やきそばパンと誕生日



 のどかな午後のことだった。
 面倒ながら学生には登校日というものが存在する。珠紀たちの学校も例に漏れず、その一つだ。
「先輩、やきそばパンと私が作ったケーキ、どっちが食べた「やきそばパン」
 当に卒業したはずの真弘までいるのは何故か。理由は簡単。珠紀に呼び出されたからに過ぎない。
 間髪いれずに答えた真弘の視線はバイク雑誌から離れず、珠紀は自分の中で「ぷつ」と音が鳴ったのを聞いた。
「いっそすがすがしいほどの即答っぷりですね。せめて少しくらい考えたりはしないですか」
 珠紀の額に青筋が立っているのにも気づかずに、真弘は昼食であるやきそばパンを頬張っている。
「私が料理できないわけじゃないのは知ってますよね? 味は保証しますよ」
「俺は今腹が減っている。やきそばパンは至宝にして至高の食事だ。かくいうケーキは残念ながら主食にはならない。よって、やきそばパンを俺は選ぶ」
 何故か得意げにそう言った真弘に珠紀の青筋がまた一つ増えた。
「そうですか。じゃあ一生やきそばパン食べててくださいね」
「おうっ!最高じゃねえか!」
「先輩のバカーーーー!!」
 投げられたやきそばパンは見事真弘の頬を抉るようにヒットして、そのまま口にシュートした。そしてその衝撃は真弘を倒すのには十分だった。
「そんなに好きならずっと食べてればいいじゃないですか!」
 生々しくも倒れて吹っ飛ばされた後が残った屋上の床。それを唖然と見つめていた拓磨たちの視線をものともせずに珠紀は走り去っていった。
「……真弘、一応聞くが…大丈夫か?」
「今日も派手に吹っ飛ばされたっすね」
「自業自得だろ」
「どうするんですか真弘先輩。珠紀先輩、また怒っちゃいましたよ」
 一応という言葉通り、黙々とお稲荷さんを食べながら尋ねる祐一、合掌をする拓磨、関係ないとばかりに食事を続ける遼、行ってしまった珠紀の後姿を心配そうに見送る慎司。
 全員がいっせいにため息をついた。
「うるせーなっ! つか狗谷は何故当たり前のようにここに座って飯食ってんだよ!」
 ヒートアップして立ち上がった真弘に対して、遼の反応は冷ややかだった。
「ギャーギャーうるせえ、文句あんのか」
「ほら真弘先輩、そんなことよりも珠紀先輩のことですよ。追いかけなくていいんですか?」
 冷静に慎司に問われて真弘は腰を落とした。
「…………別に」
「何拗ねてんすか。そんなに破壊力満点だったんですか、さっきのアレ」
 酷く吹っ飛ばされましたもんね。と拓磨はそのときの状況を思い出して納得げに頷いた。それがまた真弘を見透かしたかのように言うので、ムカッとくる。
「んなわけねーだろ!」
「つーか、なんでアイツこんなのにケーキなんか作ってきたんだ?」
「おい狗谷、こんなのってどんなのだコラ」
 心底不思議そうに尋ねる遼に突っかかる真弘を横目で見ながら、祐一はため息をついた。
「今日は真弘の誕生日だ」
 一瞬無言になる雰囲気に、真弘は居心地悪くなってそわそわした。
「んだよ、俺様の生まれたすばらしいこの日になんか文句あんのかよ」
「あー、そうだ。そういやそうだったよ。思い出した。真弘先輩、『今日は俺の誕生日だから祝いやがれー!』とか毎年騒いでたくせに、今年は騒いですらなかったっすね。どういう心境の変化っすか」
「僕は誕生日でケーキを作ってきてくれた珠紀先輩を断る真弘先輩の方が信じられないですよ」
「照れて素直に受け取れないってか。ガキかてめえは」
 フンッと鼻で笑った狗谷に真弘の怒りのボルテージも上がっていく。
「てめえら……好き勝手言いやがって! 祐一も余計なこと言ってんじゃねえ!」
 ふっと笑って聞き流した祐一に真弘は「たくっ…!」と悪態をつく。だが、それでも重い腰が上がらない。
「真弘、行ったほうがいい。どういう理由があるにせよ、ちゃんと言わなきゃ伝わらない」
「わーってるよ」
 祐一に促されて真弘はようやく屈伸するように立ち上がった。せめてともいうのかドスの効いた低い声で言う真弘をものともせずに慎司は告げた。
「お前らあとで覚えとけよ」
「ちゃんと仲直りしてきてくださいね」
「ばーか、心配ねえよ」
 一言乱暴に捨て置いて、真弘は珠紀を追いかけるために走り出した。
 やきそばパンを選びたかったわけでも、誕生日を祝われるのが嫌だったわけでもない。
 ただ、珠紀が祝ってくれたことに気が動転した。自分の誕生日を知っていてくれて、自分が生きていることを認めてくれたことに驚いた。
 自分の命は遠からず、消えるのだと教えられてきた。
 真弘はこの日がくることをずっと想像できなかったから、いざ死ななかった自分の未来を、自分の命を、玉依姫である珠紀が祝うというのが信じられなかった。
 珠紀は自分の教室に居た。大人しく机に座って、真弘のために作ってきたケーキを一人フォークでつついている。
「悪かった」
 一声かけて教室に入ると、珠紀がはっとしたように真弘を見てからふいっとそっぽを向く。
「なんですか」
「悪かった」
「どうして謝るんですか、やきそばパン食べてればいいじゃないですか」
「悪かったって」
「本当に悪いと思ってるんですか、だったら証拠を「美味いなこれ」
 珠紀が言い終える前に刺したフォークを横取りした真弘はケーキを自分の口に放り込む。味をかみ締めるように飲み込むと、ぽかんと口を開いている珠紀にニッと笑った。
「じゃ、遠慮なくもらうぜ」
「いらないって言ったじゃないですか!」
 珠紀の手からさっさとケーキを取り上げると、すでに真弘は箱ごと抱え込んで残りの分も平らげている最中だった。
「あー!食べた! 真弘先輩が勝手に食べた!!」
「俺に作ってきてくれたんだろ、俺の腹に収まって何が悪い」
「いらないっていったくせに!」
「だから悪かったって言ってんだろ。うん、うめえよほんと。サンキューな」
 畳み掛けるような真弘の言葉を受けてぐっと言葉に詰まったのか、珠紀は俯く。
「先輩わがまま過ぎ。背は低いくせにジャイアニズムだけはしっかり構築されてるんだから」
「なんか言ったか?」
「べつにー!」
 笑顔で尋ねた真弘にこれまた笑顔で答えた珠紀。一瞬二人の間にブリザードが流れたが、珠紀ははぁっとため息をついた。
「真弘先輩、誕生日おめでとうございます」
「おう、ありがとな」
 珠紀が頬杖している机の前の席に座った真弘。机を挟んで珠紀と面と向かい合う。
「よく知ってたな、俺の誕生日」
「祐一先輩に聞きました。『もうすぐ真弘の誕生日だ』って」
「そうか、あいつお膳立てするの意外と好きなのか?」
「心配なんじゃないですか、真弘先輩のこと。もちろん、私も」
 珠紀が少し笑顔でそういうから、真弘は言葉を失ってきょとんと珠紀を見つめる。
「先輩、誕生日きても嬉しくなさそうだったから」
「……嬉しくないわけじゃないけどな」
 珠紀にもバレていたことに驚いて、言い訳するように小声になる。
「なあ珠紀」
「なんですか?」
「俺さ、今生きてていいのか?」
 生きることにも絶望して、それを悟られないように生きてきた。これからの未来なんて何一つ見えないままで生きてきた。だけど、これからの未来を夢見ても、いいのだろうか?
 そんな気持ちを隠して珠紀に問うと、珠紀は怒ったように目を吊り上げた。
「当たり前です。真弘先輩が居なかったら、私が困ります。私の人生に、必要不可欠なんですから」
 その言葉がどういう意味なのか、問いたい衝動にかられたけど、今はそれよりも感謝の気持ちが真弘を支配した。
「そっか……ありがとな」
 真弘の心が凪いで自然とそういう言葉が出てくる。
「来年も再来年も、ずっと言いますよ」
 珠紀はにっこりと微笑んでから告げた。
「真弘先輩、誕生日おめでとうございます」


 了





   20090819  七夜月

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