遙かなる時空日和



「あー、暇。暇だわー、平和すぎて暇」
 望美は非常に退屈していた。とりあえず、縁側に足を突き出してぶらぶらさせる程度には暇だった。角度いかんによっては、麗しの聖域さえも見えそうなほど、大振りである。
 残念ながらその諸行を止めるものは誰も居ない、居ないからこその暇では在るのだが。
「ひ・ま!ひ・ま!」
 とうとう掛け声が歌に変わるのに、大して時間は必要なかった。
「しーろーいーなーみーとー、ディナークルゥーゼ♪」
 若干替え歌がはいっているその歌は、望美がこの世界にやってくる前にハマっていたアニメのオープニング曲であった。
「アローハ♪」
 と、望美が謎の歌を歌い続けているそのとき、望美の後ろを泰衡が通った。当然、無視である。何も知らない聞いてないフリだ。関わったが最後、たぶん、いや間違いなく泰衡は自分が後悔する事を学んでいた。
 絶対関わらないぞと意気込みつつそれをおくびに出さずに通り過ぎて、このまま行けば自分の平穏は保たれる。泰衡が確信した瞬間、悪魔の声が泰衡の耳に響き渡った。
「やっすひっらさーん、ちょうどいいところに後ろを通ってくれました」
 別に泰衡は望美のタイミングに合わせて後ろを通ったわけでは当然ない。だが、通ってしまったものは望美にとってそこに意思があろうとなかろうと関係ないのだ。望美が暇なときに通った、それすなわち運命。
 無視していこうとした泰衡のマントを、女の力とは思えない強さで引っ張った望美は笑顔で新しいおもちゃに満足している。
「聞こえなかったですか、泰衡さん」
「聞かなかったんだ」
「わたし暇なんですよー、一緒に遊びませんか?っていうか、遊んでくれますよね。ね?」
 嫌そうにそう答えてもまるで効果なし。にっこにっこにっこにっこと極上の笑顔を振りまきながら、歩腹前進で近づいてくる。昔だろうと現代だろうと、女性の所業ではない。
 泰衡は奇異なものを見るような目で望美を見ているが、それはいつものことなので望美は全然気にしない。
「わたし、この世界にくるまでハマっていたアニメがあるんですよ」
「……そうか、私は仕事があるので失礼する」
「ギャグ漫○日和って言うんですけどね。今からギャグ漫○日和ごっこを一緒にやりましょう。暇だし」
「ごっこ遊びをする前に、神子殿はまず人の話を聞くことを学ばれたらいかがか」
 泰衡のこめかみに、一本縦線が入る。望美が掴んでいる手を蹴っ飛ばしてもいいと思うが、それをやると怒る輩がわんさかいる。何をトチ狂ったのか、神子に懸想している人間も居るのだから不思議だ。世の中間違っている。
「では、配役決めますねー。わたし小学生名探偵のうさみちゃんやるので、泰衡さん、クマ吉くんやってください」
「断固辞退させていただく」
「『あー、暇だわ。何か事件がないかしら』」
 聞いちゃいねえ。もう既に望美は役に入ってしまったようだ。泰衡は思わず目を見張った。一瞬だが、変なピンクのウサギが望美の姿に憑依したように見えたのだ。恐るべし春日望美。千の仮面を持つ少女にも匹敵する演技力だった。
 泰衡は逃げようとしたが、望美のマントを掴む力は緩まない。それどころか、無理に動けば破れそうだ。
「『ちょっとクマ吉くん、暇だから何か事件を起しなさいよ』」
「嫌だ。何故そうなる。第一俺はごっこ遊びを了承した覚えは無い」
「『ハンパなものじゃ、つまらないわ。そうね、どうせ鞭を持ってるんだしちょっと鎌倉の中心で八幡宮に向かってこのブタ野郎!!って叫んできなさいよ』」
「それは俺に死ねと言っているのか」
「『だってわたし、検非違使呼ぶのが好きで探偵やってるところあるから』」
「神子殿の自己満足に巻き込むのはやめていただきたい」
 泰衡のこめかみにまた一本縦皺が増えた。
「銀、銀はいるか!」
 泰衡が銀を呼ぶも、一向に現れる気配はない。こうなったらもう、銀に相手をさせるしかない。銀がいないと色々と不便ではあるが、この神子を相手にするよりは遙かにマシである。泰衡の考えは大いに間違っていなかった。だが、銀は一向にやってこない。舌打ちしたい衝動にかられるが、邸の主として常に威厳を保つために深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
「そんな呼びかけじゃ銀来ませんよ」
「なに……?」
「わたしが教えてあげたんです、銀にわたしたちの世界で主が従者を呼ぶ方法」
「勝手なことをしてくれる……!!」
 と、またまた泰衡のこめかみに変化が訪れる前に、向こうの方から九郎が駆け足でやってきた。
「望美、お前こんなところに居たのか」
「ちょうど良かった、御曹司、この娘を連れて行ってくれ」
「『あら、ニャン美ちゃん、どうしたの?事件でも起こったのかしら?』」
「にゃ、にゃんみちゃん……?ま、まあいい。それよりも俺のふんどしを知らないか。今朝景時に洗濯を頼んでおいたのだが、先ほど取り込むときに何故か一枚だけ見当たらなくてな。もしや風でこちらへ飛ばされてきたのやも知れんと思って来たのだが」
「なんだと、御曹司のふんどしがこの邸で盗まれたと?」
「『まあ、ニャン美ちゃんのふんどしが盗まれるなんて犯人は……』」
 望美の視線が九郎から泰衡へとスライドする。望美が泰衡を見つめる視線は、頬筋が上がり目元がほそまってうすら笑いを浮かべているようにも見える。
 はっきり言って気持ち悪いことこの上ない。
 そのとき、泰衡の耳にだけ、見知らぬ天の声が聞えてきた。
『説明しよう、うさみちゃんのこの目は、別名「うさみちゃん、目こわっ!」といい、何かしら犯人と被害者の間であったと思われる痴情のもつれを妄想して推理するのである。さあ、始まったぞ、うさみちゃんの名推理が!』
「なんだ」
「『犯人はクマ吉くんね』」
「何故俺が御曹司のふんどしを盗まねばならないんだ!」
「『だって鞭持ってるじゃない』」
「関係ないだろう!!」
 完全に濡れ衣だといわんばかり叫ぶ泰衡。いい迷惑の例が必要になった場合彼ほどそれを経験している人間はいないだろう。
「『そんなこといって、本当はそっちの趣味があるんでしょ?』」
「断固否定する!御曹司、この失礼極まりない娘の口を固める方法はないか!」
「そうだぞ、望美。泰衡殿が俺のふんどしを盗む理由などないだろう」
「『あら、理由なら十分にあるわ。クマ吉君の胸の内を聞いてみることね。ニャン美ちゃんへの熱い思いでいっぱいだから』」
「そうなのか……?」
 数歩下がった九郎は泰衡を怯えた表情で見つめる。
「すまないが、俺はお前の気持ちに答える事など出来ないぞ」
「応えるな!!勘違いも甚だしい!いい加減にしろ!」
「『大丈夫よクマ吉くん、世の中にはアンタみたいな変態を捕まえるために名探偵がいるんだから』」
「神子殿、殴っていいか?」
「暴力反対!ひどい、女の子になんてことしようとするんですか!暴行ですよ、鬼畜!最低!変態という名の紳士ですよ!」
「望美、お前それ褒めてるのか?……それはともかく、泰衡殿、幾らなんでもそれはどうかと思うぞ、望美は女だぞ」
 常日頃から九郎が泰衡と同じような思いを抱いているのはこの際置いておいて、この世界で女性に暴力を振るうのはいかがなものかと九郎は眉を顰める。
 実際は被害者なはずだった泰衡が完全に悪者になるは常のこと。流すことを知らぬがゆえに、苦労を背負う苦労性というのは彼を指すのかもしれない。
 ちょうどそのとき、冬の木枯らしが吹いてきて、風と共に白い布がひらひらと飛んできた。まるでダンスするかのようにふわふわと漂う布、誰もが見守る中その布は泰衡の頭を包み込むように風に逆らわずにそよそよと風に乗っている。
「……………」
「アレは俺のふんどしだな」
「……………」
 望美の目元が泳いだ。薄ら笑いである。
「『やっぱりクマ吉くんが犯人だったのね』」
「やっぱりそうだったのか!」
 ブチ切れた泰衡は無言で布を顔からとると、床に叩きつけた。そして、それを踏みにじる。
「『ダメよクマ吉くん、ふんどしに罪は無いわ。むしろ貴方こそ罪を償うべきじゃない?「すみません、私が御曹司のふんどし盗みました」って』」
「神子殿、後生の願いだ。今すぐ元の世界に帰ってくれ。そして俺の目の前から金輪際消えてくれ」
「『スタッフゥ!スタッフゥ!』」
 聞いちゃいねえ。望美が大声で奥間の人間を呼ぶと、何故か縄を持ってやってきた銀が登場した。
「お呼びですか、神子様」
「『さあ、ペンスケくん!犯人を捕まえてちょうだい』」
「かしこまりました。さあ、泰衡様。署までご同行願います」
「銀…… お前の主は誰だ?」
「『うさみちゃん』です」
 即答だった。
「もういい、お前も神子殿と一緒にどこかへ行ってくれ、むしろ行ってくださいお願いします」
 ものすごく下手に出始めるほど、泰衡は疲れていた。たかが数分、望美と一緒にいただけでこの疲労感はありえない。もう、望美こそが怨霊なのではないかとさえ思う。
 もうどうでもよかった。犯人に仕立てられようが何をされようが、とにかくここから逃げ出したかった。
 何故か手に縄をつけられたまま。主人の知らないうちに元従者となっている銀に引き連れられて、泰衡は呟いた。
「『ふっ……俺もまた、ふんどしに踊らされた犠牲者の一人に過ぎないということか』」
 ばっちりとクマ吉くんで締めくくった泰衡はそのまま望美の前から消えるように去っていった。
 それを見送った望美は、再び欄干のところに手をかけて足を伸ばし、こう呟くのだった。
「あー、暇だなあ。平和すぎて暇」
 今日も平泉は至極平和である。


 了


 ギャグマンガ日和(アニメ)大好きです。
   20080909  七夜月

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