部屋とYシャツと彼氏



 珠紀の部屋に入るなり、真弘はぶつくさ言いながら、着ていたコートを脱ぐ。
「あーあ、スーツなんて堅苦しくて着てらんねーっつの」
 それを彼が放り投げる前にと珠紀はすかさず預かって、はあっと溜息をついた。
「あ、お前今溜息ついたろ?」
「先輩、少しは堪えるってこと覚えてくださいね」
「忍耐ならすっげーしてんだろ」
 腕のYシャツのボタンを外して、不服そうに呟く真弘。
「そうじゃなくて」
 せっかく格好良かったのに、と珠紀が口の中で呟いたのは当然真弘の耳に届けるつもりがないからだ。
 今日は真弘の先輩の結婚式。その関係で、真弘がフォーマルな格好としては珍しく制服でなくスーツを着ていたのだ。とはいえ高校時代の制服など着る機会はもう彼にはないのだから、たとえ今着られるとしても断固拒否するであろう。確かに皮肉なことに今も袖が通る。あつらえたようにぴったりだ。だが、それを彼のプライドがそれを許すとは思えない。
「とりあえず、お疲れ様でした」
「おう」
 小さな村から外に出て、大学という世界を知ってから、真弘の世界は格段に広がった。それは一緒に通っている珠紀も知っている。だから、珠紀のよく知らない先輩の結婚式にだって、真弘も呼ばれれば行くだろう。口では何を言っても本当は優しい人だから、結婚ともなれば祝いたいはずだ。
 真弘は慣れぬ手つきでネクタイを緩めて、Yシャツのボタンを外した。こうすると息苦しさが緩和するのか彼の顔にようやく落ち着きが取り戻される。真弘は式が終わって一次会まで出てそのまま自宅に戻ることなく珠紀のところにやってきた。
 珠紀は疲れてる中わざわざ自分に会いにきてくれたことが何より嬉しい。
 行く前にスーツを着るときもあくせくしていて見ていられなかったため、着付けさながら珠紀がほぼ彼の格好を用意したようなものだ。自分が真弘の世話をすることが出来るのは、彼が心を許してくれている証だろうし、プライドの高い彼が頼ってくれるのも純粋に嬉しかった。
「真弘先輩、何か飲みますか?」
「んー…じゃ、コーヒー。熱いの頼むわ」
「了解です」
 言われて立ち上がり、珠紀はコーヒーメーカーの方へと足を運ぶ。来客用に買ったはずなのだが、ここのところ真弘が来た時に活躍するようになった。真弘専用になりつつあるコーヒーメーカーに苦笑しながら、珠紀はあらかじめ温めてあったポットのお湯をコーヒーメーカーへと流し込んだ。
 珠紀の部屋のベッドを背もたれに、真弘は倒れこんでいる。
「どうでした、花嫁さんは綺麗でした?」
「んー、まあなあ」
「いいなあ、私も見たかったです。写真とかないんですか?」
「んー、ねえなあ」
 真弘は疲れが極限まで達しているのだろう、先ほどから返事のパターンが固定化している。珠紀も真弘がそこまで気が回るとは思っていないので、期待はしていなかった。それにもし写真を撮っていたとしても、真弘の先輩は新郎の方なので彼がメインに撮られていたであろう。
「先輩、コーヒー出来ましたけど…少し寝ますか」
 珠紀の問いかけに無言で首を振って身体を起こす真弘。確かに消耗が激しそうだ、慣れない場で緊張やずっと気を張っていたりしたのだろう。
 小さなテーブルの上に二つのカップが並ぶ。真弘はそれを一つ手に取り、「サンキュ」と告げてから一口つけた。
「お前さあ」
「はい?」
「お前もやっぱり、ドレスがいいか?」
「え……」
 珠紀がきょとんとすると、真弘はやけに真面目な顔で珠紀を見た。
「季封村の慣わしじゃあ、当然ながら神前形式が望ましいだろうな。でももしお前がドレスがいいってんなら」
「ま、待ってください! 何の話ですか」
「何って、結婚式の話に決まってんだろ」
「誰と誰の」
「俺とお前の」
 珠紀は混乱した、いつからそんな話になった!?というか、確かな言葉は貰っているけれど、でもそんないきなりそういう話になるとはさすがに珠紀も思わなかった。結婚式に行ったから触発でもされたのだろうか、いやしかし、自分たちは一応まだ学生の身分だ。結婚云々の前にやらなければならないことが……。
 考えに没頭するように黙りこんでしまった珠紀に、真弘が照れ隠しのように珠紀の頭に手を置いて、少し乱暴に髪をぐしゃっと乱した。
「ばーか、んな深く考えんなよ。俺はどっちがいいって聞いただけだ、何も今すぐ式あげるわけじゃねーだろ」
「で、ですよね! あー、ビックリした。紛らわしいこというから早とちりしちゃったじゃないですか」
 少し落ち着こうと珠紀は深呼吸を繰り返して、問われた質問を吟味するように考えてみた。
「正直なところ、よくわからないです。どっちでもいいっていうか……」
 真面目な様はまだ解かない真弘を見る限り、結構真剣にこの件について考えているらしく、珠紀は首を捻った。
「望みとかないのかよ、お前は俺らの村に来るまで、外で過ごしてただろ。どっちかつーと、やっぱカトリック式とかのがいいんじゃねえの?」
「まあ、それもそうなんですけどね。……でも、結局貰われる相手は一緒だし、どっちでもいいかなーと」
 その言葉に動揺したのは今度は真弘のほうだった。真弘の変化に目敏く気づいた珠紀が思いついたように言葉を告げる。
「まさか今更返品するとか言い出しませんよね? 子供の話までしておいて」
「す、するわけねーだろ! 誰が他の奴にやるかよ!お前は俺のもんだろ、他の野郎に黙って奪わせたりするほど、お人よしじゃねえ」
 ストレートな真弘の言葉に今度はまた珠紀が赤くなる。そうして二人揃って照れていて気づけばコーヒーも冷めて、珠紀は決めたといわんばかりに顔を上げた。ずっと言いたかったことだ。珠紀がいつでも待ちわびている、大事なこと。
「子供の話は冗談ですけど、さっきの嘘じゃないですからね」
「返品不可って奴か」
「そうです。私…待ってますから。もう一度、ちゃんと先輩が言ってくれる日が来るのを、ずっとずーっと待ってますから」
 誤魔化しまぎれに本音を告げて、珠紀は頬を上気させながら微笑んだ。
「……わかってる、そんな待たすつもりはねーよ」
 また珠紀の髪をくしゃりと撫でて、真弘は微笑んだ。
 真弘の腕が伸びて、珠紀を捕らえる。その腕に導かれるまま彼の胸の中へと寄せられた珠紀は、彼の鼓動を感じるように、目を瞑って視覚を遮断した。


 了





   20090329  七夜月

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