奪えないモノ 「将臣くん! 見て見て! これすごい綺麗だよ」 「あ? なんだよ」 前方を歩いていくのは将臣と望美。道端に咲いている花をしゃがみこんで見ている望美の笑顔が将臣の前で花開く。それを見た知盛はクッと笑いを漏らしたくなった。 最初からそうだった。この娘はいつも将臣に対しては笑うくせに、知盛を見るたび辛そうに顔をゆがめることがしばしば。笑顔もぎこちない。別にそれが不満だったわけじゃない。というか、別に知盛は望美が自分にどう表情を向けようが、関係ないと思っていた。 ああ、そうだ。関係ないままなら良かったんだろう。そうすれば、俺はこんなお前を見て、苦しみというものを覚えなくて済んだのだからな。 知盛は心内で静かにそう告げる。笑顔を咲かせている少女に向かって。 普段ではカケラも見せない戦場での顔、あの強い視線に射抜かれたとき、知盛の中で何かが変わった。この女と戦いたい、この女ならば、俺を満足できる。そして、この女の剣で死を迎え入れるのならば、それもまた一興かもしれない、と。 知盛には自分の運命が見える気がしていた。望美の手により『終わる』ということが。それは自分にとって何よりも幸せなことのような気がして、いつしかそれは確信へと変わる。 知盛の心に灯った、執着という小さな炎。 望美の持っているもの、全てが欲しかった。 けれど、望美が欲しているものは自分でもなんでもなく、隣を歩いているあの男。あの男だけを見つめる視線が、他のものを見るよりずっと変わっていた。 穏やかさに隠された望美の本能。知盛は誰よりも欲望に敏感で、自分が欲するものだからこそ、余計に望美の欲しいものがわかってしまった。 胸を突く思いが知盛を襲う。何日も会っているのに、望美の心は将臣に向けられたまま。 静かな胸の奥底から湧き上がる感情は黒く、知盛を取り巻くように蝕んでいった。 目の前に現れた雑兵の姿に、将臣は溜息を隠そうともせずに唸った。 「……ハァ、またかよ…」 「重盛兄上も大変だな、経正殿がお待ち申し上げているようだ」 それを見た知盛がまた、さも楽しそうに慰めるのはいつものこと。将臣も慣れているからこそ、それについては何も言わない。 「悪い、望美に言っといてくれ。すぐに戻ってくる。あいつ向こうに行ったっきり戻ってこねぇだろ」 「嫌だ、と言ったら?」 「待ってろよ」 更に強調するように念を押して、将臣は知盛の前から消えた。また将臣の元に書状が届いたのだが、生憎望美はここにいなかった。沢泉を見つけたといって、涼みに行ったきり戻ってこないのだ。以前も書状が届いたときには、それぞれ好き勝手に過ごしていたが、今回は知盛が望美に伝言を伝えなければならない。本来なら面倒くさいの一言で切り捨てるのだが、正直言って今は興味の方が勝る。望美に背後から気配を消して近付き襲ったら、持った剣でどこまで出来るのか。 「俺もそれなりに…楽しませてもらおうか」 カチャッと剣の鍔が鳴り、それと同時に血潮が騒いで湧き上がる思いを知盛は止めようとはしなかった。なぜなら、自分が何より生きていると感じられる感覚なのだから、止めようがないのだ。 草の音を立てずに用心深く掻き分け歩いていくと、しばらくたったときに少し開けた沢とまた岩に寄りかかるようにして眠っている望美の姿があった。あんなところで座り込み寝込みを襲われたら確実に殺られる。けれども知盛はそれを責めることはしない。もしかしたらこうして寝ているのも以前の自分のように試しているのやも知れぬのだから。 知盛は慎重に近付き、剣を抜くと望美の喉元に当てようとした、だが……。 「ごめ、なさ……」 眠りながら呟かれた謝罪。その言葉と表情を見たとき、知盛は無意識の内に剣を納めていた。寝言なハズなのに、その顔がいつも自分に対してするあの辛そうにゆがめた表情で、それが自分に語りかけられた言葉であるように聞こえてしまい、結局知盛は望美を立ったまま見下ろすだけだ。 自分でも何がしたいのか解らない。 「お前は…何故いつもそんな顔をする」 いつだってこの顔ばかり見てきた。幼馴染には絶対に見せないのに、いつもいつも望美は知盛を見てはこういう顔をする。 それは知盛の運命の証。けれど、それを今の知盛が知ることは無い。 片膝でしゃがみこみ、望美の顔にかかった髪を払った。そのまま顔を近づけ、吐息を感じることの出来る距離まで顔を寄せる。けれども望美に起きる気配は無い。よほど疲れているのか、それとも別の理由か。どちらにせよ、目を覚ますことはなかった。 「……俺はお前の夢でさえ、こんな顔しか見ることが出来ない…か」 知盛の手が、静かに望美の頬に添えられる。 口許に寄せられた唇は少しずらされ、唇のすぐ脇の頬に落とされた。 「……お前の唇を奪うのは、こんなにも容易いというのに……夢で笑ってくれることがそんなにも難しいとはな…」 夢ですら笑ってくれることは無い。なら、あの幼馴染が見ている笑顔に出会える日はもしかしたら永遠に来ないかもしれないのだ。 けど、知盛はそれでもいいような気がしていた。あの笑顔が見れなくても、望美の心が別の場所にあっても、それでも仕方ない気がした。自分にとって触れているにも拘らず望美の存在は遠い場所にあると、今こうして解ってしまったのだから。 思いつく理由はたった一つ。 「くっ……俺にはお前が…眩しすぎるんだろう」 対極のように眩しさと輝きを失わない望美。自分にはもう、生きる執着も何もない。暗く、ただ戦いに生きる意味を見出すのみ。時折その光を見ないで済むように、自らの目を塞いでしまいたいほどだった。 そのまま望美から離れて、少し離れた場所で知盛も静かに夢を見始める。そう、これは甘美な夢。いつか終わりの来る、もう二度と来ない幸福の夢。 知盛にも、それが解っていたからこそ、彼は夢を見続けることを選ばなかった。 最後の一閃が知盛を断ち切り、自分が負けたことを知った。 予感どおりだった。望美の剣に敗れることは出会ったときから解っていたような気がしていたから。 「知盛……っ!」 苦しげに歪められた望美の顔。幾度となく知盛が見てきた表情だった。 最後の最後まで、この顔、か……。 「いい加減飽きた……と、言いたいところだが……もう見れなくなると思うと、不思議と愛着が湧くもの…だな」 「知盛、待って、どこに行くの!」 知盛は望美の顔と空を交互に見た。あの顔の意味に、最後に来てようやく気付けた気がする。 あれは望美も予感していたからだ。この知盛の最期を。 ……予感? いや、そんな生温いものじゃない。お前は知っていたんだろう、お前の手で最期を迎える俺を。 だからこそ、辛そうにいつも顔を歪めていたのだろう。確証は無いが確信できる。熊野のときから感じていた違和感の正体がようやく見えた。 だが、そう考えると確かに知盛は望美の中に存在していたということだ。どんな形であろうとも、あの歪んだ表情を見せていたときは、知盛だけを思っていたのだ。 望美の中に自分が残る、ならばそれならそれでいいかもしれない。 こうして話すことは出来なくなっても、将臣と望美が結ばれたとしても、望美の中に知盛という消えない烙印が押されていたのだから。 将臣には決して手に入れることの出来ない、知盛だけの場所。 また違った意味で、望美の心はとうに知盛に奪われていた。 「ああ、そうか……なるほど。…俺はもう、手に入れていたのか……」 心の底で欲していた場所。そう解ったとたんに空の色が目に入ってきた。鮮やかな青が包み込む世界の中に生きる少女、そして少女の胸と同じように、やはり鼓動を鳴らしながら生きる自分。けれど、それも今日で終わりだ。 「良い天気だ……こんな日に死ぬのも…悪くない」 心が晴れ晴れとしているのに対し、天気もまた知盛の心を表しているかのようだった。もう、心残りはこの世界に無い。 「ダメ、知盛ッ……!」 「じゃあ、な……」 一瞬の浮遊感。そこが知盛の全てだった。世界がもっとも美しく見え、そして望美の泣き叫ぶ表情。切り取られて色鮮やかに網膜に焼き付けられた。 知盛にとっての最後の世界は閉じられた瞳で静かに色褪せていった。 了 BGM:「Seed」(川田まみ) 20060402 七夜月 |