君にドキドキする理由 「ラギ、ワタシ解ったことが一つだけありマス。ラギがルルにだけ変身シテしまう理由デス」 「ああ?」 ポン、と手を叩く真似してビラールがいいかけた時、ラギはちょうど水を飲んでいた。水筒に詰めている冷たい水は、鍛錬後の身体には染みるように美味しい。 「きっと、ラギがルルにムラムラしたときに、変身してしまうんデスね」 「ぶーーーーっ!!」 「ラギ、お行儀が悪いデスよ」 ラギは口の中に含んでいた水を、盛大に噴いた。 その被害者とも言うべきモルガナ像が、濡れた部分を中心に日の光を浴びてキラキラしている。 「馬鹿じゃねえか!? んな訳あるか!!」 怒りと羞恥で顔を真っ赤にしたラギは馬鹿の『ば』に思い切りイントネーションを置いて、発音した。 「エエー、そんなことありまセン。男なら、好きな子にムラムラしても、おかしくナイ」 「何がええーだ! 俺はお前に対してええーと言いたい!」 不満そうなビラールに対してええーとラギは言いたい、非常に言いたい。なんだこれ、どうしてそんな話になったんだ。ラギは落ち着け、と己を冷静にさせるべく、口元を袖で拭った。 「では、ラギはルルに対してムラムラしたりしまセンか?」 「するかっ! 馬鹿言ってねえでさっさと続きするぞ!!」 「あ、ルル。コンニチハ、とても良い天気デスね」 「ひっ!」 刀を担いだラギが吐き捨てるように言うと、目の前に先ほどまでまったく気配を感じていなかったはずのルルが、顔を青くして立っていた。思わず口から叫び声らしきものが出てしまったのは致し方ない。というか、このタイミングで出てこられたら誰しも叫びたくなるはずだ。ビラールはなんで動揺一つしないのだろうか、きっと当事者じゃないつもりなのだろう。本気で腹が立つ。 だが、ルルの顔色が悪いのが気になった。まさか、今の話を聞いて全力でドン引かれたのではないだろうか。ハッと気付いたラギは、慌ててルルに釈明する。 「あ、あのな、今の話は違うからな? お前の耳に入れるような話じゃねえから、もし何か聞いてたとしても全て忘れろ」 「ラギ、今の話……本当?」 「いや、だから忘れろって。あれはただのビラールの独り言だ」 エエーと不満そうに声を上げているビラールは無視して、ラギは俯いてしまったルルの肩に手を置いた。 「誓って言うぞ、オレはやましい気持ちでお前のことを見ているわけじゃ」 「酷いわ、ラギ! どうして私に対してムラムラしないの!?」 顔を上げたルルはとても悲壮な顔をしていた。ラギの思考は一瞬という名の永遠の秒数停止し、その顔から色を失う。 「大丈夫、大丈夫。ルル、ラギはきっとムラムラしてます。今、この瞬間もきっと」 「してねえよ!!」 我に返ったのは慰めるつもりで発したらしいビラールの言葉に突っ込む形で目が覚めたからだ。もしかしたら今、あまりの衝撃で意識すら失っていたのかもしれない。 「ルル、とりあえず落ち着け。お前はオレにムラムラされたいのか? 違うだろ?」 「ムラムラされたいわ!」 ドーンと効果音でもつきそうなほど、真顔で回答したルルにラギが引きかけたとしてもおかしくはないはずだ。 「なんでだよ!! その回答は今、明らかにおかしいだろ!! だから言ってんだろうが、お前は慎みを持てと!」 「だって、ラギがムラムラしてくれないから!」 「したら普通に困んだろうが! 大体お前ムラムラの意味解って言ってんのかよ!?」 「解らないけど!」 「自信持って答えんじゃねえ!! 絶対お前今オレに言ったこと、後で後悔すんぞ!!」 やんややんやと言い合っていると、ビラールがどうどうと言わんばかりに両手を上げて二人の間に入ってきた。諸悪の根源が何を言うというのだろうか。 「落ち着いてください、ムラムラしてもしてなくても、ムラムラしててもラギはルルが好きなことに変わりナイ。違いマスか?」 「たとえ違わねえとしても、肯定するのがものすごく嫌な言い方すんじゃねえ! なんでムラムラ二回言ったんだお前! それじゃオレがコイツに対してムラムラしてるの前提じゃねえか!!」 「え、ラギは私に対してムラムラしてくれてるの?」 ぱっと空気が華やいだように、ルルの顔に笑顔が差し込む。むしろ何かを期待しているような表情だ。 「お前も途端に嬉しそうな顔すんじゃねえ!」 正直、ラギは叫び疲れてきた。もうとにかく突っ込むのが疲れる、よくわからないテンションでムラムラに盛り上がっているビラールとルルが信じられない。その意味のないハイタッチはなんだ。イエーイじゃねえ! 気安くルルに触んな! 言いたいことは山ほど積もっていたが、ラギが何より一番言いたいのは。 ラギは精一杯腹に力を蓄えると、全身で思いを吐きだすように叫んだ。 「オレはムラムラなんかしてねーって言ってんだろーーーがぁああああ!!!!!」 後頭部に受けた朝の床との接触事故。気付けば天地が逆に目が覚めていた。 ものすごい夢を見た気がした。なんかもう怒りがムラムラするようなそんな夢を見た。 魔獣の鏡を通り抜けると、一緒に朝食を取ろうと約束をしていたルルの後姿が見えた。桃色の髪をふわふわさせたその姿に、ラギは妙な緊張をしてしまう。しかも、何故かタイミング悪いことに髪をあげているルルの白い首筋が見えて、数秒目を奪われた。落ち着け、変な夢見たから余計に意識しているだけだ。 ラギがやってきたのが気配で解ったのか、ルルが予告なくくるりと振り向く。そしてラギに柔らかい笑顔を浮かべて挨拶する。 「おはよう、ラギ! 今日のご飯も楽しみね!」 「ああ、はよ」 「……どうしたのラギ? 頭大丈夫?」 ラギがしきりに頭に手を当てているからか、心配したルルがそう問い掛ける。言い方はかなりムカつくけれど。 「当たり前だ、大丈夫に決まってんだろ! いいか、誤解なきよう言っとくがオレはムラムラなんてしてねえ!」 思わず宣言してしまうと、ルルの顔色が朱に染まる。 「む、ムラムラ? え、えっとラギ落ち着いて? 何の話? もしかして本当に頭打ったりしてるの?」 「なんでもねぇよ!!」 良かった、ルルの反応がいつも通りだ。恥ずかしいことを言ったはずなのだが、ルルの反応が夢とは違うことに改めて安堵して、それでもやっぱり恥ずかしいことには変わりなくて、ラギは赤くなった己の顔を隠すようにさっさと歩きだした。 待ってよと追いかけてきたルルに心の中で「誰が待つか!」と毒づきながら、火照りの止まない顔を腕で覆って隠す。不自然な動作がどれだけ周囲の目を集めるか解るのだが、落ち着くまでは己のこんな恥ずかしい姿を晒したいとは思えなかった。 ムラムラしててもしてなくても、好きなことに変わりない。その言葉に関しては確かに肯定する。肯定せざるを得ない。 あー、ちきしょう! ルルの一挙一動どころか、その肢体にも目を奪われる。健全な男子ならあって当然のこと、だというのにラギはそれを認めたくはなかった。 「あ、あのねラギ」 「なんだよ」 席に着くと、なんだか照れたようにルルが話しかけてきて、ラギはぶっきらぼうに答えた。 「たとえば、私のことでラギが……その、意識してくれてるなら、それはそれで嬉しいことだと思うの。だから、私さっきのこと気にしてないからね?」 その言葉はまさに爆弾だった。 一瞬だけ、ほんの一瞬だけだが、ラギはムラムラを認めそうになった自分が嫌だ。 今の言葉で実は本当にそうなんじゃないかって思いかけた自分が嫌だし、身体の底で疼いた何かがチリチリ胸を焦がすのが、非常に不愉快なのである。 「全部お前が悪い」 「へっ?」 「お前のせいだかんな!」 「ご、ごめんなさい?って、え、何が!? ねえラギ、、今のどういう意味?」 ルルはねえねえと懲りずに話しかけてくるが、ラギは押し黙る。これ以上言えば、何かボロを出しかねない。 八つ当たり気味にルルに責任を押しつけて、ラギは肘をついてそっぽ向いた。 こんな気持ちも、疼いてしまった心も、要するに、可愛すぎるルルが全部悪いのだ。そんなことは恥ずかしいから絶対に言うつもりはないが。 了 BGM:「蒼い春」angela 20100811 七夜月 |