再起



 山南は近藤を見舞うついでに、以前の沖田の担当医と話を聞いた。自動ドアを抜けて病院から出て、道場へと足を向ける。山南は今まで沖田の病気の核心には触れないようにして来ていた。それは彼が望まないからで、決して知りたくなかったわけではない。むしろ校医を兼任する身としては病状を把握するために、それなりに話を知っておかなければならなかった。故に、必要事項は当然話しを聞いているはずだと思っていた。しかし、彼の記憶にはない病状が現れている。
「健忘症?」
 尋ねた時に、医者は怪訝そうな顔をした。山南は当然、その反応を見逃さなかった。
「ええ、そういったものを発症したりする病気とは窺っていなかったのですが」
「いや、実際にそういう病状は出ていないよ。彼の病気は確かに特殊ではあったが、脳を侵すものではない。運動機能の低下はすべて筋肉を通して行われている、しかし細胞が血液の中に溶け込んで全身に回るわけではないんだ。あくまで組織内で細胞分裂を繰り返す。そういった症例は発見されていなかった」
 医師は疑問に思ったように、首をひねっている。もちろん解明されていない病気であれば、医師の言う通りではなく何かしらの要因で脳を侵す可能性も捨てることは出来ない。だが、山南はその点ではないところに注目していた。
「では、この病院に居た時とは何か違う要因があるということですね」
「……新薬だ」
 山南の言葉に医師は引き出しを開き、中に入っていたシートを取りだす。12個の赤い錠剤。その赤さに山南は少々驚きながらも薬を受け取った。
「まだ政府から認可の下りていない新薬投与を彼は開始した。もし今までと違う要因が現れたとしたら、薬の副作用かもしれない」
「副作用?」
「その薬の効果については、まさに実験途中だから私も把握しているわけではないんだ。しかし、彼の状態は良好だと聞いている。すべてが簡単に上手くいく可能性は極めて低い。ということは、副作用として記憶を失っている可能性はある。もしかしたら、この薬自体が脳に影響を与えるのかもしれない」
 医師の言葉に山南は納得した。副作用というのであれば、確かに有り得る話だった。薬がもたらす可能性は未知数。新薬というのであれば、よりそういった部分を疑うべきだろう。
「今の沖田君の担当医はどなたかご存じですか?」
「ああ、松本先生だ」
「松本先生? 彼はこちらに戻ってきたはずでは……」
 山南が驚いたのは当然のことであった。てっきり山南は高名な先生がいるということで病院を移った沖田という認識だったからだ。まさか松本が担当しているとは思いも寄らない情報であった。
「沖田君は症例が複雑な分、専門分野の先生が担当する場合が多い。私も確かに専門ではあるが、彼ほどではないからな」
 医師の言葉を思い起こしながら、山南は考え続ける。松本は元は研究を専門としていたはずだ。千鶴もそういう話を聞いていた、と土方づてに山南も聞いていた。もちろん、沖田を看ていてくれた時もあって、そういう話を聞いたのは初めてだったから山南も印象が深く覚えていた。
 道場へと向かいながら、彼の思考は忙しなく回る。
 もし、仮にの話だが。この薬を作ったのが松本ならば、彼は沖田で薬の効果を試しているのだろうか。それを見るために沖田の傍に今もいるのだろうか。
 記憶が無くなることも気づいているのだろうか。
「記憶が…なくなる……?」
 山南は歩みを止めた。そして思い当たってしまった可能性に、まさかと首を振りたくなったが、気づいてしまったからにはその可能性を切り捨てることなど出来はしない。
 彼にしては珍しく、駆け足で道場まで戻った。そして失礼を承知で千鶴の部屋へと赴き、彼女の部屋の中の至る所探す。山南が探していたのは、彼女が以前持っていた「変若水計画」である。千鶴はおそらく一部の人間にしかあれを見せていなかった。しかし、あれには大きなヒントが隠されているのではないだろうか。
「山南さん、千鶴の部屋で何やってんだよ!?」
 物音を聞きつけてやってきたのだろう、あけっぱなしにしていた部屋のドア越しに平助が驚いたように声を上げた。夜の稽古の帰りだろう平助が驚くのも無理はない。部屋主のいないところを漁っているのだから、コソ泥か何かだと誤解を受ける行為である。
「良い所へ帰ってきました、君も手伝ってください」
 説明する時間も惜しい。と珍しく山南にしては不親切な対応で、平助の目を白黒させる。
「は?」
「大事なことなんです、たぶんこれは雪村くんにとっても」
 山南がそう言うと、平助は解らないなりにも山南が真剣であるというのは受け止めてくれたらしい。
「山南さん、もしかして、なんか探し物してるのか? どういうもん?」
「ありがとうございます、計画書です。変若水計画と書かれたもの」
 そう言えば、形状は山南には解らない。見たことがあるのは千鶴本人と土方ぐらいだろうか。土方に負担をかけさせるわけにはいかなかったが、今は火急を要する。
「今、土方君に聞いてみます。君は部屋を探していてください。ノートなのか紙束なのかは解らないのですが」
「よくわかんないけど、わかったよ。なんだっけ、そのおちみず…けいかく? っての? 探せばいいんだろ?」
「はい、頼みましたよ」
 もっと早く気づけばよかったのだ。何故今まで目をそむけていたのか自分でも愚かであると思う。もし、山南が考えていることが正しければ、色々なことが繋がってゆく。
 おそらく、千鶴が狙われる理由も、綱道の行動も。
 廊下に設置された親機に手を伸ばして、考えを改めて子機へと持ち直した。動きながら電話をするには配線が繋がっていない子機の方が何かと便利だ。もうすでに頭に叩き込まれている病院へダイヤルプッシュをかけると、すぐに向こうから看護師らしき女性の声が聞こえてきた。
「もしもし、いつもお世話になっております――」
 切羽詰まった声にならないように気をつけながら、山南は電話口に話し始めた。

 変若水計画書を手にしながら、山南は険しい顔でそれを見ていた。予想は当たっていた。この計画書と、一連の事件。これらが繋がっているのは明白であったが、山南の仮説で新たな一面が加わったことにより、一連の流れが姿を現してきた。
 消えた過去の残骸が次々浮かびあがる。そんな山南の前にお茶を出しながら、平助は彼が話しだすのを待っていた。
「君は以前、綱道さんにあったと言っていましたね。脇差を預かった時です」
「あ、ああ。まあ実際に綱道さんかどうかはわかんねーけど。なんか人の良さそうなおじさんだったけど。礼儀正しいし、不審な所とかは特に」
「その時、彼が言ったことを教えてくれませんか」
「ええっと確か……雪村綱道に頼まれた脇差を渡してくれって話で、他には千鶴は元気なのかー?とかそんな感じだったと思うけど。本当にちょっと話した程度だからさ、あんまり詳しく覚えてないんだよな」
「そうですか……何でも良いのですが」
「あとは、前も言ったけどさ、黒服の奴らに追いかけられてたな。なんかスーツ着こんだ感じのいかにも怪しい奴らだった」
「黒服の怪しい奴ら……」
 山南はふむと頷きながらまた顎に握った手を添える。追いかけられていたということであれば、重要人物であるか、はたまた彼が手にしていたものがそれに匹敵する価値があるか。それとも両方かもしれない。この変若水計画に一通り目を通して、そういった人間が現れてもおかしくはないことを確信した。だが、山南は確証となる証拠はまだ見つけられない、憶測の段階を出るには、やはり張本人かこの事件に関わる人間から話を聞かなければならないだろう。渦中の人間はすべて出そろっている。そして、それにまつわる人間もいる、つまり駒は揃っているのだ。となれば、動きだすとしたらこの好機を敵が逃すはずはない。
「こちらの駒は些か少なすぎますね、ただ……黙って攻撃されるわけにはいかないのも確かです」
 情報が少ない限り動きをとることが難しいのは山南も承知である。だが、この道場一の大勝負に望まないとしたら、道場主である近藤に申し訳が立たない。
「斎藤君が退院するまであと三日、土方君はそのあと……彼が退院するまでには間に合わないかもしれません」
「え、間に合わないって何がだよ!?」
「綱道さんです、彼が見つかる可能性が高い。なぜなら、敵は雪村君という最大の武器を手に入れてしまったのですから」
「そりゃ、意味はわかるんだけどさ、ちょっと待ってくれよ山南さん。そもそも、なんで今まで千鶴は放置されてたんだよ」
「放置されていたんじゃありません、彼女は泳がされていただけです」
 平助は混乱している、当然だ。彼はある意味、こういった事態から一番遠い位置に居たのだから、何も知らないに等しい。だが、今回こんな形で巻き込まれて、もう知らずにいられるわけがなかったのだ。だから、山南は彼に語る覚悟をした。もしかしたら、千鶴の意志としては平助は巻き込みたくない意思があったかもしれないが、こうなってしまったからには話さずにいることは不可能だった。
「藤堂くん、全員に話した方が良い。こちらでも情報を集めます、もう少しだけ待ってくれませんか。確定事項が増えた事柄を発する方が良いはずです。だから、君はどうか少しでも君に出来ることをやってください」
「……わかった、山南さんの言うことを信じる。確かに気になるっちゃ気になるけど、オレが今気にしててもどうにもなんねーんだよな。だったら、オレ言われたように自分に出来ることをするよ。あいつ取り戻すためにそれが必要なんだって今は解るからさ」
「はい、頼みます」
「おうよ! 任せとけ!」
 威勢のいい返事を返した平助は、さてとと言いながら立ち上がった。
「オレ、夕飯前にもういっちょ鍛錬してくるよ。少しでも早く、また動けるようになりたいからさ」
「無理は禁物ですよ」
「わかってるって!」
 平助は笑顔だけを残すと、軽快な足取りで居間を出て行った。それから山南は変若水計画に手を伸ばして、開いた。
 凄惨な光景が写真と共に残されたそれは、きっと綱道の罪の記録。彼がどんな思いでこの実験に手を出したのかは知れない。山南にはただの犯罪であると言えたとしても、彼が目的のためにこれを手段と取ったのは間違いないのだ。どんな病気も治してしまうと言うような魔法の薬。それは、綱道が誰かの病気を治したいと願った最初の願いから始まったのかもしれない。だとしたら、誰がその想いを責めることが出来るだろう。その方法を間違えていたとしても、想いは間違ってはない。ただ、彼はそんな彼の想いが後々こんな大勢の人間を巻き込む大事に繋がるとは考えていなかったのではないだろうか。
 否、考えていたとしても、おそらくはそれすら覚悟の上だったに違いない。それだけ、大きな想いがあったのだろう。
 結局彼も人間だったのだ。
 皆と同じ、ただ願いを持った生きている人間であった。
 悲しいかな、彼が常人と違ったのは卓越した頭脳を持っていたがゆえに、成し遂げてしまえそうだったこと。
 同じ医学をかじる者として、気持ちがほんの少しだけわかる山南は、決して綱道を責めることは出来なかった。


 了





   20120108  七夜月

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