貴方と私とこの場所で 珠紀は少しだけここ最近自分の夢見が悪いことに悩んでいた。寝不足なわけではない、けれど疲れが取れないのはきっと夢見が悪くて何度も目を覚ますせいだろう。 夢の内容は覚えていない、ただ、珠紀が手を伸ばしても何かが掴めなくて白い光に包まれるだけ。でも、自分が一人で何もないそこに佇んでいるようなそんな孤独感を感じて目が覚める。 繰り返し見ているはずなのにいつもそこしか覚えていない。珠紀は額に指を押し当てた。眉間に寄る皺なんか誰にも見せたくない。特に、もうすぐ卒業する真弘と祐一に余計な心配をかけたくない。 笑顔、ちゃんと作らなきゃ。 珠紀は気合をこっそりと入れて、今日もまたいつもの屋上へとやってきた。 ドアを開けて外に出ると所々雪が残っているが、座れないほどではない。それに今日は天気予報で3月上旬の気温になると言っていたからきっと暖かいだろう。今までは教室を使って食べていたが、これなら大丈夫そうだ。 「一番乗りー! って…こんなことで喜ぶなんて、私だいぶ真弘先輩に感化されてるな」 影響をこんな形で受けていることを思い知り、珠紀はなんだか笑ってしまった。 珠紀の定位置は皆が見られるドアすぐ近くの屋上の壁、前の通りに腰を下ろしてそこでボーっとしながら皆を待つ。壁に体重を預ける形で寄りかかって空を見上げていたら、ゆっくりと流れゆく雲と春めいた陽気に身体は睡眠を欲する。 「これじゃあ祐一先輩のこと、言えないなあ」 珠紀の意思に反してゆっくりと瞼が落ちてくる。だが、それもいいかもしれないと珠紀は思った。こんな日差しの暖かい中眠るのは、きっと気持ちがいいだろうから。 この暖かさに珠紀は安心を覚える、何故だろうと考えて、それが真弘の体温に近い温度だからだと納得した。 眠りに落ちる寸前真弘の笑顔を思い出して、珠紀は自分が作り笑顔なんかじゃなくて、本当に微笑んだのをなんとなく感じ取ったまま意識をなくした。 ああ、いつもの夢だ。珠紀はそう感じた。自分は知っている、この感覚を。気づけば千早の装束に身を包んだ自分は何事かを呟いて、目の前の守護者に何かを命じているのだ。 自分の姿を少し離れたアングルから見るのは不思議に感じながらも、珠紀はこの夢が嫌いだった。だって、『私』は守護者にとっても嫌なことを言うのだから、なのに顔を歪めることなく笑ってさえみせるその守護者はどことなく雰囲気が身近にあるもののように感じていた。 守護者の顔は珠紀は見られない。固定されたカメラのように、珠紀が見えるのは命令をする『私』だけ。守護者は視界に入らない位置で『私』の話を聞いている。珠紀が守護者が笑っているように感じるのは、もしかしたら守護者の笑顔を『私』が見ているのを珠紀が感じ取っているだけかもしれない。 もしくは、酷い命令に対しても守護者が快く引き受けてくれたと都合のいいように解釈している『私』の気持ちが珠紀に流れ込んでいるのかもしれないと、珠紀はぼんやりと考えた。 「私の代わりに、封印の贄へ」 そう『私』の唇は喋っていたんだと思う。封印、封印って何を封じるの?贄?贄なんかに誰もさせない。 珠紀は少しずつカメラのアングルが広がっているのを感じた。先ほど見えなかったものがゆっくりと見えてくる。 「それが、貴方の役目です」 『私』の唇は微かに震えていた。どうしてそんな酷いことを言うんだろう、珠紀は少し考えてから言わなければならないんだと気づいた。 言わなければ、世界が滅びるから。言わなければ、世界のシステムが崩壊するから。 だから、さよならをするんだと、珠紀は悟った。 すると、今まで黙っていた守護者がようやく口を開いた。 「ああ、かまわねえよ。それでお前が守れるのなら」 聞いたことのある声だった。いや、聞いたことあるなんてものじゃない、毎日毎日聞いている声だった。 「真弘…せんぱ……い?」 『私』でなく、珠紀はそう呟いた。確かに珠紀の広がった視界に入っていたのは、守護者として覚醒した真弘の姿だった。そしてその顔は、当然のように笑顔だった。珠紀が好きな笑顔、自分を慈しんでくれるときにだけ見せてくれる特別な笑顔。 封印が始まる、真弘の身体は白い光に包まれて、『私』はそれを見つめていた。珠紀は最初こそ呆然としたものの真弘を助けるために走った。否、走ろうとした。 「足が……!」 影を縫いつけられたように、身体の自由が利かない。その珠紀に出来たのは、白い光の中に溶けていく真弘をただ見ているだけだった。 「いや……こんなの……」 動けと思っても身体はどこも動かない、呟きは後に悲鳴に代わり、絶叫するように珠紀は声を上げた。 「いやぁっ!!」 「おわっ!! なんだ、びっくりすんじゃねぇか! って、うおおっ!俺の焼きそばパンがぁあああああ!!」 珠紀が自分の悲鳴で目を覚ましたとき、周囲から何事かと視線を集めていることにすぐさま気づいた。 ただ、一名。真弘だけは床に落ちた焼きそばパンに四つんばいになって絶望していたが、他の人は皆、問うような視線を投げかけている。 「あれ……私、寝てました?」 「ばっかやろう、珠紀! おまえが急にでけー声出すからこうして落ちちまっ……」 振り返った真弘は珠紀を見て一瞬動きを止める。そして、眉を顰めてすぐに珠紀の傍にやってくる。 「どうした?」 突然低い声で問われて、珠紀は「何がですか?」と答える。 「何がじゃねえよ……何で泣いてんだ」 「え?」 言われなければ気づかなかった珠紀だが、随分と涙を流している。ぼろぼろと溢れて止まらない涙は、珠紀の意思で止めることが出来なくて、それを拭って無理に笑おうと努力した。 「あ、あれ?変なの……嫌だな、なんでもないんですよ。すぐ止めますから」 だけど、笑顔は作れなかった。泣いていると自覚した途端に、嗚咽が口から出るのを止められなくなり涙を止めるはずの動作は、嗚咽を止めることに切り替わる。 「やだ、本当になんでもないんです……なんでも…な…」 珠紀は今度は全部覚えていた。夢で『私』が言ったこと、そして真弘が笑いながら珠紀の手の届かない遠くに行ってしまったこと。全部全部覚えていた。 もう鬼斬丸は封印して、全部が終わったはずなのに、まるで真弘がどこか遠くへ行ってしまうようなそんな不安が生まれてしまう。 「なんでもねえ奴はそんな風に泣くか。何があった、話せ」 珠紀はもう一度なんでもないといおうと思った、これはただの夢だと、もう終わったことに怯えている自分の弱さだと、解っているからこそ、真弘には格好悪くていえない。けれども、声を出そうにも嗚咽交じりにしか話すことが出来ない。だから珠紀は必死に首を横に振る。 「……言いたくねぇってことか」 真弘が溜息ついたのを、なんとなく珠紀は感じ取る。ごめんなさい、そう心の中で何度も謝る。 頭をがしがしと掻きながら、真弘は落ちた焼きそばパンの方へと戻ろうとする。 行く、行ってしまう、真弘は今珠紀の傍から離れていく。 珠紀はその手を伸ばして真弘の制服の裾を強く掴んだ。 「……か、ないで」 真弘は振り返り、ただじっととして珠紀の言葉を聴いている。 「行かないで先輩、私を置いて行かないで」 お願いだから、傍に居て。もう一人にしないで、痛いの、怖いの、辛いの……寂しいから。 珠紀ははっきりと自分の願いを口にした。言われた真弘は思い当たる節があるのか、少しうろたえるように視線を彷徨わせたが、結局はしょうがないと言わんばかりに、珠紀の頭を撫でた。 「入学がありゃ、卒業すんのは当たり前だろ。ばーか」 珠紀はすぐに真弘が勘違いをしていることに気づいた。だが、訂正することもなんと言ったらいいのか解らなくて、結局は口を噤む。 「永遠の別れでもねぇんだ、んな深刻に考えんなって」 でも、夢の中ではもう二度と会えないと予感めいたものを感じていた。あんなことになるのだけは嫌だ。 「どんな夢みたんだかしんねぇけど、安心しろよ。ずっとお前の傍に居てやる。この鴉取真弘先輩様に二言はねぇぜ!」 いつもと同じように尊大なそして、真弘はもう一度繰り返した。 「ずっと、居てやるからよ」 真弘の大きな手が、珠紀の頭を包み込んだ。女は殴らない主義の真弘は、こうしていつも珠紀の頭に触れるときは優しく撫でてくれる。 珠紀は安堵した。この大きな手がいつも自分を安心させてくれる、いつも自分を大事にしてくれる。それが解るし、そう思わせてくれるこの手が今の珠紀の何より大事な居場所だった。 「先輩の手、私好きです」 「は?……いきなりなんなんだ、変な奴だな」 好きというストレートな言葉に反応したのだろう。真弘は少しだけ顔を赤くしている。照れているのだ、そのあまりにも普段と同じすぎる真弘に、今度こそ安心した珠紀は、もう涙を止めることも忘れてぽろぽろと泣き続けた。 「うおおっ、なんでこの流れで更に泣く!? お、おい拓磨! どうしたらいい!?」 「知らねえすよ。先輩がなんとかしてください、泣かせたのは先輩なんすから」 「俺か!? 俺のせいなのか!?」 「真弘が悪い」 「やっぱり俺のせいなのか!!」 「あ、あの…とりあえず真弘先輩も落ち着いてください」 慌て始めた真弘に少し悪いな、と思いつつも珠紀はもう涙を止める気はなかった。思い切り泣いて、からっぽになるまで泣いて、そしたらまた笑って真弘の隣に立てると思ったから。 この背の小さな人は、小さな身体の中にすごい覚悟を持っているのを珠紀は知っている。約束をしたら絶対に破らない、必ず守ってくれる。 珠紀は真弘の騒がしい声が響く屋上で、ただ空を見上げた。涙の中に浮かぶ青空は、いつもと違った青色をしていた。 了 これは友人の七瀬瑞樹さんに送ったのですが、そしたらまさかの絵を描いてくれました。 七瀬さんのサイト→「月姫」 BGM:「恋に落ちて」藤田麻衣子 20081019 七夜月 |