狂気的な彼女 拓磨が見る限り、珠紀はただ黙ってご飯を食べていた。 「だからよぉ、やっぱあそこでダイナミックな行動を起したがゆえに生まれた何かが男心をくすぐるだろ?」 「はあ、そっすか」 「んだよ、拓磨。ノリわりぃぞお前」 「いや、だって先輩」 ……さっきからこっちに視線がなくとも、ものすごい殺気を放ってる人間が約一名いるんすけど。 ちらりと拓磨の視線が黙々と美鶴の作った弁当を食べ続けている珠紀に向けられる。ちなみに、珠紀は俯いたまま先ほどから一言も喋っていない。 真弘は珠紀の様子に気づいた様子もなく、昨夜見た女子アナ対抗水着運動会の話を再開させる。ちなみに、我関せずと言わんばかりの祐一は真弘の話を聞かずにフェンスに寄りかかり転寝をしている。一方、本来ならばこの場を少しでも和ませようとするはずの優しい後輩は先生に呼ばれ現在職員室にいる。 つまり、今この場で拓磨以外に真弘を止める者はいないのだ。 「あの、先輩…その辺にしておいた方が……」 「ばっか、お前!こっからがいい所なんだって!それでな、その後な騎馬戦が崩れたんだけどよ。揺れんだよ、ばーんと!」 何が、の何の部分は聞くまでもない。真弘の頭の中は恐らく…いや、十中八九女子アナの水着の上半身に集中しているのだろう。 この巨乳好きが、と拓磨は頭を抱えたくなった。 「やーっぱ女はでかくねぇとな!」 「…………」 真弘は最終的に地雷を踏んだ。 「……おい、どうした拓磨。やけにお前顔青いぞ。つか、お前もだ珠紀。さっきから一言も喋んねぇけど、もしかして腹いっぱいなのか?だったらその唐揚げくれ」 手を伸ばした真弘の手を、珠紀は箸で刺した。だが、その威力はたしなめる程度のものではない。真弘の手の色が一瞬にして変色したのを拓磨は見逃さなかった。思わず自分の手を背中の後ろへ隠す。 「いてぇええええ!なにすんだ珠紀!」 刺されたところをふーふーと息をかけながら、涙目になった真弘が問う。 「真弘先輩は私よりもそんなに胸の大きい女の人が好きですか」 顔を上げた珠紀の目は笑ってなかった。口角を持ち上げているのでそれは笑顔であるはずなのに、笑顔には程遠い気配。 「すみませんねえ、フィオナ先生みたいな胸の大きさじゃなくて」 「はっ、んなこと気にしてんのか、ばっかだなお前。だから小せぇんだよ、胸も度胸も」 やれやれと肩を竦めて無駄に年上ぶったその台詞に、拓磨は祈りを捧げるように願った。 頼みますから先輩、もうそれ以上喋んないでください。 が、拓磨の願いも虚しく、真弘の口は止まらなかった。どうやら刺された手が相当痛かったらしい。 「大体お前はよ、もっとフィオナ先生みたいに慎ましやかになったらどうだ。ことあるごとに人のこと殴りやがって。胸がねぇんだ、他のところで勝負する以外ねえだろ」 「ふふ、そうですか。それは先輩には失礼しました。物足りない思いをさせてごめんなさい。というか、先輩にとっては胸でもないんでもないですよね、ただの脂肪の塊にしか見えませんよね。背中と胸の境界線すらないんですよね」 謝罪の言葉の端々から、何か滲み出るものを拓磨は感じ取っている。そしておそらく真弘も何かを感じ取ったのだろう。 「いや、そこまで言ってねえだろ」 何もかもが遅すぎるそのフォロー。 するとちょうど良いタイミングで予鈴のチャイムが鳴った。 「大変、授業が始まっちゃいますよ。ほら、行こう拓磨」 笑顔で拓磨を促す珠紀。拓磨は抗う術を持たず即座に頷く。そして真弘と同じくして、拓磨はこのときに真弘を焚きつけてでも謝罪させれば良かったと翌日深く後悔した。 次の日の昼も相変わらず同じメンバーが集まっている。ただし、珠紀だけが来ない。 昨日のこともあって、拓磨はクロスワードのパズルから視線を意図的に離さずに、同じくバイク雑誌に目を通している真弘に話しかけた。 「珠紀のやつ、遅いっすね」 「ん?あ、ああ……」 やはり昨日の今日では気まずいのだろう。朝一緒に登校する際も、珠紀は笑っているが会話らしい会話はなかった。重そうな荷物を持っているので真弘が気を利かせて持つと言った際にも「いえ、いいんですよ。私胸がない分他の子よりも重いものもてますから」と嫌味としか聞こえない反応を返されて真弘を硬直させた。 慎司が首をかしげて自家製のお弁当を口に運んでると、屋上のドアがゆっくりと開いた。現れたのはもちろん珠紀。ただし、その手に持っているものは……。 「……………………」 全員絶句した。 次に行動を起したのは、祐一と慎司だった。即座にお弁当をたたみ、 「すみません、僕先生に進路のことで相談があるのを忘れていました。先輩方、また放課後に」 「俺も次の授業の準備がある」 そして引き止める間もないスピードで屋上を後にした。慎司に至っては「加速、加速加速加速……!」とものすごい必死な声が階段の踊り場に残響として残されていたくらいだ。 「拓磨」 その波に乗り遅れないようにと立ち上がった真弘を引き止めたのは珠紀に名前を呼ばれた拓磨だった。 「てめえ!離せこのやろう!」 最大限の力を用いて拓磨は真弘の腕を掴んで離さない。間違いない、この手を離したら拓磨が被害をこうむる。間違いない。自分の命と先輩の命、どちらを天秤にかけるかと言ったらそれはもちろん。 「無理っす、すいません。諦めましょう先輩、俺らもう逃げらんないっすよ最初から。もう謝りましょう先輩、今なら許してくれるかもしれないじゃないすか」 「先輩を売る気か、拓磨ぁあああ!お前よくも!」 「真弘先輩、そこに座ってください。これは命令ですよ?」 玉依姫の命令は絶対。だが、それがなくても珠紀の地から響くような低い声に、真弘は拓磨を糾弾する口を噤んで無言で従わざるを得なかった。 そんな真弘の前に珠紀は手にしていた何十冊という雑誌を音を立てて置いた。 肌色の表紙が妙に目立つ。場合によっては肌色ではないが、これを珠紀はここまで持ってきたとでも言うのだろうか。 俗に言うアダルト雑誌だ。一応未成年者が読むことは禁止されているし、表記もされているはずなのだが、こんなものを何処で手に入れたのだろうか。 「あー、なんだ…つかぬ事を聞くが、珠紀。これはどうするつもりなんだ?」 真弘は頭をガシガシと掻きながら珠紀を上目遣い気味に見つめる。その真弘の質問に、珠紀は当然だろうと言わんばかりに微笑んだ。 「読んでください。今すぐ、全部、私の、目の前で」 一言一句区切って、珠紀はそう言った。 今度こそ、真弘は言葉を失った。拓磨としては天を仰ぎたい気分だ。 「それが嫌なら、わたしが先輩の目の前で全部朗読してあげますよ。どちらがいいですか?」 躊躇う素振り見せずにそう言った珠紀の瞳は、光がなかった。有言実行、本当にやるつもりなんだろう。真弘は珠紀の前で膝をついた。 「あと、これからフィオナ先生がここにきますよ。私が呼んだんです。でも、先生がきても私はやめません。最後まで読ませてもらいますから安心してくださいね」 白々しいほどの小首を傾げる動作。普段なら可愛いと思わないでもないが、今回ばかりはその動作を心底怖いと拓磨は戦慄した。 四つんばいで絶望していた真弘は隣に立っていた拓磨を無理やり引き込んで、その場に正座をした。 「すいませんでした」 そしてその後、コンマ10秒で真弘の口から土下座という形で謝罪がもたらされたのは言うまでもない。 了 〜おまけ〜 「なあ拓磨、俺はさあ、嫉妬ってもっと可愛いもんかと思ってたんだが」 「……嫉妬にも色々ありますから」 精一杯の拓磨のフォローは屋上で正座をさせられた人の胸に来る。ちなみに珠紀は今、フィオナと食事をしながら歓談中である。フィオナが登場した際、真弘が当然とばかりに彼女の元へ行こうとしたとき、珠紀から「ダウン」と言われて真弘は立ち上がることすら許されなかった。俺は犬か!? と騒ぐ真弘を無視する形で珠紀はやってきたフィオナに愛想を振りまくりながら食事に誘っていた。 そろそろ足の痺れも限界を感じてきて、辛さを覚えているのは真弘だけでなく当然拓磨も。 「……いいんじゃないすか。それだけ愛されてるってことですよ」 拓磨はもう面倒くさくなって、投げ捨てるようにそういった。立ち上がった瞬間のものすごい衝撃を覚悟しながらせめて今は痛くないようにとほかの事を考える。だが、真弘はそれを聞いてにやっと笑みを浮かべた。 「そーか、そうだよな。俺愛されてんだよな! お前がそんな羨ましがるほどに俺愛されちゃってんだよな!」 「……先輩、後で一発殴っていいすか?」 「はぁ?ふざけんな。この鴉取真弘先輩様を殴ろうなんざ100万年はえーよ」 何で俺がこの人に付き合わされて足を痺れさせているのか、本気で拓磨は謎だった。心内で勝手に100万年経過したことにして、気の済むまで殴ることぐらいしか拓磨がこの状況から逃避するためには出来そうにない。 「ホントお前、なんでこんな人選んだんだ?」 「あ? なんか言ったか?」 「なんでもないっす」 真弘にも聞こえないような小さな声で珠紀に抗議して、拓磨は大きく溜息をついた。 了 20081006 七夜月 |