せいと



 自分をじっと見つめる眼差し。それに私が気付いたとき、彼女は小さく笑った。
 見つけてもらえて嬉しいと、全身で表現しているように。
 まだあどけないこの少女に告白をされたのはずいぶん前になる。
「何かあったのか?」
 見つめられることが不快なわけではないが、視線を合わせているわけでもないのに見られるということにはまだ慣れない。
「先生の顔を見てました」
 悠里は喜びを隠そうともせず、また悪びれた様子もなくそう言った。
「私の顔を見て楽しいのか?」
「はい、それはもう」
「……そうか」
 自分自身では感じることが出来ないが、彼女にとってはとても楽しいことらしい。私の顔を見つめたところで、何かいいことがあるとも思えないのだが、それは本人にしかわからないことなんだろう。
 それは私も解っている。解ってはいるが……。
「悠里」
「はい、なんですか?」
 楽しそうに、返事を返す悠里。そんな様子を見てしまうと、少々気が咎めてしまうが仕方ない。
「そんなに見られると、読みづらいのだが……」
「気にしないでください」
「……普通するだろう」
 会話のキャッチボールがうまく出来ていないのか、私の気持ちは悠里には通じなかった。
 溜息をこらえて私は本を閉じた。どうせ、言っても最後 悠里は絶対引かないのだから。
 彼女は時間を持て余している。私がこの寮監を離れられず、また彼女と共に居ることを誰かに見られるわけにも行かず、外で会うことが出来ないため、いつも悠里は私の部屋へ来るしかない。
「何か、したいことがあるか?」
「…………うーん、特には」
 悠里はしばし考えた後に、あっさりとそういった。考えてみても、やりたいことが浮かばなかったのだろう。実際、この部屋に居て 出来ることは少ない。
 学校の誰にも、内緒の関係。
 悠里にはきっと、辛い思いをさせているだろう。こそこそと見つからないようにやってくるのは、いつも悠里のほうなのだから。私がもっと傍にいてやれれば良いが、そういうわけにもいかない。デートというデートもさせてやれず、いつもこの部屋でこっそりと会うだけだ。
「すまないな、私が教師であるから、お前を何処にも連れて行ってやれなくて」
「大丈夫です、ちゃんとわかってますよ。アタシは生徒で先生は先生ですから」
 聞き分けがいいのか、それともただ我慢しているのか、私には判別がつかない。でも、悠里は私と付き合い始めて、わがままを言った事がなかった。本当ならもっとしたいことがあるだろうに、悠里は絶対に私を困らせるようなことは言わなかった。
こんなことで、私は彼女を幸せにしているのだろうか。
「先生と居られるだけで、アタシは幸せです」
 悠里はまるで、私を見透かしたようにその言葉を放った。
 そして、その言葉のとおり、安堵する自分。馬鹿みたいに真に受けて、少しでも罪悪感から逃れたいと思っているのかもしれない。
 結局自分は誰も幸せに出来ないという事実から、視線をそらすかのように。
「先生」
「なんだ?」
「先生」
「どうした?」
「エヘヘ、呼んでみただけです」
「変な奴だな」
 不思議と私の名前を繰り返す悠里は、私に身体を寄せてきた。小さくて、柔らかい身体。
 私には勿体無いほどの、幸せをくれる女の子。一体この身体のどこからあんな元気が出てくるのか是非とも知りたい。
 せめて、少しでも彼女が満たされるようにと、彼女の身体を抱きしめた。
「先生、いま元気?」
「? いきなりなんだ? 元気だぞ」
 抱きしめる力が、弱かったのだろうか?
 悠里はそんな私を不安に思ったのか、私に尋ねてきた。
「幸せ?」
 まるで、一つ一つ確認するように、悠里は私を見上げている。
 その瞳は曇りが一つもなく色鮮やかに私を映しているが、もしかしたら、やはり不安なのかもしれない。
「しあわせ?」
 答えない私に、更に畳み掛けるように尋ねる悠里。
 何を今更と思いつつも、ふと頭によぎったヒューの顔。
 微かに揺らいだその目を敏感に感じ取ってしまったのかもしれない。
「…………あぁ、幸せだ。悠里といられて私はこの上ない幸福の時を過ごしている」
 言葉にしても白々しい響きしか出ない。真実であるのに、それをうまく表現できないのは、時折思い出す弟のことでなのだろうか。
 真実はいつだって揺らいでいるものだから。
「うん、でもね 先生。アタシたち、もっと幸せになれるんだよ? アタシは先生がすごくアタシを大事にしてくれてること知ってます。一緒にいれば幸せだなぁって感じることが出来るから。だけど、先生は違うよね」
「悠里?」
 頭に響く台詞だった。もしかしたらとは思っていたが、気付かれていたとは。
 この子がただのお調子者ではなく、他人に気配に敏感であったことを誰よりも知っていたはずなのに。内心でその事実を忘れ去っていた。
「ねぇ、先生。アタシってそんなヤワじゃないんだよ。もう見て見ぬふりできるほど子供でもないんだよ。先生が傷ついてるのだって解ってるし、先生の傷を受け止める事だって出来ちゃうんだから」
 お願いというよりも、懇願に近い言葉だった。
 以前にしたヒューの話を指してる事は主語などなくとも容易く悟れる。
「先生、無理しないで……たまにはアタシに頼ってください。先生から見たら、頼りないかもしれないけど、あたしは先生を好きだって思ったときからずっと先生を救いたい、守りたいって思ってたんだから」
 愛しいと、思った。大事な弟だったから。本当に可愛くてしょうがなかった。それを、悠里は知っている。ヒューが消えて、私が心に残したものは簡単には消すことの出来ない、大きくて深い痛み。
「アタシは先生がアタシを大事にしてくれるように、アタシも先生を大事に思ってます」
 それらを包み込むように、私の全てを受け入れるように、悠里は存在した。
 怖かった。
 再び大事な何かが私の元から消えてしまうのが。
 だから、特別に大事なものを作らなかった。
 なのに悠里はそんな私にも構わずにスタスタとやってきて私の中に踏み込んできた。
 そして、何も言わずとも私をきちんと理解している。そのことを、忘れがちになるのは、やはり普段の悠里からは想像がつかないから。
「悠里はたまにすごく鋭いな」
 本気じゃないが、本当のことは言えないから、そう悠里に言った。
 額にキスして、彼女の視線から逃れる。照れ隠しのつもりだった。
「先生だから、ですよ。ずっと見てるから解るの。アタシと付き合うようになって、先生今まで以上に気を使うようになったでしょ?  朗先輩や悟先輩が心配してましたよ」
 ダメだなと言いたげな曖昧な悠里の笑顔。
 確かに、生徒に心配されるなんて先生としては失格かもしれない。
「あいつらにまで心配をかけるとは……少しやりすぎたな」
「そうそう。そんな身構えないでも、もう少し自然体の先生で居ていいんです。そう簡単に、誰も気付いたりしないから」
. 「お前はもう少し緊張感を持ってくれ」
「はーい、大丈夫です」
 生返事な悠里がだが、私はそれを咎めることは出来ない。彼女がそう簡単に言いふらしたりしないことは身をもって実証しているし、何より彼女はこの場を和らげようと…少しでも私の気が楽になるようにとしてくれているのだから。
 私の恋人でもある、悠里。思わず笑顔をもらすと、悠里もすごく嬉しそうな顔で笑った。
「先生、アタシしたいこと見つけました」
「なんだ?」
 それは、本当に唐突だった。
「先生とキスがしたい」
 返す言葉が見つからずに、思わず黙ってしまう。それを敏感に、だけど少し不安げにしながら、悠里は私を見上げてきた。
「何で黙るんですか?」
 すぐに返事しなかったことで、彼女を傷つけただろうか。
 そんなつもりは微塵もないのに。
 ただ、私はきっと悠里の一言一句にさえ一喜一憂しているのだ。こんな子供じみた恋愛を今更するなんて思いもしなかったから、少しだけ羞恥が沸く。
 以前だったらなんてことなく、抱きしめたり、触れたりしていただろうに。
 悠里にはそういったスキンシップをとるにはまだ早いと、そう思って制御してきた。
 今まさに、私はその思いと戦っている。しかし、どうやら勝負は目に見えているようだ。
 足掻くだけ無駄というもの。私はふっと力を抜いて悠里を見つめ返した。
「いいや、お前にはきっと一生敵わないと思っただけだ」
「…………一応褒め言葉として受け取っておきます」
 意味が解らなくても、悪いようには理解しなかったことに安堵して、私は頷いた。
「キス、しませんか?」
「だが……」
 私の返事がないことに不安があるのだろう。もう一度だけ、悠里は私に尋ねる。
 その瞳は怖いくらいに真剣で、私が何を考えているかなどとは全て見透かされていそうだ。
「アタシとじゃ、イヤですか?」
 嫌なわけがない。触れることが叶うのならば、今すぐにでも悠里を自分のものにしてしまいたい衝動がある。だけど、それをするのは幸せを得ると共に非常に危険なことでもあるのだ。
 悠里はまだ若い。きっといつか年をとれば私から離れるときが来るかもしれない。
 離したくは無いが、望めばきっと私は悠里を手放してしまう。
 せめて重荷にはなりたくないと願いながら、ならば思い出も最初から少ないほうがいいんじゃないかと、そんなことばかり考えてしまう。
「そんなことはない。だがお前はいいのか?」
「ふふっ、イヤならこんなこと言わないし、第一先生と付き合ったりするはずないじゃないですか」
 私がおかしなことを言っていると言いたげな悠里に、少しだけ自分もおかしくなってしまった。大事にするというエゴの元、結局私は悠里のためではなくて自分のために傷つきたくないのでは無いかとさえ思ってしまうくらいだ。
「でも、そんなところも大好きですよ、先生」
 ふんわりと、包み込むような笑顔。
 海里と比べたらきっと他の人間にとってはまだまだであろうが、私から見れば海里のほうがまだまだである。
 悠里の本当の笑顔を知らない人間に、悠里の本当の気持ちなど解るはずもない。
 彼女は私を心から愛してくれている。
 それは、うぬぼれても良いのだろうか。自信を持っても良いのだろうか。
 彼女を愛し続けても、良いのだろうか。
「本当にお前という奴は……だがしかし、そんな悠里が……私は愛しくてたまらないようだ」
 そうだな、悠里。私も覚悟を決めよう。
 離す気など毛頭ないのなら、離さなければいい。身を引かなければいい。
 だからお前も覚悟しろ。私はきっとこれを超えたらお前なしでは生きられなくなる。
 お前がイヤだといっても、決して離さない。
 “愛している”
 声に出さずに呟いて、私は悠里の顎を持ち上げた。
 目を瞑る目の前の生徒が、私だけの少女となるまであと少し。

 “教師”と”生徒”としての絆とそして私自身の孤独を今、この口付けで壊してしまおう。



Fin



せんせいと二つで一つっぽい話。こっちはジェイクサイドー。
やはり楽しいなぁ。しかし、妙に言い訳がましい先生だ。
というか、キャラ壊れててごめんなさい(ペコ)


  20050922  七夜月

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