番外編2 「病気」編 思えば、体調云々で言えば、確かに少しふわふわするなあとか重いなあとかいう、兆候自体は千鶴も感じていた。身体の為すがままの足取りで、鳥が鳴く清清しい朝の空気を感じながら新聞を取りに門までやってくると、ちょうど自店のほうから井上が竹箒を持ってやってくるところだった。 「おや、雪村君早いね。おはよう」 「おはようございます、井上さん。お掃除ですか?」 「ああ、昨日の夜は風が酷かったからね。店を開ける前に道路少し綺麗にしようと……雪村君大丈夫かい? なんだか足元がふらついているようにみえるが」 え? そうですか? と返事を返そうとした直後に、千鶴は何故か門とぶつかり合っていた。 「あれ?」 「ああ、やはり体調が思わしくないようだ。早く家に戻って休んだ方がいい」 心配されたのもつかの間、地面が何故かぐにゃりと歪んで、千鶴は思わず地面に手を突いた。 あれ?あれあれ?と疑問符ばかりが頭に浮かぶが、傍についてきてくれた井上の言葉もいささか聞こえにくくなっており、千鶴はそのまま井上に抱えられる形で、回る世界を呆然と感じていた。 「38度か……こんなんじゃ学校には行けねぇだろうが、大人しく寝てろ」 体温計を手にした土方から渋い顔をされた千鶴は、うなだれるようにシュンとした。制服にも着替え終わって土方の前で正座している千鶴、土方を伺うようにそっと覗き見る。 「なんだ、言いたいことがあるなら言ってみろ」 「……朝ご飯の支度を」 「斎藤がやってる。だから寝ろ」 千鶴は口を閉じた。是が非でも土方は千鶴を寝かせたいようだ。確かに病気になったのは千鶴で、それゆえに土方が心配してくれてるのは解るのだが。 「でも、私の仕事なのに」 与えられたことも全うできない人間にはなりたくないし、そう土方に思われるのも嫌だ。 「……あのな」 土方は深く深く溜め息をつくと、千鶴に盛大なデコピンを見舞った。これはだいぶ効く。のけぞった千鶴は痛みを訴える額を押さえて、熱の頭痛ゆえか、それともデコピンの衝撃か、どちらかわからない痛みに少々涙ぐむ。 「人間が病気になんのは当たり前だ、それを蔑ろにして後々大事になったらどうする。今治せるものは大人しく寝て治せ。いいな、これは命令だ」 「はい、わかりました」 まったくの正論に完全に言い負かされてしまった。千鶴はしょんぼりと返事を返して、土方が出て行ってからパジャマに着替える。 そして布団に入って首まで掛け布団を上げると、部屋のドアがノックされた。 「はい」 「僕だよ、熱だしたんだって? お見舞い」 「どうぞ、開いてますから」 沖田はすぐにも部屋に入ってくるが、何か引きずっている。 「やあ、大丈夫?朝から土方さんの雷が落ちて大変だったね。あ、これお見舞いの品。つまらないものですが」 そして引きずってたものを床に投げた。ドスンと音がして何かと思えば平助が床に這い蹲っている。投げられた痛みにしばし呻いていたようだが、すぐさま立ち直ると、沖田を睨んだ。 「いってぇ!! ひでぇよ総司君! 見舞いの品ってオレ!?しかもつまらないものって!」 「そんな怒ることじゃないでしょ。それに僕は、お決まりの言葉を口にしただけだよ」 「平助くん……何してるの?」 千鶴の純粋な問いかけに、床に投げ出されていた平助はあーだのうーだの言いながら座り直した。 「大好きな千鶴ちゃんが病気だって知ってきたけど、女の子の部屋に入れなくて困ってたところ、僕という救世主のおかげでお見舞いが出来たんだよね」 「そ、そそそ総司君、なんか説明口調っぽいけど色々おかしいよそれ!!」 「えー? 僕は君の心を代弁してあげただけだよ」 「つまり二人ともお見舞いにきてくださったんですね。ありがとうございます」 沖田の説明前半はうまく千鶴の脳内で聞き取れられず、嬉しいなぁと、熱で朦朧としている千鶴はへにゃっと表情を緩める。 「と、とりあえず大丈夫か?」 平助はようやく落ち着いてきたのか、咳払いをしながら千鶴に訪ねる。 「はい、ちょっとボーッとするだけです」 「どれどれ」 沖田は千鶴に近づくと、ゆっくり顔を近づけて額と額を合わせた。だが、千鶴は頭が働かないせいか、沖田が何をしているのかわからなくて、そのままにしておく。普段ならばすぐに後ずさる距離だ。 「なあーーーーにやってんだよ!!」 平助が慌てて千鶴と沖田の間に割り込んできて、二人を引き離す。 「何って、熱計ってただけだよ」 「さっき土方さんが38度って言ってただろ!? 計る必要なし!!」 「そうだっけ」 沖田はクスクス笑いながら、平助の反応を見ている。千鶴は二人とも仲がいいなぁ、羨ましいなあとつられて笑う。 「じゃ、オレら学校だから行ってくるな。ノートは……ちゃんと取れるよう努力する」 「いい子に寝てなきゃダメだよ。いい子にしてたらご褒美あげるから」 「ほら、総司君行こうぜ」 騒がしい二人が部屋を後にして、千鶴はまた静まった部屋の中で時計の鳴る音に耳を澄ませた。 寂しいなあ、と心に浮かぶ気持ち。病気になると心細くなるものだが、今日は一段と父恋しかった。こんな時は決まって、父がそばで大丈夫だと励ましてくれていたから。 「寂しいなあ」 口に出して心の透き間を埋めようとするも、穴はますます広がっただけ。 「さみしい」 寂しい時は眠ってしまおう。千鶴は目を瞑って寂しさを打ち消すように自分の身体を縮こませた。 千鶴が起きると、もう正午を回ったところだった。お昼の時間だ。お腹が空いたような、そうでもないような。他の人はどうしているだろうか、と考えて食事を作ろうかと起き上がる。まだふらふらするので布団から出るため、椅子に手を置いて、体重を支えようとした時に、ノックが聞こえた。 「雪村、起きているか?」 「斎藤さんですか? はい、大丈夫ですよ」 ドアはすぐにも開き、盆の上に一人鍋とレンゲを乗せた、斎藤が部屋に入ってきた。 「食事だ。少しでもいい、食べて薬を飲め」 「ありがとうございます」 盆を受け取ろうとした千鶴の手を遮って、斎藤はそれを机に置く。そして千鶴に布団に戻るよう指示する。 「布団から出すな、と師範代から命令が出ている。大人しくしていろ」 千鶴は命令なら仕方ない、と言われた通りに布団へ戻り、枕を背もたれにすると、座り込んで掛け布団を腰まで引き上げた。 「もう一度熱を計ってみろ」 「はい」 体温計を手渡されて、斎藤が一度部屋を出て行った時に脇へいれる。斎藤はすぐにも戻ってきて、手には水差しを持っていた。 「顔が赤いな、まだ熱は下がってないようだ」 ピピッと電子音がしたので、千鶴は体温計を取り出した。液晶に書かれているのは38.2度、斎藤に手渡すと、斎藤が液晶を見て唸るように黙った。 「やはり解熱剤を飲んだ方が良い。山南さんから預かっている」 千鶴の机の椅子をベッド脇に寄せると、斎藤はそこに座って持ってきた水差しを机に、代わりに盆を椅子に座った際に自身の膝に乗せた。 「口を開け」 「え?」 「いいから」 逆らうことなく言われた通りに口を開けた千鶴、斎藤はレンゲで掬ったかゆを息で冷ましてから千鶴の口に含ませた。千鶴は条件反射のように口をもごもご動かして、ごくんと飲み込んだ。 「食べられるか?」 「美味しいです」 「そうか」 心なしか斎藤の表情がホッとしたように見えた。 「ありがとうございます。でも、一人で食べられます」 盆を受け取ろうとまた千鶴は手を伸ばすも、斎藤はその手を難なく避ける。 「お前はそのままでいい。こぼしたりすると厄介だ、余計な手間になる」 確かに斎藤が言うことはもっともだが、妙に釈然としないと言うか、結局千鶴は迷惑をかけているだけではないだろうか。しょんぼりしながら斎藤に言われるまま口を開いたり閉じたりしていると、斎藤がふと呟いた。 「まるで餌付けだな」 「はい? なんでしょうか」 「いや、なんでもない。全部食べたな、ならこれを飲んでおけ」 手渡された錠剤と水を口に含んで、千鶴は飲み干した。薬は錠剤だが少し苦かった。 食べ終わった食器を持って去ってしまった斎藤。何度もすみませんを連呼してそれを見送り、千鶴は再びうとうとし始めた。お腹もいっぱいで尚且つ薬が効いているのだろう。布団に入り込んで枕に頭を乗せる。 何も考える時間がないのは、たまにありがたい。何も考えずにボーっとしているのは時間の無駄に見えるかもしれないが至福の喜びでもある。 本当にたまに、こんな時間を過ごせたらいいな、と思う。たまにでいい、こういう病気になる形でなく、ただボーっと縁側でひなたぼっこなどをしたら、きっと楽しいだろう。 太陽の暖かい光を想像して、千鶴は微笑んだ。隣では父が笑って千鶴の淹れたお茶を飲んでいた。 「入るぞ、雪村」 ノックとともに掛け声がかかるも、千鶴は既に夢の中。扉をあけて入ってきた斎藤は千鶴の寝顔を見つけて、持ってきたタオルを水差しの隣に置いた。 「おやおや、眠ってしまったようですね。起こさないように行きましょう」 「すみません。せっかく来ていただいたのに」 「君が謝るようなことではないですから、気にしないでください。薬が効けば眠くなるのは当たり前ですし、いい兆候ですよ」 千鶴が眠っている姿に、山南は苦笑した。熱を冷ますには眠るのが一番。無理に起こして状態を聞くよりよっぽどいい。すうすうと穏やかに眠っている千鶴、二人は千鶴の様子にどこかしら安心したように表情を緩めて、部屋を出て行った。 「お、おい山崎君……やはり女人の部屋に無断で入るのはどうかと」 「状態を確認したいだけです。すぐに済みますし、師範は外で待っていてくださっても構いませんよ」 「いや、そう言うわけにはいかん!俺の目が黒いうちは、雪村君を男と二人きりで部屋になど…!」 「師範、そんな大きな声を出されたら、彼女が起きます」 「そ、そうだな、すまん」 なんだか枕元が騒がしい。人の気配を感じたが、千鶴瞼が重くて目が開けられなかった。まあいいか、とまた眠りに意識を傾ける。それに、この声は安心できる人たちの声だ。聞いているだけで寂しさが溶けてゆく。 「ありがとう……ございます」 「起こしてしまったか?」 「いえ、ただの寝言です。雪村君は大丈夫そうですね、本当に起こしてしまう前に行きましょう、師範」 「そうだな……おやすみ雪村君。早く元気になってくれよ」 ドアの閉じた音が聞こえた気がした。 猛烈な喉の渇きを覚えて、千鶴は起き上がった。着ていたパジャマは汗がだいぶ酷い。着替えた方がいいと、起き上がると、机の上にタオルと水差しが置いてあるのを見つけた。 洋服がしまってあるプラスチックケースからシャツなどの着替えを取り出して、タオルで汗を拭き取りながら手早くすませる。外気に肌が触れるとやはり寒かった。そしてコップに一杯、水差しから注いで一気に飲み干す。 目眩や熱さは緩和されている。薬が効いて熱が下がったのは自分でもわかった。 「スッキリしたいし、ちょっと顔洗おうかな」 汗で髪が顔に張りついているのが妙に気になって、せめて顔だけでもと千鶴はタオルを手に洗面所に向かった。 洗面所に行くにはどうしても居間を通る。居間の灯りがついているので誰かいるのだろうが、家の中が静まってる様子からして、だいぶ時刻は遅いはずだ。こんな時間まで起きてるのは、誰だろうと顔を覗かせると、コンビニで買ったらしいつまみを手に、缶ビールで酒盛りをしている原田と新八の姿があった。 「おう、千鶴ちゃん。こんな時間にどうした?」 先に気づいたのは、千鶴に背を向けていない新八で、原田はその言葉で振り返る。 「よう、熱だしたんだってな。大丈夫か?」 「大丈夫です、顔を少し洗いに来ただけですから」 「そっかそっか、一杯どうだ? といきたいもんだが、病気の時だもんな。やめといてやるよ」 「新八、それ以前にコイツはまだ未成年だろうが、飲ませんなよ。そんなことも忘れるほど酔っ払ってんのか?」 仕方ない奴とばかりに苦笑する原田。だが気分を害した様子がまったくない新八はわーってるよと返事をしながら、缶の中身を一気に飲み干した。ぷはぁっと豪快な溜息を発して、新八は唸る。 「くぅ〜〜〜〜っ!やっぱり風呂上がりの一杯はうめぇ!」 「もしかして、今お仕事からお帰りに? お疲れ様でした」 「ああ、さっきな。明日俺は勤務があるが、新八は休みだ。まあ、飲ませてやってくれ」 居間の時計はもうすぐ二時。幾ら明日に支障がないとは言え、この時刻まで働いていたなんて本当にお疲れ様だ。 「それでも、飲み過ぎないようにしてくださいね」 警告をすれば、原田はわかってるとばかりに微笑む。飲みすぎた翌日、新八が頭が痛いと言い出すのは毎度のことだが、二日酔いの辛そうな顔は見ていて楽しいものではない。 そんな千鶴の心配を知ってか知らずか、新八は早速プルタブに指を通し、二本目をあけている。 「じゃあな、おやすみ千鶴ちゃん」 「あんま無理すんなよ。おやすみ、千鶴」 「おやすみなさい」 社会人は大変だ、と新八の飲みっぷりから推測して、千鶴はこっそりと同情した。 翌朝。 「ど、どうでしょうか?」 熱を計った体温計をおずおずと差し出して、千鶴は土方を伺う。液晶を睨むように見つめていた土方は目を瞑ると息をついた。 「よし、学校に行くことを許可する」 「ありがとうございます!」 起き抜けすぐにシャワーを借りて、千鶴はTシャツと短パンというラフな格好で部屋にやってきた土方を迎え入れた。 「昨日はすみませんでした、私のお仕事なのに一日中おやすみいただいて」 ようやく今日からまた働ける。反省してしおれた花のようにしゅんとなっている千鶴に、土方は怒らない。 「具合悪くなってまで働かせるほど鬼じゃねぇよ」 「でも、休んでしまいましたし……なんでも罰は受けます」 「……あのな」 昨日とまったく同じように溜息をついてから、土方は同じようにデコピンを千鶴に喰らわせた。何度喰らってもやはりこれは痛い。身体を仰け反らせ、千鶴は無言でヒリヒリ痛む額を押さえる。 「弛んでるならともかく、普段から頑張ってる奴に理不尽な罰与えるほど、俺は血も涙もない人間じゃねえって言ってんだろうが」 「は、はい」 額の痛みを堪えながら、千鶴は返事をするものの少々情けない声が出た。 「お前最近、学校だ家事だと働きすぎてたんだ、休んでちょうど良かったと思っとけ」 「ありがとうございます」 「それと、今日の朝飯も作らなくて良い」 「えっ、どうしてですか?」 まさか今回のことでクビに!?千鶴 が自分でも知らないうちに悲観した顔でもしたんだろう。土方は呆れたように腕を組んだ。 「他の奴らがお前はすぐに無理するからって、勝手に用意してんだよ。だがまあ、別にクビにするわけでもねえんだ、今日くらいありがたく受け取っとけ」 千鶴の心配はあっさり見抜かれていた。その点についてもフォローされて、良かったとほっとするのも束の間、誰が朝食を作ってるのか激しく気になった。 「使えねえ総司はともかく、斎藤と平助がいりゃ、食いもんが出てくるだろ」 それもあっさり見抜かれている。確かに、斎藤と平助が居れば、ご飯作りは事足りるだろう。それもそうだと千鶴は納得し、土方の言うとおり、気遣いをありがたく受け取って微笑む。 「じゃあ、今日の朝はゆっくりします」 「そうしとけ、出来たらまた呼んでやる」 「はい、ありがとうございます」 最後にもう一度お礼を言って、頭を下げながら土方が部屋を出ていくのを見送った。 制服に着替えて今日の授業の準備をする。机の上にはもう片付けてしまったので水差しはない。代わりにあるのは部屋の前に置いてあった平助の授業のノートと、お徳用チョコ一袋。チョコは沖田が置いてくれたのに違いない、お徳用チョコは沖田の好物であるにも関わらず分けてくれたようだ。 どうやら、昨日学校に行く前に言っていたことを実行してくれたらしい。律儀な人たちだなぁ、とチョコをひとつまみして、千鶴は平助のノートを開いた。授業に置いて行かれないように、せっかく貸してくれたノートを無駄にはしない。そこには平助らしい字の羅列が見えて、ところどころミミズ字だが、意外に綺麗に書かれているノートに少し感動した。本人に言ったらさすがに怒られてしまいそうなので、心の中で思うだけにしておくが。 不意にくすりと笑いたくなって、千鶴は口元に手を添えた。 少し熱が出ただけなのに、こんな千鶴に形の見える優しさで心配してくれる、この家の人たちが千鶴は大好きだ。 「おーい、千鶴!朝飯出来たぞ!」 部屋の外から平助の呼ぶ声が聞こえた。 「はーい!」 返事を返してノートを閉じると、千鶴は笑顔で部屋を後にした。 了 これ書いてるとき、マックで一瞬夢見るほど熟睡した(笑)← それにしても眠いぜ! わりと本編がシリアスに近づきつつあるので、ほのぼのしたものもたまには書きたいなーと思い、番外編ですw コメディ色がちょっと強いのも番外編ならではwというわけでw 20090911 七夜月 |