あとに残るは疑問なり




 始まりはその一言。
「……おい、首どうかしたのか?」

 熊野へ行く途中、どうしても野宿をしなければならなかったところ、親切な寺の僧侶が一晩だけ泊まらせてくれたその翌朝のことだ。
 出かける準備をして、その寺の住職に代表として挨拶に行った朔と弁慶を待っていたとき、九郎は風でなびいた望美の髪の下にあるものを見つけてしまった。
 望美の首筋に見えた赤い跡。
 あんなところに痣か?珍しい……。
 九郎は不思議に思って尋ねた。
 本当に、他意はないのであった。気になったからただ聞いてみただけ、それだけのこと。
 そして全員の視線が望美の首筋へと注がれる。
「あ、これ? やだなぁ、恥ずかしい。なんでもないよ」
 パッと首を押さえて、照れたように笑う望美の姿に、一名を除いた一同は愕然とした。
 首筋に痣、そしてその反応と来れば答えは一つ。
「へぇ……、姫君もなかなかやるね。お相手は誰かな? 嫉妬で狂いそうだよ」
「何言ってるの、ヒノエくん。それがね……」
 普段どおりを意識したヒノエに尋ねられて、照れ笑いを浮かべた望美は口を開こうとした。しかし……。
「すみません、少し手間取りました」
「ごめんなさい、ずいぶん待ったでしょう?」
 弁慶と朔が戻ってきて、望美の注意は二人にそれた。
「ううん、そんなことないよ。お疲れ様、二人とも。二人のお陰ですごく助かったよ」
「そんなことないわ、気にしなくていいのよ」
 親切とは言え、そう易々と泊められるほど、今の時代は優しくはなかった。
親切心として泊めたら夜盗に襲われた、なんてことはザラだからだ。
 二人の説得があったからこそ、こうして野宿をせずにすんでいる。感謝こそあれど、望美は責める気など毛頭ない。
「ふふっ、君からそんな賛辞をいただけるのなら、出来ないことでも何だって、してしまいたくなりますね」
 微笑みながらそう答えてくれた弁慶に、望美は柔らかな笑顔を浮かべた。
 それを見たヒノエ以下男衆の目が剣呑に光る。
「……なるほどね、相手はそいつかい? 姫君」
 ヒノエの言葉に、きょとんと目を瞬かせる朔。
「相手? 望美、何の話をしていたの?」
「相手とは、どうやら僕のことのようですね」
 周りの視線を軽く流しながら、弁慶は笑みを絶やすことなくそう言った。
「あ、やっぱりわかっちゃった? もう、恥ずかしいな〜。この年でそういうことに騒ぐなんて、やっぱり子供っぽいよね」
 皆の視線がそちらに向いていることに気づいて、望美は隠し切れないとばかりに溜息をついた。
「そんな事ありません。ですが、その……」
 言いにくそうに、譲は眼鏡を何度も押し上げている。
 動揺といった言葉を映すとても適切な態度だ。
「昨日はね、朔も一緒だったんだよ。ね?」
「あら、昨日のことだったのね」
「うん、そう。私と朔と弁慶さんの三人で……」
「ちょっと待って。朔も一緒だったのかい?」
 口を引きつらせながら、景時が口を挟む。
「そうよ、兄上。私と望美は同じ部屋なのだから、一緒に居たって不思議じゃないでしょう?」
「じゃあ、どうしてそこで弁慶が出てくるんだ?」
 心底わからないといった様子の九郎に、弁慶は軽く微笑んだ。
「偶然ですよ。たまたま寝付けないで外に居たら、彼女たちに呼ばれたんです」
「弁慶さんがきてくれて、本当によかったよね。それまで私たちだけじゃ生殺し状態だったもん」
「そうね、特に貴方は。体中でもう衝動が抑えられなくなってたものね」
「言わないでよ、本当に恥ずかしいんだから」
 ぽっと音が立ちそうなほど急に赤らめた望美の様子に、男たちの頭の中は高速にフル回転する。想像という名のものが、妄想に変わる瞬間、耐え切れないとばかりに一人、また一人と顔を覆っていった。
「彼が居てくれたから、気持ち良く寝れたのだもの。よくお礼を言った方がいいかもしれないわね」
「わかってるって、本当に弁慶さん有難うございました」
「いいえ、お役に立てて何よりですよ」
 そんな弁慶は男たちの様子を見て、爽やかな笑顔を浮かべたまま微動だにしない。
 男衆の目には、それが余裕綽々な態度にとれて仕方なく、ヒノエはイラついたように舌打ちした。
「まさかあんたに先越されるとはね」
「何のことですか? 僕はただ、彼女に頼まれたことをしたまでですよ? ……いいですか、望んだのは彼女なんです。それをお忘れなく」
 何か含むところありげな弁慶の言葉は、少なからずダメージを与えるには十分だったらしい。
「…………神子が…望んだ……」
 敦盛はその言葉を繰り返すとそれきり何かにショックを受けたように黙り込んでしまったのだから。
「神子、痛い?」
 つんつんと袖を引かれ、下を見れば心配そうな白龍の顔。
「大丈夫だよ、全然痛くないから。ごめんね、心配かけて」
「ううん。神子が痛くないなら、良かった……」
 心の底から心配してくれていたのだろう、その安堵するさまは大げさといってもいいほどで、だけど子供だから演技ではないことは確かなのだ。
「もう、本当に白龍は可愛いなぁ」
 思わず頭を撫でて望美がそう言うと、まるで見計らったかのように弁慶がクスッと笑みを漏らした。
「昨日の君も、十分可愛かったですけどね」
「べ、弁慶さん!」
 百面相のようにころころと変わる表情。そんな望美を愛しげに眺める弁慶を見てしまうと、まるで二人の間には何か親密な関係でもあると言われているようである。
「それで、結局その首はどうしたんだ?」
 今までの会話の中では結局理解できなかった九郎が再び問い掛けた。
 望美は事も無げに言い放つ。

「だから、蚊に刺されですよ」

 ヒノエと譲と敦盛と景時は、その言葉を頭の中で理解するのに数秒かかった。

「蚊に…」
「刺され……」

「昨日の夜、大量の藪蚊が部屋に入ってきて、色んな箇所を刺されちゃったんです。もう、本当に痒くてたまらなくて、それで朔に頼んで弁慶さんを呼んでもらったんですよ」

ちっちっちっちーん。

「ああ、そう!蚊に刺されね!」
 慌ててとりつくったようにいう景時。
「そんなことだろうと思ったけどね」
 解っていたといわんばかりの態度のヒノエ。
「蚊に刺され……なんだ、先輩それで弁慶さんを呼んだんですね」
 いかにも安堵したように言う譲。
「弁慶殿は薬師だから、痒み止めの薬も持っているだろう……」
 納得したように呟いた敦盛。
「何ですか、皆さん。何だと思ってたんです?」
 わざとらしく尋ねる弁慶に、ヒノエは先ほどよりも少し余裕のある態度で応戦した。
「いやなに、大事な俺の姫君に手を出した輩はどこのどいつかと思ってね」
「わかったらどうするつもりでした?」
「勿論、奪ってみせるさ」
「そうですか。それは残念ですね。それが本当に出来たのか、見ものだったでしょうに」
 余裕な態度をお互いに崩さない弁慶とヒノエ。
「何の話ですか、弁慶さん、ヒノエくん」
 たまたま白龍と話していて聞いていなかった望美がその二人の微妙な空気に気付いて声をかけた。
「何でもないよ、姫君。ただ少し、今後についての話をね」
「そうですよ、気にしないでください」
「そうなんですか? なんだか変なの」
 クスッと笑って、望美が出発しようとしたときに、九郎がいきなり叫んだ。
「あっ!」
「九郎さん?」
「そうか、そういうことか。お前たちはいつの間にかそういう関係になっていたのか」
 先ほどの会話から必死に考えていたらしい。ようやく合点が言ったとばかりに、九郎は手を叩く。
「そういう関係って……あっ!」
 望美はその時初めて、自分の取った行動、言動が全て誤解に繋がることを悟った。
 見る見るうちに紅くなる頬は見ていてもやるせないくらいだ。
「なんてこと言うんですか!? そ、そんなの弁慶さんに失礼ですよ!! ……それに、私たちをそんな目で見る九郎さんは最低ですッ!!」
「何だとっ!?」
 ぷいっと余所見をした望美はそのまま九郎を見捨てて恥を振り切るように早足で歩き出した。健気な白龍も望美を心配しながらてくてくとついていく。
「弁慶殿、わざとあのように言ってたんですね」
「何のことですか、朔殿」
 呆れて吐息を突く朔に対してあくまでのほほんとシラを切る弁慶に、ヒノエは再び舌打ちした。
「あんたって立派な策士だよな」
「いいえ、そんなことありませんよ。ただ、九郎が少しばかり考えが足りなかっただけです」
「嘘つけ、顔笑ってるぜ」
「元からこういう顔なんですけどね」
「おい、何であいつは怒ったんだ?」
 と、会話についていけなかったらしい九郎が眉間に皺を寄せて二人に尋ねる。
「鈍感も、ここまで来ると犯罪でしょう」
「女心のおの字も解っちゃいない。そんなんじゃ、いつまで経っても花嫁なんか貰えないぜ」
「お前達に俺の嫁の心配をされる筋合いは無い。……というか、何でそういう話になる?」
 全然わかっていない様子の九郎に二人は共に溜息をついた。



 了







   20050926  七夜月


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