母というもの




 この世界の山道は厳しい。特に、こちらの世界に飛ばされていた望美など にとっては尚更辛いものがある。それに特に、今日は望美にとって特別な日 でもあったため、息が上がるのも早かった。
 いつもの如く景時が少し休憩しようと言ったので、それぞれ思い思いに休み を取っている時だった。
 隣りをずっと歩いていた白龍が、望美の顔をそっと覗き込み心配にその顔 を泣きそうに歪めたのだ。
「神子、具合悪い?大丈夫?」
 驚いたのは言われた本人で、そんな自覚がなかった望美は目を丸くした。
 泣きそうな白龍こそ、どこか具合が悪いのではないかと思わず思ってしまう くらいだ。
「えっ、私そんな風に見える?」
「神子痛がってる……気が少し乱れてるから、私にも解ったよ」
 痛いと聞いて思い当たったことに苦笑した望美は、心配してくれた白龍の 頭を撫でた。
「そっか……ありがとう白龍。でも大丈夫よ。これはね〜何て言うのかな…… 仕方無いの」
「仕方無い?」
「うん、そう。言うなれば、命が巡る痛みだから」
「命が巡る?」
 少し大袈裟かもしれない。しかし、言ってることは間違っていない。
 白龍には少し早過ぎるかもしれないが、神様なら人間の仕組みを知らなき ゃなんて思いながらも、望美はちょっとだけリズ先生気分で話し出した。
「女の子の身体は特別に、命を産み、育てられるように出来ているのね。私 が今痛いのもその内の一つなんだ。だから、仕方無いんだよ」
「命が巡る……痛くない方法はないの?」
 心配してくれるのは嬉しいが、少しくすぐったい。
 別に病気じゃないから、こう心配されるとなんとも心苦しくもある。
 望美は頭の中で言葉をまとめると、白龍の頭を軽く撫でながら頷いた。
「あ〜、こういうのって個人差があるから。私は痛いけど、痛くない人もいるの 。だから、しょうがないかな。私は痛みには慣れてるから、大丈夫だよ。心配 かけてごめんね」
「ううん、神子が辛いのは私も辛いから……でも、神子が平気なら、私も平気 だよ。本当は私が神子の代わりに痛くなれればいいんだけど……」
「ふふふ、それはすごく難しいなぁ〜。でも気持ちは嬉しいよ、ありがとう」
 望美の柔らかい笑顔が白龍を包み込む。
 それにより、白龍の口が小さく綻んだ。
「あ、それ……」
「ん?」
「神子、今嬉しい?」
「えっ、うん。すごく嬉しいけど……どうしたの?」
 嬉しいと尋ねている白龍こそ、どこか自分よりも嬉しそうで、望美は笑いな がら首を捻った。
「神子が嬉しいと、私も嬉しい」
 急に元気になった白龍は、笑顔を浮かべながら望美の周りをぐるぐると回っ た。
「なんだか貴方達、母親とその子供みたいね」
 一部始終をどこかで見ていたのだろう。
 朔が苦笑しながらやってきた。
「母親って……朔、幾らなんでも私にはこんな大きな子供いないよ」
「ふふ、解ってるわ」
「朔、母親ってどんな感じ?」
 またも首をかしげた白龍には、母親と言うものがいない。時空の狭間で生 まれ、ずっと独りぼっちだったという話を京にいた時に望美は聞いたのだから 。
「母親って言うのは、優しく自分を守って導いてくれる人のことよ。その人が自 分を生んでくれて、自分がここに存在出来るの。母上と呼んだり……呼び方 は様々だけれど、女の子はいずれ、母親になるものだから」
「神子にも母親がいるの?」
「それはそうだよ。私を生んでくれたのはお母さんだもん。お母さんがいなか ったら、私はここにはいないんだよ」
 白龍はしばらくお母さんと呪文の様に唱え、納得すると頷いた。
「神子は私のお母さん。私の生まれた場所は時空の狭間だけど、神子のために私は生まれた。だから、私を生んだのは神子だよ」
 嬉しげに白龍はお母さんと呟きながらまた望美の周りをくるくる回り出した。
 嬉しくなると、じっとしていられないのは、年頃の子供と同じだな、などと考 えて、望美は苦笑した。
 本当なら、生理的に白龍くらいの子を生むのは無理があるのだが、本人が すごく嬉しそうなので水を差すのも悪いとここは目を瞑ることにする。
 お母さんなんて照れくさいけど、そうやって慕ってくれるのは嬉しいのだから 。
「私、みんなに言ってくる」
「えっ?えぇ!? ちょっと待って白龍、それは……!」
 望美の制止の声が届かないほど猛スピードで白龍はその場からいなくなっ てしまった。
「はや……」
「よほど嬉しかったのね」
 朔は面白いものを見たと言いたげに、望美に笑いかけた。
「ね、お母さん?」
「朔……言い出したのは朔なのに」
「私は別にそんなつもりじゃなかったけれど、白龍が嬉しそうだし、いいんじゃ ない?」
「ん、まぁ……そうだね」
 望美は諦めた様に頷くと、クスッと笑った。
 言われ慣れないけど、別にそれで何かが変わるわけでもない。
 まぁ、本気にする人もいないだろうし、特別に困ることも無いだろう。
 それに何より、白龍が喜んでくれてるのが一番だ。
 望美だって、白龍が嬉しければ嬉しくなれるのだから。
「望美はいい母親になるわね」
「いきなりどうしたの?」
「いいえ、ふとそう思っただけよ」
 父親になる相手が誰にせよ。
 その言葉を飲み込んで、朔は笑ってごまかした。
 たっぷり数分後、白龍の言葉に対し反応した面々がやってきて望美に何か しらの言葉(大体がからかいの言葉)をかけたと言う。
 そしてそれを嬉しそうに、にこにこ見守っていた朔と白龍のためにも、望美 は嫌な顔をすることも出来ず困り果てながら対応したそうだ。


 了



 
  20051110  七夜月

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