梶原朔の憂鬱 朔にとって八葉の中心的人物である白龍の神子は時折不可解な行動を取ることはあっても、それでも朔にとって愛しい片割れであることに変わりなかった。そんな彼女が大変男性から人気があるのは頷けることで、特に不思議がることもない。ないのだが……。 知らぬは本人ばかりなり、この朝食における八葉たちの異様な視線の攻防をまったく意に介さぬ様子で(というか、気づいてないのだろう)、隣に座っている小さな白龍に「はい、あーん」を実行している望美に朔は苦笑した。 「望美と白龍は本当に仲良しね」 「うん、だって白龍はこんなに可愛いんだもん!」 「仲良し……それが龍と神子の絆であるならば、神子と私は仲良しだよ」 白龍に頬ずりしている望美の目は完全に老人が孫に対するものと同じである。ちなみに、それを見ていた譲が箸を折り、破片が目の前で食事をしていたヒノエの宝玉にジャストミートし、ピキッと音がした。宝玉が割れたわけではない。一瞬仰け反ったヒノエが額に青筋を立てて譲を呼ぶ。 「おい、譲」 「ああ、悪いなヒノエ」 悪びれる様子もなくそう呟いた譲は、そのまま食事を続けている。箸が一本不自然に短い。 「あーあ、それにしても白龍が神様なのは少し残念だなあ、絶対将来有望な可愛さだよね。結婚したかったなあ」 望美が心底残念そうにそう呟くと、お茶を飲んでいた九郎が吹いた。目の前で食事をしていた弁慶の顔面に直撃し、弁慶がお茶を滴らせながらニッコリと微笑む。 「おや、九郎。どうしましたか?」 黒い靄のようなものが弁慶の後ろに見えるのは九郎の気のせいではなく、九郎の隣に座っている将臣ですら視線を極力弁慶に合わせないようにしている。目を合わせたが最後、呪い殺されそうな勢いである。 「いや、なんでもない!なんでもないぞ……!」 九郎は冷や汗をかいて両手を振り回しながら否定している。 「あれ、どうしたの、みんな箸が止まってるけど」 頬ずりしていた手を休めて望美がそういうと、景時があはは〜と笑った。 「なんでもないよ、気にしないで望美ちゃん」 そうですか?と首をかしげた望美になんとか場をごまかせたかと安堵したのは朔だった。 「そうだわ望美、お願いがあるのだけどいいかしら」 「うん、いいよいいよ」 食事を既に終わらせている望美をこの場から去らせる良いチャンスだ、朔は熊野にはなかなか来られないし、是非後で市にいって一緒に反物を選んでほしいと告げた。だから先に戻って支度をしていて欲しいと。 「わかった!それじゃあ先に部屋に戻ってるね!行こう、白龍」 「うん!」 小さな白龍の手を引いて部屋を出た望美の足音が完全に聞えなくなってから、朔は重苦しい溜息をついた。 「良い機会だと思うので、言わせていただきたいのですが」 朔が顔を上げると、未だにそれぞれにらみ合っていた八葉たち(内、玄武組はマイペースに食事を続けていた。敦盛は若干場の雰囲気に胸を痛めているようだったが)は即座に視線を朔に向けた。 「望美が気にしない子だからいいものを、少し皆さんあからさま過ぎます」 これ見よがしに溜息をついてみれば、雰囲気は少々重くなる。朔だって望美が恋愛をすることに抵抗があるわけでもなければ、彼女の幸せを願う気持ちは確かにあるのだ。しかし、この獲物を狙う狩猟の様な視線はなんだとも思う。あまりにも危険ではないか。 「もっとあの子のことを考えてください」 そう言いきれば、途端に弁慶はニッコリと笑った。 「本当に、朔殿の言うとおりですね。少しは自重してくださいね、湛増」 「うるせぇよ荒法師。それにオレよりも気にしなきゃいけない奴がいるだろ、そこにさ」 ヒノエが不機嫌に親指でさしたのは指される意味がわからないといった具合の譲だった。 「俺に振るなよ、俺よりも兄さんの方がずっと自重すべきじゃないか?」 残念ながら譲の言葉に同意するものは居なかったが、将臣本人は名指しされては黙っていられない。 「それこそ俺は関係ないだろ! つか、俺が自重するんだったら、婚約者はどうなんだよ?」 そして視線は九郎に集中する。九郎はうろたえて箸を取り落とした。珍しいぐらい動揺している。 「あ、アレは言葉の文だ!というか、あの時はああいうしか、アイツを守ってやれなかったんだから仕方がないだろう!先生も何か仰ってください!」 「…………答えられない」 「先生!!」 サッと九郎から視線を外したリズヴァーンに九郎は涙目になりながら助けを求める。そんな九郎をジト目で見ていたヒノエが、ふと会話に参加していない敦盛を見た。 「まあ、そこの鈍感は置いておくとして。敦盛、お前はどうなんだよ。神子に随分気に入られてんじゃん」 「……そうだな、随分と先輩に好意を持たれてるみたいだ」 譲が羨ましげを通り越して恨めしげな目で見るため、敦盛は怯えたように心持ち後ろに下がった。 彼らの言い分は朔にもわかる。というのは冒頭の白龍とのやりとりからも推察されるが望美は非常に可愛いものが大好きだ。敦盛の女子とも見紛う容姿やその奥ゆかしい性格を望美が放っておくはずがない。 敦盛だって八葉として神子に務めたいと思っているし、彼女にケガを治してもらってからはより一層彼女へ懸想に近い尊敬を抱くようにはなった。 「私がこの身を神子のために尽くすのは当然だ。それくらいしか私は神子に返せるものがない。御恩には報いたいと思っている」 「そういう話じゃねーだろ。要するにさ、お前はどう思ってんのかってことじゃねえ?」 周囲の睨みの視線が強くなったために、将臣が助け舟のつもりでそう口を挟むと、敦盛は途端に顔を赤く染めて俯く。 「私などが神子に対してそのような想いを抱くこと自体罪だ」 「敦盛……気持ちというものは決してすべてが罪になるわけではない」 先ほどは答えられないと答えたリズヴァーンが優しく諭すと、ヒノエが口笛を吹いた。それを引き継ぐように弁慶がにこやかに尋ね返す。 「でしたら、先生も罪にはならない気持ちを望美さんに抱いているということですね?」 ね?というのは疑問系でありながらも既に相手の意思を無視した確認にしか過ぎない。九郎は先ほどの負い目があるため、とても勇気を出してリズヴァーンを庇おうと口を開く。 「弁慶、その辺にしておけ。先生は師匠だぞ、俺たちと違って望美に対してそのようなやましい気持ちは」 「持っている」 『持ってんのかよ!!(持ってるの!?)』 「無論。問題ない」 「いや、いやいやいやいや!」 色々と暴露しながらリズヴァーンを庇おうとした九郎の苦労も虚しくリズヴァーンはあっさりと頷き、思わず将臣と景時の声が被った。 そして思わず問題大有りだよ!そう叫びそうになった景時は自らの手で口をふさいだ。何故かリズヴァーンの目が光ってこちらをみた気がしたからだ。 「ははは、やるねえ先生も。これはもう屋根裏に潜んでいる先生がいつの間にか望美の眠る褥に潜んでるのも時間の問題かもね」 ヒノエはそう言いながらも自分の武器を取り出して磨き始める。死んだ魚のように黒目から光が消えていた。 「嫌だなヒノエ、そういう貧困な発想は視野を狭めますよ。もう少し落ち着かないと」 かくいう弁慶も笑顔で薙刀の刀身を研ぎ始める。彼の笑顔はヒノエのそれとは違って清清しさが満面に出ている。 貴方たち、食事中でしょう。そういうツッコミすらももう場違いなほどに雰囲気は殺伐としていた。譲に至っては目が血走っている。マジで発狂する五秒前だ。 「止めなきゃ……先輩のために、奴の息の根を……」 譲は怪しい独り言をぶつくさと唱え始め半分イっちゃってる人になりつつある。朔は己が正気でいるのが少しバカらしくなったが、それでも大切な片割れのため、この場を何とかしなければならない。 「あの、皆さん少し落ち着いてください。望美の気持ちを尊重するのがまず先でしょう?」 そう提案すれば殺気立ったオーラは少々緩和する。可哀想に敦盛は既に怯えて部屋の端っこで体育座りをしている。怯えた子兎みたいだ。これは望美でなくとも庇いたくなるというもの。 「彼女だって立派な女性です。きっといつか恋をして家族を持つ日もくるでしょう。そのときに、貴方たちは全力で彼女の幸せを阻むんですか?」 その問いに対しては沈黙が場を支配した。 「皆さんは心の中ではちゃんと望美が選んだ相手を認めようとしているのでしょう?だったらもう少し大人になってください」 なんとかまとまったか、ホッと息をつきながら朔が顔を上げると、八葉は皆外……というか渡殿を見ていた。 誰も彼もが聞いてない。朔の唇の端が引きつった。 「聞いてますか? 特にそこのへそ奉行」 朔が眉を顰めると、景時がすぐに朔のうろんな目に気づいて慌てて指差す。 「も、もちろん朔の話は聞いてるよ、ただ…あそこに見慣れない人物がいるなあって」 皆の視線が集中しているのは、ちょうどこの部屋の隣を悠々と歩いている知盛の姿があったからに他ならない。朔からすれば見知らぬ人であるのだが、将臣や敦盛なんかは顔が青ざめている。皆の視線が集中していることに気づいたのか、知盛はゆっくりとした動作で皆を振り返った。 「ん……? なんだ将臣か……こんなところで何をしている」 「なんだじゃねえよ、こっちのセリフだよ!お前何してんだ!」 「良い天気だ……こんな日に神子殿に夜這いするのも悪くない」 現時刻は夜じゃないし、天気が良いとお前は夜這いすんのかよ!そんな誰からでもありそうなツッコミは一切なかった。 もう理屈とか全てを捻じ曲げた知盛の言葉、理由はどうであれ夜這いという単語が八葉を動かすキーワードとなったのは間違いない。先ほどまで一致団結とは無縁の八人が一斉に武器を取り立ち上がったのだから。 ああ、っと朔は痛む頭を押さえて考えた。自分がこうして頑張ったのに次から次へと厄介ごとが降り注ぐ。朔はただ望美に幸せで居てほしいだけなのに、何故こうも上手く行かないのか。 朔の心の中で何かが砕ける。それは理性という名の堪忍袋だった。 「………いい加減にしなさい!!」 朔の怒号は宿中に響き渡り、驚いた望美がやってきて皆が揃いも揃って朔にとりなす姿を見るまでに時間はそうかからなかった。 ついでに、朔の怒りが解けるまでの間八葉+知盛は全員正座をさせられて、朔の溜飲が下がった日暮れまでその状態に取り置かれた。若干数名が足を痺れさせて翌日の戦闘でまったく使い物にならなかったのは別の話である。 了 20080923 七夜月 |