ANNIVERSARY



 生きて欲しいと願っていた。だから、さよならは言わないと、彼は告げたのだ。必ず俺もそこに行くと、いつの日かもう一度…また出逢えたら今度こそずっと一緒にいようと、彼は約束してくれた。
 また会えるから、この世界でこの時代に、一緒に生きることは出来ないけれど、珠紀はそれでいいと思った。
 鏡に反射した暗闇に生まれた一筋の陽光(ひかり)。
 自分の身体が空に溶けていく感覚というのはこういう感じなんだと、真弘から視線を外して珠紀は目を閉じた。
 願うのは、目の前で震える身体で珠紀を解放した真弘の幸せ。
 もう届かないと知りながらも、珠紀はその身体を抱きしめた。肉体を伴わない抱擁は、感覚さえも過去のものを甦らせるしかできない。
 子供、いっぱい産んであげたかった。三人がいいのなら、三人。子供たちはきっととても元気で、真弘はいいパパになって、子供たちと同じようにかけっこでもなんでも大人気なく真剣に取り組んで、子供たちの頭を撫でながら、いつもみたいに偉そうに踏ん反りがえるんだろう。
 珠紀はそれをいつでも傍で見て、子供たちがどんどん大きくなるのを真弘と一緒に感じて、幸せだねって笑いあって、自分たちが守りぬいたこの世界をたくさん謳歌したかった。
 死ぬのは不思議と怖くない、諦めたわけでも、負けたとも思ってない。ただ単に、これで彼を見守ってあげられるとそういう穏やかな気持ちでいるだけなのだ。
 ただ見ているだけは歯がゆいかもしれない、無茶しそうになればハラハラするかもしれない、いいことなんてないと思う人も居るだろう。
 だけど、珠紀は信じている。彼がいつだって負けないこと。どんなときでも彼はもう諦めたりしないと思えるから。そして約束も守ってくれるのだろう。

 耳の奥で、チリっと音がした。

 だから、また会える日までずっとこうしているのだ。
 彼が天寿を全うして、もう一度珠紀に会いに来てくれること。きっと彼はこれから珠紀を忘れて結婚してしまうかもしれないけど、それはそれでいいと思う。寂しいと思ってもそれが彼の幸せなのだから、むしろどんどん幸せを探して欲しい。
 そうしたら自分と真弘の子供じゃないけれど、珠紀は彼の命ある限り、彼の家族を見守りたいと思う。

 何か、大きな波動が自分を押し出そうとしている。

 真弘は夜になるとよく出歩く、珠紀を連れてきてくれた星空の綺麗なところに。真弘はここにくるといつも泣いている。
 女々しいとか、もっと男らしくしゃきっとしなさいとか、珠紀はいえなかった。彼が普段はとても普通に過ごして、ほんのたまに、思い出したように珠紀のために泣いてくれるから。
 涙を拭うことが出来ないのが、少しだけ残念だ。
 そんなに泣いてたらダメですよ、ほら、いい男が台無しです。
 聞こえない言葉を、彼にかけ続ける。どれだけそばに近寄っても、空に溶けた自分は真弘が感知できないほど大気と同化しているから決して見つからない。
 いつも一人で泣いてる彼の元に、祐一がやってきた。そして珠紀は少しだけ安心する。この場所は彼が一人で泣くところだったけれど、これからも祐一がきっと真弘に手を差し伸べてくれるだろう。
 ――私がいなくても、大丈夫。さよならは言わない、だってそれが約束だもの。

 時間はその場に留まることを許さなかった。

 空に溶ければずっと彼を見守っていけると思っていたけれど、遠くから声が聞こえてきた。珠紀の時間を止めてはいけないと。もしここに居続けたら、二度と彼に会うことは叶わなくなる。そんな警告のようなものだった。
 涙を止めた真弘と傍で見守っていた祐一が、静かにその場を後にする。珠紀は遠くなる背中を見つめながら、約束を守ることを選択した。だから、しばらく彼を見るのは叶わなくなる。
 さよならは言わない、だから代わりの言葉を珠紀は風に乗せた。

「またね、先輩」

 また会いましょう、先輩。今度は私も約束守ります。先輩のお嫁さんになって、先輩と温かい家族を作って、先輩といつまでも喧嘩して、先輩としわくちゃになっても手を繋ぎ続けていたい。

 さあーーっと風が流れて、珠紀の姿は掻き消えた。

 一陣の風が吹いた。そして真弘は今降りてきた丘を振り返る。
「どうした真弘」
「今、アイツの言葉が聞こえた。『またね』って……風に乗ってアイツの声が」

 真弘も自分で言ってて自信があったわけではないのに、口に出せば出すほどそれは確信になっていった。
 それは真弘の心に届いた、守護者としての力が訴えかけているのだ。心が震える、まさかと思うと同時に、それを歓喜している自分がいる。感じる、珠紀の気配だ、それは間違いようのない珠紀の玉依姫としての存在の証。
 だがそんなはずはない、一年前、自らこの手でケテルと共に刺したのだから。珠紀がこの世にいるなんて、考えてはいけなかった。だから、きっと居るはずなんてないと手の感触は覚えているのに、鼓動のリズムは上がり続ける。
 真弘は祐一の制止を聞かずに風に乗って飛び出した。


 了





   20090219  七夜月

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