絡めた小指 「お前への説教は後だ。今はこいつをしつけてやらねーとな」 そういって私の前に現れたラギの後姿は私がいつも見ているものよりもずっと大きくて、ずっと立派だった。 場違いにも私は思わず「ああ、ラギって男の子なんだなあ」なんて思ってしまって、ほんの少しだけ泣けたの。 それが安堵の涙なのか、どういう涙なのかわからなかったけれど、とにかく私の知っているラギは、私の知らないラギになってしまったのだと、知ってしまった。 泣いても、触れることが出来なくて、涙をすくい取ってくれた人。 体温をこの身で直接感じることが出来なくても、いつだって傍にいてくれた。笑ってくれた。知っていたの。それが彼の温かさだって。 成竜のラギはカッコイイ。これが彼の選んだ道、だとしたら、寂しいと思うことは許されるのだろうか。 許されないよね、だって、わたしのわがままなんだもん。 寂しいなんて言っちゃいけないんだよね。 「んだよ、なんかお前。最近変だぞ?」 「そんなことないと思う」 「そんなことあるんだよ」 湖のほとり、いつもの昼寝コースのデート、そして、夕食。今日だけで数回目の重いため息をついたルルに眉間に皺を寄せた。肉を丸かじりしながらラギが不満げに声をあげる。だというのに肉から手を離さないのはさすがである。 「言いたいことあるならちゃんと言えよ。らしくねーっつの」 ラギはぺろりと指についた肉の脂を舐めとりながら、ルルから手渡された布巾で手を拭く。 「わからないの」 「あ?」 「ラギに言いたいこと、自分でもわからないの」 ラギの視線が怪訝そうなものに変わり、ルルの頭上に注がれる。 「つまり、言いたいことまとまってねえってことか?」 「……わからない」 「はっきりしねーな」 とはラギも言いつつも、少し戸惑っているようだった。普段はわりとはきはきとした返事を返すルルだからこそ、こういう風に自分でも何がいいたのかわからないという事実を露呈することはない。 故に、ラギも対応に困ってるのだろう。ルル自身が戸惑っているのだから、他人が戸惑うのは当たり前と言えばそうだ。 「……もし、なんか悩みがあんなら言えよ?」 わからないと言っている相手に何を言ったらいいのかわかるはずもなく、かといってラギはルルを見捨てたりせずに、こんな風に優しい言葉をかけてくれる。 本当は気遣い屋なのに、普段は口の悪さでそれを台無しにしてしまう。台無しの部分を他の人は気付いていなかったからルルだけの特権だった。それも、今となっては一部の人には知られている。ラギがモテるのがその証拠だ。ラギが変わったから、他の人が気付いてしまった。 ズキっと胸の奥がまた痛んだ。 「ありがとう、言葉になったらラギに必ず伝えるね」 ルルは笑ってそう告げるしかなかった。 「……ねえ、アミィ。言葉って難しいのね」 開いていた教科書の中身もまったく頭に入ってこないルルは半ば独り言のような声の小ささで呟いた。だが、アミィにはちゃんと届いていたらしく、同じく机に向かっていたアミィはルルの方へ振り向く。 「伝えたい言葉が、どんどんわからなくなっちゃう」 ルルがそう言うと、アミィは微笑んだ。 「そうね、とても難しいと思うわ。私も伝えたいことがあってもどうやって伝えたらいいかわからなくなる時がたくさんあるもの」 「アミィも?」 ルルがビックリしてアミィを見ると、こくりとアミィは頷いた。 「相手のことを思うからこそ、その相手に対して言葉を選んでしまうのよね。そして、結局自分が言いたい言葉からかけ離れたことを告げていたりするの。本当に、上手く伝えられたらいいのだけど……」 アミィが一瞬だけ沈んだ顔をする。ルルが上目づかいでアミィの名を呼ぶと、アミィはハッ気付いたように、首を振った。 「あのね、ルルがどんな言葉で悩んでいたとしても、きっと相手はルルの言葉を受け止めてくれると思うわ。あなたの言葉はそれだけの価値があるの。きっと、その相手にとってもそうだと思う」 アミィにはルルがどんなことに悩んでいるのかわからないと思うのだが、そのアドバイスは的確だった。もしかしたら、アミィも同じ気持ちを抱いたことがあるのかもしれない。大事な人だからこそ、言葉が上手く伝えられないことが。 「大丈夫よ、ルル。伝えたいことが多すぎて、見えないことでも、いつだって大切な気持ちは単純だもの。必ず見えるから」 アミィに励まされて、ルルは少しだけ元気が出た。 「アミィ、ありがとう! 私、もう少しだけ考えてみる。投げないでちゃんと、自分の気持ちと向き合ってみるね」 「ええ、頑張ってね、ルル」 ふんわりと笑ってくれるアミィに笑顔を返して、ルルは解けなくなっていた教科書に視線を戻した。一問目、難しくて考えることを放棄した問題にもう一度取り組むためだ。 答えはきっともうすぐ見つかる。ラギのことを思い出して、ルルは胸が温かくなった。 放課後、ラギをパピヨンメサージュで呼びだそうとしたルルは思い直して中庭にやってきた。ラギならばもしかしたらここで昼寝してるかもしれないと思ったからである。 思った通り、やはりラギはモルガナ像の前で堂々と昼寝をしていた。今日もまたサボったようである。もう、と思いながらもゆっくりとした足取りでルルはラギに向かって歩く。ルルがいつも探そうとすると、ラギはたいてい空が見えるところに居た。陽の光を浴びて眠るのが好きなのだ。 ラギの傍に寄ったルルは、その身体を揺する。 「起きて、ラギ」 揺すり起こそうとしても、ラギは熟睡しているのかなかなか起きてくれない。 「ねえ、ラギってば!」 陽の光を浴びているラギはとても気持ちよさそうだ。起こすのが忍びないくらい。 「ラギ、起きてよ」 「あー…? ルル?」 気付けばルルは泣きたい気分で、ラギを揺すっていた。光が眩しくて腕を翳していたラギが起き上がる前に、ほぼ衝動的に抱きつく。 「って、おい!なんでこっち来んだ…! うわぁあああ!!」 ぽひゅんと空気の抜ける音がして、完全な不意打ちのタックルに、ラギは為すすべなくチビドラゴンの姿に変わる。その姿を、ルルは問答無用で抱きしめた。 「馬鹿かお前! こんなとこで変身しちまったじゃねーか!」 火でも吐きそうなほど怒っているラギだが、ルルは抱きしめる力を強めるだけだ。 「おい、聞いてんのかルル! つか、く、苦しい……!」 「ラギを困らせたかったんじゃないの」 泣くのを歯を食いしばって堪えているルルは、喉から言葉を絞り出すようにそうラギに言う。 「お、おい。ルル、マジでギブ! 首、首締まってる……!」 一方のラギは苦しくなっているのかいつもの赤い姿が一変、顔部分が青く変わっている。ぐぇ、とさっきから妙なうめき声をあげている。 「ごめんなさい、本当にごめんなさいラギ!」 「それはなんの謝罪だ、オレの息の根を止めるための謝罪か……!」 「私本当はラギにずっと言いたかったけど、言えなかったの! 困らせるってわかってるのに!」 「もう……駄目だ……」 「え? あれ、ラギ? きゃー! ラギ、しっかりして!」 ルルの腕の中で意識を失いかけたラギを見て、ルルはがくがくと身体を揺する。全力で上下に揺する。ラギは脳みそから胃袋に至るまで全身を思いきりシェイクされた。 「って、いい加減やめろ! より気持ち悪くなるだろ、燃やすぞ!!」 本当に火を吐いたラギにビックリしたルルはラギの身体を腕一杯伸ばしたところで留めた。 ラギの身体を地面におろしてやると、ラギは腹減ったと言いながらちょこんと大人しく座っている。 そんなラギの手を取ると、ルルはもう一度謝った。 「ごめんね、ラギ」 「あー……腹減ったぁー……後でなんか奢れよてめー。マジで奢れよ」 「うん、今日のご飯、私の分もラギにあげる」 「マジか? って、ちげーよ。飯はちゃんと食え、そんでいつもより頭使って悩み事はさっさとなんとかしちまえ」 ラギは空腹に耐えかねたように元気なさげにそう言った。 「それで? オレに言いたいことはまとまったのか?」 「うん、見つかったの。ラギに伝えたかったこと」 ルルは深く息を吸うと、そのまま吐いた。それから、ラギの小さな両手を取ると、ぎゅっと握りしめた。 ルルの前では小さな竜でも、本当はもっと大きな身体をした竜なのは、ルルも一度見知っているから知っている。こんな飴玉のように丸い瞳をしていても、大きくなったら鋭い眼光が目の中に宿る。畏怖の念を抱かせる、偉大な竜の気配を体内に宿す成竜となるのだ。 「ラギは空が好き? 私はすごく好き」 「は? いや、まあ嫌いじゃねえけど」 「でもね、私空よりもずっと、ラギが好きなの」 「なっ……!」 慌てたようにラギが尻尾をバタバタ振る。だが、ルルは真剣だ。こんなことを言ったら、ラギを困らせてしまうとわかっていても、ルルは空にラギを取られたくはなかった。 「ラギが空を好きなの知ってる。ラギが縛られるような人でもないの、ちゃんと知ってるわ。だけど、やっぱり好きなの。大好きなの」 もしかしたら、人間体のラギには恥ずかしくて言えなかったかもしれない。けれど、今のラギはちびドラゴンだ。 「置いていかないで」 一人で空を飛んで行ってしまわないで。 「置いていかないで、ラギ。お願いよ」 もし、空を飛ぶのなら、私も連れて行って。どこまでだって、ついていくから。 ラギが飛ぶ空を一緒に飛びたいの。 ルルがぐるぐると考え込んでいた結論だった。寂しいと思うのは、ラギの背中にいない自分が居たからだ。ラギが将来の結論をどう出すかわからない。だが、ラギの傍に自分がいるとは限らない。いつか空を飛ぶときは乗せてやると言ってくれた。抱きついたりしなければいいとぶっきらぼうにだけど、ちゃんと言ってくれた。でも、それはラギの選択によっては叶わない夢なのだ。 ラギは大きく溜息をついた。 「置いてかねえよ、お前をじっちゃとばっちゃに会わせるっつったろ」 ちびラギは立ち上がり羽を羽ばたかせてふよふよ浮くと、人間体と同じようにルルの頭をポンポン叩いた。いつもラギがしてくれるのと、同じ撫で方だ。 「心配すんな。約束してやる」 寂しいというのはやめた。それがルルの後ろ向きな我儘だから、もっと前向きに我儘を言おうと思ったのだ。自分で行動を起こすのだ、ラギの後をついていく、そんな我儘。 ルルは、小指を立ててラギに向けた。 「約束、ね?」 お腹が空いて元気がなかったからか、普段ならきっと子供っぽいとか散々文句を言われたかもしれないが、ラギは何も言わずにその竜の指を差し出してくれた。ルルは自らの指をすぐにラギの指に絡めて、へへっと満足に笑った。 「ありがとう、ラギ」 「ところで、これ言うのにわざわざこの身体にさせた訳がわかんねえんだが」 「え? あのね、この姿だったらラギ抱きついても怒らないかなって思って」 と言いつつルルは素早い動きでラギの身体を捕まえると、機嫌良く立ちあがった。 「は、離せ! 自分で飛べるっつーの!」 「イヤ! だってラギにもう少し抱きついていたいもの!」 「ぐえっ!」 再びルルが抱きしめる力を強めたら、ラギは蛙が潰れたような声を出した。 「ふ、ふざけんな! ちっきしょー……腹さえ減ってなかったらぜってー抜けられたのに」 無駄な抵抗とわかったのか、ラギは大人しくしょんぼりと首を垂れる。 「早く体質治るといいな。そうしたら、きっと抱きつき放題なのに」 「バカ言うな! 慎め! そして自重しろ!」 「えー、ケチケチ! ラギのケチ!」 「ケチとか言う問題じゃねー!」 でも、実際人間体となった時のラギに抱きしめられるのを想像してみて、思いのほか恥ずかしい気持ちになったのは秘密である。 了 20100906 七夜月 |