5月23日



「わたし すごく良いこと考えたんですけど」
 彼女の幼馴染いわく、ロクでもないことを思いついた時に彼女が口にするのがこのセリフであったと、言われた張本人は記憶していた。
 だが、当の本人敦盛には、望美の口から語られる言葉に多少の嘘偽りが混じっていても、絶対たる事実と真実が根底にあると信じているので、将臣からの忠言は残念ながら八割が効果を発揮しない。
 要するに、今日ものほほんとしながらそう告げる望美が言うのだから、きっととても良いことなのだろうと彼は真摯に信じている。
 敦盛は学校帰りに息を弾ませて家まで押しかけてきた望美を迷惑がるでもなく快く家へと上げて、お茶を振舞った際に聞かされた第一声があれだった。当然敦盛宅に押しかけてからの行程を振り返ってみても、望美が良いことを思いつくアクションはなかったように思う。
 ともすれば、学校で何かあってそれを敦盛にも教えたくて来たと思うのが当然だろう。考えても望美の意図が不明なら先を促すしかない。
「どのようなことを考えたのだろうか、それは私に関わることか?」
 たとえば、敦盛にはわかりにくいこの世界のファッションや所作のことかと問いかければ、望美からは否の答え。
「うーん、正確にはわたしたちのことです。わたしと敦盛さんの二人」
 再びお茶を口に含んでしまりのない顔になる望美。以前その様子を見ていた将臣が「完全なバァさんだな」と呟いた瞬間望美の手近にあったクッションが将臣の顔面にダイブしていたことを、ふと敦盛は思い出した。
「やっぱり敦盛さんのいれてくれたお茶が一番おいしいなあ」
「……そうか、ありがとう」
 この時代に合わせてお茶の葉を急須へと淹れお湯を注ぐだけの簡単なものだ。特別手をかけて淹れているわけではないのだが、何度敦盛が「そのように言ってもらえるほどのものでは…」と恐縮しても毎度望美がそれを吹き飛ばすかのように褒めるので、もはや何を言うでもなくその賛辞をありがたくちょうだいしている。
「でね、敦盛さん。今日は5月23日ですよね?友達に聞いていたんですけど、語呂合わせで”恋文の日”らしいんですよ。恋文の日ですよ?これはもう、書くしかないじゃないですか」
 敦盛は知らない。恋文の日などと誰が決めたのかは知らないが、別に書かなければいけない日ではないことを。ただ語呂合わせだ。深い意味などはあってないようなほど歴史は浅そうに思える。
「だから、わたし敦盛さんに書いてきました」
「あ、ありがとう」
 ハイと満面の笑みで渡す望美にほんのりと頬を染めながら敦盛は受け取った。望美は自分の気持ちをストレートに伝えるタイプの人間だ。奥ゆかしい敦盛と対照的でまるで敦盛の分を穴埋めするかのように愛情表現に富んでいる。それを申し訳ないと思いつつ敦盛も自分の内にある想いをどうにか形にしようと、努力している、が。
 さすがにこれは敦盛の予想外で、読んだ瞬間敦盛の行動すべてが停止した。
『君はボクの太陽だ。なんて言葉がありますが、わたしにとっての敦盛さんはまさにそれです。天使です、ファンシーです、ナースです(癒し系)。わたしは今、敦盛さんと一緒にいられて幸せです。幸せ過ぎて昇天しそうです。でも敦盛さんを一人にはしたくないのでまだ昇天できません。あれ?でも敦盛さんは天使なので矛盾が生まれます。そんな敦盛さんが好きです。敦盛さんへの想いを自慢しようと将臣くんにこの手紙を見せたら、お前、本気でバカなのな。といわれました。ヒドイですよね、乙女の純情をバカ呼ばわりするなんて。
 確かに、バカなのかもしれません。初めて書くからわからないですけど、こんなのラブレターなんて呼べないかもしれない。
 だけど、どんな愛情表現をしても敦盛さんはわたしを受け止めてくれるって信じられるから、わたしはこうして手紙をかけるんです。
 時に可憐で、時に雄雄しく、実はその手のひらがわたしよりずっと大きいのも、抱きつく背中が広いのも知っています。
 敦盛さんの全部がわたしは大好きです』
 出だしで固まったのは言うまでもないが(ちなみにカタカナについては意味をおぼろげに理解した)、後半に愚痴が混じっていて決してラブレターとは程遠い文章構成。だが、敦盛は望美がバカではないのを知っているし、彼女自身のありのままを表現したに過ぎないのだろう。思ったことをそのまま文字として書き起こしたのだ。あえて文章にすることなく。それはいつもの望美の愛情表現と変わらない。手紙を一読してもなお、幾度も読み返し敦盛は満ち足りた気持ちになった。
 例え他の人間に何を言われようとも、敦盛にとってはこれがすべてだ。
「敦盛さん、わたしちゃんと書けって言われたらちゃんと書きます。敦盛さんがイヤだということはやりたくないです。わたしにとって敦盛さんの言うことは絶対なんですよ」
 つまり、望美は敦盛にヒト一人を動かす力があるのだといっているのだ。
「その言葉はそのまま、貴方にお返ししよう」
 敦盛は言葉通り、すべてを失った。肉親や知り合い、それどころか己自身の身体も命さえもなくなり、今の敦盛は形成しているのは魂のみと言っても過言ではない。ヒトとしての幸など、与えることはおろか与えられることすらないと思っていた。それを突き崩したのは目の前の少女の笑顔そして涙。もう、自分のことで彼女を悲しませることはしたくない。
「敦盛さんもラブレター書いてくれます?」
「構わない…のだが、私は今一言しかどうにも表せそうにない」
 期待に添えないかも知れないという敦盛の言葉に、それでも構わないと望美はパッと顔を輝かせた。敦盛は筆記用具を手にすると無地の白紙に言葉を綴った。

『愛しい人、願わくばずっと、貴方の傍に』


 了



   20080523(再掲載:20080906)  七夜月









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