切なさを救い出して



 月が綺麗に見える夜、なんとなく思い出すのは彼の瞳。爛々と輝いていて、普段は太陽みたいにキラキラしている彼の目が一瞬だけ見せた深い失望。月と同じように淡い落ち着いた光を湛えていたのだ。まるでそうとは扱ってなかった彼を、初めて年上なのだと意識したあの瞬間。珠紀はひどく落ち着かない気分になった。それから、珠紀は彼の行動全てが気になって仕方なくなった。一挙一動に目がいってしまう。彼から目が離せない。
 普段はあんなにもバカみたいに平然と軽口を叩いたりしてるのに、彼は大人なんだとそんな当たり前のことすらなんだか少しショックで。いつまでも自分が優位に立つわけじゃなかったし、彼が子供っぽいことばかり言うのだってそういう人だとわかっていたはずなのに。いざ、こうして知らない彼を目の当たりにしたら珠紀はどうしようもなくなった。
 胸が苦しかった、どうしてそんな微笑を浮かべるの。笑うならもっと、豪快に…いつものように笑ってよ。微笑まないで、優しくしないで、ふざけてるのが先輩なのに。
 次から次へと溢れてくる想いを言葉にすることも躊躇われて、珠紀は結局何もいえなかった。
 自分よりもずっと強い敵とたたかって、守れなかった悔しさに落ち込むのは仕方ないと思う。何も出来なかった珠紀に何かを言う資格はない。元気になって欲しいけれど、彼らの問題に踏み込めるのは少しだけ。それ以上は、珠紀の領分ではない。けれども、元気になるのなら珠紀はなんだってする。それが願いだ。
 だが、珠紀が一番堪えたのは、落ち込んでいる顔でもなんでもない。
 全てを諦めたような顔を見せられた時だった。
 やめて、やめてよ。どうして諦めるの。どうして何も言わないの。どうしてどうして。
 他の守護五家に追い詰められたとき、珠紀の中で不安が爆発した。彼が諦めた顔をしている、なのに自分はそんな彼にまだ何も出来ていない。それでは以前と何も変わらないではないか。助けられてばかりで、彼が傷つけられるのを見ているだけで、そんなの嫌だ。彼は渡さない、彼を救いたい、彼を苦しめたくない。
 想いは絡み合った糸のように、珠紀自身すぐには解けないほど窮屈に縛りつける。
『早く逃げろって言ってんだよ!』
 肩を押して、珠紀を守るように仲間の前に立ちはだかって、辛くないはずがないのに。どうして逃がそうとなんてするの。
 私のことなんか好きじゃないくせに、距離を置こうとするくせに、どうして助けたりするの。
『おまえが好きだからに決まってんだろ!!』
 泣きたいぐらいぐちゃぐちゃになった珠紀の心に流れ星のように飛んできたのは、真弘のその言葉だった。彼が好きとかそんな感情だけで動いていたわけじゃない、珠紀も知っている。だけど、真弘は珠紀を好きだと言った。
 ぼろぼろになりながらも、そう叫んだ真弘に初めて珠紀は自分が彼にちゃんと見られていたことを知ったのだ。
 だったら、死なないでください。一緒に生きる道を探してください、全部を諦めないでください。私はまだ先輩と一緒にしてないことがたくさんあるんです。村の外にも行きましょう、行きたいところありますよね? バイクの免許も取りにいかなきゃ。
 声に出せない願いとなったそれは、生きたいと願う彼の前に結晶となって零れた。あの時もそう、月の綺麗な夜だった。
 正直言えば、あの時は月なんて見ている余裕がなかったはずなのだが、手を引かれて走っているときに一瞬だけ見上げた空に浮かんだ月がとても大きくて、綺麗な黄金色だったのを覚えている。
 ようやく彼の心に触れるのを許されたときに、珠紀は本当の意味で真弘を捕まえることが出来た。もう離したくないと、抱きしめられた腕に同じ分だけの気持ちをこめた。悲しい口付けの記憶が優しいキスの記憶に塗り替えられて、真弘を心から愛しいと思った。こんなにも誰かを想う気持ちが大きくなるなんて知らずに。
 珠紀は千早の衣装を身に纏ったまま、境内で約束の人が来るのを待っていた。丸くて綺麗な月を見上げて、もうすぐきっと彼がやってくる。どんな顔をしてくるのだろうか、待たせたことを詫びてそれから自分のこの姿をどう見るだろう。
 子供のように照れて笑って似合うっていってくれるだろうか。それとも、あの大人びた顔で褒めてくれるだろうか。
 彼の反応がすごく楽しみだ。早く、逢いたい。
 珠紀は未だにこない彼の姿に、胸をときめかせた。


 了





   20090111  七夜月

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