十五夜




 夜になると空を見上げ縁側に座って足をぶらぶらさせている望美を、敦盛は度々見かけるようになった。夜更けに女性を尋ねることを良しとしない敦盛だ、特に狙って遭遇しているわけではない。望美の居所というのが神出鬼没で、本当に偶然が重なって見かけるのである。それは土間に続く渡殿だったり、みんなが寝静まる室の近くであったり様々だ。
 紅葉が深まるにはまだ早いこの時期、かといえ、残暑というには涼しい季節。夕涼みには少し遅い時間であるが、敦盛は度々声を掛けるかどうか迷ってその都度遠くから見守ることに徹していた。
 空を見上げる望美の瞳が空よりずっと遠くを見ている気がして、気後れしてしまったせいでもある。澄んだ瞳ではない、逆に昔を邂逅するようにその瞳は不透明に空を映していた。
 だから、よもやこんな場所で出逢ったときは驚きが先行して、気遣いのきの字も出てこなかった。
「神子、こんなところで何をしているんだ」
「あ、敦盛さん。偶然ですね」
 偶然で屋根の上でまさか神子と落ち合うことになろうとは、万が一にも考えたことはなかった敦盛である。絶句してもおかしくはなかった。
「どうやってここに?というよりも、何故こんな場所に」
 敦盛らしからぬ、思わず質問攻めにしてしまったが、彼の動揺など何処吹く風といったばかりに、望美はマイペースに答える。
「そこの木を伝ったら案外簡単に登れましたよ、今はお月見をしてたんです」
「お月見?」
「はい、そろそろだなあって思ってて。多分今日がそうなんじゃないかと思ったから」
 月の形を指差して、望美からお月見とやらの説明を受けた敦盛は、ようやく瞳の不透明な理由に気がついた。
「ちょうど満月でしょう、わたしたちの時代では十五夜って言っておだんごを食べたりススキを飾ったりするんですよ。中秋の名月だったかなあ、由来は忘れちゃったんですけどね」
「そうか、神子の時代には様々な行事があるのだな」
「でも、これは昔からの行事ですから、もしかしたら敦盛さんがしたことのある行事の中の一環が、別の形になって伝えられたっていう可能性もありますよ」
「そういえば、私たちの世界と神子たちの世界は似ているのだったか」
「はい、過去のわたしたちの世界にそっくりです。……不思議なものですね、いつもお月見なんて当日にニュースでやってるときくらいに初めて知るのに、いざ無関係な世界に来たら思い出すなんて」
「そういうものなのかもしれない。いざ知らぬ場所に来て自分が居た場所が恋しくなるのは道理だ」
「ふふふ、優しいな敦盛さん」
「そんなことは……ところで神子、何故ひとりで観ていたんだ?譲殿や将臣殿だっているだろう」
 同じ世界から来たもの同士、分かち合うことだって出来ただろうに。だが、望美は敦盛の考えに難色を示した。
「うーん、そうなんですけどね。思い出してたのが向こうの世界の事ですから、二人に知られたら余計な心配とかかけちゃうかなーって思いまして」
「そうか…やはり私などよりも神子の方が十分に優しい」
「そんなことないんですよ、本当に」
 望美の声が一段と低くなり、敦盛は目を見開く。月に向けられていた視線が屋根へと落ち、地面へと伸ばされていた足はその腕に抱えられるように縮む。
「一人で見ていたのは心配かけたくなかったからなのに、今一人じゃないことに安堵してる自分がいる。時折帰りたくてたまらない自分がいることを漏らしてはいけないのに、わたしはそれを口にしちゃうんです。ごめんなさい、敦盛さんの優しさにつけこんでます」
 人間なら持って当然な感情だった。今まで憚るように口を開くことが無かった望美なのだから、敦盛はそれを聞いたとしても軽蔑したり、気に病んだりはしない。無論、神子としての使命を全うするために普通の女人と同じ立場でないことは理解しているし、そういう立場にいるにも関わらず少しでも望美の負担を軽減させられないことに関しては猛省する。だが、そうなることをわかっているから、望美はあまり弱音をはかないのだろう。
 ただ、不謹慎かもしれないが敦盛も一つだけ、うれしいと思えることがあった。
「神子、私ならば大丈夫だ。本来ならばここは神子の力になれない己の弱さを恥ずべきこととして謝罪をせねばなるまい。だが、神子に一つだけ言いたい。私はつけこまれただなどと一切思っていない。誰にも頼ることを良しとしない貴方が私を利用するのであれば、喜んでこの身を捧げる。貴方の好きにしていいんだ」
「……いや、敦盛さん。お気持ちはすごくうれしいんですが、とてもそれは誤解を招く言い方では」
 言われて初めて、敦盛は自分の言葉を思い返した。
「……すまない、神子。言葉が過ぎた」
「いえ」
 微妙な沈黙が落ちたが、望美が突然噴出したので敦盛は顔を上げる。
「あははっ…!ごめんなさい、思わず…いえ、すごく嬉しかったですよ」
「そうか」
 神子が喜ぶならそれで構わないと思うものの、気恥ずかしさがある敦盛は眼を伏せて視線を外した。ほんのりとその頬は赤く染まっている。
「敦盛さん、聞いてください。さっきはああいったけど、時間が経つにつれ、わたしは帰りたいって思うことが少なくなってきてるんです。何故だかわかりますか?」
「……いいや」
「それは、こちらの世界で新たに手に入れた記憶や仲間があるからですよ。家族にも等しいほどにその存在感が大きくなるなんて、正直自分でも思ってなかったんですけど、でもみんながいて笑ったり泣いたり怒ったりしてるのをみると、わたしの大事なひとたちはああ生きてるんだなー。だからきっと向こうの世界の大事な人たちも、元気にやってるんだろうな。なんて、根拠も無いのに考えちゃうんです」
 望美の話は自分で言っているとおり根拠が無いものであったが、敦盛は決して笑わなかった。ひたすら前向きにそう考えられる望美が、心底羨ましいと同時に素晴らしく見えたからである。
「神子、私はやはり貴方のことをとても素晴らしいと思う。貴方が神子で良かった」
「どうしたんですか、敦盛さん」
「私の素直な気持ちだ…こんなこと、言えた義理ではないのかもしれないが」
「……よくわからないけれど、誰かがそういってくれるだけで、わたし、頑張れます。ありがとう、敦盛さん」
「私の方こそお礼が言いたい、貴方と出会えて本当に良かった」
 たとえ怨霊と成り果てた身であろうとも、この出逢いには価値がある。ありがとうと告げられることが、純粋に今敦盛は嬉しかった。こういうような感情は、望美が与えてくれたモノだ。
「いい月だな、神子」
「そうですね」
 夜空を見上げてから、敦盛は望美の隣に迷った末に腰を下ろした。横を向けば望美が視線に気付いて笑いかけてくれる。敦盛も微笑を返してから、また夜空を見上げた。月には不思議な力があるというが、実際に敦盛はそうではないかと感じていた。こんなに穏やかな気持ちで月を見ることは今までなかった。悔恨・懺悔・苦渋という連鎖に悩まされてその心を月に映し出すことはあったが、今はただその美しさに身をゆだねていたいのだ。
 そうして、真丸に輝いている月を誰かに呼ばれるときまで敦盛は望美と二人いつまでも見続けていた。


 了



   20071031  七夜月









遙かなる時空の中で TOP