chronic pain



「あっ! エスト発見!」
「飛び込むのは無しです!」
 嬉しさが滲みでたルルの声を後ろから聞きつけ、振り返りながらエストはそう叫んだ。が、ルルの足は既に地面を離れていた後だった。横向きになったエストの身体にそのまま飛び込む形で顔面にルルの満面の笑みが迫る。スローモーションのようにその光景を見つめながら「ああ、またか」とエストは諦めにも似た気持ちで目をつむった。
 外壁にゴツンと鈍い音がした数分後。
「何度も言いますが、こうやって勢い付けて抱きつくのはやめてください」
 後頭部で主張している痛みに顔をしかめているエストの前で、ルルは正座をしながらごめんなさいとしゅんと項垂れている。いつもだ。いつものことだ。何度もこの光景をエストは見てきたし、体感してきた。説教するのもいつものことなのに、ルルは三歩歩いたらこのお説教を綺麗さっぱり忘れるのだ。
「だってエスト、勢い付けないで抱きつくと避けるんだもの」
「時と場所を考えて下さい! 貴方はそうやっていつもいつも人目を憚らないから、こちらも困るんです!」
「人目をはばからなかったらいい?」
「ルル、話を聞いていましたか?」
「ちゃんと聞いてたわ! 要するにエストは恥ずかしいのよね? だったら慣れちゃえばいいと思うの!」
「どういう理屈ですか! そんなこと一生かけたって無理です!」
 エストは自分が慣れてしまうことを想像しかけて、うすら寒い思いを抱いた。そんなことになったら背筋に冷や汗が伝う。
「そうかな、名案だと思うんだけど」
「ええ、見事なまでの[迷案]です。ここまで見当違いに思考が行くのはある意味感心します」
「エストひどい! これでも真剣に考えてるのに!」
 ぴーぴー雛鳥が鳴くように、甲高いルルの声が外壁傍で響き渡る。そもそも、なんで普通に話しかけることが出来ないのだろうか。何度言ってもまるでこだわりのように毎度抱きついてくる。ルルはどういう思考回路で動いているのだろう。たとえ思考回路が判明したとしても理解することはできないだろうエストは頭を抱えたい。
「ねえ、エスト。ところでそろそろお腹が空いたの」
 まったくもって懲りてない、なんというか本当に本能に忠実な娘である。海より深いため息をついたエストは説教もそこそこ切り上げてルルに手を差し伸べた。ありがとう、とへにゃりと笑ったルルの顔を見ていたらどうでもよくなってくる。こんなことで悩むなんて自ら馬鹿らし過ぎて、ため息以外出るわけがない。
「ねえねえ、エストが本当に嫌なら、私頑張ってみようと思う」
 突然のルルの宣言。何を頑張るつもりですか、と草を叩き落しているルルを見てみると、ルルは妙にやる気を見せてガッツポーズを決めていた。
「そうだよね、エストのためだもん。私頑張れる!」
 今日一生懸命考えてみるわ、と笑顔を見せられて、エストは戸惑った。
「ですから、何を頑張るつもりなんですか? ルル、一人納得してないで聞いてください!」
 なんだかわからないが、ルルが無駄にやる気を出した時の空回りっぷりは恐怖だ。エストはさくさく歩き出したルルの後を早足に追いかけた。

 ルルが決意して、一日目が経った。
「おはようエスト!」
 ニコニコと女子寮からやってきたルルはとても笑顔だ。怖いくらいに笑顔だ。おはようございます、と挨拶を返してエストはいつものように学校へと歩き出す。
「……何しているんです、ルル」
 エストの後をいつものようについてくるルルだが、エストとの距離は三メートルほど開いている。
「気にしないで、この距離よりも中に入っちゃうと、我慢できなくなっちゃうの」
「何を頑張ってるのかはわかりませんが、正直この距離感は微妙すぎます。行かないのなら僕は先に行きますよ」
「うん、大丈夫! ちゃんとついていくから」
 それからルルの宣言通り、ルルはにこにこしながら学校まで行く道のりをきっちり三メートル空けてついていったのである。
 ルルの奇行は夕食時も発揮された。
「あ、エスト! 好き嫌いはダメなのよ、ちゃんと残さず食べなくちゃ! ねえ、ラギもそう思うでしょ?」
 言うセリフはいつもと変わらない。変わらないのだが、何故だかルルとエストの間の席に、ラギが座っている。
「おい、ルル……なんで俺がお前らの間に入って飯食わなきゃなんねーんだ?」
「だってそれが最善なんだもの」
「何のだ! 俺は最悪だ! さっきから俺を挟んで会話されてたら落ち着いて飯食えないだろうが!」
「同感です」
 エストとラギはまさに静と動。二人とも気が合っているところを見た試しはない。ただ、嫌いあっているというわけではないようで、なんだかんだ言いつつも互いに席を立つことはしないのだ。それを見越しての選択であることを当然ながらエストもラギも知らない。
「大体ルルは何がしてーんだよ」
「そんなのは本人に聞いてください。僕が知るわけないでしょう」
「あのね、ラギ、これはエストともっと仲良くなるために必要なことなのよ」
「この答えで理解しろっつー方が無理だろ」
「それは……確かに否定できませんが、だからといって、僕にルルの行動の意味が解るわけないじゃないですか」
「そんな言い方ないと思うんだけど!」
 ぎゃーぎゃー言い合う三人に、プーペは次々と食事を運んでくる。それはもうエストの胃を直撃しそうな、隣とその隣に座っている人物の食べっぷりに、痛くなってきた頭をエストは抱えた。

 夕食を賑やかに(やかましくとはエスト談)食べ終わって、先に部屋へと戻ったラギ。それに続いてエストは部屋に戻ろうと席を立つ。ルルも席を立つがエストが歩き出してもついてこない。
「? まだ用があるんですか? 僕は先に部屋に戻りますよ」
「ううん、用なんてないわ。だからエストが戻るなら私も戻るつもり」
 宣言通りエストが歩き出すと、例によって例のごとく、三メートルきっちりあけてルルはついてきた。もうこの意味がわからない。そろそろ我慢の限界だとエストは振り返りざまルルを睨む。
「なんなんです、朝から一体。貴方の態度はいつも変ですが、更にも増して変ですよ」
「エスト酷い!」
「大体この距離のあけ方も微妙です。中途半端にあけるから、話にくいじゃないですか」
「でもこれがベストなのよ。これ以上は譲れないの」
「何故ですか」
「エストと仲良くなるため!」
 また決まったようにこの言葉をルルは言う。当然とばかりに胸を逸らす辺りもやめてほしい。ユリウス並に意味がわからない。
 エストはルルと出会ってから増えたため息を、今もまた一つ増やした。
「わかりました」
「わかってくれた?」
「いえ、貴方の思考回路はまったくわかりませんが。ルルがそういうつもりなら、こちらにも考えはあるということです」
 エストがきっぱり言うと、眉根を下げて情けない顔をしていたルルだが、すぐさま立ち直るように胸の前で手をガッツポーズにした。
「エストにわかってもらえるように、がんばる!」
 だから、頑張る前に何をどう頑張るのかを説明してほしいわけだが、やはりルルには通じていなかった。と、なれば実力行使に限る。
 エストはルルに何も言わずに突然猛ダッシュで寮を飛び出した。我ながら素晴らしいくらいに全力疾走である。……息が切れるのも早かったが。
「エスト!? 待って、どこ行くの!」
 ルルは間違いなく追いかけてくる。そして予想は的中。ルルの方が体力的には上だ。男の自分が彼女よりもそういう面で劣るとは思いたくはないが、頭脳よりも明らかに肉体労働派のルル。少しは体力をつけるべきかと全力疾走しながらバカみたいに考えてみた。やはり男なのに女の子に負けるというのは悔しい。
 が、今はここでへたれるわけにはいかない。さらにダッシュを続けて、裏庭の方へと駆けていく。
「エストー、待ってよ!」
 だから、大声で呼びながら走るのはやめろと……言っても聞かないことは解っているので怒鳴り返すなどという無駄に体力を使う行為はしないのだが。エストはそのまま森に突っ込む形で止まると、手近の木に隠れた。もう体力的に限界だった。食後に走ったせいもあり、腹部にも痛みがある。が、ルルも限界だったみたいでへとへとになりながらも息をつきながらようやくエストに追いついてきた。エストは隠れてしまったため、ルルからすれば森に入ったところ、エストを見失ってしまった状態だ。こんな暗い森の中、ルルであれば怖がるはずだ。だが、エストが一人で入って行ったとあれば放っておけない。ご丁寧にもエストの考えていたことを全部口に出しながら、ルルはエストの後を追ってきた。なんという恥ずかしい人間なんだとエストはため息をつくのを押さえた。
「エストー、エストー、どこ? 帰ろうよ、エストー」
 びくびくしながらエストの名を呼びながらルルは森をこわごわ進んでくる。そしてエストの近くを通った時に、エストはルルの名を呼んだ。
「エスト? どこに―」
 いるの?と続くはずだった言葉は遮られ、代わりにルルは地面に押し倒される形で、後頭部を強打した。ゴンと鈍い音がした。
「いたぁっ!」
 しまった、頭部を庇い切れなかったとエストが苦い顔をするも、やってしまったのだからしょうがない。エストは慌てて起き上がると、ルルと視線を合わせて彼女の後頭部に手を伸ばした。寝転がっているルルと真正面から向き合う形になり、ルルがあまりにじーっと見つめるものだから、眉を寄せて尋ねる。
「なんですか? 確かにぶつけるつもりはなかったとはいえ結果的にこうなってしまったのは申し訳ないと思っていますけど、これで貴方もわかったでしょう。実はこれ地味に痛いんですよ」
「たぶん、エストよりも私の方が頭固いと思うから、コブとかは出来てないと思うの」
 いや、そんな話はしてなかったと思うんだが。エストは突っ込み疲れてとりあえず怪我の具合を確かめる。なるほど、確かにコブらしきものは出来ていない。ただ、こぶが出来てないということは変なところを打っている可能性もあるから、後ほどエルバート先生にお世話になった方がいいだろう。
「それよりもね、この体勢の方が私には衝撃的だったんだけど」
 ルルがそういうと同時に頬を赤らめるものだから、エストも己の体勢を顧みる。なるほど確かに、ルルが赤面するのも頷けた。
「違いますよこれは!!」
 全力で否定しながらも己の顔は赤い。すべては事故だ。事故なのである。いつもルルがするように、同じことをされたらどんな気分になるかそれを解ってもらうつもりで、ルルに特攻かけたが、下心など微塵もなかった。そう、たとえ自分の恰好が四つん這いで彼女を組み敷いているこの状態でも、だ。
 慌てて飛びのこうとしたらひどく残念そうな顔をされて、エストは固まってしまった。動けない。
「せっかく三メートル頑張ったのに」
「……だから、その理由をずっと朝から聞いてるじゃないですか」
「だって三メートル以内に入ったら」
 ルルは目を輝かせて、そのままエストの首に抱きついた。
「エストー! 我慢できなくなるんだもの、跳びつきたくなるんだもの!」
 エストは全速力で体力を消耗していた、ゆえに必然的にルルを支えきれる体力など残っていない。やはりこうなるのか、と思いながらエストは勢い余ったルルに押される形で、地面に転がった。頭をぶつけたのは言うまでもない。

 お説教をルルが食らってから、森の木にお互い背を預けて座り、星空を眺めていた。
「エストにまた怒られた……頑張ってたのに」
「まだ懲りてないならもう少々お説教延ばしてもいいんですよ」
「それはいや!」
 そろそろ門限の時間がある。帰らねばならないのは解っているのだが、なんとなく帰りがたくて二人で手を繋いでいた。
「ルル、何度も言っていますが、場所をわきまえてくださいね」
「はーい、今度はエストにコブを作らないようにがんばる」
「…………」
 たぶん、解っていないのだろう。おそらくは解っていない。きっと、明日自分は同じことを言う羽目になるのだろう。同じことをまた怒る日々が始まる。
 それでも、悪くないと思えるのは、やはりこのマイペースな少女のおかげかもしれない。
 まったく、頭が痛い思いばかりだが、それでもこうして繋いだ手は離すことはできない。
 傍にいると決めたのは、紛れもない自分なのだから。


 了





   20100529  七夜月

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