくれていたほうがましだ。千鶴の泣き顔は、何度も見たけれど最後にはいつも笑っていた。だけど、今回はその笑顔がなかった。その笑顔をも土方は奪ってしまったのだ。 どれだけ殴っても痛みが増すばかりの手、悔しさばかりが浮かび上がる。どんなに痛みにまみれても、千鶴が戻ってこないのは土方も解っているが、そうすることが自分への罰であった。 了 20110506 七夜月 |