迷い子



 ルルはエストから見たら、とても無鉄砲で短慮で数え切れない失敗を重ねてなおも反省が生かされない、不可思議な存在であった。そのためエストは頭を抱えたくなることがしばしばあったし、それはルル本人にも告げていた。そう、一言一句違わずに、貴方が理解できませんとルルは告げられていたのである。
 時折、それが自分でもわかってルルは空を仰ぎたくなる。が、今それをしたところで問題は何一つとして解決しない。手を繋いでいた女の子の顔を覗き込んだ。
「お腹空いてない?」
「すいてないよ! おねえちゃん、もしかしてまいごになっちゃったの?」
 女の子の不安そうな顔を見たら、なんとか励まさなければとルルは懸命に手と首を振る。
「そ、そんなことないよ! ちょっと道が解らなくなっちゃっただけだよ!」
 人はそれを迷子というのだが。
「まいごじゃないの? でも、さっきのおにいちゃんいなくなっちゃったよ?」
「そ、それは……そう! お兄ちゃんが迷子なの!」
「そっかぁ…おにいちゃんまいごになっちゃったんだ。じゃあ、おにいちゃんさがしてあげないと!」
「大丈夫! お姉ちゃんはお兄ちゃんのこと大好きだから、すぐ見付けられるの!」
 どちらが迷子なんですか? 笑顔でそう尋ねてくるエストが思い浮かんで、エストごめんなさい! ルルは心の中でこっそり謝罪した。
 週末、嫌がるエストを無理やりラティウムの街に連れ出した。一緒に買い物をしたかったのもそうだが、少しでもエストと休日を過ごしたかったからである。そんな折、迷子を見つけて、ルルは一緒にお母さんを探してあげたいとエストに申し出た。それはルルを知るものならば至って自然な流れである。だから、エストも最終的に渋々ではあるが承知してくれた。広場の噴水前で、「ちょっとそこを見てきますから、大人しく待ってて下さい」とエストが少し席を外した折、おかあさんだ!と駆けだした女の子の後を追って、ルルがその場を離れたことが問題だった。
 絶対エストは怒ってる。ルルは怒られることを想像しては深い溜息をついた。
 ただ、ルルは一言だけ言いたい。今回は決してルルが失敗しようとして失敗したのではないということを。
「あ、お母さん!」
 見失ってしまった母親の姿を、女の子と二人で一度道に立ち止まって探していたのだが、急に女の子が走りだす。ルルもそのあとをついて走っていくと、女の子が母親らしき人に飛び込んだ。
「どこに行ってたの! 心配したのよ!?」
 女の子の名前を呼びながら抱きしめた母親の姿を見たルルは、すぐさま母親の元へと駆け付けた。
「本当にありがとうございました」
「いえ、見つかって良かったです」
「おねえちゃんばいばい! はやくおにいちゃんみつけてあげてね! ひとりぼっちはさびしいもの」
 手を振って立ち去っていく親子を見送って、ルルは自分の頬を叩いて気合を入れた。
 女の子の言うとおりだ、一人ぼっちは寂しい。エストのことをもう一人で投げだしたりしないって決めたではないか。だったら怒られることくらいなんだというのか。
 本当は、ただデートしたかったのだ。エストと一緒にご飯を食べたり、面白いものを見たり、美味しそうなおやつを食べたり。マカロン食べたり、パテルギブス食べたり。ほぼ食べ物のことで頭が占められているのはルル仕様である。
 それがちょっと不慮の出来ごとで半日がつぶれてしまったが、それはこれから取り戻せばいい。
「エストを探さなきゃ!」
 ラティウムの街は広い。いくらこちらに越してきて半年以上経ったとしても、街全ての通りや場所に行ったことがあるわけではない。まだまだルルの知らない場所の方が多いのである。なので、ルルは自分が今居る場所自体どこだかよくわかってない。
「ん〜……きっとこっちだわ!」
 勘を頼りに適当に曲がったりしてみたのだが、なんだかより一層、薄暗い方向へ進んでいる気がする。エスト、と名前を呼び掛けて、ルルは首を振った。
「だめだめ、エストは名前呼んで探されるの嫌いだもの」
 だから、視界だけであの黒髪の姿を探す。
「次はきっと、こっちね!」
 エストは人通りが好きではないから、きっと人がいないようなところにいる……と思う。
 だから、すっごく暗い道を歩いていたとしても、間違ってないはずだ。
 ちょっと怖いけれど、エストに会うため、とルルは自らを奮い立たせて歩き続けた。


 もしかしたら、エストもう寮に戻ってしまったかもしれない。
 そう思ったのは、夕日が街を照らし始めた時だった。
 路地裏の隅っこに膝を抱えて座り込んでいたルルは、先ほどから鳴りやまない腹の虫に意識が飛びそうだった。
「お腹空いた……」
 呟いた瞬間、ぐぅうううっと盛大な腹の虫がまた鳴いた。
 たぶん、街の奥深くまで来たんだと思う。道行く人はルルに目もくれずに通り去っていく。それもそうだろう、夕飯時で忙しいこの時間。膝を抱えた少女の世話をしている暇なんてきっとない。それに、たまに見かける服装から見ても、ここは貧困層の住宅街に近いのかもしれない。普段の自分の食いぶちを稼ぐのに忙しい彼らに、他者を気遣う余裕なんてあるわけがなかった。
「エストの馬鹿!」
 こんなところでお腹空かせる羽目になったのはエストのせい…! じゃないのはわかっているのだが、八つ当たりしたくてルルは呟いた。
「この場合、どちらが馬鹿ですか。なんでこんなところに居るんです」
 建物の隙間でしょんぼりと頭を落としていたルルは、声をかけられ弾かれたように頭をあげる。
「エスト!」
 むっとしようにエストが立っていた。やっぱり怒ってる! 喜んだ顔もつかの間、ルルはたじろいだように目を泳がせる。
「もっと見付けやすい場所に居て下さい、なんでこんな奥まった場所まで来てるんですか」
 珍しくエストは走ったらしく、顔色は平然とさせているが肩で息をしている。
「だって、エストを探してたんだもの! エストなら人が居ないところにいるかなって思って」
「僕は猫ですか? こんな狭いところで膝抱える趣味ありませんよ。大体貴方はツメが甘いんです。僕が探すことくらい、どうして考えられないんですか? 普通は人通りの多いところに行くと思うでしょう」
 今日のエストの言葉責めはいつもの三割増しだ。息継ぐ暇もなく言葉がぐさぐさルルに突き刺さる。
「ご、ごめんなさい! そんなに怒らないで!」
 うひゃあと声をあげそうになったルルはなんとかエストを宥めようと両手を伸ばす。すると、エストはその手を掴むと勢い良く引っ張った。そしてそのままルルの身体を抱きしめる。別の意味でどひゃあとあげそうになった声を必死にルルは飲み込んだ。
「エス、エストッ……!」
「僕だって、心配くらいします」
 普段のエストらしからぬ様子に、真っ赤になってしまったのはルルの方だった。こんなアプローチを受けたことがないからか、抱きしめられる感覚に慣れなくて落ち着かない。いつも抱きつくのはルルの役目だった。突然こんな形で抱きしめられるのは完全に予想外の出来事だ。
「今ちょっと、エストの気持ちが解ったかも」
 ルルがそうつぶやくと、エストは我に返ったようでルルの身体を引き離してくるりと背を向ける。
「とにかく、門限もありますし、帰りますよ」
「うんっ!」
 嫌がられて外されてしまうかも、と思ったが、ルルは勇気を出してエストの左手を取った。夕日のせいか、頬がほんのりと赤くなっているエストはルルを一度見上げてから、仕方なさそうな溜息をついたが何も言わなかった。
「ねえねえ、どうしてエストは私の場所が解ったの?」
「あなたが僕を見つけないからです」
 どういうこと? とルルが首をかしげると、エストはそれはもう深く溜息をついた。
「……先ほど、迷子になった子に会いました。『お兄ちゃんが迷子になるから、お姉ちゃんが泣きそうにお兄ちゃんを探してたよ』と。誰かさんは僕が大好きだからすぐ見つけられると言ったようですが」
「うっ……! ち、違うの! すぐに見つけられなかったのは愛が足りないとかそういうことじゃなくて、エストのことは大好きよ、本当よ?」
 必死にルルが弁明すると、エストはルルに見せつけるようにもう一度溜息をついた。
「どうせ貴方のことですから、お腹が空き過ぎて動けなくなっていたんじゃないかと思ったのですが、予想通りでしたね」
 それでこの近くを探していたらしい。すっかり読まれているわ、とルルはほんの少し恥ずかしかった。それと同時に、自分を理解してもらって嬉しくもある。
「まったく、迷子はどちらですか」
「ごめんなさい、でもエストが見付けてくれて嬉しかった! お礼に今日のデザート、私の分もあげるわ」
「いりません。それよりももうこんなことのないように、しっかり反省してください」
 やはりデザートではエストへのお詫びにならなかった。ルルはがっくりとうなだれる。
「ううっ……はーい」
 それから、少しの間だけ無言になる。だけれど、この無言の時間がルルは嫌いではない。
 なんだかエストと手を繋いでいたら、楽しくなってきてしまい、ルルはふふっと含み笑いを漏らしてしまった。
「本当はエストと一緒にご飯食べたりお買い物がしたかったんだけど……でも、今こうしていられるからとっても嬉しいの」
「ルル、ちゃんと反省してますか」
「もちろん! でも、やっぱりエストの隣が一番ね」
「……安上がりな人ですね」
 ただ手を繋いでいるだけなのに、と言いたそうなエストではあるが、結局彼も(苦笑気味に)笑っていた。だからいいや、とルルは前向きに思った。今日出来なかったことはまた今度すればいいのだ。だから、今は今できることをする。そう、たとえばエストの笑顔を見ることとか。
「なんですか、人の顔をジッと見て。何かついてますか」
「ううん、なんでもないわ」
「意味がわかりません」
 エストはルルがニコニコ笑うと、すぐにフイッと顔をそむけてしまった。残念、もっと見たかったのにと思いながらも、繋いだ手のひらが柔らかくて、ルルはぎゅっと手を握り直した。照れたエストは決して笑顔をルルには向けなかったけれど、手を離さないでいてくれたから、ルルはそれで満足なのであった。


 了





   20100708  七夜月

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