あとに残るは誤信なり



「来ないで……!」
 潮岬を波が打ちつける断崖の絶壁で、望美は自らの背を崖に向け、目の前に迫ってきた仲間たちにそう告げた。
「待て、何を早まる必要がある……! 落ち着いて話し合うんだ!」
 九郎の悲痛な言葉にも、望美は首を横に振るばかりで頷かない。
「私がいけないんだ……! 私、私さえいなくなれば……!」
「馬鹿なことはやめろ、望美!」
 九郎の隣に立った将臣を見て、また望美は一筋の涙をこぼした。
「どうして……? どうしてそんなに愛し合っているのに……私は……!」
「誤解解けたんじゃねぇのかよ!」
 将臣の言葉に、ヒノエは肩を竦めるだけだ。解いたはずだ。何がどう間違ってこんなことになったのかは解らないが、確かにヒノエは誤解を解いた。
「私は……将臣くん……ごめん、私は……九郎×ヒノエに目覚めちゃったの……!!」
「はぁ!?」
「幼馴染なのに、将臣君のことを応援してあげられなくてごめんね……? こんな薄情モノな私だから、せめてもの償いは命で……」
 とんっと望美は崖を飛んだ。その顔に映っていたのは後悔でも何でもなく、ひたすらに儚い微笑で。
「望美ィィイイイイ!!!!」
 崖下に手を伸ばしながら、九郎は大きな水飛沫を上げて海に落ちた望美の名を叫び続けた。


「………………ハッ!!」
 ガバリと、蒲団を跳ね除けるようにして飛び起きた九郎は、額に浮かんでいる汗を拭うと、荒い息を抑えながら深呼吸を繰り返した。
「なんて夢だ……誤解が解けたというのに縁起の悪い」
 外を見れば白い月が浮かんでおり、どうやら太陽が登りつつあるようだ。
「こんな夢を見てしまうのも、鍛練が足りないからだな。ちょうどいい時間だ、少し稽古をするか」
 そうして起き上がった九郎は、急に起こった寒気にぶるっと身体を震わせた。


「来ないでくれ……!」
 潮岬を波が打ちつける断崖の絶壁で、九郎は自らの背を崖に向け、目の前に迫ってきた仲間たちにそう告げた。
「待って、九郎さん!早まっちゃダメ! 落ち着いて話し合おう?」
 望美の悲痛な言葉にも、九郎は首を横に振るばかりで頷かない。
「俺のせいなんだ……! 俺さえいなくなれば……!」
「馬鹿なことはやめろ、九郎!」
 望美の隣に立った将臣を見て、九郎は苦渋の表情を浮かべた。
「何故だ……? どうしてそんなに俺を思ってくれるんだ……俺は……!」
「お前が誰を選ぶかなんて、関係ねぇよ!」
 将臣はキッとヒノエを睨みつける。それに対してヒノエは肩を竦めるだけだ。だが、ヒノエは真摯に九郎を見つめ返す。
「俺は……将臣……すまん、俺は……ヒノエを選んでしまった……!!」
「……! やっぱり……!!
「ずっと一緒にいて俺を思ってくれていたのに、俺はお前の気持ちには応えられないんだ。こんな薄情モノな俺だから、せめてもの償いは命で……」
 とんっと九郎は崖を飛んだ。その顔に映っていたのは後悔でも何でもなく、ひたすらに儚い微笑で。
「九郎さぁあああああん!!!!」
 崖下に手を伸ばしながら、望美は大きな水飛沫を上げて海に落ちた九郎の名を叫び続けた。


「………………ハッ!!」
 ガバリと、蒲団を跳ね除けるようにして飛び起きた望美は、額に浮かんでいる汗を拭うと、荒い息を抑えながら深呼吸を繰り返した。
「なんて夢なの……これは九郎さん自身の気持ち……?」
 外を見れば白い月が浮かんでおり、どうやら太陽が登りつつあるようだ。
「こんな夢を見てしまうのも、気になってるからだよね。ちょうどいい機会だし、せっかくだから今日こそはっきりさせよう」
 そうして起き上がった望美は、いそいそと朝の起床準備を始めた。


 九郎が庭先に出るのと望美が九郎を見つけるのは同時だった。
「あっ、九郎さん!」
 望美は手を振りながら九郎の元へとやってくる。九郎は夢で見た望美を無意識に思い出し、なんとなく腰が引けつつもおはようと挨拶をした。
「おはようございます! これから鍛錬ですか?」
「あ、ああ……そうだ。お前は違うのか?」
「私は……えっと……」
 単刀直入に聞いていいものだろうか。朝見た夢が頭をちらりとよぎり、望美は言葉にするのを躊躇われた。まさかとは思うが、本気で九郎が崖から飛び降りるなんて事態になったら、望美も悲しい。遺された将臣やヒノエだって辛いはずだ。
 ここはソフトに攻めなければ。
「九郎さんに少し聞きたいことが。あ、でも鍛錬しながらでいいんで聞いてくれますか?」
 丁度いいとばかりに、同じく剣を引提げていた望美も、太刀を構える。
「わかった。答えられることなら、何でも答えるぞ」
 握っていた剣を下ろして、九郎は微笑んだ。こんなに優しい人を崖に追い詰める質問は出来ないと新たに思い直し、望美は真剣にどうしたらいいか、素振りをしながら考える。
「あの、九郎さんって……どういった人がタイプですか?」
「たいぷ?」
「あー……えっと、どういう人間に対して、好意を抱くのかなって」
「それは尊敬に値する人物はどういった人間かということか?」
 実直なまでの九郎の答え。当たりのような、ハズレのような。うーむ、と望美は更に悩んだ。
「ちょっと違うんですけど……えーっと、憧れる? かな?」
「憧れる人物か……そうだな、嘘の無い人間だな。隠すことは仕方ないとしても、嘘をつく人間より、やはり誠実な人間の方が見ていて気持ちがいいものだ」
「嘘のつかない人間……」
 望美の中で大穴だった弁慶という選択肢が消えたのは言うまでも無い。
 将臣とヒノエを、頭の中で浮かべてみる。将臣はからかったりするけど、嘘はつかないタイプだ。ヒノエは割と嘘をつくタイプな気がするのだが、ヒノエの場合は隠し事のほうが合っている気がする。あれは嘘とは言い切れないし。
 どっちが本命なのかこの答えではイマイチ把握できずに、望美は悶々と考えた。
 一方、九郎の返答を聞き、深く考え込んでしまった望美に、九郎は疑問符を浮かべた。何故そんなことを聞きたがるのだろうと、不可解だ。
「何故、そんなことが知りたいんだ?」
「えっ? それは色々と事情が……」
 素直に答えられるはずもなく望美は言葉に詰まって赤くなった。だって、本人を目の前にして、ヒノエと将臣のどちらが本命か?なんてさすがにそんな立ち入ったことを直接九郎に聞けない。望美にも少々の恥じらいはあるのだ。出歯亀根性がバレたりしたら、呆れられてしまう。
 が、九郎は九郎で、望美のその頬の赤みを勘違いしていた。
「(まさか、コイツ……俺の事を……? いやいやいやいや、落ち着け。俺たちはただの仲間だ。そんなこと、あるはずがない。第一、別に直接何かを言われたわけじゃない、勝手に勘違いするのもコイツに失礼だ。そうだ、きっと俺の勘違いだ。だが、だったら何故赤くなったんだ? 意識したとしか思えないんだが、まさか風邪でも引いてるのか? いやしかし……)」
 同じく悶々と考え込んだ九郎。二人は同じように悶々していた。
「あの」
「なぁ」
 二人同時に言葉を発し、どうぞどうぞと譲り合う。が、結局咳払いをした望美からいうことになった。
「あの、ですね。大きな使命を持っていて、本当のことを言えずにずっと隠しているような人間ってどうですか? 時折、つきたくもないのに、大切な仲間だからこそ嘘をついちゃうんですよ。というか、つかざるを得ないって言うか。危険に巻き込みたくなくて、どうしても本当のこと言えないんです。そういう人間って、好きですか?」
 将臣とヒノエはある意味境遇が似ているので(還内府だとか、熊野別当だとか)、こういった表現を用いてみたが、上手く伝わっただろうか。望美は自分の説明に一抹の不安を覚えつつも、一方ではこれ以上的確な表現は無いと結構自信があったりする。
 だが、語り方が非常にまずかった。まるで望美自身の事であるように語られていたといえばそうとってもおかしくはなく、素直にそう受け取った九郎からしてみれば、「わたしのことが好きですか?」と言われたも同然だったからだ。いささか直情的過ぎる受け取り方だが、九郎の性格上仕方ない。そして、そのことについて望美の計算内に含まれていなかった。
「(やはり、望美は俺のことが……? いや、だがそうと決まったわけじゃない。……考えてもいっこうにわからん。ここは一つ、聞いてみるか)」
「お前は、俺の事をどう思っている?」
 ズバリと、九郎はオブラートに包み込んで隠しながら話すということを知らずに単刀直入にきいた。
「(質問したのに質問で返されちゃったよ。これはきっとアレね。お前から見た俺のヒノエや将臣に対しての態度はどう思う?ってことよね。もしかして、周囲にバレてるのを確認したいのかしら。こういう時って嘘つくと後々ややこしいし、正直に言っておこうかな)」
 どこからそういう結論に至るのか、望美の思考回路は相変わらずファンタスティックに動いていた。
「私は好きだと思いますよ」
 あっさりと、望美の口から告げられた言葉に、九郎は言葉を失った。それほど衝撃的だった。
「本気でなのか?」
「本気じゃなかったら、遊びになっちゃうじゃないですか」
「それはそうだが……そうか、やはり好きなのか」
 何故かかすかに嬉しそうな九郎。そんな九郎には気づかない望美は望美で、温かい目で頬を染める九郎を見つめていた。自分の気持ちを自覚できたようで、良かった良かったとのんきに構えてたりする。
「それで、九郎さんの気持ちはどうなんですか?」
 暗に、望美はヒノエと将臣どっちが好きなんだ?という疑問なのだが、九郎からしてみれば、たったいま告白(九郎談)されてからようやく望美を意識したに過ぎない。望美が好きか嫌いかといわれれば好きだが、恋愛感情を持つかどうかはまた別問題であり云々、と考え続けている。
「その、今はまだはっきりしたことは言えないんだが……俺は」
「あ、いいですよ。無理に言わなくても」
 それを聞くのは望美ではない。告白は本人に聞かせなければ。と、望美は丁重にお断りした。言い難そうだったから先手を打ってみたが、九郎はもの寂しげである。というか、妙に申し訳なさそうな表情だったりする。その表情の意図を更に望美は不甲斐ない自分に対する叱責だと勘違いしているのだから幸せものである。
「(どっちと付き合うか)九郎さんの気持ちがはっきりしたときにでも、教えてくれれば。私、待ってますから」
 にこりと微笑んだ望美は、よいしょと立ち上がると、これ以上は話すことがないと言わんばかりに席を立った。
 九郎にはそれが拒絶された女性のイメージのように取れてならない。九郎の中での罪悪感が膨らんでいった。
「すまない、なるべく待たせないように結論付ける。たとえどんな結果だろうと、きちんと俺の気持ちをお前に伝えるから」
「いいえ、今日は九郎さんに(どっちが好きなのか悩んで)解ってもらえただけでもいい収穫でした」
 微笑を浮かべた望美は「それでは、お邪魔しました」と九郎に告げると、足早に立ち去っていった。九郎は突然の告白に戸惑いつつも徐々に意識しだした望美への思いを持て余して、全てを忘れるかのように稽古に打ち込んでいった。


 了



   20060204  七夜月

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