トキドキセカイ



 一陣の風が吹いた。
 振り返った望美の髪が風にたなびく。
 舞い上がった風は地面に落ちていた葉を巻き込んで一気に空へと吸い上げられていく。
「望美!」
 遠くで朔が呼ぶ声が聞こえて、望美は髪を押さえると、壊れそうになっていた心を全て壊して笑顔を作った。
「朔、こっちだよ!」
 壊れてしまうような心なら最初から壊れていればいい。痛みを伴うのも承知の上。壊れた心はまた、元のように戻す。命と違って、失っても取り戻せる"心"があればいい。
 たとえ何度壊れても、もう一度作りあげる。その作業さえ止めなければ望美はまだ立っていられる、走っていられる、跳んでいける。
 縮められた距離が開いていたとしても、好きだった気持ちは消えていない。だから、やり直す。バカみたいに単純なことだ、だってどんなに心が壊れても、やっぱり好きなのだ。
 ここはどこだろう? 湿気を孕んだ風が先ほど吹いていたから初夏か、熊野か。

 どこだっていい、間違いなく"ここ"には"彼"がいるから。

 時空の狭間を立つ時は、いつだって彼がいなくなってしまう時だった。
 白龍の逆鱗が輝くときは、彼と望美の時間が"ずれる"時。
 望美の時間は続いていくけれど、彼の時間だけ巻き戻る。そう、ほんの少し、望美との思い出が共有されなくなるだけ。望美が知ってて彼が知らないことが増えるだけだ。だけど、彼の命は消えない。望美が生きる限り、彼は生き続ける。
 神様でもなんでもないけれど、それが異常なことだとわかるけれど、きっと人間はエゴの塊だから、望美はおそらく自分が求めるものが手に入るまではこの力は手放さないだろう。
 きっとこれは望美の闇。普通に高校生として現代で暮らしていたころには知らなかった闇。それこそ、今までの望美の持っていた闇の中でもひときわ深くて大きな闇。跳躍に失敗したら望美はその闇に永遠に捕らわれたままになるのだろう。
 だというのに怖くないのだ。
 おかしいほどに、感覚が麻痺してしまったのかもしれない。怖く感じるのは、目の前で消えられること。知っていたのに、救えたのに、望美の手が届かないこと。
 だから、彼に手が届くこの"時"を待っていた。
 一瞬の永遠。
 見えた光に手を伸ばして、望美はこの"時"へ来た。ここがどこだかわからないけれど、自分が望んだ世界かわからないけれど、それでも逆鱗を信じる。自分が信じた自分を信じる。
 朔の声が聞こえるのだ。懐かしいとかそんな感覚はなくたって、こちらへと駆け寄ってくる朔を笑顔で迎えるのはいつだって"戻ってきた"望美の役目だと決めている。
 笑うんだ、たとえそれまでが笑えなかったとしても、超えた先にあるものが涙でないと思うから。
 逆鱗を使うから、もし最初の一言目が「初めまして」でも絶対に泣かない。
 だって心に居る彼はどれだけ彼でも、望美と未来を創る"彼"ではない。出来ることはなんでもしたい。いつかその罰を受けることも全部覚悟して。
 未来へと繋がる道を目指して跳ぶ。
 望美と彼の初めましての意味が違ったとしても、もう一度出会えたらそれでいいから。彼の意識が望美の存在から認識することから始めたって、なんの問題があろうか。
 寂しい心はすべて壊す。リセットしてしまう。だって欠片でも"取り戻す心"があれば、再生することは無限に可能なのだから。
 決して歳を取らない時空のループ。正確に自分の時間だけで見たら、望美は今どのくらいだろう。数えることは最初からしていない。どれだけ望美の時間が経っても、望美の心は一人に留まったままだからだ。身体も心も、彼を好きなままで止まっている。
 望美が成長する時は、彼と同じ時間を歩む時。どんな結末だろうと、彼の未来がないのは望美にとって許せない事象。エゴだろう、傲慢だ。それでも望美は望むのだ。望美が居ても居なくても、彼が生きる時間を。
「朔、ねえすごい風だね」
「そうね、あなたは大丈夫だった?」
「平気平気!」
 望美は大事だ、彼も、朔も、他の人たちも。
 誰もが幸せな未来を望むのは無理でも、望美の好きな人たちが幸せになれるであろう未来は作りたい。
 こうして望美の肩から葉を払ってくれるそんな朔が怯えるようなことのない世界。それは望美の目的の曲げられない絶対事項の一つだ。
 望美は朔の身体を抱きしめた。
「朔、わたし大事なものいっぱいあるの」
「どうしたの?」
 ほんの少し驚いたような朔に、望美はその肩に顔をうずめてつぶやいた。
「全部ね、守ること出来ないかもしれない。だけど、自分の一番大切なことだけはなんとしてでも守り通したい。出来るかな?」
 朔はくすりと、声に出してからなだめるように望美の背中をさすった。
「出来るわ、あなたなら絶対に」
 子供のように確認しないと進めない望美に、朔はこうしていつだって変わらずに背中を押してくれる。言葉は違えど、望美を信じることは決して忘れない。
 信じてくれる誰かがいる。それだけで望美は頑張れる。自分が間違ってないと認識するのだ。
 運命という偶然で、同じ時間を過ごした人たち。
 誰一人欠けることなく、それは望美に影響を与えて、望美を変えた。
 奇跡のようなセカイの一部に、望美は今日も生きている。


 了


BGM:「トキドキセカイ」WEAVER

   20100504  七夜月

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