夢幻蝶



 日本にまたこの季節がやってきた。涼しい風がちりーんと風鈴を揺らし虫がそれに合わせて羽音を擦る。
 うずまきの蚊取り線香の匂いが一軒ずつ香る。この匂いも四季の一つとする日本の風情である。他に夏の風情といえば空に上がる大輪の花…花火もその一つだ。祭りが開催されては花火の音が響き、雷雨の雷とは違った地響きを遠くに聞きながら、日本は団扇で自らを扇いだ。
 山に居れば木々が邪魔してなかなか花火は見えないが、その花火の楽しみ方は人それぞれで、身体を打ち震わすこの音にこそ耳を傾けて己の中にある花火を思い描くことも、楽しさの一つといえるだろう。
 人ごみは苦手というのも相成り、日本はこうして夏を楽しむことにしている。
 そんな風にただ思考に耽っていた日本の前を淡い光が横切る。はぐれ蛍だろうか、川からそう近いわけではないのにこんな場所までやってくるとは。日本は微笑を浮かべて、その蛍を視線で追った。
 蛍は不規則な光の残像を残しながら、家屋の中へと入っていく。好きにさせようかとも思ったが、命短し蛍火の行く末はそれなりに気になった。幾重もの襖は全て開け放たれて風通しを良くしているので、蛍の飛行足跡は障害物にぶつかることもなく自由そのものだった。
 蛍が光を点滅させながら向った先は、奥座敷だった。普段はそこで過ごすことは少なく、朝と晩そして掃除に部屋に入るくらいだ。奥座敷は大きく開け放つことはないため、蛍は少しだけ開かれた襖の間を縫って部屋へと入っていったようだ。
 日本もそれに続く。そして、入ってすぐに驚きの光景を目の当たりにして日本は固まった。
「……どちら様でしょう?」
 昔ならではの精霊棚の上に置いてあったお供え物が狙いなのか四つんばいで手を伸ばしている赤い蝶柄の着物を着た少女がこちらを振り返った。肩下で切りそろえられた髪には着物と同じ赤いリボンが結ばれていた。
「……泥棒でしょうか」
 少女はニッコリと笑って、精霊棚に置いてあった蜜柑を手にした。そしてそのまま日本の脇をすり抜けて、廊下を走っていってしまった。
「…………?」
 一言も喋らずに走って行ってしまった少女は、そのまま戻ってくることはなかった。

 夏の真昼はとにかく暑い、襦袢にはうっすらと汗が染み込んでいる。子供であれば近くの河原で水遊びということも出来るが、大人ともなればそんなわけにも行かず、日本は西瓜を再び持ち直して家まで運んできた。
「ふぅ……山道を老体に鞭打って登るのは大変です」
 愚痴という独り言を呟きながら、日本はふうっと額の汗をハンカチで拭った。綿が水分を吸収すると風が熱を冷ます感触に少しばかりの心地よさを感じる。日本が少し休憩しようと玄関で座り込むと、良い風が日本の右後方から一定の風力加減で注がれた。
 さすがにおかしいなと振り返ると、そこには昨日の蜜柑泥棒、もとい少女が団扇で日本を扇ぎながら居た。
 少女は日本と目を合わせると、にこっと目を細める。
 しばらく見つめ合ったまま声を出せなかった日本だったが、自分が持ってきた西瓜を手に取ると彼女に見せた。
「ええと、食べますか?」
 少女は手を合わせると嬉しそうに何度も頷く。では、と日本は西瓜を少女に渡す。重さにふらついた少女はそれでも日本をジッと見つめる。少し困惑しているようにも見える。
「これを、裏にある井戸水で少し冷やしてきてもらえますか?果物の糖度は冷えると3%上がるんです。甘くなりますよ」
 甘くなると聞いて、少女は目を輝かして頷き、子供らしく走り出した。
「あ」
 まだ冷やし方の説明を十分にしていなかった日本は少女を止めきれずに、仕方なくよいしょと重い腰を上げた。

 少女の来訪は三日三晩続いた。日本が家にいるとどこからともなくふらっとやってきて、いつの間にか姿を消している。少女は喋ることをせずに嬉しいとか楽しい、はたまた悲しいというのはすべて表情で表現していた。喋れないのか、それとも別の理由があるのかは知らないが、日本は深く尋ねることなく少女の来訪をなんとなく受け入れていた。
 三日目の晩、精霊棚のある部屋がどうやら気に入ったらしい少女はきゅうりとなすで出来た牛と馬をじっとみていた。
「作ってみますか?」
 少女は興味のあることならばすぐにも頷く。日本もその微妙な感情の変化には気づけるようになったので、奥座敷に卓袱台を用意すると、その上に材料を準備した。
「きゅうりの馬は速く先祖が帰ってくるように、そして牛はゆっくりとあの世へ帰れるように、願いを込めて作られるんです」
 少女は日本の説明一つ一つに丁寧に頷いた。そして彼の示す手順どおりに割り箸を用いながら完成させた。
「上手に出来ましたね」
 少女の頭を撫でると、まるでネコのように嬉しそうに反応する少女。日本は少女を膝に乗せると、三匹ずつに増えた牛と馬を精霊台の余分なスペースへと置いた。
 少女は誇らしげに自分の作った牛と馬を見ている。持って帰るのを拒否したので一緒に飾っては見たが、やはり名残惜しいんじゃないだろうか。
「君の作ったものは、君の自由にしていいんですよ」
 日本の提案にも少女は首を振って拒否を示した。いらない、ということだろうか。それとも、ここにおいておきたい理由でもあるんだろうか。
 少女は日本が作った牛と馬に、自分が作った分を一層近づけて満足そうに微笑んだ。

 少女は日本に多くのことを学んだようだった。真新しいことに触れるたびに、少女は目をキラキラさせながら日本に見せてきた。褒めてくれといわんばかりに傍にやってきて日本の袖を引っ張る。
 少女は頭を撫でてやると嬉しそうにする。だから日本は躊躇わずに良いことをしたら頭を撫でた。少女が日本になつくのに時間がいらなかったように、日本もこの少女を受け入れるのに時間をかけなかった。
「今日は盆踊りの日ですね」
「…………?」
「盆踊りは知りませんか? 満月の日に、やぐらの周りを皆で踊りながら回るんです」
 少女は首を振った。どうやら本当に知らないらしい。日本が行きますか?と声をかけても、少女はやはり首を振った。
「そうですか?」
 首を振りつつも残念そうにしているのは本当は行きたいからなんじゃないかと日本は思う。でも無理強いして連れて行くものではないし、人前に出ることは何かしらの理由があっていやなのかもしれない。
「盆踊りは地獄での受苦を免れた亡者の喜んだ姿とされています。きっと、本当に嬉しかったんでしょうね」
 少女は日本の首に抱きついて、甘えるように日本にぶら下がった。地獄と聞いて怖がらせてしまったか、と日本は口を閉じた。少女は顔を上げることなく、しばらくそうして日本の首にしがみついていた。

 翌日、奥座敷に日本がゆくと少女が作った馬のところに、書置きがあった。
 子供らしい字で習いたてのたどたどしさが残っているそれはまるでミミズのようで、大きく「ありがとう」と書かれていた。そしてなすの牛が一匹見当たらなくなっていた。少女が持って帰ったのだろうか?
 日本は芽生えた疑問に首を捻りつつも、深く気にしないことにした。この数日とても奇怪な体験をしたと思えば、なんら不思議なことはない。
 風鈴がちりんと音を立てて、風の到来を告げた。
「もうお盆も終わりですね」
 残暑へと切り替わる季節の差し掛かり、日本はそよ風の冷たさに夏の終わりを感じ取って呟いた。





 小さな子を書くのは好きだから思わず書いちゃったけど……これ日本?敬語にすりゃいいってもんじゃないよ七夜月さん!ちょ
 日本の文化(年の功)だけは他国にも引けをとらない……と信じて書いてみた。中国4000年に例え敵わなくとも2000年は大きいんだぜ!!
 ネタばらしすると、座敷わらしと日本ということだったのですが、イギリスには見えてたけど、日本には見えてなかったぽいので、お盆の間だけ見えているという設定にしました。言葉を交わすことが出来るほど座敷わらしの力は強くないからただ姿を現すだけってことで。で、お盆が終わったのでまた見えなくなりました。ナスの牛を持っていったのは別に成仏したわけではないんですよwまあ、好きにとって貰っても構わないんですが!←台無しだよ


   20081010  七夜月

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