射光 「んで、あんたら一体なんなんだ?」 「だからァ、洗濯機をお届けに上がりましたァ」 「こんなうさんくさい奴らが電気屋なのか!?」 「うるせーなクソガキ。親はいねーのかよ、勝手に上がんぞコラァ」 「ふざけるな、何勝手に入ってるんだよ! あと口悪いぞ仮にもこっちは客なんだろうが、もっと誠意を持って接しろ! それでこっちの奴はだんまりか!? おじゃましますくらい言えよ!」 「邪魔するぞ」 「かー!なんかむかつく!!」 芹沢と書かれた表札の家のチャイムを鳴らして、押し売り上等で部屋の中まで入り込む原田と斎藤を迎えたのは、その家に住む少年だった。年のころはおそらく平助と同じくらいであろう。Tシャツと短パンで完全に油断している様子だった。別に敵襲というわけではないから相手方がどんな格好をしてようが構わないが、まるで犬のように吠えまくる彼はうるさい。 「今日俺達がここにくる手はずになっていたのは、伝えられていなかったか?」 斎藤が問い掛けると、その少年は盛大に溜息をついた。 「しらねーよ。オレは芹沢さんからこの家のことを任されてるだけだ」 「は?両親とかじゃねーのか?」 「とっくに死んでるよ、そんなの。俺はここに引き取られたんだ」 少年はむすっとしながらそう答えた。すると、部屋の奥からひょっこりと女の子が顔を出す。 「龍之介くん、お客さん?」 やはり年のころは龍之介と同じか少し下。可愛らしい女の子は制服姿であった。中学生か、高校生だろう。 「私、帰ろうか?」 「いや、なんか電気屋だっつーから」 「あ、だったら何か買ってくるよ、ここの家、お酒ばっかりで何もないんだもん。お茶でいいかな?」 「丁度切れたんだって、お梅さんも今芹沢さんの出張にくっついていちまってるから買い物行ってなくて。つか、いいって、小鈴がんな気を使うことねーよ、電気屋だぞ!?……って!!」 龍之介と呼ばれた少年は、威勢のいい音を立てて原田によって殴られた。 「ってーな! 何すんだよ!」 「年上相手には敬語使え、てめえは俺より偉いのか?」 「なんなんだよ一体!」 「じゃあ、龍之介くん、ちょっと行ってくるね」 原田と斎藤にお辞儀をしてから、小鈴と呼ばれた少女は軽快な足音を立てて去って行った。 「彼女か? 羨ましいなまったく、最近のガキっつーのはませてるっつーかなんつーか」 「そんなんじゃねーよ、ただの世話焼きなだけだ」 むすっとした龍之介は少しだけ赤い、実際恋人同士でなくとも龍之介が小鈴を好きなのは明白だった。からかいモードに入りそうになった原田を止めたのは、斎藤だった。顔には本来の役目を忘れては困ると書いてある。 「そんなことより、雪村だろう」 「あいよ、忘れてねーって。平助、大丈夫か?」 洗濯機のダンボールに問いかけると、中からうめき声にも似た声が聞こえてきた。 「平気だけど、いい加減出してくれよ」 「今出してやるから待ってろ」 「は? アンタ達、一体何を―」 「斎藤」 段ボールを開封しようとした矢先、龍之介が叫んだりしないように、原田は斎藤に目で合図をする。すぐにその意図を理解した斎藤は、龍之介の頭を思い切り殴った。 「黙れ」 「まだ何も言ってないだろ!!」 涙目になりながら斎藤に問い詰めようとした龍之介は、斎藤の目が氷のように冷たくなっているのに気付き、口を閉じる。 「俺たちは、今日ある人をこのマンションから助け出す。最初に言っておくが、決してやましいことではない。その人はこのマンションに監禁されてるんだ」 「ちなみに俺は警察だ」 原田がそういって警察手帳を見せると、龍之介はぐっと押し黙った。段ボールから出てきた平助は、龍之介に「よお」と気楽に挨拶する。 「それじゃ、作戦開始だ」 『了解!』 平助は辺りを窺うと、姿勢を低くしたまま一気に外へと飛び出して行った。 龍之介は殴られた頭を自分で撫でながら、原田に問いかけた。 「あんた、警察なんだろ。だったら正々堂々と助けに行けばいいんじゃないか?」 「それが出来たらこんな作戦立てるかよ」 「お忍びって奴か」 「お忍びって言うか、まあ国家権力がバックに控えてるようなもんだ。俺達下っ端が幾ら喚いたところで、握りつぶされて終わっちまう」 「だったらさ」 龍之介はわからない、と言いたげに首をひねった。 「その人、あんたたちにとって、一体なんなんだよ。そんなバックを敵に回してでも助けたい人間なのか」 問いかけられた原田と斎藤は、一瞬だけ言葉に詰まったがしっかりと頷いた。 「……ああ、あの子は大事な家族だ」 「ふーん。よく解らないが、助けられるといいな」 本当によくは解っていないだろう龍之介の言葉に力なんてものは感じられない。それでも龍之介が心の底からそう思ってくれてるのだけはわかったので、原田も斎藤も頬を緩ませて力強く頷いた。 「ああ!」 千鶴がこの家に来てどのくらい経ったのか、体感することをやめたのはつい先日のこと。痛いことをされるわけではない、ただ牢獄のようにここに閉じ込められる日々。 そんな日々の中で、今日初めて、この家のチャイムが鳴った。最初は音の正体に気づくことが出来なかった。幻聴が聞こえると思っていたのだが、しつこいほどに鳴らされる音に、千鶴は座っていたソファから立ち上がった。 この場所に誰かがやってくることなんてない、一体だれが。 千鶴はインターホンには出ず、直接ドアへと向かった。ドアスコープから覗いてみると、それこそ幻でも見ている気持ちになった。これはただの白昼夢だ。そんな風に思えるほどに、有り得ない光景だった。 「平助、くん……?」 千鶴が呟くと、ドアの向こうの平助が顔を上げた。 「千鶴、そこにいんのか?」 「どうして、平助くんがここにいるの?」 千鶴がゆっくりと言葉を紡ぐと、平助はドアに手を寄せる。千鶴はドアスコープから目を離すと、このドア一枚隔てた先に居る平助に触れるようにドアに手を寄せた。 「どうしてって、お前を助けに来たに決まってんじゃん!」 「どうして?」 「だから、お前のことを助けたいと思ったから」 「どうしてそれできてくれたの? 平助くんや、斎藤さんや、土方さんを傷つけたのは私なのに」 「それはお前のせいじゃねーって!」 必死に言い募る平助に、千鶴は口角を持ち上げた。平助の言っている意味は解る。直接手をかけたのは確かに千鶴ではないが、傷ついたきっかけを作ったのは、千鶴だ。平助やほかの人たちはきっと優しいからそんなこと言わないけれど。 「ありがとう、平助くん。ここまで来るの、大変だったでしょう。本当にありがとう、でも私はその気持ちだけで十分だから。もう、帰って」 千鶴は我慢しているとかそういうわけではなかった。ただもう、何もかもからただ耳を塞ぎたかったのだ、助けに来てくれた平助の言葉さえ。これ以上、何もいらない、何も望まない。 「何言ってんだよ、お前らしくねーよ!」 「私らしいって、何?」 千鶴が問い掛けると、平助は黙ってしまった。当然だ、千鶴にも千鶴らしいことなんてわからない。もう何かを考えることが億劫だ。自分がどうであったかとか、自分がこれからどうしていこうかなんてものは、考えた所で無駄である。千鶴が何かを願うことは罪だ。千鶴が願うたびに願う以上の対価を支払うことになると、痛感させられた。 だったら、願うことをやめればいい。ただ、薫に与えられるままの生活を続ければいいのだ。 「私らしいことが私には解らない、だからもう良いんだ。私は望まれる生き方をするよ、薫は家族だから放っておけないし、平助くんも自分の『家族』を大事にして」 平助にとっての家族が、道場の皆であることは明確なのに、あえて千鶴がそういう言葉を用いたのには意味がある。やんわりとした拒絶。自分の中の家族は薫だけであるという意思表示。 それはつまり、もう戻らないと言う千鶴の決意。 「……んだよ、それ」 ドア越しの平助の言葉は少し震えていた。拒絶した千鶴の言葉を拒絶するように、突然ドアを強く叩かれる。音にびくりと肩を揺らして、千鶴は一歩後ずさった。 「ふざけんなよ! オレに千鶴は言ったよな、オレの想いをちゃんと、相手に届くように伝えなきゃダメだって。オレが道場に来たのは、そんな風に諦めるためだったのかって」 それはだいぶ昔のように感じるけれど、縁側で平助と語ったあの時の言葉だった。確かに千鶴は平助にそう言った。彼を励ますために平助に告げた言葉だ。 「オレ、お前の言うとおりちゃんと伝えたよ。それでちゃんと解ってもらった。だけど、お前オレらになんも言ってねーじゃん。今の千鶴、あの時のオレと一緒だ。どうせ何も出来ないって諦めてる。そんなんでオレらにお前の想いが届くと思ってんのかよ。舐めんな!」 千鶴はふと、玄関にあった鏡を見た。そこには千鶴の知らない人が映っていた、目が虚ろで、少し頬がこけた笑わない人。目を見開けば、鏡の向こうの人も目を見開く。 「これが……私なの?」 しばらく自分の姿を鏡で確認するなんてことはしなかった。だから、ただショックだった。こんな風に変わってしまった自分、そう望んだのが自分であるということを。 唇を噛みしめると、鏡の千鶴も唇を噛む。見ていられなくて、視線をすぐに鏡から逸らした。 「平助くん、もういいの。本当にもう、良いんだってば」 「良くねーだろ、だったらちゃんと言えよ。オレ達の前で、笑ってちゃんとさよならしろよ! お前が決めたことだってちゃんと納得できる形で別れろよ!」 「私は納得してる、私が決めたことなの! もういいから、放っておいてよ!!」 「それが出来ねーからこうしてきてるんだろ! オレだけじゃねーよ、左之さんも、一君も下に居る。ここにきてる奴らだけじゃなく、他の人たちだって千鶴を救おうと皆動いている」 「私に関わると、皆酷い目に遭う、薫が言ったことは本当だった! もしも今私がここから居なくなったら、今度は平助君たちはただじゃ済まなくなるよ! きっと沖田さんと同じように」 「総司君? なんで総司君が出てくるんだよ千鶴、総司君と何かあったのか?」 訳が解らないとでも言いたげな平助に、千鶴はハッと口を押さえた。今、千鶴は自分では気づいていなかったが間違いなくヒートアップしていた。感情を爆発させる寸前だった。冷静にならなければ、心を持たずに人形のように、そう、分かっていたはずなのに。 「この前、沖田さんに会ったの。でも、沖田さんは私のことを覚えてなかった。どういう方法をとらされたのかはわからないけど、でも沖田さんは私のことを忘れさせられたんだと思う」 そうして皆の記憶から消えて行く。千鶴の存在が消されていく。でも、千鶴のせいで傷つかれるよりは、千鶴が消えて行く方が何倍もマシだ。もう嫌だ、千鶴は自分のせいで誰かが傷つくのは。そしてその罪の重さをもう背負いたくなんてない。 「馬鹿だな、千鶴……総司君が忘れるわけないじゃん」 平助は声のトーンを落として、そう言う。だがそんなことはない、確かに沖田は千鶴のことを忘れていた。千鶴の存在は彼の中で消えていたのだ。 「総司君が千鶴を忘れる? そんなの絶対有り得ない、オレはちゃんと見てきたんだ。総司君が千鶴をどんなに想っていたか」 「平助君……?」 千鶴は平助が自分に言い聞かせるように告げたその言葉を頭では信じることが出来なかった。それを拒否するだけの材料ばかりが膨らんでいるからだ。だというのに、心は信じていいものか迷っていた。動かさないと決めていた心がぐらぐらと揺れ動く。 「なあ、千鶴。オレは千鶴のこと好きだよ。大好きなんだ」 平助の突然の言葉に千鶴は固まった。今度はちゃんと、意味が伝わってきた。以前に告白されたのとは違って、平助の言葉に想いが込められていたから。千鶴を慈しんで、そして愛しいと思ってくれている気持ちが。 「だから、千鶴には笑っていて欲しいと思ってる。」 「笑って……?」 「そうだよ、そんな泣きそうな顔して欲しくねーよ」 何を言っているんだろう、平助と自分の間にはドアが一枚阻まれて、平助に千鶴の顔を見えないはずだ。なのになぜそんなことを言うのだろう。 千鶴は先ほど目を逸らした鏡の方へ向いた。鏡の中には口元を歪ませた情けない女の姿が映っていた。 「千鶴は忘れられたくねーんだろ? 総司君にも、オレたちにも。当たり前なんだよ、忘れられること、覚えてないことが辛いのは、千鶴も知ってるんだからさ」 忘れられたくない、覚えていて欲しい。そんなこと、千鶴は思っていない。 思ってはいない、はずだったのに。 千鶴の中にある皆の笑顔が曇らずに過ごすためには、そこにあった自分を消してしまえば良かったのだ。 私を忘れないで。 そんなおこがましい願いを抱いたらきっとまた誰かが不幸になるだけだ。解っていたはずなのに。 「なあ千鶴、もしも怖いならカギだけ開けてくれよ。そしたらオレがここから連れて行くよ。千鶴は何も悪くない、オレがお前を連れ出したんだ。お前の意志じゃないんだから」 平助が優しすぎるから、千鶴は殺した心がまた自分の中で産まれて行くのを感じた。泣き虫な自分とさよならしたのに、こみ上げてくる涙は止められなかった。 みっともなくしゃっくりを上げながら、見えないのに首を振る。 「ちがう、ダメなの……私がここを出て行くのなら、私の意志じゃなきゃ意味がない。きっと、土方さんたちもそう言うと思うから」 いつまでもぐずぐず泣いていられない、ひとしきり泣いた後は千鶴はちゃんと前を見た。景色を認識した。死んでいた時にはなかったように思える五感が動き始める。目で世界を認識して、カギに手で触れて物を確かめる。それからカギの開いた音を耳で聞いて、開いたドアの向こうから漏れてきた光に、千鶴は温かさを感じた。 平助はそこで待っていてくれた。 「私を一緒に連れて行ってくれる?」 「当たり前だろ、そのために来たんだからさ」 差し出された手を握り返すと、平助が笑ってくれた。その笑顔に千鶴も微笑み返す。ようやくこの世界から抜け出せた。一人で抜けるには怖すぎた何も無い世界。 沖田はロビーへとやってきていた。なんてことはない、理由なくただ何度もロビーへ来てしまう。あの日、自分に話しかけてきた女の子。自分の名前を告げながら、覚えてないのかと沖田に尋ねてきた。もうその名前も思い出せなくなっているのに、あの表情が忘れられなくて、沖田はいつもここで、彼女が座っていた椅子に腰をかけていた。 「沖田君、また散歩かい?」 話しかけてきたのは、松本だった。 「病院内なんて見て回ってもそう変わることなんてないし、つまらないだろう」 「そうですね、確かにあんまり楽しくはないなあ」 「だったら、どうしてここにいるんだい。出来れば医者としては病室に戻って安静にしていてもらいたいものだけどね」 「いいじゃないですか、どうせ病室に居たって暇だし、それにここは―……」 そこまで言って、沖田は言葉を止めた。これ以上何を言う気だと言うのだ。そう気づいたら言おうとしたことを忘れてしまった。 「人の出入りが多いから人間観察しやすくて、少しは気がまぎれるんですよ」 何を言おうとしてたのか忘れたまま、適当な理由でそう言うと松本は少し納得した様に頷いた。 「それはそうだな。まあ、あまり無理はせんように」 「はい、大丈夫ですよ」 「返事だけは昔から良かったな、君は。行動も伴って欲しいよ、まったく」 苦笑しながら去って行った松本の後ろ姿を見つめてから、沖田は出入り口に視線を戻した。この自動ドアの向こう側、誰かが来るんじゃないかと期待している。 ―さようなら、 ―さようなら、沖田さん ―サヨウナラ 知らない声とさよならの挨拶。 さよなら、さよならと何度も蘇っては消えて行く。 「さよなら―…?」 何故こんなにこの言葉が気になるのか解らないまま、沖田はゆっくりと瞬きを繰り返した。知らないことがあると気持ち悪かったのに、今だけは懐かしさばかりが募った。 了 20120108 七夜月 |