シンドローム つきつきとお腹の張る感覚と、激痛。普段であれば痛みをそこまで感じないのだが今回は違った。結構重いのが来る。感覚的に解るのである。ルルは下腹部にずっしりと鉛を入れられたような重い気分になりながら、塀ずたいに歩いていた。早く次の講義に出なければ、と気持ちだけは焦る。けれど、足が言うことを聞いてくれない。 「ああ? ずいぶんトロくせえ奴が歩いてると思ったら、ルルじゃねえか」 「どこか、具合でも悪いのデスか?」 ラギとビラールが後ろからやってきて、ルルに声をかける。彼らは次の講義がないのか、大して急いでいるようではなかったが。 「なんでもないの! 気にしないで!」 にっこりと顔に笑顔を張りつけたルルは、弱音を吐くもんかと言わんばかりにオーラを出す。が、空気の読めないというか、読もうとしない相手はどこにでもいるものだ。 「うわっ、なんだお前その顔! 真っ青じゃねぇか!」 「ルル、エルバート先生に、見てもらいまショウ」 「ただでさえ酷い顔だってのに、そりゃヤバいんじゃねぇの?」 「ラギ、女の子に失礼デス。ルルはとても可愛い。デスが、その顔色はとても心配」 失礼にも程がある、抗議しようとも思ったのだが、いかんせん怒りを腹にためるとまたちくちくと針を刺したような痛みが蘇る。とにかく会話を切り上げたくてたまらない。 「ありがとうビラール、ラギはもっと女の子の気持ちを考えた方が良いと思うわ」 こんな状態じゃなければ、何が何でも言い返したのに。後で覚えておいてねオーラと笑顔に込めてルルが言えば、ラギはその気迫が伝わったのか一歩後ずさった。 「……とにかく、次の授業は休んだらどうだ」 「大丈夫! 病気じゃないから、本当に平気なの!」 これが来るたびに授業を休んでいるわけにはいかない。ちょっとお腹は痛いけれど、決して我慢できない痛みではない。 「つっても、んな状態じゃ、エストだって心配すんだろ」 エストの名前が出れば、ルルもぴくりと肩を揺らす。ルルはこの状態を決して知られたくない相手が居た。それがエストだ。 「エストには絶対何も言わないで、絶対よ!」 「お、おいっルル!」 いくらか驚いていた二人だったが、ルルは詳しくは理由を言えなかった。 毎月あることでそもそもエストに心配かけたくないし、ルルの方がお姉さんだからしっかりしなくちゃいけないのだ。いつも心配をかけているから、これ以上心配はかけられない。捨て台詞のようにそう叫びながら教室に向かって走り出したルルは、次の講義中走ったダメージで脳内がまったく使い物にならなくなる羽目になった。本当に、女の身体と言うのはやっかいなものである。この講義がエストと被っていなくて良かったと心底思う。 「ルル、大丈夫?」 事情を察してくれているアミィがルルの様子を見にやってきてくれた。ちょうど昼食の時間を挟むので、一度学生たちは寮へ戻るのである。 「ごめんなさい、ルル。ちょうど薬を切らしていたから……エルバート先生には言いにくいものね」 「ううん、平気よ。アミィのせいじゃないわ! こんなに痛いのは久しぶりだから少し辛いけど……でも大丈夫!」 大丈夫、大丈夫。どこかの殿下のセリフではないが、意外と大丈夫と呪文のように呟いていれば大丈夫なものかもしれない。どこかの偉い人が言っていた「心頭滅却すれば火もまた涼し」と。だから痛くない、痛くない、と唱え続けたら本当に痛くなくなるかもしれない。観測的希望である。 だが、痛みが酷過ぎて正直お腹にモノを入れる気にはどうしてもなれなかった。 ルルはパピヨンメサージュを使って、エストに今日の昼食を共に出来ない断りの旨を告げる。明日の授業で提出するヴァニア先生のレポートを見直すという建前もあるので、エストへの心配の種は減らせるはずだ。 パピヨンメサージュはすぐに返ってきた。解りました、と了解の一言だけ。エストは無駄を嫌う人だから、こういうメッセージに対しても実に事務的だ。彼から私情めいたメッセージを貰うことは稀である。それを寂しく思いながらも、追及されなかった安堵感でルルは息を吐いた。図書館でレポートとにらめっこしようかとも思ったが、集中できないことは目に見えている。 行先を変更したルルは湖のほとりまでやってきた。そこで木陰に身を寄せて風を感じながら目をつむる。頬を撫でる風は優しくて冷たい。とても気持ちが良かった。うとうとしてきたので瞼をそのまま閉じていると、睡魔が襲ってきた。レポートを仕上げるために少し徹夜をしてしまったのと、痛みに耐えることで体力をだいぶ消費していたためだ。もういい、午後の授業は自主休講する!と開き直って木の幹に体重を預けた。痛みは止まらないが、それでも穏やかな気持ちでルルは夢へと旅立てたのであった。 ひんやりと、冷たい感触が頬に触れられた。ルルはこの手の感触の相手を一人だけ知っている。 「エスト……?」 まつ毛を揺らしながら開かれたルルの桜色の瞳に映ったのは、予想通りエストだった。しかも、ちょっと怒っているようだった。 「おはようございます、ルル。ずいぶんお早い起床ですね」 その証拠がこの厭味だ。 「エスト、怒ってるの?」 「怒っていません、呆れているだけです」 「でも、その顔は怒ってると思う」 ルルがそう指摘すると、エストは嫌そうに眉を潜めた。 「すみません、この顔は元からなので、僕にはあなたの言うことが解りかねます」 エストは苛立ちを押さえられないように、そう吐き捨てた。エストを怒らせたり呆れさせることが常なルルにはその理由が解らない。だから、正直に謝った。 「ごめんなさい、どうしてもエストが怒っている理由が解らないの」 すると、エストは重々しく溜息をついてルルを見つめた。 「ルル、どうして具合が悪いことを言わなかったんですか?」 朝の時点で気付かなかった僕も相当ですが、とエストが不意に視線を逸らした。 しまった、バレている! と、ルルの顔に出たのだろう。エストの眉間のしわはより一層深くなった。だからルルは慌てて弁明した。 「エスト、勘違いしないでね? 本当に病気じゃないから、大したことないのよ!」 「真っ青な顔で言われても説得力がありません」 「本当に本当なの! 病気じゃなくて……なんというか……」 もしかしたら、エストも知識の上では知っているかもしれないけれど、やはり女の子の口から説明するには赤面必至な内容だ。ルルはどう言おうか困ってしまい、上目づかいにエストを見た。 「エストに心配かけたくなかったの」 この言葉を選択した時点でルルはだいぶ間違っているのだが、本人は気付かずにあまつさえ落ち込んでいる。実際、落ち込み度が高いのはエストの方だったのだが。 「どうしてですか、僕があなたより年下で、頼りないからですか?」 エストにそう言われて、ルルはびっくりしてしまう。そんな考えな訳がない。 「そんなわけないわっ! だって私、いつもエストに助けてもらっているもの! 勉強教えてくれたり、食事のときデザート譲ってくれたり、他にもたくさんっ! なのに、私はエストにしてあげられることあんまりないし、せめて迷惑かけないようにしようって思ったの。お姉さんだから」 ばれたから全部裏目に出てしまったのだが。 ルルはしょんぼりと肩を落とした。すると、エストの口元が引きつった。 「いい加減、そのお姉さんだからって言うのをやめてください」 「どうして? 事実よ? 私はエストよりも年上だし」 「ルル、僕はあなたを年上と思ったことはありません」 突如ルルの頭に見えない落石が起きた。しかも相当でかいものだ。一瞬くらっと気が遠のきかけたが、そこは根性でなんとか踏ん張ったルル。 「た、確かに私はそそっかしいし、ドジだし、頼りないかもしれないけど、そんな言い方ないと思うの!」 「……違います、そうじゃありません」 エストは溜息をつくと、きゃんきゃん騒ぎ始めたルルを落ち着かせようと両肩を押さえる。 「僕は、あなたと対等でありたいと思っているんです」 「対等……?」 エストの言葉はささくれ立ちかけたルルの心をゆっくりと落ちつけていく。 「ルル、確かにあなたは、子供っぽいしすぐに転ぶし場を弁えないし失敗ばかりしますけど、それでもあなたは年齢に見合ったきちんとした人間なんですよ。自分で気づいてないかもしれないですが」 ものすごくわかりにくいが、これはエストからの褒め言葉である。だから、ルルは反論しようとしていた口を自主的に塞いで閉じた。 「大して僕は、年齢に見合った人間のままでは、あなたと釣り合いが取れない。解りますか? 努力しなければならないのは僕の方なんです」 エストはどうもしょんぼりしているらしい。それはいつもルルの役目だったから気付かなかったけれど、エストにだって落ち込むことがあるのだ。しかも、聞き間違いでなければエストが落ち込んでいるのは自分が原因のようだ。 「どうやったって二年を埋めることが出来ないのなら、僕は人間性であなたと釣り合いのとれる人間でありたいと思います。だから、あなたは必要以上に大人ぶる必要はないんです」 つまり、ルルには先に勝手に進むなということだろうか。もしかしたら、エストはルルとの間にある二年という年齢の壁を気にしているのかもしれない。ルルはそういうことを気にしたことはなかったけれど、エストがそんな些細なことを見落とすわけがないのだ。 「つまりエストは、私のことがすごく好きだから、先に大人にならないで、って言いたいのね?」 「ものすごく曲解しましたね、ルル」 ルルの曲解を聞いて、エストの頬が微かに朱に染まりながら彼はそっぽを向いた。その態度を見れば、曲解だろうとなんだろうと、図星であることに変わりない。 「ごめんなさい、エストがそんな風に考えてくれてたなんて知らなかった!」 「勘違いしないでください。僕はあくまで人間性の話をしたんですよ」 「ううん、良いの! なんだっていいの、エストが私のことを思って、私のために動いてくれているのは、どんな理由があったって嬉しいから!」 エストがたとえどんな理由を持ってこようとしても、ルルは全部嬉しい気持ちになると思う。ルルの中にあるエストの気持ちが変わらなければ、エストから貰える気持ちがたとえどんな形をしていようとも、ルルは全部が嬉しいし、全部が愛しい。だから、それにはちゃんと応えたいと思う。ルルは逡巡してから、結局洗いざらい告白することにした。 「あのね、ちょっとお腹が痛かっただけなの。でも、食べ過ぎでも、病気でもないの、これは本当。だから心配しないでね?」 「腹痛ですか……エルバート先生には?」 「行けないの、私が女の子だからお腹痛くなるんだし、たぶんエルバート先生に言っても困らせちゃう」 エストは首をかしげた。それから、徐々に納得した様に頷いた。 「ああ、なるほど。なんとなくですが、飲み込めました」 あれだけの情報網から事情を把握するなんて、さすがエスト! 心の中でルルは称賛したが、だが疑問に思ってエストより強く首をかしげた。 「エスト、わかったの?」 「僕だって馬鹿じゃありません。教養として話を聞いたことがあります。それとも、ルルはまさか子供はドラーグが運んでくるなんて、まだ信じてたりしませんよね?」 「さ、さすがにそれはもう信じてないわ! 」 転校してくる少し前まではそうだと信じていたのは、エストには秘密である。おそらく溜息をつかれて「まあ、あなたですから、あっても不思議ではありませんね」とか言われるに違いないからだ。 「ただ、知識と知ってはいても、僕はどうしたらいいかまでは解りません。何か、僕に出来ることはありますか?」 エストがすごく心配してくれているのが解ったから、ルルはゆっくりと首を振った。そして、エストの手を握る。 「ありがとうエスト、不思議なんだけどエストと話をしていたら、痛みが引いてきたの。何故かはわからないんだけど。だから、大丈夫!」 今度は嘘も思い込みも何もない、正真正銘の"大丈夫"だ。エストに向かってにっこり満面の笑みを浮かべると、エストが戸惑ったように頬を染めたまま視線を逸らした。 「……そうですか、ならいいです」 こういう反応を見ると、やっぱりエストを年下扱いしたくなるのだが、それをエストが望まないのであれば、極力は避けたいと思う。 「……そういえば、エストどうしてここに居るの?」 「おせっかいな人たちがわざわざ教えてくれたんですよ。ルルの具合が悪そうだ、と」 それを聞いて、すぐにもラギとビラールの顔が思い浮かんだ。言ってはいけないとあれだけ言っておいたのに、と頬を膨らませたが、エストの気持ちを知るいい機会になったのは確かだ。今回は感謝をするべきなのかもしれない。 「それで、探しに来てくれたの?」 「てっきり図書館にいると思っていたのですが、具合が悪いなら人気のないところかと思いまして」 そこでここを見つけてくれたようだ。しかも、先ほどからルルの身体にかかっていたのは、自分のではなくエストのマント。やっぱりエストは優しい。ルルは思わずエストに抱きついた。 「る、ルル! 突然、何を…!」 「私、やっぱりエストが大好きって思ったの!」 「意味が解りません!」 ユリウスの口癖を高らかに叫んだエストは、必死にルルの身体を支えているようだった。前はすぐにも倒れてしまっていたのに、ちょっとずつ、エストは力も強くなっている。おそらく、年相応に育つというのはこういうことなのだろう。 だったらルルも、エストが頑張ってくれようとしているのに対して、エストに釣り合いのとれる人間性を磨いていこうと思う。それは決して年齢から生まれるものじゃなくて、ちゃんとエストに人として尊敬してもらえる人間になるということ。とても難しいことかもしれないけれど、可能性はゼロではない。ルルに出来ることをルルのペースでやればいい。 あまりにお腹が痛くて嫌な日になるかと思っていたが、腹痛が引き起こしたのは痛みだけでなく相手の心を知る時間。エストの首に抱きつきながら、ルルは満足するまでエストの血の通った身体で温もりを感じ続けた。 了 ―その後。 「ルル、なんですかこのレポートは」 「え? 昨日徹夜して書いたものだけど」 「誤字脱字が多すぎます。他にも文法が間違っているし、何よりなんですかこの無茶苦茶な定理と結論は。これで単位が取れるわけないでしょう」 「ええ!? そ、そんな……! 昨日あんなに頑張ったのに!」 「やり直しです」 「い、いたた……エスト、急にお腹が」 「そうですか、それは大変ですね。だったら単位を落とすのを覚悟でこれを提出するしかないですね」 「……!! ごめんなさいエスト!! お願いだから助けて!!」 20100805 七夜月 |