あとに残るは擬塊なり



 快晴の熊野の平原には夏草や花が広がり、久々の休息を味わうには素晴らしい条件下で将臣は大きく伸びをした。
 このまま昼寝でもしてぇなぁと地面に横になっていると、弟である譲が眉間に皺を寄せてやってくる。
「兄さん、こんなところで寝るなよ。風邪引くだろう」
「大丈夫だって。それより、他の奴らはどうしてんだ? 時間かかるようなら一眠りさせてくれ」
 弁慶が申し出た、薬草を採りに行きたいから、ここら辺で少しだけ時間が欲しいということを白龍の神子筆頭に幾人かの大賛成によりこうして休息時間が成り立っているわけだが、目線で見える範囲に居るのは譲と近くで剣の稽古をしている九郎、そして鼻歌を歌いながら武器の手入れをしている景時に、口笛を吹いて楽しそうに平原を眺めているヒノエ(正確にはヒノエが見ていたのは望美たちであるのだが、将臣にはそこまで見えていない)、あとはまったりと妙に和んでいる敦盛に、怨霊が来ないかどうかしっかり確認しているリズヴァーンくらいだ。
「いいわけないだろう。先輩たちだって花を摘んだら戻ってくるって言ってたし」
 譲にダメだしをされてしまったため、将臣は起き上がると白龍を挟んで花冠を作っているW神子を見て、唇の端を持ち上げた。
「なんつーか、平和だよなぁ。色んな意味で」
 いささか遠い目をしながら隣の弟にそう告げる将臣。色んな意味で、に感慨深いものがたっぷり込められているのを見抜いた譲は苦笑した。しかし。
「そうだな。先輩も珍しく鼻歌歌ってるみたいだし、相当機嫌がいいんじゃないかな」
 譲の視線は望美に釘づいたまま。
 くいっと眼鏡を上げて、幸せそうに微笑む弟に微かに危ないものを感じながら、将臣は一歩引いて尋ねる。
「鼻歌って……ここまでお前聞こえるのか? 俺にはさっぱりなんも聞こえないぜ」
「まさか、口の動きでそうかなって思っただけだよ」
「それは鼻歌とはいわねーだろ」
 聞こえたら聞こえたでまた怖いものがあるが。
 ってか、眼鏡してるとは言えこの位置から口の動きを見破る弟の(危険な)能力に改めて顔を引きつらせる将臣だった。
 平家についてから一般常識人ばかりと話していたせいか(一部を除いて)、未だにこの犯罪者スレスレのテンション感覚を取り戻せないでいる。
「皆さん楽しそうですね」
「チッ、もう戻ってきたのかよ?」
 将臣の後ろから現れた弁慶にいち早く気づき、いち早く嫌な顔をしたのはヒノエだった。平原に座ったまま弁慶を睨む形で、ある種の挑発的な視線を向ける。
「残念だね。可愛らしい姫君の姿をアンタの目には入れたくなかったんだけど」
「ふふっ、こうしている間も僕の網膜にしっかりと焼き付けてますからご安心を」
 その甥の視線を上から見下ろしながら笑顔で圧迫する叔父の姿は実際に睨まれたわけじゃない将臣ですら竦みたくなるようなもので、ははっと引きつった笑みを浮かべた。
「薬はもう摘んだのか?」
 稽古を止めて汗を拭っている九郎の質問に、弁慶は笑顔と薬草の入っている篭を持ち上げることで返事をする。
「ならばそろそろ出立する準備をせねばな」
「リズ先生、ならば私が神子たちを呼んできます」
 二人揃って立ち上がった玄武組を制するかのように、譲は目線を望美たちへと向けた。
「待ってください、敦盛さん。どうしたんだろう。白龍がこっちまで走ってくる」
「将臣ー! 譲ー!」
 息を弾ませながら小さい身体を一生懸命動かしてくる姿を見ると、将臣や譲にもなんだか新しい弟が出来たようで微笑ましいものだ。
「どうしたー? 白龍。んな いそがなくったって俺たちは逃げねーよ」
「あのねっ! あのねっ! 神子が狼の歌を教えてくれたの」
「狼の歌?」
「うん! 以前、ヒトは狼になれると教わったんだけれど、今日神子にその話しをしたら、ピッタリの歌があるって、さっき歌ってくれたんだよ」
 思い当たる節があるのか、その話を聞いてあらぬ方向に視線を投げたヒノエと、顔色一つ変えずに聞いている弁慶には残念ながら将臣は気づかなかった。
「へぇ、どんな歌だったんだい?」
「えっとね、神子たちの世界では歌というのは音楽に合わせて言の葉を紡ぐことなんだって。将臣と譲ならよく知っている歌だって神子は言っていたんだけれど……」
 白龍はあまり自信がないのか、ちらちらと将臣と譲を伺いながら話を続ける。きっと出だしのフレーズからまだよく解らないのだろう。
「解ったよ白龍。きっと有名な歌なら俺たちも歌えるから、一緒に歌うよ。歌詞とか題名とか覚えてないか?」
「えっとね、題名は『えすおぅえす』って言ってたよ」
「えすおぅえす?」
「歌詞の内容はね、『男は狼なのよ、気をつけなさい〜(中略)羊の顔していても、心の中は〜(中略)この人だけは大丈夫だなんて〜(省略)』っていう歌!」
 結局最初から最後までサビまできっちり歌い上げた白龍は無邪気な笑顔で将臣を見上げた。
 対して将臣は白龍の口から発せられた歌に、固まったように動かない。
 褒めてもらいたいであろう笑顔であるのはわかる。解るけれども……!
 無論、将臣だけではない。譲も、景時も、意味のわかった人間が全員黙りこんで言葉をなくしている。
「どうしたの? 神子が言っていたよ。『えすおぅえす』は助けてって意味だって。狼から女の子を守るウルフっていう一番強い狼が戦って女の子を助けるって」
 何をどう脚色したらそんなうそ臭い話になるんだ。しかも最後のめちゃくちゃ適当に付け足されたもんじゃねーか。
 グッと文句を飲み込んで、将臣は白龍の肩に優しく手を置いた。
「いいか、それは人前で歌っちゃダメだぞ。まだお前には早すぎる」
「うん? でも神子がそろそろ私が大きくなる頃だから必要知識として覚えて置くようにって。万が一にも襲われたらすぐにも助けを呼べばウルフが助けに来てくれるはずだからって」
「……多分、大丈夫だ。ウルフが助けに来るような事態にはならないだろうからな」



 一方その頃。
「望美、向こうでみんな固まっているみたいだけど……」
「別にいいよ。固まるくらいが丁度いいんだから。誰だか知らないけど、白龍にあんなこと教えるなんて!」
「……多分、あの『歌』を教えた貴方もあまり変わらないと思うわ……」
 朔の言い難そうなツッコみに聞き捨てならない望美が朔に近付くと、持っていた花の冠(未完成品)を引き千切らんばかりに握り締め熱弁した。
「ねぇ、朔。アレはね、私たちの世界の乙女のバイブルなのよ。世の中何があるか分からないでしょう? 用心しておくことに変わらないんだよ」
 バイブル?? 望美の言葉の意味がよくわかっていないながらも、朔にはそれなりに通じたらしい。
「それは私もそう思うけれど……男の子の白龍にはあまり関係ないような気が…」
「関係あるわよ! 考えてみて? もし白龍にそっくりな可愛い黒龍みたいな男の子がいたとして、その子がどこかの誰かの毒牙にかからないと朔なら言える? 黙ってみていることが出来るの? 可愛い子が襲われる様を!」
 あくまで真剣な望美は朔に訴え続ける。望美はいつだって真剣だ。あんなに可愛い子を男の子だって放っておくことがないと信じている。ましてや、望美の中ではこの世界で男性同士が友情以上の気持ちを持ち合わせているという場面に幾度も遭遇しているのだから。仲間内の誰とは言えないが秘密の恋愛をしている人たちがいることを知っているだけに、望美も超安心(はぁと)して白龍を見ていられないのだ。
 白龍にそっくりな可愛い黒龍という黒龍の神子としては聞き逃せない台詞により、そんな望美の思惑にハマッた……もとい共感した朔は真剣な様子で眉間に皺を寄せる。
「それは見過ごせないわね」
「でしょう? 今から情操教育はしっかりしておかないといけないよね」
「言われてみればそうだわ。私は少し考え方が甘かったみたいね。ありがとう、望美。気づけたのも貴方のお陰よ」
「いいんだよ、そんな。朔がわかってくれたならそれで。一緒に可愛い子ちゃんを守っていこうね」
 親父くさい発言をする白龍の神子に感謝する黒龍の神子も神子であるが、二人にとってこの世界は半分以上が可愛いか可愛くないか、で分類させるらしい。
 こうして二人はまた少女らしい微笑を浮かべながら花摘みを再開するのであった。


 了


 *擬塊=凝り固まったもの。

   20060611  七夜月

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