小さなひととき あぁ……もうこんな時間。 がらんとした職員室に、お先にと告げる先生方の声。沈む夕日が時刻を鮮明に表していた。 「桐原先生、まだお仕事なさるの? 頑張ってくださいね。私はこのあと会合があるので、お先に失礼させていただきます」 「はい、お疲れ様です」 校長先生が出会った頃と同じように私に笑顔を向けて、足早に職員室を出て行く。会合か……葵理事の穴埋めに西へ東へと走り回る校長先生はお気の毒だけど、今の私は葵理事を責めることは出来ない。 全てのロゴスを解放するまで、彼もまた苦しんでいるのを私は知ってしまったから。 だいぶ時間が過ぎてしまったし、考え込んでいてもしょうがない。仕事が片付かないのなら、これ以上ここにいるよりも家に帰ってやったほうがいい。 ……また、怒られてしまうかもしれないけど。 「よし、終わり」 とんとん書類を整えて鞄にしまい、隣のデスクを見る。そこに桔梗先生はいなかった。そういえば、今は委員会の会議中だった。顧問をしている桔梗先生も参加しているはずだ。 私はメモ書きにお先に失礼しますとだけ書いて、桔梗先生のデスクの上に置いた。 これで、準備は万端だ。……あぁ、そうだ。教科書、忘れた生徒に貸したんだっけ。確か教卓の中にしまっておくって言ってたよね。一度教室に戻らなければ。 夕暮れは私が好きな景色の一つ。廊下を歩きながら外の景色を眺めて私は微笑んだ。茜色の空はとても綺麗な緋色を放っている。夕暮れは自然が生み出す赤い色の中でも、特に輝いた色をしている。 教室に戻ると、言われたとおり教卓の中に私が授業で貸した教科書が入っていた。それも鞄の中にしまって今度こそ帰ろうと隣の教室の前を通ったとき、見慣れた寝顔の男の子。 「菫くん……?」 机に自らの腕を枕にして眠り込んでいるのは菫くんだった。先ほどは夕日を見ていたので全然気づかなかったが、仕事以外でこんな時間まで残っている生徒がいるとはちょっと意外だ。 彼がこんなところを見せるのは珍しい。どうしたというのだろう。まさか寝不足だとか? 「でも、ちょっと可愛いかも」 くすっと笑顔を浮かべてそっと近付く。起こさないように細心の注意を払って。 「うっ……」 けれど、私が寝顔を堪能する時間はそれほどなかった。気配を察したのか、寝返りを打った菫くんの瞳が開き、私を映したからだ。 「おはよ、菫くん」 「お前っ…! なんで……!」 有り得ないといった表情の後、真っ赤に染まった菫くん。見られないようにと、片手で顔半分を隠している。 そんなことしても、今更見ちゃった寝顔を消せるわけは無いんだけどな。 「なんでって、ここ学校だよ? 随分疲れてるみたいだけど、大丈夫?」 「……平気だ。あんまり見るなよ」 「別に今更だと思うけどな。菫くんの寝顔って結構私見てるもの」 「……っ! お前はずるい、俺はお前の寝顔なんて見たことないのに」 「あはは、そう簡単に生徒の前で爆睡は出来ないでしょう、教師だし」 授業中やテストの最中に寝ていた先生はいたけど、私はまだとりあえず頑張っている。生徒に示しがつかないようでは教師としては失格だという兄の言葉が引っかかっているせいもある。 「爆睡なんかしてない! ちょっとだけ目を瞑って考え事してただけだ!」 「そう? じゃあそういうことにしておこうかな」 くすくす笑っていると、それが気に入らなかったのか、しきりに菫くんは笑うなと言い続けていた。 「もう夕暮れだよ、早く帰らなきゃ。どうしてこんな時間まで居たの?」 「……別に、少し考え事してただけだ」 先ほどと同じ答えに、私はピンとひらめいた。 「誰か待ってた? あ、ともゑくん?」 「違う。ともはもうとっくに帰ってる」 「それじゃあ、桔梗先生? 委員会の会議をやってると思うけど」 「違う。桔梗を待ってたわけじゃない。俺はお前を…!」 慌てて口を閉じて何でもないと言った菫くん。でも、さすがの私にも言葉の続きは分かってしまった。 「そう、じゃあもう学校に用がないのなら、一緒に途中まで帰ろうか」 そう提案すると、菫くんに途端に笑顔が戻る。ロゴスを解放するだけの関係だけど、でも……こんなに純粋に懐いて貰えるのはすごい嬉しい。 「ああ。仕方ないから、俺が送ってやる」 「うん、ありがとう」 笑い声を噛み締めて、私は笑顔でなんとか誤魔化した。きっと笑ったらまた怒るんだろうな。笑うなって、いつもみたいに。 「綺麗な夕日だね。もう沈み始めてるけど……私、夕焼け色ってすごい好きなんだ。鮮やかなオレンジ色で、すごく幻想的じゃない?」 すると菫くんは意外そうな顔をして私を見てから「そうか」と呟いた。 「菫くんは嫌い?」 「嫌いじゃないけど、特に好きと言うわけでもなかった。でも、お前がそこまでいうなら……ちゃんと見てみる」 そういって窓越しに夕日を見つめる菫くん。その瞳からは何を考えているのかさっぱり見当もつかない。 「確かに、綺麗だな。言われたとおりに見ていたら、心が落ち着いてくる気がする」 「そうだよね。やっぱり菫くんもそう思う? 私ね、この夕日を見て一日の終わりを感じるの。朝日で始まり夕日で終るって言うのは、一日が動いていることを何よりも表すシンボルなのかなって」 「……たまには教師っぽいことも言うんだな」 「あのね、私は教師っぽい、んじゃなくて、教師なんです!」 強気で返すとムキになった私がおかしいのか、くすくすと笑い出した菫くんは私を見て柔らかく微笑んだ。 「そんなに怒るなよ。褒めてやったんだろ」 「褒められてる気が全然しないんだけどな……」 軽く流されて私としては納得がいかないものの、私は大人なのだ。ここはグッと我慢しなくては。 「じゃあ、帰ろうか。まだ仕事が残ってるんだ」 「また持ち帰ってるのか? 無理ばかりするなよ、一応教師なんだから仕事は学校で終らせろよ」 「そうもいかないの、色々と忙しいんだから。でも心配かけてごめんね、ありがとう」 ついうっかり口を滑らしてしまい、やはり怒られてしまった。前にも同じことで怒られたんだからいい加減反省しなければ。 鞄を持って歩き出そうとした私の手が、グッと握られた。何事かと思って振り向いてみれば、思いつめたような菫くんの顔。 「どうかした?」 「………俺……」 「菫くん?」 続きを視線で促すと耐えられなくなったのか菫くんは大きく息を吐いた。 「………………やっぱり、いい。悪かった」 握っていた手を離して、菫くんは笑った。 「まだいい。こうしていられるだけで」 「???」 「ほら、帰るんだろ? さっさとしないと置いていくぞ」 「えっ、あ、うん。待ってよ菫くん!」 菫くんの言葉の続きが気になったけど、もう決して口を開いてはくれなさそうだった。 だから、私も聞かなかったことにする。話したくなったらきっといつか話してくれるだろうから。 それより今は、こうやって心を開いてくれた菫くんと楽しく帰ることが先決だ。菫くんといるのはとても楽しいから。 たまには生徒と帰るこんな放課後があってもいいかもしれない、なんて思った夕暮れの綺麗な日のことだった。 Fin. 菫→主人公。 生徒と帰るのはマズくねぇ?と思ったりしましたがなんとか完成。 まだゲーム自体が途中なので、一応懐き始めた本編沿いな話で。 所要時間一時間強。多分。結構眠いときに書いたので色々ぐちゃぐちゃです。 いつものことですが偽者すみません。 20060403 七夜月 |