猫を飼いませんか?
 そして望美はにっこり笑った。






猫を飼おう




 ペットショップで色んな種類の猫を見ていたときに、まるで言う機会を窺っていたかのように、そわそわしていた望美がそう言った。
 しかし、目の前のショーケースに入っている猫たちは、正直値を張るものでこちらの世界に来てから財産というものを殆ど持っていなかった敦盛は、すぐさま首を縦に振ることが出来なかった。それに世話をしてやるにも、ずっと傍に居てやれるわけではない。敦盛も仕事をせずにのんびり暮らすということは出来ないから、猫の世話だって満足に出来ないかもしれない。
「神子、私は猫を嫌いではない。だが、今の状況で飼ってやったとしても、不幸にしてしまうんじゃないかと思う。私もまだ不慣れなことが多い。満足に世話をしてやれないかもしれない」
「じゃあ、世話とかわたしが手伝います。それとも、敦盛さんにとって、やっぱり負担になっちゃいますか?」
「そんなことはない。むしろ、飼えるのであれば、飼いたいと思う。けれども、私は……」
 穢れた身だから。
 あとに続くはずの言葉は、敦盛の心の中に留められた。この言葉を出すと、望美が酷く悲しむのは知っている。だが、伏せてしまった目で望美には敦盛が言いたいことが解ってしまったようだ。
「敦盛さんが飼いたいと思うなら、飼っていいとわたしは思います。だって、動物は本能で優しい人かどうかを見分けるんですよ。ここにいる子達、誰も敦盛さんを怖がらなかったじゃないですか。だから、そういう風に心配する必要なんてないんです」
 口許は何とか笑った形を保っているが、望美は眉尻を下げてしまった。
 ペットショップに居た動物は敦盛に懐く子ばかりではなかったが、怯えて警戒するものは誰も居なかった。望美はその中の一匹の子猫を店員に頼みゲージから出してもらって抱き上げると、ほら!と敦盛に向かって差し出した。子猫は怖がる様子もなく、ジッと敦盛を見つめている。随分大人しい子猫だと、敦盛は思った。
 更に望美は子猫をグッと近づけてきた。抱けということなのだろう。敦盛も笑顔だかよく解らない微笑を浮かべて、子猫を抱き上げた。とても、温かかった。命の温かさだった。
「温かい…な」
「あの、敦盛さん。本当に嫌だったら、嫌だと言ってください。わたしの勘違いだったらそうであるとも言ってください。だけど、これだけは譲れません。猫、飼いませんか?」
 望美は首をかしげながらそう言った。敦盛は胸に抱いている猫としばし見比べて考える。
「………神子」
「猫、飼いましょう?」
 望美はどうしてこんなにも猫に固執するのだろう。敦盛ははじめあちらの世界に居たときに、猫を飼っていたことを洩らしたからだと思っていた。だけど、望美にとってそれだけでないというのは、何度も言われる内に気づいてしまった。
 望美はどうしたって、敦盛を一人にしたくないのだろう。
 彼女はこちらの世界に来たときに、敦盛にこう告げた。
『絶対一人にしませんから! 寂しがる時間なんてあげないくらい、いつでも一緒に居ます』
 けれど、現実はそうもいかない。そもそもお互いに生活というものがある。一人暮らしの敦盛はまだしも、望美は家族も学校もあって、いつでも一緒というのは限界がある。
 望美が約束を守れないと弱音を幼馴染に洩らしたのが一週間前のことだったか。将臣伝いにそれを聞いた敦盛は望美が気にしていることより、望美に気にさせてしまっていたことを気にしたのだ。
 そんなこと、気になどしなくて良いのに。
 勿論、一緒に居られたら嬉しい。けれど、望美を想えばいつでもその存在を傍に感じられる。温かい気持ちを宿したこの胸が、命が続く限り、敦盛は決して一人ではないのだ。
 敦盛は胸の内の猫にもう一度視線を移す。そして、その猫の顎を軽く撫でた。猫は心地良さそうに喉を鳴らす。
 猫は可愛いと敦盛は思う。可愛いのだ、猫は。あちらの世界で飼っていた猫は、まさに気まぐれだった。ヒノエ以上の気まぐれ気質でどうしたものかと頭を捻ったくらいである。だけど、あの猫は気づけばいつも自分の傍で眠っていた。目に付くところに必ず居た。それが木の上でも、帳台の上でも、所構わずといった具合に身体を丸めて眠っていた。
 まるで、心が自由でいつも己の望むまま生きる望美のように。
 敦盛は抱いていた子猫をゲージの中へと戻した。
「敦盛さん?」
「神子、先にこれは言っておきたい。貴方の勘違いではない。わたしは確かに、猫を飼えるもならば飼いたいと思っていた」
「じゃあ!」
「だけど、猫は飼わない」
 敦盛が告げた途端、輝いた望美の顔に解りやすいほどの翳りが帯びる。
 だからこそ、敦盛は笑顔を浮かべた。こんなにも自分を心配してくれる存在が傍にいる喜びを噛み締めて。
「いいんだ、神子。猫の存在は必要ない。神子の気持ちは本当に有り難かったし、嬉しくもあった」
「だったらどうして……」
「先ほども言ったように、猫の存在が必要ないからだ。貴方が居てくれるだけで十分だ」
「でも……!」
 なおも食い下がろうとする望美に、それでも敦盛は首を横に振り続けた。こんなに強固に揺るがない決意を持ち続けることが出来るのも、ここにいる望美のお陰である。
「私は一人ではない」
 ずっと伝えたかった言葉が、喉に突っかかることなく出てきた。
「私は思う。私が今、何より必要としているのは、こうして貴方と出かけて猫について話したり、一緒においしいものを食べたり、貴方が見たものや感じたものを私自身で体験して喜びを得ることだということを」
「?」
 望美は一瞬理解できなかったのだろう。丸い目を細くして、その意思を確認しようとしている。そんなところでも猫の仕草のように思えて、敦盛は指で口許を押さえた。こうして話をするのは…そう、幼き日の赤毛を宿した友人のクセだった。
「確かに、猫は寂しさを紛らわすことができるだろう。だけど、今私が求めていることは、猫とでは出来ない。貴方とだから出来ることだ。私の生活は常に貴方がいることを前提として成り立っている。猫で寂しさを紛らわせても、そこに貴方が居なければそれに意味を持たない」
「つまり、もう少し二人での想い出が作りたいって……ことですか?」
「……そうだな、きっと、そう云うことだと思う」
 望美はパッと顔を輝かせた。
「じゃあ、わたし出来る限り敦盛さんと一緒に居ます! いっぱいいっぱい、思い出作りましょう!」
「ああ、私もそうしたい……ただ、神子の迷惑にならない程度の範疇で構わないから」
 意気込んでしまった望美は止めるものがないとどこまでも突き進む。敦盛は小さな声で付け加えた。ちなみに、これの効力が無いことを知っているのは、彼女の幼馴染だけである。
「そんな迷惑なんて持ち合わせてませんよ!ウェルカムです! カムヒアです!!」
「う、うぇる……? かむ……?」
「写真とか、この世界のあらゆるものを駆使して、思い出作りましょうね! 最近のケータイは機能がすごくいいんですよ!」
「あ、ああ……」
 勢いに乗った望美は誰にも止められない。気圧された敦盛が一歩引いても気にしない。本当に自分のやりたいことをやりだす。いつでもわが道を行く望美は豪胆な猫だった。
「じゃあ、早速記念に一枚……すいませーん、店員さん写メ撮ってもらえますか?」
 手近に居たショップ店員を捕まえた望美はケータイを渡して機能説明をしている。写真と聞いてバックにはゲージから出されてにゃーにゃーと鳴き続ける猫が何故か群がってきている。敦盛が言葉を挟む隙もなく事は進み、戻ってきた望美は敦盛の腕に元気よく絡みついて、店員に向かってピースを繰り出した。
「はい、じゃあ撮りますよ〜」
「お願いします! 敦盛さん、あそこのケータイ見ててくださいね」
 ぼそりと耳元で囁かれた言葉通り、敦盛はそのケータイを手にした店員を見た。具体的に何をするのかもわからなかったから、ひたすらに驚いていたけれど、その瞬間をストロボが光って敦盛は考える思考を完全に奪われた。


 笑った記憶はまったく無いのに、画像に写った自分は微笑んでいた。
 一匹の猫とのツーショット。
 敦盛のケータイの待ち受けには、いつも元気な望美がピースをして笑っている。


 了



   20070626  七夜月









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