番外編1 「男子校の受難」編



 引き戸の玄関のドアが開いた音がして、すぐにも大またで歩く足音が聞こえてきた。この家に住んでいる者にとって馴染み深い『家族』の帰宅である。
「ただいま〜、千鶴ちゃん俺の腹が鳴り止まない大合唱を繰り広げてるんだが今日の夕飯って……」
「おいおい新八、先に手洗えよ。汚ねえだろうが」
 永倉は上機嫌で鼻歌などを歌いながら台所の暖簾をめくりながら顔を覗かせる。そのあとをたしなめるような声を出して原田が追ってきた。だが、永倉が期待していた少女の姿は台所にはなく、そこには珍しい人物たちが面白い格好をして居た。
「なんだお前ら、仮装大会か?」
「おお、新八っつぁんに左之さんおかえり。って、誰が仮装大会だよ! 見てわかんない? 料理作ってんだよ、料理!」
「いや、だってお前その格好」
 原田が呆然としながら呟く。平助が身に着けていたのは可愛いピンクの兎柄のエプロンで、その隣には白い割烹着に三角巾をつけ包丁を握った斉藤が黙々と野菜を切っていた。恐ろしいほど似合っている。
「平助、無駄話をする暇があるなら手を動かせ」
 野菜を切ったものを湯立てせているらしい鍋の中にザーッと入れる手付きは見事に無駄がない。
「一君の言うとおりだよ、平助。僕もお腹空いたんだけど」
「って、総司君なんもしてないじゃんか!」
 台所に備え付けられているテーブルに座った沖田はかったるそうに寝そべって、文句を言っている。沖田の座っている椅子には使われていないエプロンがかかっていた。その意味は推して知るべしである。
「千鶴ちゃんどうしたよ、具合でも悪いのか?」
「ああ…うん、まあ。だから今日はそっとしといてやってくれよ」
 永倉の質問に対して、平助が微妙な顔つきで歯切れ悪い返答をすると沖田がニッコリと意地悪い笑みを浮かべながら、平助に目配せする。
「平助の自業自得って奴だよね。ちゃんと説明したら?」
「総司君って相変わらずだよな」
「なんだよ平助、お前がなんかやらかしたのか?」
 げんなりした調子で平助が沖田に言うと、言葉を拾い上げた原田が溜息をつく。だが、平助にとってはとんだ勘違いであり、盛大に首を横に振る。
「オレじゃねえよ! オレはなんもしてない!」
「強いて言うなら、監督不行き届きって奴」
 面白そうに語りながら、沖田は目の前にあった徳用のミニチョコレートの袋を開けると、その中の一つまみして口に放り込んだ。お菓子を与えると少しの間はその口も噤まれる。平助はホッとしながらも、事情を説明しようと口を開いた。
「実は今日、学校でさあ……」

 平助は半ば安堵していた。女の子が男子として男子校に編入するだなんて無茶以外のなんでもない、しかしなんとかクラスに溶け込めるようになった千鶴は、ここのところ他の男子とも仲良くやっているように見える。同じクラスで見ている分には女だとバレるような大きな失敗もないようだし、ひとまずは自分の役目としても肩の荷が下りる思いだった。
「じゃ、千鶴。オレ先生んとこ行ってくるからさ、ちょっと待っててくれな。遅くなりそうだったら、連絡するし。たぶん総司君もまだ帰ってないと思うから、捕まえて帰ってくれても構わない」
「わかった。とりあえず教室にいるね」
 職員室に呼ばれた平助を笑顔で見送った千鶴に、平助はなんの疑問も持っていなかった。クラス中で妙にニヤニヤと浮き足立っている奴らがいたのは気配で知っていたが、まあ千鶴には関係ないことだろうと、タカをくくっていたのだ。
 平助が職員室へ向かったのと同時に、最近千鶴ともよく話している一人の男子が千鶴に話かけたのにも気づいたが、危惧することでもないと野放しにしたのがすべての間違いだった。
 職員室でまだ提出していなかった進路希望調査の紙を出しながら少し説教めいたことを言われ、いざ平助が教室に戻ってみるとそこに千鶴の姿はなかった。だが、鞄は置いたままだ。トイレかと思いしばらく待ってはみたものの、15分経っても戻ってこない。何かがおかしいと気づいて校舎の中を歩いていると、ニヤニヤした顔つきのクラスメイトが脇を急ぎ足で通過していった。不審に思って彼の肩を掴んで千鶴の場所を尋ねると、彼はあっさりと千鶴の居場所を教えた。
「雪村なら視聴覚室にいるぞ」
「は? なんだってんなとこに」
「そりゃお前、アイツも健全な男子なら大人の階段は昇らなきゃいけねえだろ? いいもの見せてやるつったら喜んでついてきたぞ」
 平助はこの言葉の言い回しに彼らが何を千鶴にしでかしたのか気づいた。
「お前らまさか……!」
「ふっふっふー。やっぱ男子校の特権だよな。今日のはちょっと激しいぞー。いや、鈴木の奴が用意したんだけどな、エログロテイストで初心者にはちとキツイかもしんねーが、お前もどうだ? って、おい藤堂!?」
 平助は彼の言葉を最後まで聞かずに一目散に視聴覚室へと走った。
 そして彼の予想通り、視聴覚室は真っ暗なままどでかいスクリーンに映し出された肌色の映像が延々と流されていたのである。恐らく千鶴にはいいものがなんなのか、推測することは出来なかったのだろう。言葉通りに受け取ったのだ。
「ちょ、お前ら何やってんだよ!」
 怒鳴りながら教室に入り込むと、スクリーンに釘付けだった男子がハッとしたように平助に注目するが、相手が平助だと知った瞬間に、表情を和らげる。
「馬鹿野郎、脅かすなって!」
「そうだぞ、教師が来ちまったのかと思ったじゃねーか」
「でかい声出すんじゃねえ、教師にみつかんだろ」
 平助はクラスメイトに耳を貸さずに千鶴の姿を探す。すると、一番前のところで一人だけ画面に未だに釘付けでこちらを見ない人物がいる。アレが千鶴だろう、どこか様子もおかしいし早く連れて帰らねば。
「千鶴、もういい帰るぞ!」
 そう思った平助が千鶴の肩に手を置いた瞬間、千鶴の身体は傾いてそのまま倒れた。
「千鶴!」
 平助が慌てて抱え起こすと、千鶴は潰れたカエルのような呻き声を上げて意識を失っていた。
「おい雪村!?」
「大丈夫かよ!」
「はいはい、そこまで」
 皆がわらわらと千鶴の周りに集まってくると、急に教室内の電気が点いた。それを仕掛けた人物は一人。出入り口に沖田が立っていた。
「げっ、沖田先輩!」
「マズくないか?」
「消せ、早く誰でもいいから!」
 沖田の登場に教室内は一時騒然となるも、沖田はまったく気にした様子もなくずかずか中に入り込んでくる。先輩であるという認識からか、沖田に対して何かいう人物も居ない。
 沖田は簡単に歩み寄ってくると千鶴の両脇に腕を通して引きずりはじめる。女の子相手にそれはどうかと平助は思うが、口出しすると下手なこといいかねない。それに、沖田は誰が相手でもこんな態度なので、むしろ注意をするのは変だ。
「この子純粋だからさ、あんまり苛めないでくれるかな。僕たちもこの子の親から大事にお預かりしている身なんであんまり滅多なことさせられないんだよね」
 平助は引きずられている足側を持ってやり、手作り担架の要領で教室を出る。その間、千鶴は時折「うぅ……うう〜ん……」と呻いている。
「今日のこと黙っててあげるけど、またこの子にこんなことしたら、容赦なく一人ずつ相手になってあげるよ。……平助が」
「オレかよ!?」
「だって素人相手って面倒くさいし。まあどうしてもっていうなら、僕が相手してあげるけど」
 先輩である沖田が静かに告げると、場の空気が一瞬にして凍りつく。半眼の沖田に名乗り出ることが出来るほど、ここにいる奴らは強くはなかった。平助もそれを知っているだけに何も言わない。自分が千鶴を見ていなかったことで起こってしまった騒動ではあるが、不本意ながら今ここでこの沖田の脅しがあれば少なくとも千鶴はしばらくは平気なはずだ。
 沖田の実力は本物だし、このことが噂として知れ渡れば少なくとも校内で千鶴に悪意のあるなしに関わらず変なイタズラを起こそうという気にはならないだろう。幸い、クラスメイトは皆気のいい奴ばかりだ。少し羽目を外しすぎる傾向にはあるが、恐らくここまで言われたらこんな馬鹿なことをする気も失せるだろう。
 完全に意識が潰れて目を回している千鶴を哀れみながらも、平助は心の中で謝って保健室へと連れて行った。


「ってことがあってさ」
 すっかりと台所に居座っていた原田と永倉は互いに合点がいったとばかりに頷きあう。
「……その手の鑑賞会なんて男子校の伝統だとも思ってたけど、まあ……千鶴ちゃんにはちとキツイよな」
「まさか、中に女の子が混じってるとは思わねぇし」
「土方さんに言ったらしばらく寝かせておけって話だから、傷が癒えるまでそっとしておいてやってくれよ」
「トラウマになってるかもね」
 沖田が面白そうに口を挟んでくるので、平助はジト目で彼を見返す。だが、何も言うことは出来ない。平助のうっかりが千鶴をこんな事態にしてしまったのだから。
「師範代はこのこと知ってんだな。今日、部活の日だろ」
 永倉の発言に、平助は思い出したくないとでも言うように顔をしかめた。
「ちょうど抱えて運んでるところ見咎められちまってさ」
「……そりゃまた、バッドタイミングだな」
 原田は苦笑する。
 平助が沖田と二人で運んでいるところ、保健室前の廊下にて土方と偶然出会ってしまったため、当然ながら事情を話さざるを得なかった。土方のこめかみが微かにひくついていた気がしたが、その場で雷が落とされることはなかった。だからこそ、今夜が怖いのだが。
「だから、今日の料理当番はオレと総司君ってことになったんだけどさ」
「酷いよね、土方さん。僕は千鶴ちゃん助けてあげただけなのに。連帯責任だって」
「だーかーら、悪かったって言ってんじゃんか! っていうか、結局総司君は何にもやらずに終わったんだからもういいだろ!」
 平助がおたまを握り不貞腐れながらそういうと、沖田は視線を彼方に飛ばしながら笑顔を作った。
「んで、何故そこに斉藤が混ざってるんだ?」
「俺らだけじゃ心配だからって、土方さんが一君にもお願いしたみたいで」
 すぐにも納得できる理由だっただめ、原田と永倉は共に頷く。
 すると、殆ど会話には混じってこなかった斉藤がようやく顔を上げた。
「話は終わったか、出来たぞ」
 平助が事情を話している間もずっと料理を続けていた斉藤の言葉に、皆が彼と彼の手前にある料理に注目する。
「今日は豚汁だ。豚肉にはビタミンが非常に豊富で、豚汁にすると他の野菜と一緒に摂取でき、栄養価も高い」
 平助からおたまを受け取り味見しろと言わんばかりに小皿を平助に渡す斉藤。平助はそれを受け取ると、熱を冷ましてから一口飲んだ。
「んー……ちょっと、味薄いかな」
「では、塩を足す」
「って、待って待って一君! 今その手に持ってるもの砂糖だから! しかも足すのは塩じゃなくて味噌の方!!」
 斉藤は手にしていた砂糖と調味料棚とを見比べてから、大真面目な顔で言った。
「……冗談だ」
 いやいやいや、絶対今の素だったよ。突っ込みきれない平助は脱力しながら、受け皿を返した。今度はちゃんと味噌を手にしておたまで溶いている斉藤を背にして、心の中で千鶴に助けを求める。
「でもま、目を離したお前が悪いよ」
「そうそう、平助が全部悪い」
「ってなんだよ皆してさ! 悪かったと思ってるよ! 反省もしてるよ!」
 生真面目な顔で平助を責め続ける同門の兄弟子たちに平助は涙目になりたいのを堪えて俯いた。俯くとラブリーなビッグプリントの兎と目が合って、益々情けなくなる。本来コレは千鶴が着ているものだ、なのに着る人間が違うだけでこんなにも違和感を抱かせるのである。
 この格好になった原因は確かに自分にある。千鶴には申し訳ないことをしたとも思っている。謝罪もするつもりだ、意識が戻り次第すぐにでも。
「……はあ、やっぱり大変なんだな、女の子と一緒に暮らすのって」
 だが、やはり自分の話を一番まともに聞いてくれるのも千鶴だ。
 平助は感慨深く溜息をついた。少なくとも今ここで自分の味方になってくれそうな人間は居ない。千鶴がトラウマにならないのを祈るばかりである。
 翌日、なんとかトラウマにならずに済んだ千鶴が登校すると、昨日の事件に関わった人間から次々に謝罪されて困っているのを、平助は微妙な心持で見守っていた。


 了



 このネタは書きたいとずっと思ってました。男子校ならやっぱやらなきゃ駄目だろう。
 視聴覚室は秘密の教室だからNE★(まんまその手のビデオのタイトルになりそうなw)
 今回は平助メインで!ぶっちゃけ平助と斎藤さんが料理しているのを書きたかっただけ。っていうか砂糖と塩を間違えるというベタを斉藤さんにやらせたかっただけです←


   20090329  七夜月

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